第5話 勇者として
会議場内がしんと静まり返っていた。ただ重苦しい空気だけがそこには流れていた。
そんな中で、クレアは今ハルイドが口にしたことを理解しようと努めていた。
炎魔竜アグニの復活。確かハルイドはそう言った。そして、それはクレアに関係のあることだと。
理解はできる。言葉の意味も、言っていることもわかっている。わかってはいるのだが、頭がそれを信じようとしない。そんな突拍子もないことをすぐさま信じられるような人間はいない。この場にいるクレア以外の人間も、最初は信じていなかっただろう。
人の嵯峨として確かめなくてはならないと思ったクレアは、ハルイドに尋ねる。
「陛下、炎魔竜アグニの復活、それは、確かな情報ですか?」
「……確かだ。ヒューレ火山の頂上で、確かに生命活動を確認した」
「そうですか」
炎魔竜アグニ。
それは悪魔の竜と呼ばれており、ヒューレ火山の頂上に生息し、災厄の象徴として怖れられ、古代ではその身が放つ炎によって国ひとつを消したとも言われている、正真正銘の化け物だ。
度重なるアグニの脅威に人々は逃げることしかできず、しかし、それでも逃げ切れず、ある時にはその時代の人間の人口が今の四分の一にまで落ち込んだこともあったらしい。そんな脅威に立ち向かうことができる人間は長いこと現れず、人々は絶滅すら覚悟したという。
だが、およそ三百年前に転機が訪れた。
ある一人の青年が勇者として、アグニ討伐へと向かったのだ。その勇者はいわばクレアの先代の勇者である。
国はその青年に希望を託し、アグニ討伐の知らせを待った。
誰もが信じ、期待し、待ち焦がれた。
これで未来が開けると思い、立ち上がってくれた勇者に感激すらしていた。
しかし、届いてきたのは悲報。
なんと、勇者がアグニと戦い、死亡したと言うのだ。
彼は一人でアグニ討伐へと向かったのではなく、仲間を何人か連れていた。その内の一人が知らせてくれたことだった。
話によると、アグニをあと一歩というところまでは追い詰めたらしいのだが、最後の最後で勇者を巻き込んで自爆したとのこと。その爆発は凄まじかったらしく、先代勇者の言う通りに頂上から離れた所に待機していた仲間たちの所にまで、熱と爆風が降りかかったそうだ。
もちろん仲間たちは急いで確認しに行ったが、ただでさえ人間にはそこにいるだけで苦痛となりヒューレ火山の頂上が、爆発によってさらに過酷さを増していたとのこと。それが収まるまで丸一日かかり、ついに捜索ができるようになったが、行ってみると勇者とアグニの姿はどこにもなかった。
懸命な捜索は昼夜を通して行われたが、結局勇者を見つけることはできなかった。そして、それと同時にアグニの生態反応が一帯からは検出されず、また頂上から移動した痕跡もないため、アグニは勇者を巻き込んで死亡したとされた。
これで国や人類の脅威は去ったが、それと同時に希望を失った。
それは伝説として今日まで語り継がれてきた。
「何で、アグニが復活するんですか!おかしいでしょ?先代が滅ぼしたのではないんですか!」
「違うわよ、クレア」
興奮気味に叫ぶクレアを宥めるように、アスティリアが言う。その顔にはいつもの微笑みはなく、厳しい表情が焼き付けられ、彼女ですら余裕がないことを表していた。
「アグニは滅ぼされたんじゃなくて、自爆したのよ。決して勇者が勝ったわけじゃないの」
「それでも、何で復活なんてことになるんですか!」
「それは……」
「わからないのだよ」
言葉に詰まったアスティリアに続けて、ハルイドがクレアに告げる。
もちろんそんなことに納得できるわけもなく、クレアは声を強める。
「何でわからないのに、アグニが復活したなんてことになるんですか!」
「言ったであろう?生命活動を確認したと」
「それが何でアグニのってことになるんですか!」
「ヒューレ火山の頂上は、決して生物が生きていけるような環境ではない。ほんの一時間いることも、人間には不可能なのだ。そのようなところで正常な生命活動をしている生物など、アグニ以外にありえん」
「だからって……」
「あの悪魔と呼ばれた竜だぞ。あの竜に関しては王国に保管されている文献を確認してはみたが、まだ解明されていないことが数多くあると考えてもいいだろう。滅んでいてほしいとは誰もが思うことだが、こうして疑いが持たれている以上、無視することはできん。再び災厄が人々に降り注ぐことになれば、滅びへの道をたどるだけだ。それだけは絶対にさせてはならない」
「それはそう、ですが……」
やはり、クレアはそれを認めたくはなかった。クレアはもちろん直接アグニを見たことはないが、その恐ろしさは誰よりも耳にしてきたし、教えられてきた。
クレアは勇者であるがゆえに、そういった災厄と呼ばれるものたちに関する知識はとことん教え込まれてきたし、自分でももしもの時のために訓練も怠ったことはない。
そのため人外のものに対する耐性はあると思っているが、それでも未知数の敵が迫っているとなれば、そこに興奮するような戦闘狂ではない。
自分の役割を受け入れているのと、進んでそれをやるのは別なのだ。
それが実際に起きるとなれば、動揺は隠せない。
いくら王国最強の勇者でも、中身はまだ十六歳の女の子なのだ。そうそう違いなど出るわけでもなく、他と同じように漠然とした何かに対する恐怖があった。
それに、アグニが復活となれば、クレアも無関係というわけにはいかない。ハルイドが言ったのは、つまりはそういうことだろう。
「クレア、お前はまだ若い。もう少し成長してからしっかりとした任務に就いてもらう予定だったが、どうやら時代がそうさせてはくれないようだ」
ハルイドは申し訳なさそうに、しかしその裏に確固たる意志をもってクレアに言う。
クレアもそれを感じ取り、己の役目を理解する。勇者としてここにいる以上、この役割は絶対にいつか回ってきたはずだ。クレアはまだ若いとはいえ、すでに勇者であることに変わりはないのだから。これはあくまで、最初の任務が予想外に大きく、早い年齢ですることになっただけの話だ。
「わかっています、陛下。ヒューレ火山へ行けるのは、私だけですから」
「うむ。それでは、勇者クレア=シュリンケルに初任務を与える」
クレアは表情を引き締めて、その言葉の先を聞く。
これは今まで待ちに待ったことなのだ。
その感慨に心を震わせて、クレアは自分の中にあるもう一つの震えを押し殺す。勇者である以上、それは絶対に必要なことだ。
「炎魔竜アグニの討伐だ」
「はい!」
クレアは自分の役目を全うするために、大きく頷き、その任務を受けた。
しかし、それがどれほどの地獄となるのか、その場にいる者の中で正確に理解していたのは、たった一人だけだった。
アグニ討伐計画まで、あと一週間。




