第52話 葛藤
長老の叫びの後には、何も続かなかった。
シンとした空気に中で、グレンは長老へと向けていた視線を黒蛇へと戻した。
起き上がったばかりの黒蛇は、まだ仕掛けてくる様子はないが、それでもこのまま固まった状態では一網打尽だろう。
「ちっ、しょうがねぇか」
グレンはしばらく時間がかかるだろうと予想し、村人たちのためにやっているように思えてしゃくなところはあるが、少しだけ役に立つことはしてやろうと思った。
「少しは時間を稼いでやる」
長老を一瞥してそう伝えると、グレンは目の前の黒蛇に意識を集中させる。
長老がひとまず黒蛇から下がらせることで、何人も去っていくが、グレンはそれに意識を払うことはなかった。
本当に一人。
少しの間だけではあるが、単独で黒蛇に立ち向かわなければならない。
やはり、グレンはついていない。
こんなことになって、なおのことそれを自覚した。
しかし、自覚したとはいえ、グレンはこの状況が面白くなってきた。
黒蛇が強敵なのはよくわかった。
グレンの魔法でも抑えきることができなかった魔獣。
明らかに今のグレンでは荷が重そうに見えるが、それでもグレンはおかしく、いや、面白くなってきて、口の端を上げていた。
それはまるで愉悦。
ここ最近は、特にキリルスとミシュアに助けられてからは、こういう機会はなかった。
こういう、自分一人では勝ち目が薄い相手と向き合うことは、穏やかに過ごすようになってからはめっきり減った。
グレン自身そういう生活をあまりしてこずに、なかなか新鮮で心地よく思えていたため、ここまでそうして過ごして危険からはなるたけ遠ざかっていた、
そうして得た経験はもちろんある。
そうすることでしか得られなかったものはたくさんある。
しかし、やはり、とグレンは思った。
「俺はやっぱり、こういう勝負事が好きなんだなぁ」
旅に出て不運は続き、危険なことは色々とあった。
それをただの不運として精一杯潜り抜けてきたが、その度重なることがグレンが長いこと押さえつけてきた内側の部分、いわば本質が表に出てきた。
戦いを楽しむ気持ち。
もっと言えば、自分を超えるような強敵との戦いに胸が躍るというのだろうか。
久しぶりの感覚に戸惑うところもあるグレンだったが、そんな戸惑いは目の前の強敵を意識すれば吹っ飛ばせるものだ。
グレンはそんな強敵を前にして、ここに来て一番の冷静さを取り戻した。
そんな今のグレンは、幼い時からグレンと一緒にいるリベルでも知らないグレンだった。
それだけ内に抑えてきた感情、このタイミングで出てくるのは良いことのようなそうでないような複雑な気持ちがグレンにはあった。
「そういうのは戦ってればどうにかなるか」
グレンはそう切り替えることにして、自分の中の今の魔力量を確認する。
ついさっき確認したばかりで著しく良くなることなどなく、残量は変わっていないのだが、一応念のため。
もしも減っているようなら、考えを誤れば予想よりも早く力尽きてしまう。
結局はそんな考えは杞憂だったのだが、もちろん魔力量が増えているわけではない。
今はもう半分も残っていない。
そんな状態でこんなピンピンしている黒蛇を相手にできるのか不安が多いにあるところだ。
「さてと、どうしたもんかな。もう一度封印を破るのは……論外だな」
今のグレンは封印を一度破ったとはいえ、それでも全盛期の一割ほどの力しかないのだ。
力というのはあくまで魔力量であって、記憶は封じられていないので少しは経験からカバーできるのだが、こういう黒蛇のように規格外な存在は対処ができない。
圧倒的に魔力量の方の力が足りないのだ。
外にも中にも傷を負っている様子のない黒蛇を見れば、それは明らか。
かといって、封印の解除にもそれ相応の魔力量が必要で、今日一日魔法を使い続けたせいで、今のグレンの魔力量では解除は不可能。
たとえ、無理矢理にでも解除しても、その後に必要な魔力量が足りない。
ゆえに、このままグレン一人で続けたところで、いや、一人でなく村人全員で続けても勝てる保証はできない。
グレンはもう勝算はかなり低いと見ている。
長老の呼びかけで何とか戦意を戻したとしても、果たして通用するのか否か。
その先を考えるのは避けたい気分だ。
こちらにはまだ負傷と言える怪我をした者は一人もいない。
それなのにこちらが絶望的になってしまっている。
それが表す戦力差は計算できないが、それでもグレンは高揚する。
そして、思う。
この戦い、ほとんど負けが決まっているような気はしているが、それならそれでここで全力でやってみるのもいいかもしれない、と。
グレンはいつの間にか、劣勢になったらリベルを連れて逃げるという最初の予定を忘れているようだった。
そんなグレンは、残り少ない魔力でどこまでできるのかを試すために、全盛期の一割の力で全力でやってやろうと決めた。
♢♢♢
村人たちは全員が一度黒蛇から離れ、長老の元へと集まっていた。
全員が長老へと向いていながらも、後ろで黒蛇と一対一で戦っているグレンのことが気になるのか、チラチラとそちらを向く者がほとんどだった。
そうしながら、静かに長老の言葉を待つ村人たち。
その身、目、表情、あらゆるところから感情が見え隠れしていた。
意識的に取り繕うとしても、生き残りを賭けた戦いというものが、村人たちの神経を麻痺させていた。
不安と恐怖、もうだめだと諦める絶望、まだやれると本気で思う者、虚勢を張って自分を強く見せようとする者。
様々な人がいるが、皆それぞれがこの絶体絶命という状況から、精神的に圧力を感じているようだった。
「ああして、グレンが時間を稼いでくれている間には、わしらはわしらで立て直さなければならん。いくらグレンでも、先ほどまでの攻防を見る限りでは一人ではどう考えても厳しそうじゃ」
長老の言葉に、皆の表情に影が差す。
余所者であるグレンが気に入らないという感情は、まだほとんどの者にはあった。
しかしその一方で、実力を認める者も多く、そしてそんなグレンが勝てないとあっては失望よりも諦めが先に来てしまう。
考えまいとしてきたことだったが、長老が口にしたことで、それが各々の勝手な思い込みでないことを理解させられる。
「グレンが追いつめられて何もできなくなってしまう前に、わしらもそこに復帰する。良いな?」
長老はまだ戦うという決断をした。
しかし、その判断を疑問に思う者もいる。
もう今までのように逃げてしまった方が良いという考えが多くあることが、長老も雰囲気で何となく察した。
その考えには賛同したいのはやまやまだったのだが、それでも長老には信じていることがある。
長老は、村人たちの乱れた心を落ち着かせるために、そうまでして戦い続ける理由を告げる。
「フォルトナが、光ったのだ……」
長老の言葉に、再び村人たちはシンとなる。
グレンの戦う音が遠い場所のように聞こえている。
フォルトナが、オーリン村の宝が光ったということの意味を、村人たちは正しく理解した。
ただ、理解できることと信じられることは別問題だ。
なにせ、フォルトナのことなど村人でも村に伝わる伝説の中でしか知らない。
黒蛇への不安が薄れ、逆にフォルトナという既知でありながら未知のものへの戸惑いが生まれる。
所々で相談し合う声が聞こえるところで、長老は口を開く。
「そう反応するのももっともだ。しかし、今はそんな時ではない。フォルトナが光った、それすなわち、神のご加護があることの証。そしてその時に黒蛇が現れた。これを好機としなくてどうするというのだ?こうして神のご加護があるのじゃ。今こそ立ち上がるべき時だろう!」
長老がそうして戦いを止めようとしない理由だった。
グレンを連れて見に行った時に、途中で光らなくなったとはいえ、フォルトナが光ったという事実はあるのだ。
その事実があるのなら、それだけで抗う理由になる。
この村はそういう村なのだから。
幸いなことに、グレンという戦力もいる。
完全に信頼できるかと言われれば、長老は断言はできなかったが、それでも戦力としては心強いのは確かなのだ。
その強さに乗っかるように、その波に乗って勢いづき、さらにフォルトナの発光という好機が重なれば、村人たちの士気を上げるのはそう難しいことではない。
「そ、そうだよな。長老がここまで言うんだ。俺たちならできるってことだろ」
「ちょっと待て、そんなに簡単に決めていいのか?フォルトナだって、本当に神のご加護があるかわからねってのに」
「お前は長老の言葉を疑うっていうのか?フォルトナが光って長老が言うなら、本当にそうなんだろうよ」
「そうだが、それでもあんな奴に勝てるとは」
「そんな弱気でどうすんだよ。あいつを見ろ。今もたった一人で戦ってるぞ。この討伐の前に洞窟まで薬草を取りに行って疲れているはずなのにだ」
「あんなのと俺たちは違う。俺たちよりも、あいつの方がよっぽど強い」
「だからってあいつの任せるのか?俺たちの村だぞ」
「無理なものは無理だろ」
「だが」
「そんなことを言い合ってる場合じゃない。今すぐにでも」
「そんなただ突っ走るみたいなことができるか」
「じゃあ、指を咥えて黙って見てるってのか。俺はごめんだぜ」
「何もそこまで言ってないろううが」
長老の言葉に対する賛否が分かれていて村人たちは黒蛇討伐への方針を分けていた。
簡単には、逃げるか戦うか。
字面では簡単なこと。
しかし、中身は簡単には行かない。
二つという明確な別れ方がある以上、考えももちろん明確だ。
それは言い争いを生むことにもなり、後ろでグレンが一人で戦っているにもかかわらず、まだそんな会話、言い争いをしている。
「皆の意見がわかれているのはよくわかった」
言い争いはそうそう終わるものではなく、長老はしばらくしてからその間に入った。
「あれだけの存在感を目の当たりにすれば、最初のやる気など揺らいでしまっても仕方ない。そのことをわしは怒ることも、失望することもない。ただ、これだけはわかっていてほしい」
長老は深く息を吐いて、次の言葉を言う。
「お主たちは今回の討伐で何をしようとしている?あるいは、何をしようとしていた?思うところは様々だろう。細部までは同じとは言えん。しかし、その軸となる部分は変わらないと思っている。違うか?」
村人たちは各々が顔を見合わせる。
そうすることそれ自体が、皆の軸が同じであることを悟らせた。
この村に住んで、変わらずにあるもの。
それは間違いなく、この村そのものなのだ。
ならば、そこを侵入者に好き勝手にされてはたまらない。
追い返して、自分たちの村を取り戻したかった。
できるかどうかで言えば、できないかもしれない。
ここまでやっても全員、心の傷を負わされてしまったのだから。
それでも何かしらの光を胸に秘めて、戦うことが必要なのだ、とわかっていた。
頭の理性の部分が、全てを悟ったように諦めを許容する者たち。
それではだめなのだ、とわかっている。
だが、完全に吹っ切れたようにすることなどできない。
戦うためにいるのだから戦わなくてはと思う心と、そんなのは無駄だ、と諦めてしまう心の中で整理がつかない。
理性と感情。
相反するものが同調せず、別々の向きを向いてしまっていれば、それは葛藤というコンディションを落とす原因になる。
このまま戦うのは非常に危険だと思われた。
「戦い、そして勝つことが簡単なことではないというのはよくわかっているはずだ。そのことを踏まえて、わしはそれでも思うのじゃ。わしにとってはこうするのが良いと思うのじゃ」




