第181話 魔王のナイトメア
グレンは魔法の集中砲火を空中で避けながら、この後のことを考えていた。
(可能性は考えていたが、まさか本当にここで戦うことになるなんてな。出来れば避けたかったんだがな、まぁ、仕方ないか)
今の交戦状態の兵士たちを見て、これでは言葉による説得は難しそうに見えた。
グレンはそっとため息を吐いた。
(だいたい、エンバーの言うこと聞く奴ばっかりか。イレイヌとカラルティは従わないみたいだが。俺としては助かるな)
六魔将が一人くらいなら対処できるのだが、二人や三人に増えるとなると、グレンでも厳しい。特に、リベルと旅に出るまでは本格的な戦いはずっとしていなかったため、間隔を取り戻しているかと聞かれれば微妙なところだ。
それに、こんな一体多の状況すら久しぶりだ。魔王と名乗っていた頃はそれなりにあったが、久々だと緊張する部分があった。
(イレイヌとカラルティには少し悪いことをさせているかもしれないが……まぁ、こっちも切羽詰まってるからな。今はお前らに気を使ってる余裕がない)
グレンは攻撃を躱しながら魔力を練り上げる。
そして、数万の魔族全員が範囲に入るように、もちろんイレイヌとカラルティは外して魔法を発動させる。
「<ナイトメア>!」
辺り一帯を黒い魔力が包み込んだ。
イレイヌとカラルティの周りだけはぼっかりとただの草原の草が見えるものの、それ以外はすべてがグレンの魔力で埋め尽くされている。
それはまるでそこだけぽっかりと何者かに食われたようだった。
「相変わらず、魔王様の魔法はすさまじいですね。その力は健在ですか」
カラルティがこの状況でも平静で話をする。
「お前、昔から普通の時はしどろもどろなのに、危ない状況になると饒舌になるよな。不思議だ」
「そうでしょうか。僕としては普通にしているつもりなのですが。それよりも、魔王様はこれくらいで終わるとは思っていませんよね」
「なかなか言ってくれるな。まぁ、お前の言う通り、魔族がこの程度どうにかなるはずだないけどな」
グレンがそう呟くのと同時に。
「うおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
雄たけびを上げながら、エンバーが黒い魔力を吹き飛ばした。
「さすがに六魔将相手にこれは無理か」
「当然だ。それに、他にも多くの者が大丈夫だ」
「だろうな」
見下ろしていると、所々で<ナイトメア>から脱出している魔族たちが見える。
それは当初グレンが予想したよりも多く、およそ半数近くが脱出していた。
「さすがに、一筋縄ではいかない」
グレンが黒い魔力を消し去ると、残りの半分が地面に倒れ伏していた。その人たちがグレンの<ナイトメア>に耐えることができなかった者たちだ。
「まぁ、予想よりは多いとはいえ、これでもかなりやったと思うぞ。軍としては、半数の被害を出したら相当なものだろう?ここで引くことをお勧めするが、どうだろうか、六魔将」
グレンが自信ありげにそう言うのも当然だ。
たった一人にここまでやられれば、それはほとんど負けと言ってもいい。とは言え、グレンの場合誰も殺しおらず、倒れている者たちも直に目を覚ますだろうから、一時的な優勢と言えるものの、グレンの力が凄まじいことはこの場にいる魔族たちには思い知らされた。
だが、エンバーはそれでも退かない。
「そう言っても、こちらとしても使命がある。その障害がお前だというのなら、排除しなくてはならない」
「だが、どうするつもりだ?このまま俺とやり合えば、被害が増えるのはそちらだぞ。俺の魔法が<ナイトメア>だけでないことくらい、簡単にわかるだろう。そして、俺がお前たちを殺さないように加減していることも、わかっているだろう?」
「そうかもしれないが……しかし、それでも死んでいないのならば」
「戦える、か。馬鹿かお前は」
「なっ!?」
「俺は手加減して殺していないだけだ。殺せないわけじゃない。俺が魔王で、魔族を統べる存在何て言うことは、今はどうでも良いことだ。だから、俺に魔族を殺す抵抗は一切ない。俺は俺には向かう敵は殺す。もう手加減はしない。死にたい奴はどんどん俺にかかってこい。ちゃんと全員相手してやるよ」
兵士たちはこの時実感していた。
今自分たちを脅しているのが、間違いなく魔王その人なのだと。
先ほどの<ナイトメア>でも、ギリギリ戻ってこれたものは多かった。グレンの予想よりも戻って来たとは言っても、万全の状態なのはそれよりも少ない。
魔族は人間族や獣人族とは違って、長寿という存在だ。
だからこそ、グレンが魔王として魔族の頂点に君臨していた頃のことを覚えているものは多い。
そして、その時に魔王から感じていた力や畏怖はしっかりと覚えていた。
覚えているからこそ、いまこうして肌を打つ感覚に怯えているのだ。
「まぁ、俺もそこまで非情なわけではない。俺が殺すのはあくまで俺に敵対する奴だけだ。別に何もしない、抵抗もしないし、俺の邪魔もしない奴を殺すつもりはねぇ。ただ黙って見ているか、そのまま帰るというのなら、俺は追うことはしない。ただ、この先に進もうとする者、俺の邪魔をする者、俺に挑む者には容赦する気はさらさらな。それだけは肝に銘じて、もう一度俺に刃向かうかどうかを決める。六魔将がそう言うから、ではなく、自分自身の考えで、だ」
困惑する声が戦場を包む。
グレンの言うことは、つまり指揮官を無視しろ、ということだ。
それが軍で許されないことくらい、グレンも知っているはずなのだ。
それでもグレンは言ったのだ。
「誰かに命令されて、それで死にに行くなんてのは、ひどく勿体ないことだ。わざわざ死地に飛び込むのも、自らの意志でなければそこには何も意味はない。無意味に死ぬことほど、愚かなことはない。だから、戦争などというのは、愚かなことなのだ」
「そんなことが許され………………」
「?」
エンバーが途中で叫びのを止めたのを、グレンは疑問に思った。
よく見ると、どこかエンバーは様子がおかしかった。そして、その周りの他の全員の魔族たちも様子がおかしい。倒れていた者たちも体を起こすが、その様子もおかしい。
そして、それはイレイヌやカラルティにまで広がる。
グレンはこれが一体どういうことなのかはわからないものの、彼らから感じる異様な魔力には、似たものに覚えがあった。
「リベルの<ハーモニクス>に似ているな、これは。何なのかはわからないが、同じ神属性か?」
そう予想してみるものの、グレンは神属性魔法の存在はリベルの魔法を見て初めて知ったのだ。<ハーモニクス>だけが特別なのではなく、他にもある可能性もあったが、今までそれを考えてこなかった。
「まぁ、神属性かどうかはこの際どうでも良いことだ。このタイミングで何かするってことは、教団の仕業か?一体何を」
グレンが考え込んでいると、魔族たちがグレンのことを無視して一斉に前に進み始めた。
「こいつら、まさか操り人形かよ。ふざけんなよ、そのまま進ませるわけねぇだろ」
グレンは軍の進行方向に強大な土壁を作ることで妨害しようとする。
が、その壁は途中までしかできず、グレンの想定した高さにはならない。簡単に超えられてしまう。
こんなことになった理由は、グレンには予想がつく。
「カラルティの力か。最悪だな、これは」
カラルティの使う特異魔法に<リジェクション>というのがあり、それは魔法を無効化する魔法だ。そのせいで、グレンの土属性の魔法が途中で消されてしまったのだ。
「厄介だな。魔法使いにとっては、カラルティの魔法は相性が悪いってのに。それにしても、カラルティまで操られているということは、<リジェクション>でも無効化できないのか。神属性は特別なのか?」
そう考えている最中にも、軍の侵攻は進んでいた。
「まぁ、それは後回し、ひとまず、こいつら全員止める!」