第147話 リベルへの偏見
リベルはアンナに問いかける。
「誰も好きじゃないって、どういうことかな?」
「そのままの意味ですよ」
アンナの表情は、いつもの十歳のそれではなかった。
それがリベルには、少し怖かった。
「じゃあ、そもそも好きっていうのはどういうことかな?」
「好きは好きですよ。それ以外でもありません。それより、私が聞いているのは、リベルさんが誰も好きじゃないかどうかです」
「それはまた極端だね」
「そうせざるを得ないので」
「……もしかして、何か怒ってる?」
「もちろんですよ」
即答するアンナに、リベルは天井を仰いだ。
何に怒っているのか。そこまではリベルにはわからない。
だが、それでも今のままではいけないということはわかった。相手が怒っているのなら、現状維持はしてはいけないことだ。
(とはいえ、アンナの質問に対して、僕は明確な答えを持ってないからな。それが手痛い)
誰も好きではないなどと、普通はそんな言葉が出てくることはないはずだ。
しかも、聞き方にも問題がある。アンナの聞き方では、彼女の中ではもうすでにリベルは誰も好きではないということが確定になっているようだった。
否定しようと思えば否定できる。
所詮は言葉。言うことは簡単だ。簡単なはずなのだ。
しかし、リベルはアンナの言葉を否定できない。生半可な、中途半端な言葉でアンナに言うことは、どうしても躊躇われた。
リベルは返答に迷う。
「やっぱり、すぐには答えられないんですね。そうなるとは思っていましたから」
「そうなんだ」
「はい。私にはそう見えましたから。ここに来るまでに幾らか感じることはあったんですけど、今日の感じからしてある程度は確信していました」
「確信、か。僕はそんな行動をしていたんだね。僕自身にはよくわからないんだけど」
リベルは考えをまとめる時間をとりたいがために、ゆっくりと話す。
特に会話に違和感がないくらいの速度で、できるだけ時間を作る。
「そうですね。私くらいしか感じていないんじゃないですかね。グレンさんでも、そうだと思います」
「それをアンナはわかった、か。面白いね」
「……リベルさんは、人間が嫌いなんじゃないですか?そして、同時に獣人族や魔族のことも。つまり、意志ある者が嫌いと言うことじゃないんですか?」
リベルには、アンナが突拍子の無いことを言っているようにしか思えない。
もしかしたら、アンナの中ではしっかりと筋がとっているのかもしれない。しかし、リベルにはそれがわからない。
「それはどういうことかな?僕は別に偏見とかはないと思うんだけど」
「確かに、リベルさんには偏見はないと思います。偏見とは、つまるところ特別視です。自分とは違う何かに対してやることです。その特別だと思うことが、偏見に繋がります。それなら、リベルさんには偏見がないのはわかります。だって、リベルさんは種族に関係なく、誰も好きではないんですから」
「そうなるのかな?偏見がないのは良いとして、そこからどうして誰も好きじゃないになるのかな?僕はそんなに心無い人に見える?」
「心のあるなしではありません。リベルさんは、基本的には優しいですから。私の時は、はぐれないように手を握ってくれましたから」
アンナの話がどこへ向かっているのか、もしくはどこを通っているのかがわからない。
いつか、グレンがリベルに対して、リベルの言っていることがわからないと言っていた。もしかしたら、今リベル自身が感じている感覚と、同じようなものかもしれないと、リベルは思った。
「リベルさんは優しい。それはわかります。ですが、それと同時に他の人に対して、どうやっても壁ができてしまいます」
「壁?」
「正確に言えば、周りが作ってしまう、でしょうか。リベルさんはどこまでも本心を放しているのだと思います。それを周りが、リベルさんを特別視することで、その意志を変な方向に解釈する。ある意味では、周りの誰もがリベルさんに偏見を抱いていると言えます」
「偏見、ね。それは普通、嫌な言い方の時に使うんじゃないかな?」
リベルとて、偏見されている、と真っ向から言われれば、少しは苛立つ。
それゆえに、少し口調がきつくなる。
「それで、壁ができていたとして、それが何?そこから直結で、僕が誰も好きじゃないにつながるわけないよね?」
「はい。壁があるからと言って、基本的にはリベルさんは優しいですから。その後は、おそらくその壁を受け入れてしまうんでしょうね。意識してか、無意識かはわかりませんが、リベルさんは自ら壁を受け入れてしまいます」
「……なるほど。それで?」
アンナはリベルがきつく言っても、それに対抗するように言葉に力を込める。
「リベルさんは本心を言っても、それを理解されにくくなり、そして理解されないことを受け入れてしまいます。理解されないことを理解して、そして普通であり続けるんです。しかし、その普通ですら特別視される。その繰り返しです」
「それはどうしようもないね」
「……だから、リベルさんは他人のことがどうでもよくなるんです。それは別に他人のことを気にしないということではありません。他人が自分のことをどう思おうと、それを気にしないようにするということです。だから、誰も好きでなくなる。誰にも興味をなくす。信頼はするでしょう。尊敬もするでしょう。でも、誰も好きになれない」
「……それは、とても悲しいことだね」
「そうですね。悲しいです」
リベルはフッと息を吐き出す。
「それでも、それが正しいとは限らないよね?それを僕に言うんだね」
「……私自身が、整理したかったというのもあるかもしれません。私が思っていることをリベルさんに聞いてもらって、それで私が納得しようと……」
「そう。それで、納得できた?」
リベルの口調は、いつもの柔らかいものに戻っていた。
その言葉に、アンナは自信なさげに返した。
「わかりません。考えれば考えるほど、わからなくなってきます。嫌なことですが、グレンさんが言っていたことが理解できてしまいます」
「グレンの言っていたこと?」
「リベルさんのことは理解できない、と」
「そう。でも、それが嫌なこと、なのは?」
アンナは俯きながら答えた。
「それを言われたとき、リベルさんは何だか嫌そうな顔をしていました。だから、です」
「僕、そんなわかりやすい顔してたかな?」
「あ、いえ、私しか気づいていないと思います。私はその表情を、前は良くしていたので。鏡を見たら、いつもそんな顔をしていました」
前、というのは間違いなく奴隷だったころ。
その時と同じ顔をしていたとアンナが言うのであれば、そこに込められる気持ちがどうであれ、あまりいい表情ではなかったようだ。
「そうなんだ。僕もその顔をしてたんだね。グレンたちに見つからなかったのが幸いかな?」
「そう思うということは、やはりリベルさんは優しいんですね」
「どうかな。僕はどこまでも自分のためだと思っているよ。自分が不利にならないためにってことだね」
「……そうですか」
「そう。僕が誰も好きではないのか。それは僕にもよくわからない。自分自身のことはよく考えるけど、その度にわからなくなってくる。自分自身のことが良くわからない」
リベルはアンナの言ったことが、決して間違いなどではないことはわかった。
頭で理解することはできなくとも、感覚では理解できた。アンナの考察は、よく見ていると思えた。
だから、それを否定できない。
よく考えても、その言葉が間違っているとは、どうしても思えないからだ。
「自分のことがわからにけど……アンナの言うことも僕にはまだわからないけど、でも……言ってもらえて良かったと思ってる。僕じゃ、そんなことは思えなかった。思いたくなかった。優しいということと、誰も好きではないという矛盾のようなことは、認めたくはなかったのだと思うよ」
「そうだと思います」
「よく考えるよ。考えてみる。そのうえで、ちゃんと結論は出そうと思う。アンナにここまで言われて、そのまま何も考えないのは、どうしても嫌だからね。せっかくだ。じっくり考えるよ。ありがとう」
リベルが礼を言うと、先ほどまでのアンナの表情が崩れ、年相応の笑顔になった。
「はい!」
「うん。やっぱり、アンナは笑顔の方がいい」
「あ、ありがとうございます」
あの重苦しい空気は何だったのかというほどに元に戻った雰囲気の中、リベルはまだ少し暖かい紅茶を流し込み、アンナは残った昼食を平らげた。