第32話 黒蛇出現
大人たちに蹴られながら、リベルは思っていた。
ここに来たのは間違いだったのではないだろうか、と。
こんなことになるのなら、グレンに結界の場所も扉の場所も教えない方が良かったのではないか、と。
そう思ってしまう自分を感じていた。
(いや、こっちの勝手な都合で、グレンの目的を邪魔するような真似はできない)
しかし、リベルは悲しいほどに自分よりも他人を優先してしまいがちな少年で、それが一番の親友ならなおさらなのだ。
グレンのことを優先するから、今ここで自分が耐えれば大丈夫だ、と言い聞かせ続ける。
村人たちに敵意を抱かないわけではない。
こんなにされるがままなのは、いくら温厚なリベルでも腹が立たないわけではなかった。
腹が立たないわけではないのだが、そこから先、村人たちへ憎しみをぶつけるのをリベルは必死に堪えていた。理性が、感情のままに動くことを否定していた。
今こんな風に村人が怒りに満ちているのは、昔に外の人間がひどいことをしたからであって、その時はこの人たちの先祖は被害者だったのだ。
リベルはその時のことを知らないが、よほどひどいことがあったのだろうことは、グレンや村人たちの様子から予想できた。
代々言い伝えられてきたことで、ここまで外の人間に怒りを向けるのだから、きっとリベルの想像もつかないようなことがあったに違いない。
そしてこんな風になって、外の人間という同じくくりでリベルが暴力を受けている。
ここでリベルが怒りや憎しみをぶつけ返したら、いつまで経っても終わらない。
この暴力が、ではない。
長く続いている村人たちと外の人間との諍いだ。
たかが十六歳の少年がそんな大きなことを考えるのは、村人たちからしたら自惚れというものだが、それでもリベルは考えずにはいられなかった。
リベルは自分よりも他人を優先するがゆえに、自分の仕返しよりも、今後の関係改善を優先してしまっている。
だからこそ、リベルは手を出さない。
喧嘩慣れしていないリベルが抵抗しても意味のない足掻きになる。この状況では抵抗できないとも言えるが、それでもあくまでリベルは抵抗しない。
敵意すら出さず、村人たちがその怒りを収めるまで待ち続ける。
待って、待って、待って、待って……。
どれだけ待ったのかわからない。
もう体に痛みが走ることもない。振動や衝撃はある。ということは、リベルの痛覚が麻痺しているのだ。
そんな状態でも、リベルは頭の中の理性で感情を抑える。
それが今、リベルにできる精一杯のことだったから。
次第に、村人たちの方もリベルを痛めつけることに疲れ、冷めてきたのか衝撃が収まっていった。
リベルは閉じていた目を開け、体に入れていた力を少し抜く。
目の入ったのは、少しずつ背を向けて遠ざかて行く人たち。周りにできていた人だかりはばらけていき、その輪は解けていった。
やっと終わったことにほっとしたリベルは息をそっと吐き、体を起こす
麻痺していた感覚が戻ってきて、体全身が痛んだ。もう痛いところがないと思えるほどに、全身が悲鳴を上げていた。
しかし、そのことで少しだけ安心しているところもあった。
ここまで手酷くしていれば、少しくらいは彼らの気も晴れたことだろうと。
リベルは視線を巡らせていると、自分を罵倒した女の子とその後ろについている男の子が見えた。
二人もこちらに顔を向けることはなく、他の人と同じように歩いていた。
(グレンが言ったら怒られるかもだけど、僕としては案外こんな形でも良かったんじゃないかなと思うかな。一応、大人たちの行動は子どもに危険が及ばないようにするためのものだったんだし)
そんな人が良過ぎることを思っていたリベルは、次の瞬間に見えたものにゾッとした。
(ヤバイっ!)
ここで行動を起こせば、村人たちに反撃と思われてもおかしくない。そうなれば、再び暴力が始まるだろう。
だが、リベルはその危険を見過ごして、村の人たちが死んでいってしまうかもしれない事態にするのは、いくら何でも精神的にきつすぎた。
戦うための力を何一つ持っていなくとも、できることはあると自分に言い聞かせ、リベルは痛む体を起こす。
どんなことをしても体が痛い。
だから、器用に痛くならないようになんてできないし、する余裕はない。
痛む体そのままに、ただそれ目掛けてリベルはよろめきながらも全力で走る。
「危ないっ!」
そう言ってリベルは、男の子と手を繋いでいた女の子の手を取り、男の子から引き離した。
「っ!?」
女の子は突然のことに驚き、周りの大人たちがリベルを取り押さえようと動こうとした。
しかし、誰一人としてその場から動くことができなかった。
リベルのことよりも、はるかに注意を向けるべきものがそこにあったからだ。
それが何なのかをリベルは知らないが、村人たちはそれが何かわかっているようだった。
知っているがゆえの恐怖を抱いて、それを見上げて立ち尽くしていた。
リベルは女の子を抱えたまま地面に転がっていたが、ゆっくりと立ち上がり、女の子も立たせた。
そして、それがどういうものなのかを見る。
見て、判断する。
これは脅威だ、と。
アグニと一度相対したからこそ感じるものが、そこにはあった。
黒い鱗に大きく長い体。その姿は常識外れではあるが、ある生物と同じ形をしている。
「黒蛇……」
誰かがそんなことを、ぼそっと言った。
黒蛇。
その表現は見た目そのままだが、確かにそう言うのが妥当だと思わされた。
それほどに、黒い蛇という言葉しか思いつかない。
その場違いな関心がリベルにはあったが、他の村人はそのような考え方などできない。
黒蛇という言葉を聞いた瞬間、弾けたように村人たちがパニックに襲われる。
リベルはこの黒蛇という化け物の恐ろしさを知らず、ただ見た目からしか判断するしかないが、村人たちは直に知っているのだ。この黒蛇がどういうものなのかを。
「逃げろ逃げろ!」
「ちょっとどきなさいよ!」
「子どもたちはどこ!?」
「訓練通りにやれば!」
「こんな状況は想定してねぇよ!今は逃げるんだよ!」
「逃げるったってどこに!」
「そんなの、森に散り散りに決まってんだろうが!」
混乱して周りが見えず、正常な判断ができなくなってしまった村人たちは、ただ黒蛇から遠ざかるようにして逃げていく。
しかし、そんな村人とは別に、その黒蛇出現を最も近くで見た女の子は、信じられない気持ちで一杯だった。
逃げる村人とは反対に、女の子はゆっくりと近づいていく。
その様子を見たリベルは、急いで女の子の腕を掴んだ。
「ちょっと、そっちに行くのは……」
「黙って!あそこに……あそこにルイがいるのよ!」
ルイ、という名前に疑問符を浮かべたリベルだったが、すぐに女の子の弟のことだとわかった。
そのルイという男の子が蛇になった、あるいは蛇に飲み込まれたかもしれないことは、女の子とともに一番近くでその瞬間を見ていたリベルにはわかっていた。
女の子の気持ちもわからなくはないが、今はどうあっても逃げるしかないのだ。
そこに関しては、混乱している村人たちに賛成だった。
「早くこっちに!」
女の子の腕を掴んで蛇から離れようとしたリベルだが、一瞬の抵抗があり、リベルの手から女の子の腕がするりと抜けた。
驚いたリベルが振り返ると、案の定、女の子が蛇に向かって走っていた。
「何でそっちに行くの!」
「あんたは他の人たちと一緒に逃げていればいいわよ!私はルイを!」
女の子は迷うことなく、一直線に黒蛇へと向かって行く。
それはまるで、その蛇が弟だと全く疑っていない様子。
「ルイ!何をしているのよ!」
蛇の目の前で立ち止まった女の子は、あくまで窘めるような口調で黒蛇に言った。
その行為は無謀としか言いようがないほどのもので、黒蛇の前で立ち止まるというのはそのまま死を意味しているのだ。それが、これまでの教訓。
それを平然とやっている女の子。
理解できていないのか、それとも理解しての行動なのか。
どちらにしろ、危険なことに変わりはなかった。
「ルイ、何でその姿に?早く戻って、皆を安心させて」
穏やかな口調でそう言う女の子に、わずかに反応するように黒蛇は少し体を後ろへ引いた。
「落ち着いて、ルイ。ちゃんと言えば、皆だってー」
「だから、危ないって!」
女の子が言っている間に、リベルが背後から勢いよく女の子を地面に倒し、覆いかぶさった。
「何をー」
怒気を含めて後ろを振り返りながら言う女の子だが、次の瞬間目にしたものに言葉を失った。
真っ先に見えたのはすぐ上空にあった黒蛇の頭。
そして、その口に咥えられている何か。女の子にははっきりと見えた。
リベルの体が黒蛇に咥えられていた。
黒蛇が体を後ろへと引いたのは、勢いをつけるためだった。
つまり、黒蛇は女の子を襲うつもりだった。
リベルが女の子を倒さなかったら、あの口の中にあったのは女の子の体だっただろう。
しかし、目の前にあるのはリベルの体。
「ああぁ、あぁああぁぁ!」
女の子はパニックに陥り、言葉にならない声を発する。
このまま、黒蛇がリベルを飲み込んでしまうことは十分にあり得る。あの口に咥えられた者たちは、ほとんどが飲み込まれてきた。
飲み込まれなかった者たちは、村の人々が黒蛇に攻撃を仕掛けて注意を逸らしたから、逃れることができたことだった。しかし、今はそんなことができる人はいない。誰もが逃げ回っていて、リベルを助けられる人などいないし、女の子にももちろん無理だった。
まず間違いなく、リベルは黒蛇に飲み込まれるだろう。
それを想像した女の子は、両手で顔を覆った。
そんな女の子に聞こえたのは、ドサッと何かが落ちる音。
恐怖がありながらも、少しずつ手を退かして目を開けていくと、女の子の目には地面に倒れるリベルと、森の方へと去っていく黒蛇が見えた。
なぜそうなったのかはわからなかったが、ひとまずの危機が去ったことに極度にほっとした。女の子にはその場から動くという発想がなく、ただ茫然としていた。
腹部から大量に血を流すリベルを視界に収めながら。
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