第54話 思い出したお願い
「さて、どうしたもんかな」
グレンにはもうほとんどの魔力が残っていなかった。
<アースドラゴン>で消費したのが予想以上で、久々にやると勝手を思い出すことがうまくできずに、魔法に無駄ができてしまった。
威力は強引に魔力を込めたことで補えたが、それが祟ってもう立ち上がる気力を起こすのも一苦労だ。
「こうまで通用しないのを見ると、さすがに俺でもやる気が失せてくるところだな」
そう言って現状認識をするグレンは、あることに気付いた。
先ほどもこんな風にこちらの攻撃や策を無駄にしてきた黒蛇だが、今回は様子が違って見えた。
もちろん、グレンの攻撃が破られたことに変わりはないのだが、ただ破られたわけではないようだ。
「なるほどな。全く効かないというわけじゃないか」
よく見てみると、グレンの言うとおり少しダメージがあるるようで、所々の鱗にひびが入り、中からうっすらと赤い血が細く流れていた。
「へへっ、賭けに出た甲斐はあったみたいだな」
グレンの魔法がようやく、戦いが始まってから初めてダメージと呼べるものがあった。
もしかしたら、目では見えなかっただけで、ここまでの攻撃で消耗させていたのが、ここにきて一気に意味を成したのかもしれない。
これでなにも無駄ではないという証明にはなった。
しかし、それでもかなり難しい状況だった。
「もう一度同じのをぶっ放せばもう少しいい感じになるんだろうが、さすがに魔力が残ってねぇ。どうする?」
険しい表情のグレンが見上げる黒蛇は、明らかに様子がさっきまでとは違っていた。
おそらく、初めて与えられたダメージに怒っている、という所だろうか。
「まずいな、これは……。パワーはさっきまでよりも上昇しているだろうし、それに加えて、俺に対する敵対度合いがひどいことになってそうだな」
それは当然。
村人たちが戦っている時も、グレンはずっとサポートに徹してはいたが、他の誰よりも働いてた。
それにその後の地面の壁や防御魔法。
そしてそこからの一対一と、極めつけは黒蛇の鱗にひびを入れ、体に傷を付けた<アースドラゴン>。
ここまでやってイラつかない理由はなかった。
自分が黒蛇に対してこの戦いでやってきたことを思い出して、それを認識したグレンは、今度ばかりは焦りに焦る。
「あっちが本気っぽくなってるのに引き換え、こっちはそれに反して魔力量が圧倒的に足りていない。あの洞窟みたいにここも魔力濃度が高ければよかったんだが……あんな希少な場所を望んでいるようじゃ、そろそろ手がないか?俺の素の戦闘力なんてたかが知れているし。勇者クラスなら対抗できたんだが、それも高望み」
一つ一つ現状を理解していくと、今の自分がいかに危ない、どころかヤバい状況なのかがわかってきた。
グレンはもう立ち上がることすら困難。
目の前には、ようやく傷を入れたとはいえそのせいで余計に戦闘力が増しているように見える黒蛇。
こうしていると、グレンはリベルもアグニと向かい合っていた時はこんな感じだったのか、と思えてきた。
「ははっ、こりゃ本当にヤバイ。猫の手どころか、勇者の手掛かりたい気分だ、嫌々でも」
この状況を打開できるのは、もう勇者クラスの戦闘力を持つ者しかいない。
グレンの知る限りでは、アグニの本体を倒すくらいの実力があると本気で安心できるのだが、それは遥かな高望み。
こんな場所には、勇者どころか外部の人間は入ることができない。
ただいま思い切り中に入っているグレンたちだが、これはイレギュラーとしか言いようがない。
「結局、今の俺じゃこの程度か……。情けねぇことだな」
(せめて全盛期の半分の力は今あれば、この黒蛇に勝つことも夢じゃねんだがな)
心の中で後悔があるグレンだが、それは今更過ぎることだった。
今ここでそんなタラレバをしたところで、全く意味がない。
そのことはグレン自身もわかっている。
わかっているのだが、どうしてもそう考えてしまう。
この危機をどうにかできるだけの力があったがゆえに、それが使えなかったことが悔やまれた。
「もう立ち上がれない俺に、何ができるんだろうな」
黒蛇はその頭を少し後ろに引き、一瞬後、ものすごい勢いで牙の生え揃う口をグレンへと向けていく。
グレンはその口をゆっくりとする視界で見る。
(やばいっ!)
反射的にそう思って体を動かそうとするグレンだったが、こんな時でも体に力が入らない。
「くそっ!」
動かない自分の体を忌々しく思うグレンは、歯を食いしばって黒蛇の口の牙がキラリと光るのが見える。
(やばいやばいやばいやばい!)
頭の中は高速でフル稼働しているのだが、こんなぼろぼろの体にできることなど思いつかない。
このままでは確実に、数秒経つ間もなくグレンはあの口に収まる。
頭は動くが、体が動かない。
いくら魔法使いとして優れていても、ここぞという時に魔法が使えないとこうなる。
(くそっ!もう、無理か?)
グレンはそう思ってしまう。
もう黒蛇の牙は目の前にまで迫っている。
いくらグレンでも、この後どうすれば回避できるのかなど考えられなくなっていた。
頭に浮かぶのは、自分が黒蛇に食われている姿。
その様子はリベルとよく似ている。
同じように、相当な苦痛があるだろう。
そこまで考え、グレンは首を横に振った。
(いや、俺とあいつとじゃ、全く違う。似ているなんて違う。俺は諦めて食われるだけだが、あいつは人を助け、なおかつ死ぬつもりなんてなかったに違いない。なにせ、あいつには叶えたい夢があるからな)
音楽のために出た旅。
その志が、あっさりと失われるわけがない。
リベルは死ぬつもりなどなかった。
(そうだ。あいつには夢がある。だから死なない。そして……そう言えば、俺にもいくつか夢があったな。それを叶えられなくなるのは、少し嫌な感じだ)
もう目前に迫る口は、グレンを咥えようと少しずつ閉じられていた。
そんな中で、グレンは恩人の言葉を思い出した。
『お願いだ。あの子が成長するまでは、ずっと見守っていてほしい。俺たちがいつまでも一緒にいられるわけじゃないから。こんなことは君にしか頼めない。どうか、あの子の成長を見守っていてくれ』
グレンは不意に思い出したことに、笑みを浮かべた。
「あぁ、そうするさ」
そうぼそりと言ったグレンは、自分の体が咥えられる寸前に、転移魔法を発動させてその場から逃れた。
目標を失った牙は何もない空間を噛み、体は地面をこすった。
グレンは黒蛇から距離を取った場所に着地すると、黒蛇の様子を見て、そっと息を吐いた。
「あぶなぇ。途中であきらめるところだった」
額から顎に伝う汗を拭うと、グレンは今起きたことに自分でも驚いていた。
もう魔力は残っていなかったはずだ。
動く体力すら残っていなかったというのに、一体どこからそんな力が。
「おそらく、これか」
グレンは左腕に感じる違和感に目を向けると、そこには手首をぐるりと一周する虹色の模様が現れていた。
「ここから、魔力が供給されている?どういことだ?」
グレンの感覚では、模様を通してグレンの中に魔力が送られている。
しかし、原理がわからない。
得体が知れない。
突然すぎて意味が分からない。
グレンは自分の力を十分に把握しているつもりだ。
危機的状況で火事場の馬鹿力が出るのはまだ理解できるが、こんな模様の出るものなど知らない。
だが、このおかげで助かったのは事実。
「何だかよくわかんねぇが、まだ戦えるみたいだな」
グレンはそのことにひとまずは安堵した。
この後に強力な副作用などがあってもグレンは驚かないで受け入れる。
今はこの力がどうしても必要だった。
「戦えるだけ戦ってやる」




