第167話 立ち向かう二人は
ラスカンを出たグレンは、もう必要ないとして、変身魔法を解いて元の姿に戻った。
転移魔法を繰り返してここまで来たため、大して時間はかかっていない。
まだ朝も早い時間だ。
「さてと、あいつらはどうなっているかね」
ちょうどグレンはラスカンと魔族の軍勢の間に位置する草原の端に立っている。
もう少し下がれば森の中に入るだろうという所で、魔族たちが来るのを待つ。
これからすることを考えると、結局草原の中央近くまで移動することにはなるのだが、最初からそこにいては、何もないところにただいるだけで疲れるし、それに魔族たちが自分の姿を見たらもしかしたら回れ右で引き返してしまう可能性を考えると、グレンはギリギリまではすぐに森の中に入れるような場所にいる必要がある。
一応、探査魔法の警戒のために結界をグレンを中心に張っていて、グレンは気付かれないようにしているが、探査に限って言えば、グレンの実力を越えるものもいるのでそれがいつまで通用するかはわからない。
もっとも、バレたらバレたでそこは仕方がないということで、また次のやり方を考えることになる。
最初から要件はあったのだが、最優先事項は魔族をラスカンまでたどり着かせずに、そのまま返すということだ。返すまでができなくとも、攻め込ませないようにするくらいはしなくてはならない。
「たった一人でそれはする、か。さすがに無理がある内容だが……まぁ、それでも不可能ではないか」
グレンは今の自分の力の封印状況を把握している。
まだ本格的に戦争が始まったわけではない。
しかし、それを匂わせる空気が、グレンの封印を緩めている。
もともと、有事の際に全力を出せるように自分で設計した封印だが、まさかそれがこんな機会に解けそうになっているとは、作った当初はグレンも考えもしなかった。
「俺とあいつらがぶつかったとして、それでどうにかなるか?こっち側にまで軍勢を率いてきているなんて、一体どんな目的があるのかわからないからな。それを解消しなければ、どうにもならないか?」
グレンは魔族に関しては大した情報がない。
どうしてこの場で動くのか、その意図が読めなかった。
人間族、それもシュトリーゼはその目的はわからずとも、誰がやったのかは当然予想は尽くし、それが教団の仕業だということはわかる。
だが、魔族の方は教団が潜り込んでいる可能性があるにしても、それの実態がないために実際のところどうなのかわからない。
しかも、それでどうやって魔族全体を動かすことができるのか。
魔族は基本的に魔王と呼ばれる魔族の王を崇め、その采配に従う。それははるか昔から変わらないことだ。
今は魔王がいないために六魔将が代理で同じようなことをしているが、それでも六魔将全体の決定でもなければ、このようなことはできない。
(一体、魔族に何があったんだ?これ以上の面倒ごとは勘弁だぞ)
グレンは考えを巡らせながら、魔族の軍勢を待つべく、その場に腰を下ろした。
♢♢♢
クレアは疾走する。
ラスカンを出て、もう変身の魔法は解き、元の赤髪に赤い瞳のクレア=シュリンケルに戻っている。
格好も以前していたような騎士の姿だ。
そのままラスカンを出て、ラスカンの王宮で聞いた情報通りの人間族の軍がいるところまでのショートカットとして、森の中へと入っていく。
「一体どうして……いくら国王命令でも、あの四人がそう簡単に頷くとは思えないのに」
あの四人とは、シュトリーゼ王国軍の四部隊のそれぞれの部隊長、シリウス、アスティリア、メフィスト、ラインボルトの四人だ。
クレアはメフィストに関してはそこまで知らないが、それでも国王の命令だからと言って簡単に従うような人だとは思えない。
そして、それは他の三人も同じことだ。
「それなのに、どうして……。今は一人。私一人だけ。その状態で、あの四人、そしてそれ以外の国の人たち全員を相手にすることなんてできない。勢いで引き受けちゃったけど、でも、できるはずない。なら、私はどうしてこんなことを……」
クレアは自分から言い出したことに、後から考えて不思議だと思っていた。
一人で魔族の軍勢と相対すると、王宮で言ってみせたグレンに触発されたのかもしれない。もしかすると、グレンに負けたくないという対抗心があったのかもしれない。その対抗心で、無謀なことを引き受けたのかもしれない。
グレンが言い出したことに、リベルはあまり心配していないように、クレアには見えた。
グレンの力が封印された状態であることは知っているし、それが戦争という非常事態になれば解けるかもしれないということも、クレアは理解している。
そうなれば、おそらくグレンはクレアなど到底及ばないような力を出すことになるだろうと、クレアは予感している。
きっと、リベルはそれを知っているから、グレンのことを心配せずに、そのまま聞き入れたのだ。
その一方で、クレアの時は、少し反応が違っていた。
明らかに、クレアのことを心配しているようだった。
リベル自身は、そのことを意識していなかったのかもしれない。あくまで自然に出た動作だったのかもしれない。近しい人が危険な場所に行くとなれば、心配するのは当然のことかもしれない。
しかし、その無意識の違いが、グレンとクレアの明らかな違いだということが、それを受けたクレア自身が良く理解していた。
リベルは、グレンのことを本当に信頼しているのだろう。死地に行ったとして、それでも返ってくることを、リベルはわかっているのだろう。
それに対して、クレアはどうだ。
もちろん、心配したからと言って信用していないということはないのだろう。
リベルは、クレアの力量を信用しているはずだ。
しかし、それで信頼できるかどうかは別だ。過ごしてきた時間も、力の差もあるだろう。それらの要素から、リベルはクレアのことを心配したのだ。
その心配は、遠回しにこう言っていた。
『君で大丈夫なのか?』
そう言っている気がした。
もしかすると、それはクレア自身の妄想で、クレア自身が自分自身に対して思ったことかもしれない。
だが、どちらにしても、その言葉がクレアの中に響いたのには間違いはない。
それはクレアが心のどこかで、その役目がクレアにとって荷が重いことなのだと自覚してのことかもしれない。
なにも確証はなく、確信もなく、証明もなく、ただの対抗心で思ったことかもしれない、とクレアはそう思っていた。
でも、今は違った。
少しずつ、少しずつその場所が近づいていることが、肌が感じる空気からわかった。何となく感じる雰囲気が、決戦の場へと誘っている。
クレアはそれを感じていると、自分がなぜこんなことをしようと思ったのかが、少しずつわかってきた。
確かに、それは対抗心も含めたものだったのだろう。きっと、最初の最初はそれしかなかったのだと思う。
しかし、その大変さを自覚したら、また別のことを思うようになった。
それは、自分が勇者という地位を捨てて残し来てしまった、多くの人々と、仲間たちだ。
彼らのことが心配だった。そして、それはシュトリーゼだけでなく、それ以外の国々の同じ人間族の人々のことが心配になった。
何も、自分一人で、ただ勇者という存在だけで人間族を支えているという自惚れはない。
だが、それでもクレアはそれが心配しない理由にはならないと思った。どんなありかたで、立場でも、誰かを心配するのは、その数に関わらず人であるということなのだろうとクレアは思う。
だから、こうして今、走ることに意味があると思えた。
「もうすぐ……もうすぐで、また会える」
クレアは少しずつ、体が軽くなっていき、その流れに乗せて速度を上げた。