第190話 姉妹で
メルティからの話を聞いて混乱してしまったレグリウスは、そのまま執務室に籠ってしまった。明日の朝には結論を出すとのことで、メルティもそれ以上は何も言わずに、執務室を後にした。
長い長い廊下を歩いていると、メルティはふとすでに暗くなった窓の外の風景を見た。
そこには明かりがいくつもまだ灯っていて、それがこの国の栄となっているのだということをメルティは実感していた。
この明かり一つ一つ、そしてすべてがラスカンにおいては何においても大切な命の光なのだ、とメルティは思っている。
「あら、メルティじゃない」
考えに耽っていたところに、向かい側から来たレヴィが声をかけてきた。
そのレヴィに、メルティは否応なく警戒してしまう。
レヴィはメルティのそんな様子から、すぐに気づいた。
「あぁ、メルティはもう知っているんだね、私と、私たちのこと」
「知ってる」
「どっかで盗み聞きでもしたのか。もしかして、彼との会話を聞いていたのかしら」
「彼、というのはリベルさんのこと?」
「やっぱりそうなのね。まぁ、今更仕方のないことなんだけど。話をしたいのなら、場所を移しましょう。そうね。あなたの部屋なんかどうかしら?」
「それでいい」
「じゃあ、行きましょうか」
メルティに正体が知られているというのに、レヴィにこれほどまでの余裕があるのは、メルティには気味が悪かった。まるで、この程度では終わらないと言っているかのようだった。
「メルティ、早く行きましょう」
「すぐ行く」
メルティは小走りになって、レヴィと並んだ。
今ここで考えても、それはここ数時間考えていたことの繰り返しになるだけだと判断したメルティは、レヴィ自身から話を聞く方が効率が良いと感じた。
リベルとレヴィの問答は聞いていたものの、メルティとリベルではもともと持っている情報も、知りたい情報も少し違ってくる。だからこそ、盗み聞きした会話だけでは、メルティを満たすには少し足りなかった。
しばらく並んで歩いていると、目的のメルティの部屋に付き、二人とも部屋の中に入ることにした。
「飲み物は出さないけどいい?」
「そこを出せないではなく、出さないにするあたり、あなたは神の子と似ているのね。まぁ、でもいいわ。姉妹なんだから、気を使う必要はないわよ」
「あなたはもう少し気を使うことを覚えた方がいいかもしれないけれど」
そうして、二人は部屋の中央に置いてあるテーブルの椅子に付き、向かい合った。
「さて、私の方から話すことなんてないから、そちらから質問してくれればいいわよ。妹へのサービスとして、少し制限は甘くしてあげてもいいわよ」
「その余裕が気に入らない。あなたは言ってみれば、この国においては反逆者ということになる。それなのに、わざわざ私の前に現れるなんて。私があなたのことを知っていることも当然知っていたのに」
メルティは目の前の姉に苛立ちを覚えた。その余裕も、姉に裏切られたという思いも確かにあるものの、それ以上にそれに気付くのがあまりにも遅すぎたという自分自身を通して、レヴィにイラついているのだ。
そんなメルティに、レヴィは相変わらずいつもの姉の姿を崩さない。
「そうね。まぁ、神の子と話していた時に、あなたの力の気配を感じていたから、聞いているんだろうなとは思ったよ。あれは神の子に情報をあげるのと同時に、あなたにも情報をあげていたのよね」
「どうしてそんなことを?計画が思い通りに進んだ方がいいのなら、私たちに教えない方がいいはずでしょ」
「そういうわけでもないのよ。人をこちらの期待通りに動かすには、ある程度の情報を与えなければ、対象は動かない。だからこそ、情報というのは相手に与えることに意味があるのよ。それが嘘であろうと、真実であろうと」
「じゃあ、あなたが話した情報は嘘が入っているの?」
「いいえ、誓って嘘は言ってないわ。そもそも、教団側からの指示でね。神の子に対しては言えないことは言えないとはっきりといい、嘘は決して言わないこと、という風に指示を受けていたのよ。おそらく、神の子に教団の思惑をわからせるためじゃないかしら?」
レヴィはぺらぺらと話しているものの、それは決して有用とは言いにくいものだ。それでも、情報は情報だ。メルティは聞いておくべきだと思った。
「わからせるって、どうしてそんなことを?」
「教団の計画からしたら、神の子というのは、決して外すことのできない重要なパーツの一つなのよ。計画のためには、事前に神の子にある程度の情報を与え、そして教団のことを少しは理解してもらおうということよ。そうしてもらった方が、親和性が高まるとか」
「親和性って、どういうこと?」
「さぁね。それは教えたらいけないことよ。というか、そもそもあなたはこんな情報はいらないわよね。もっと別の話にしましょう」
レヴィに話を逸らされたような気がメルティにはしていたが、確かにメルティにはそこまで必要な情報ではなかった。
ならば、とメルティは本当に聞きたいことを聞く。
「レヴィはどうして教団に入っているの?」
「まぁ、家族ならそこだよね。うん、定番の質問だけど、悪くない」
レヴィは深呼吸をすると、しっかりと答えていく。
「そうだね。教団の目的が理想的だったから、というのが理由の一つとして挙がるかな。私はこのラスカンの国の王女として生まれてきた。他の人たちよりもはるかにいい暮らしをして、いい服を着て、いい食事を食べて、いい所に住んでいる。それだけ大きな責任があるということね。人よりも優れた者は、その力を行使する義務がある、だっけ?確か、小さい頃に家庭教師の先生に教えてもらった。メルティも教えてもらったでしょ?」
「うん」
レヴィの言っていることには、メルティも記憶にあった。メルティはかなり早い段階から国政に口出しできるくらいにはなっていて、人よりも優れていたものの、辿ってきた過程はレヴィと何ら変わることのないものだった。
「この国には当然、貧しい人はたくさんいる。他の種族に、特に人間族にどれにされて、苦しい思いをしている人も多くいる。そんな人たちのために、私たち王族がいるんだよ。その責任は、私が王女として生まれた時に存在して、小さい頃からそれは自覚していた。だから、私は一生懸命になって、私の愛する国の民たちのために生きて、行動して、力を行使しようと思っているの。私にとって、守るべき大切な民たちは、間違いなく獣人族の皆なのよ」
「なら、どうして戦争なんて……」
「……私は時々王宮を抜け出して街に行っているのよ。路地裏とかにも何度も行っているわ」
「知ってる」
レヴィのそれくらいの行動は、メルティは当然知っている。レグリウスがどうかはわからないが、メルティはちょくちょくレヴィの後から意識を共有させた動物で追わせていた。一応、安全の確保のために。
「その中でね、ある時一人の男の子がいたの。それは獣人族の男の子なんだけど、とてもひどく衰弱していてね。もう呼吸すらしていなくて、今からじゃもう助けることができないほどだった。だから、私はその子心臓の鼓動を止めるまで、その場にずっといた。何もできずにそこにいたの。最後は、男の子の手が冷たくなっていることに気付いた。それで、死んだんだなと思った。その時に私は思ったの。こんなところまで手を伸ばすまでに、一体どれだけの年月がかかるのか。それまでに一体どれだけの人々が貧困で死んでしまうのか。それを思ったら、私たち王族の責任というのが馬鹿馬鹿しくなってね」
「まぁ、それはわからなくもない」
「メルティはそう答えるだろうね。そして、メルティはきっと、それでも長い年月をかけてでも盤石な政策をやってみせるんだろうね。でも、私にはそれができない。私にはそれをするだけの力量がないの。だから私は」
「教団に入った、ということね」
メルティが先にそう言うと、レヴィはフッと悲しい笑みを浮かべた。
「まぁ、そういうことね」
メルティに見えるのは、レヴィが泣ているように笑っている顔だった。