第177話 それぞれの決断
シュトリーゼ王国は、表向きには種族間の対立はない国とされている。もっとも、それが本当に守られているのかとなるとまた別の話となるのだが、それでも基本的には平等主義だ。
そんなシュトリーゼ王国が戦闘になって、こんなラスカンを目指しているような進軍は、クレアは納得がいかない。
「なぜって、そう言われても、国王命令だったのよ、これは」
「国王命令?その訳は聞かなかったの?」
普通の兵士ならともかく、この場にいる四人は国王命令でも、何の訳もなくそれに従うとは思えない。
「それはね、クレア、あなたがラスカンにいると言うから、こうして進軍してるのよ」
「は?ちょっと待って、まさかそれだけが理由とかいうんじゃないよね?」
クレアはまさかそんなはずがないと思うと、ラインヴォルトが呆れたように言う。
「まぁ、過剰だとは俺も思うが、それでも過剰すぎるくらいがちょうどいいって言うのが国王の判断なんだよ。俺たちもそこを否定できないところがあるからな。こうして従ってるわけだ」
「……ただ勇者を捕まえるためだけに他の国も巻き込んだの?それってありえる?他国にとっては、シュトリーゼ王国の勇者がどこかに行ったなんてことは、あまり関係ないんじゃないの?」
「そうとも言えん」
シリウスがクレアの考えを即座に否定する。
「勇者という存在は、なにもシュトリーゼに限っての勇者というわけではなく、人間族全体にとっての勇者なのだ。つまり、他種族に対しての牽制となる。それがいないとなると、もし他種族と戦争でもするようなことがあれば、その時はどうにもならん。勇者という存在がこちら側にいるだけで、士気も上がるのだ」
「そんなのをまだ十代の女の子に任せるのかな」
「勇者だということにも変わるまい。その責務くらいは果たしてもらうぞ」
「責務、ね」
今さら責務と言われても、ハルイドに対しては不信感があるクレアとしては、その責務とやらを果たすべきなのかが疑問だ。
「そう言えば、国王が怪しいっていう件だけど、わざわざ私を捕まえるためだけで集められると思う?私、そんな風には思えないんだけど」
「とは言ってもね、実際のところそれだけが理由と聞いているわ」
「それはあくまで、あの国王が言っていたことでしょ?実際のところ、何を吹き込んだのかわからないよ。そもそも、国王はどうやって私がラスカンにいるなんてことがわかったのかしらね。それに、そのラスカンにこんな大軍を差し向けて、もし私がいなければ勇者なしで獣人族と戦うことになるのよ。そうなった場合、損害は甚大なものになる。それは当然でしょ?」
「確かにそうかもだけど、それでもこうしていられるわけだからね。誰が相手でもクレアさえいれば何とかなるわよ」
「そのなんとかなるというのが、あの国王の狙いのように思えてならないんだけど」
「狙い?」
この戦争が起きようとしている状況で、何もしないでただ過ぎるのを待つということはおそらくできないとクレアは思っている。
何かしらの形で、この先に推し進められる。
それくらいのことはしてくるだろう。準備して、わざわざ三種族全部が動くことになった状況は、教団にとっては絶好の機会と言えるのだ。
「このまま私を連れ帰って、それで終わりということにはならないと思う。第一、ここまで入り込んでいるのだから、後々獣人族から文句も出るだろうし。あと、他国も含めて全員が、その意志を団結させているとは思えない」
「どうして?人間族にとって、勇者は重要よ」
「そうかもしれない。でも、だからこそ、勇者が到着したということがわかれば、これを機に何かしてしまおうと考える人もいるかもしれない。獣人族側と事を構えて、本格的に戦争になってしまうこともあるかもしれない」
「……クレアの考えも一理あるな」
シリウスはクレアの考えに唸る。
彼らとしては、クレアを回収してしまえばそれで終わりということだったのだが、他国にとっては別の国のことだ。その考えに全て従うとは思えない。必ずしも、勇者というクレア=シュリンケルが必要なのではなく、勇者の力だけを利用したいというものもいるだろから、そう簡単にはいかない。
「そうなると、これからどうするか。ただこれで帰還、ということにしても別行動されて戦争を起こされると些か面倒だ。クレアがいるとは言え、こちらの損害は大きくなるぞ」
「あ、シリウス、一ついい?」
「何だ?」
「私は絶対に戦わないわよ」
「は?」
「それに、帰ることもない。あなたたちは別かもしれないけど、シュトリーゼでは私は指名手配中でしょ?戻ったらどうなるかわからないし、そもそも、今一緒にいる仲間たちといるのがなかなか楽しいのよ」
「……まさかお前がそんなことを言うのか。それに、獣人族と戦わないのか。我々に被害が出る。勇者としての責務をだな」
「責務というのなら、それは戦争が起きた時ではなく、その戦争を止めることこそが責務と思うけどね」
もともと、クレアは戦争を止めに来ている。初めから目的が決まっているのだ。それだけを目指していればいい。
「だから、全軍このまま帰ってくれれば、それで万歳終了なんだけどね。あとのことは私の方で見守るなりすれば、何か起きる可能性は減るでしょ?」
「いや、だめだ。言っただろう?我々の目的はお前を連れ帰ることだ。連れ帰れないのに、このまま下がるというのはあり得ない」
「私としても、このまま一緒に帰るというわけにもいかないのよね」
お互い、やることが真っ向からぶつかる。
最初からそうだ。クレアは帰らない。シュトリーゼ、人間族としてはクレアを連れて帰る。そこに妥協は見当たらない。
「……クレア、あなたは帰りたくないということでいいの?いまなら、大した罰にはならないと思うのだけど……」
「それは無理だよ。別に罰が恐ろしくて帰りたくないわけじゃないから。ただ単に、私がいたい場所にいるだけだから」
「そう。なら、私は別にいいわ」
「アスティリア!」
「おいおい、マジかよ」
「仕方ないわよ。この子がそう決めたんだから、私としては反対できない。しかも、それが自分の意志で決めたことなら、なおのこと無理よ」
シリウスとラインヴォルトは驚いて声を上げるが、アスティリアは考えを定めた。
彼女も初めからクレアのためという目的があったために、そうやって決められた。それだけのことなのだ。国王の命令よりも、まずはクレアなのだ。しかも、その国王が怪しいとなれば天秤はさらに傾く。
「ありがとう、アスティリア」
「いいのよ、これくらい。あなたは自分のしたいようにすればいいのだから」
「本当にありがとう」
「……お前たち、少し待て。まだそれでいいとは決まってないぞ」
「あら、シリウスは随分と頭が固いのね。さっきクレアが国王陛下が怪しいと言っていたじゃないの。そんな怪しい人がいきなり国家反逆罪でクレアを指名手配したのよ。明らかにおかしいのだから、クレアの方を信じるに決まってるじゃない」
「そう言われてみればそうなのだが……しかし……」
シリウスはハルイドとは長い付き合いだ。その親密度は部隊長の中では一番だろう。だからこそ、ハルイドを批判する言葉を鵜呑みにできない。
それに対して、ラインヴォルトはあっけらかんとしている。
「そうだな。俺もクレアの方に付くでいいや。そっちの方がよさそうだしな。面倒にはなりそうだが、どっちを信じるかと言えば、やっぱりクレアだろう」
「ありがとう……」
「ラインヴォルト、お前まで」
「俺は別に、陛下が怪しいとかそういうのはどうでもいいと思ってる。ただ、俺はクレアを信用しているから、それだけだ。それだけで答えは決まる」
ラインヴォルトまではっきりと言ってしまったことに、シリウスは苦悶の表情を浮かべる。ちらりとメフィストの方を見てみるものの、彼はどうやら関心がないようでそっぽを向いている。この場合、おそらく多数派の方に付くということだろう。
そうなると明らかにクレアの側だ。
シリウスは悩む。悩みに悩み、そして、答えが出そうという所で。
「し、シリウス様、大変です!どこかの軍が、勝手にラスカンへの侵攻を開始しました!」
事態は予想以上の速さで進んでいた。