第17話 炎魔アグニ
クレアは、そこにいる銀髪の少年が幻だと思いたかった。
手をその少年へと向け、魔力を使う。
「世界へ踏み込みし、為政者が告げる、我の望むままにー」
もう一度転移の魔法を唱え直す。
何かの手違いで送れなかっただけだと、そう思いたかった。
クレアが唱えると、リベルの足元に赤い魔法陣が出現し、そのままであればすぐにリベルが転移するはずであった。
しかし、結果は。
魔法陣は発動することなく、発動のために使った魔力が急速に失われていく。
「そんなっ!?」
クレアはもう一度転移の魔法を唱えるが、結果は同じ。
どうしても、リベルを転移させることができない。
おそらく、そういう体質なのだろう。
なぜ魔力が失われてしまうのかはわからなかったが、皆を転移させたときに、リベルの分だけ魔力がなくなり、結局残ってしまったのだ。
クレアはショックで心が折れそうだった。
ついさっき、一人で戦う決意をして、誰も死なせないようにしたのに、よりによって一般人のリベルがここに残ってしまった。
ここに残ったのが、せめて隊長の三人のうちの誰かなら、なんとか受け入れることができただろう。
しかし、リベルはただの一般人だ。
こんな戦いに投げ入れられることがなければ、関わりを持つことはなかったはずだ。そんなリベルが、なぜこのようなことになってしまうのか。
クレアは頭を抱えた。
リベルは困惑した面持ちでクレアを見つめていたが、不意に視線を上に受けると、目を大きく見開いて叫んだ。
「後ろ!」
クレアが振り返ると、そこでは炎の竜がクレアへと右腕を振り下ろそうとしていたところだった。
クレアは今は悩むことを放棄し、現状の打開を優先した。
何があっても、リベルを死なせてはならなかった。
炎の右腕を避けるように大きく後ろへと下がったクレアは、リベルを抱えてさらに後ろへと下がった。
本来なら女性が男性を抱えるというシチュエーションは起こりえないのだが、そこは勇者ということでクレアにはできることだった。
大きく下がったおかげで、右腕が地面に叩きつけられたことで起きた熱気を持った爆風も、クレアとリベルにはダメージを与えなかった。
二人は揃って着地すると、クレアは綺麗に着地できたが、リベルはそこで転んで尻餅をついてしまった。
それも当然だ。リベルは今まで、体を動かすことがあまりなく、そういうことは苦手としてきたのだった。
そんなリベルをクレアは見下ろすと、自分を見上げるリベルの手を取って立たせた。
クレアはなんと言うべきかどうか悩んだ。
ここで逃がした方がいいのだが、先ほどアグニが回り込んで吹き飛ばされたリベルや兵士たちを見ているため、そう簡単に結論を出すわけにはいかなかった。
さっきは運よく助かったとはいえ、今度も助かるとは限らない。
そんなリスクの高いことがさせられるかのか。
しかし、その一方でここに残るのも危険。
どちらにしても危険なのだ。
クレアは歯を食いしばり、炎と向き直る。
炎はクレアと相対し、彼女の行動を待っていた。
「しばらく……ここでじっとしていて……」
クレアはそう簡単に選べず、現状維持させるしかなかった。
シリウスたちを送り返した直後の状態だったら、迷いなくリベルを避難させていただろう。
たとえそれがリスクの高い行動でも、こんな非常識な存在を前にして、リスクも何もないのだから。
ただそれだけのことなのに、今のクレアには選べない。
覚悟を決めたはずの直後に、いきなり揺り動かされたからだ。
戦うことをやめるわけではない。
だが、守るべきものが目に映っていないというだけで、クレアは仲間に対して気兼ねする必要はなかったのだ。
その一方で、守るべきものが近くにあったら、それを意識せざるを得ない。
かといって逃がすこともできない。
そんな状態では、とても万全とは言い難い。
クレアは歯を食いしばって、炎に向かって駆け出した。
やることは同じ。剣に極大の魔力を込めてぶった切る。
クレアの手に持つ剣が、赤く光り輝く。
グオォォォオオオオオォ!!!!
炎の塊が吠えた。
先ほどの竜の時よりも低く。
振動が体中に伝わるが、クレアは気にせず走り続ける。
そして、炎へと振りかぶって、跳んだ。
「はぁぁぁぁぁ!!!」
自ら炎に飛び込むのは自殺行為とも言えるが、クレアは気にしなかった。体を魔力の放出で鎧のように覆っているため、一瞬なら問題はなかった。
クレアが気迫の込もった声を上げて炎の竜へと斬りかかった、が。
炎の体からもう一本腕が出現し、跳躍中のクレアを叩き落とした。
その勢いはすさまじく、勢いよく突っ込んでいたクレアが反対方向に倍以上の速度ではじき返された。
「かはっ……」
何度も地面を転がり、ようやく止まったところで、クレアは息を吐き出した。
今の一撃は、危険を察知して全力で防御したからこそ、肉体が残って意識があるだけであって、このままでは非常にまずいことがクレアにはわかった。
それでも、諦めたくはなかったクレアは、もう一度同じ戦法で行く。
剣に魔力を膨大に込めることは同じ。
しかし、そこからどう相手に攻撃を当てるかは変えなければならなかった。
ついさっきクレアが弾かれたときに炎がしたことから考えると、あの炎は竜の形にこだわる必要はないのだと思えた。そこにいられるなら、どんな形でも変幻自在なのだろう、というのがクレアの考え。
そうなると、クレアとしては慎重になるしかない。
そう決めて、クレアはもう一度駆け出す。
今度は一直線に向かうのではなく、変則的に魔力で空中に足場を作って、そこを移動していく。
しかし、それもダメで、邪魔される。
さすがに一回攻撃を受けたら気配である程度わかるようになってきて、クレアは二度目は当たらなかったが、その体が発する熱量から逃れるために、また距離を取った。
いくら支援魔法で耐性があっても、これは規格外すぎた。
クレアは別のやり方で、次々と攻めていく。
それに対して炎は、竜の形をとどめながらも、体のあちこちを変形させてクレアを弾こうとする。
クレアの攻撃は炎に届かず、炎の攻撃もクレアに当たらない。
そんな状況で膠着状態になってきたある時、クレアがそうなってほしくないと思った時が来た。
「っ!最悪っ!」
クレアは悪態をつくが、それも仕方のないことだった。
なぜなら、炎が竜の形に拘るのをやめたのだ。
それを見た瞬間、クレアは咄嗟に叫んだ。
「もう逃げて!ここにいたら確実に死ぬわ!なら、せめてもの可能性にかけて逃げて!」
クレアはリベルが逃げるまでの時間稼ぎをしようと、体と剣を再び魔力で覆った。
もう自分ではありえないほどに魔力が溢れてきて、若干それが怖くなってきた。
それでも使い続けるのは、これしかないからだった。
クレアは高めた魔力を刃にして、炎に向かって放った。
あの状態の炎には、いくら支援魔法があっても近づくことはできないだろうと判断しての攻撃だった。
その魔力の刃は炎に当たり、横一線に斬り痕ができるが、すぐにふさがってしまう。
「ちぃっ!」
クレアは舌打ちして後ろへちらりと視線を向けると、なんともう逃げ始めていると思っていたリベルが突っ立っていた。
恐怖で動けないのだろうと思ったクレアは、炎を凝視したまま声を張り上げて叫んだ。
「いつまでそこにいるの!早く逃げなさい!いくら私でも、そう長くは持ちこたえられないわよ!」
それに反応して、リベルはようやく動き出した。
それを気配で感じたクレアは、少し安心して、目の間の敵に集中しようとした。
炎はその形を人型へと変形させている。しかしそれは、角が生えていたり、爪が鋭かったりと、まるで魔族と同じような姿だった。
驚くクレアに、炎は片手を振り下ろした。
それは大した速度ではなかったため、クレアは横へのステップで難なく躱すが、着地して視界の端に映ったことに驚愕した。
なんと炎の攻撃はクレアに対しての腕の振り下ろしではなく、その衝撃をリベルへと伝え、地面から炎を吹き上げさせることだった。
その炎はどうやら燃え移ることはなかったようで、リベルの体を上空へと打ち上げただけだったが、炎の攻撃は次もあるようで、炎は片手を上空のリベルへと向け、炎を噴出した。
クレアは即座に動いて、リベルの救出へと向かおうとする。
この炎を一瞬で倒すことができない以上、リベルを死なさないようにするにはそれしかなかった。
しかし、このタイミングでクレアの足に力が入らなくなり、膝をついた。
「こんな時に!」
クレアは立ち上がろうとするも力が入らず、炎が迫るリベルを見上げる。
「逃げて!!」
空中でそんなことができるわけがなかった。
ただ、今のクレアにはそう叫ぶことしかできず、それを見ていた。
リベルの体が、炎の奔流に飲まれた。
ここで、アグニ討伐は終了です。
この後、アグニがどうなるかは誰かの体験談として語られます。
これでひとまず序盤の序盤の重要シーン、アグニ討伐が終了したわけですが、ここまでの感想とかくれたらうれしいです。あと、評価とブックマークもお願いします。