第2話 二人
リベルは今までお世話になったヴァイオリンを、ひとまず手入れするためにカウンターの裏に置き、奥から道具を取りに行った。
整理整頓はしっかりとやっているリベルなので、道具はすぐに見つかり、手入れに戻ろうとした時、店の方からヴァイオリンの音がした。それはこの一年間聞いてきた、ヴァイオリンの音だった。
リベルは飛び出すようにカウンターへ戻ると、そこには一人の青年がいた。
見た目では年はリベルより少し上か。大体十代後半から二十代前半といったところだ。
顔は誰が見てもイケメンだと思える顔立ちで、黒髪に少し紫がかった黒の瞳。それの反対に皮膚はとても薄い色をしていて、知らない人が見たら体調が悪そうに見えるほどだ。
青年は黒いローブを着用し、先ほどリベルが置いたヴァイオリンを勝手に弾いていた。
そのことにムッとなるリベルだが、そのリベルに気付いた青年がヴァイオリンを止め、リベルに笑顔を向けてきた。
「やぁ、一週間ぶりだね、リベル」
「久しぶり、グレン」
さわやかな笑みを向ける青年の名は、グレン=フィル。リベルの小さい頃からの友人で世界を旅する吟遊詩人、という肩書を持つ青年だ。今はこのナルゼ周辺を歩き回っているはずで、つい一週間前にリベルの店に寄ったばかりだ。その時にグレンの持つヴァイオリンはしっかりと手入れをしておいたので、こんな短期間でこの店による必要はないと思っていたのだが。
「一体どうしてここに?しばらくは来ないと思ってたんだけど」
「う~ん、俺としては親友の所に来るのに理由は必要か、と言いたいとこだけど、今回はそんなことじゃないんだよなぁ」
「つまり、ちゃんとした理由があるってことだね。それは何?」
リベルが尋ねると、グレンは言いにくそうに天井を仰いだ。その天井にぶら下がる電球の光に目を細めて視線を正面に戻すと、グレンはリベルに告げた。
「実は最近、王都の方で妙な動きがあったらしい」
「王都?」
王都とはシュトリーゼ王国の中心都市である場所で、名をリンベル。
「王都って聞くたびに、自分の名前と被る気がするんだよねぇ」
「まぁ、そう言うなよ。これを運命と思って、受け入れるのが得策だと思うぞ?」
「君が言うと説得力がありすぎる。……まぁ、今はそんなことはいいや。それで、妙な動きって何?」
「あぁ、お前にとってはまずいことになってきてる。もちろん、俺にとっても」
二人に共通すること、それは音楽に携わっているということ。
その二人のどちらも厳しいということは、それに関することで間違いないだろう。つい先ほどもヴァイオリンを譲りに来た人がいたくらいだから、少しずつ音楽が圧迫されているのだろう。
カウンターを挟んで向かい合う二人の間に、緊迫した雰囲気が流れる。
グレンは腕を組んで暗い顔をし、リベルはグレンの言葉を待って息をごくりと吞む。
汗が額からのどへと伝い、空気の重さがリベルにはきつかった。
「この先、音楽というものは滅ぶかもしれない」
「え?」
しかし、それは衝撃的だった。
ある程度の覚悟はしていたが、ここまで深刻とはリベルも考えていなかった。まるでこの世の終わりだとでも言いたそうな表情のリベルに、グレンはゆっくりと続けた。
「この時代には、音楽をただの娯楽と捉えて、無駄なものだと断ずるものが多いことはお前も知っているだろう?」
「それは知ってる。この目で見てきたからね」
「そういう考えのせいで、音楽を愛する者が少なくなってきている。それによって、音楽に関する施設や店が次々と畳まれていった。特にこの数年は顕著に表れている。お前が一年前にここを始めた時も、相当大変だっただろ?あの人たちの遺産があったとはいえ、あの時期に新しく始めるにはある程度の無理がかかった。それでも何とかなったが、今の状況はあの時よりも悪くなっている」
「そう、なのか……」
「そうだ。第一、吟遊詩人なんてのを必要としている奴がいないし、仮に必要としていたとしても、みんな国王が怖いから政策に逆らいかねない娯楽には興味を示せないんだ」
「それは、僕もこの一年ですごく感じた。特定の人が贔屓にしてくれていたから大丈夫だったけど、さすがに生きていくので精一杯だった」
リベルはこの一年であったことを次々と思い出す。
最初からうまくいくわけがないとは思っていたが、まさに最初から悪かったのだ。誰も彼もがそう思っているわけではないことはわかっていたが、それでも多くの人が音楽を迷惑に思っていた。そういう視線は何度も受けた。
周りの人たちも無関係と無視することができないのだろう。自分の近所に政策に刃向かうような行為をしている人がいれば、もしかしたら巻き添えで自分まで重い罪を着せられてしまうかもしれない。おそらく、今もそういう恐怖の中で生活をしているのだろう。
この人は何なのか、あの人はどんななのか、そんなことに目を光らせ警戒している人たちの近くで生きていくのは、生半可なことではなかった。
「そういう人たちは、どうあっても国に逆らえない。もちろん俺らも何か目立ったことをすればすぐに捕まるだろう。まだ何もないのは、それをさせてもらえる環境がないからという、皮肉にも国の政策のおかげだったりする」
「それは本当に、歯がゆいね」
「そう。俺だってどうにかしたいさ。けど、今の俺が何をしても、何を言っても届かない。結局、この国の中じゃ俺は一般市民と同じなんだ」
「それを言ったら、僕なんてもっとじゃないかな?君は世界を歩いて見て回っている。世界のことを考えて、世界をよく見ようとしている。それに対して、僕はここにとどまっている。君の方がすごいよ」
「そうか?俺としてはお前の方がすごいが、まぁ、今はいい。それよりも、今考えなきゃいけないのは、今後俺たちはどうするか。音楽が失われていく中で、それでもお前は音楽の道を進むのか?」
そう問いかけるグレンは、真っ直ぐにリベルの目を見る。その瞳の鋭さにリベルは一瞬気圧されたように一歩下がろうとするが、歯を食いしばって踏み止まった。
そして、声を絞り出した。
「……僕はそれでも……この道を進む。それはやめない。お父さんとお母さんの夢を、僕の夢にすると決めたんだから。グレンはどうするの?」
「俺も諦めないに決まっているだろう?あの二人の夢を叶えたいと思っているのは、お前だけではないことを知っているはずだ」
「そうだね」
ホッとしたような笑みを浮かべるリベルに、グレンも安心した様子だった。
それでもすぐに顔を引き締めて、話を本題へと戻す。
その雰囲気の変化に、リベルも話の大事なことを思い出して、次のグレンの言葉をじっと待つ。
「俺たちは音楽の道を進む。それは確認できた」
「そうだね。でも、さっき言ってたよね。音楽が滅ぶって」
「そうだ」
「それはどういう意味?」
「……音楽に関する者がすべて、この国においては悪になるということ。そして、それが国王の政策として、広く民衆へと伝えられてしまうこと。今でも音楽は良い印象を持たれてはいないが、それはあくまで遠巻きにそういう風に見ているだけだ。しかし、政策でいったん決まってしまえば、民衆はがらりと変わる。いや、変わらざるを得ない。そんな状況では、音楽は滅んでしまう。本来は、そんな扱いを受けるものじゃないんだがな」
「そうだね。そんなのは悲しすぎる。音楽を音楽として捉えていないから、きっとそうなってしまうのだろうね」
「あぁ。今や国王の力は絶大だ。そんな力に真っ向から刃向かえるものなどいなくなってしまうのだ。その先の待っているのは、癒しのない世界だ」
「そのさっきから言う政策って、結局はどういうものなの?」
問いかけるリベルに、グレンは少し唸る。これを伝えることは、グレンにも少し抵抗があった。世界を見て回っているグレンだからこそそう思ったことであって、何も正確にそうだと決まっているわけではない。推測の域を出ないと言われてしまえばそれまでのことだ。
しかし、それでも、とグレンは思った。ここまでまっすぐなリベルに嘘をついて、その先にさらなる過酷な道が迫ってしまうと思うと、何も知らないままそこにいさせるわけにはいかなかった。
(それに、あの人たちの息子なんだ。あの人たちの意思は、確実にリベルにはある。信じるんだ。こいつの心の強さを)
グレンは息をそっと吸って、リベルへと告げた。
「近いうちに、この国は戦争を始める」




