第143話 希薄な気配
リベルは一つため息を吐くと、気を取り直した。
「まぁ、グレンのあれは僕には挑発にしか思えないんだけど」
『私も同意見です』
「私も」
三人で考えが一致したことで、リベルは頭を抱えたくなった。
「まったく、グレンの実力なら決めようと思えば決められるはずなのに、何でそれをしないのかな?」
いまだに動かない二人に焦れるようにリベルがつぶやいた。
『大した意味はないんじゃないですか?実際、一回戦である程度の実力は見せてるわけですから、ここで渋っても意味はないですね』
「そうなんだよね。そうなると、どういうことか。何を考えてるかわからないかな、これは。さすがに戦闘は専門じゃないし」
「それで諦めちゃうのは……仕方ないですよね」
『二人とも諦め速いですね。私も別に止めはしませんが』
グレンに関しては、何やら諦めの意見で一致してしまったことは、グレンにとっては不本意だったのかもしれないが、それは本人には知りえないことだ。
少なくとも今の段階では、ということだが、それでもグレンはその強さゆえに諦められている部分がある。
リベルやソフィーはともかくとして、アンナまでそんな反応をするのは、ここまでの短い間での、二人のグレンへの対応である程度察していたところからきている。
それでは完璧をとは言えないが、それでもある程度的中するのは、グレンが強いことが事実であるゆえだ。
♢♢♢
フィールド上で、グレンは目の前の犬人を視界に収めたまま、立っている。
この行動をリベルたちは理解できないとしていたが、グレンとしてはちゃんとした理由がある。
この場合、動かないのではなく、動くわけにはいかないという所が近い。
当然、この試合で負けるわけにはいかないため、相手から攻めてくればグレンも動かざるを得ない。
しかし、何もない今ではグレンが動くわけにはいかない。
今動いてしまえば、せっかく捉えた気配を見失ってしまう可能性が高いからだ。それほどまでに、その気配はとても希薄だ。
だが、それは気配が元から薄いということではなく、雰囲気から気配を薄めているようにグレンは感じた。
それがグレンをとても不安にさせている。
その気配はどこにいるのかは正確にはわかりづらいが、少なくとも観客としてるようだった。
だが、その観客が本当にただの観客だという保証はない。
いや、グレンは確実にただの観客ではないと思っている。
その何者かの目的が一体何なのか、というのが読めない以上、そう簡単に見失うわけにはいかないのだ。
その気配を感じたのは本当に偶然だった。
リベルたちが言っていたように、グレンの方にこの試合で待つ必要は最初からなく、速攻で攻めて終わりにしようと思っていた。
その時に、グレンは気配を感じた。
これは魔力に一切関りの無いものであるから、リベルでは感知ができないのだろう。その代わり、戦いを何度も経験し、人の気配を探ることはある程度得意にしているグレンには察知できた。
だが、そこからどうするのか、それが決められないから困っている。
(こいつを倒すのは簡単で、ほとんど一瞬でできるんだけど、その間に見失う可能性があるからな。どうしたものか。ただ、このままずっと待つというのもよろしくない。これはすなわち停滞。停滞では物事は進まず、この場合においては解決にはならない、か。最近だとリベル絡みのことがかなり重要なことになって来てるから、それで気にしすぎているのかもしれないが、それでも今は何一つも無駄にしたくないんだよな)
こうして、グレンは今八方ふさがりといった状況だ。
こういう時、リベルだったら普通に諦めるのだが、グレンはリベルに対して異常に真剣であるために、この一つのこともしっかりとしたいのだろう。
それが今の停滞なのだが、それを仕方ないと割り切るだけの考えを持つことは、グレンには無理だった。
そして、その停滞のせいで、観客たちがじれてきた。
グレンと相手の犬人に対して野次が飛ぶようになり、審判も何やら考え込むようにしているのが、グレンには見えた。
このままでは、試合が一時中断という形になる可能性が高い。
いや、もしかすると、両者棄権という形になることも十分に考えられる。
(噂だと、獣王というのは強さに大分こだわるようだからな。自ら勝利を掴もうとしない奴らは認めない、とか言いそうだな。それはないと願うか、それともその前に相手が動くことを願うか。最悪、俺の方から動くことになるが、それだと肝心の誰かさんを見失うことになる。このタイミングでなければ大歓迎だったんだが、この場合はどうしようもないな。何を選ぶにしろ、結局はその誰かの気配を見失うことになる。だったら、こちらから仕掛けて速攻で決めるか?いや、それともやはり相手を待つか。わざわざ相手の得意なやり方に合わせる必要はないしな。決めるまでの差は大体数秒程度だと思うけど、それでも微妙だ。やはり、相手の出方を待つのが妥当か。それに、そろそろ相手も焦れてきたことだし)
グレンが犬人の様子を詳しく見てみると、最初はこちらを射抜くような眼光を持っていたのに対して、今はそこに困惑の色が混じっていた。
最初だけは腕がいいとはグレンも思っていたのだが、時間が経ってしまえばこの程度。
こうしなければ勝てないとでも思っている者でも、それに誇りを持っていれば、辛抱強く耐えることもできる。待つ事が全てならば、どこまでも待ち続けることだろう。そういうことができる人を、グレンは少なからず知っている。
(案外、リベルでもできそうだな。あいつ、何でもかんでもやろうと思えばできる奴だからな)
目の前の犬人のように困惑を表情に出してしまうようなら、それは一流とは言えない。
困惑でなくとも、射貫くような眼光を途切れさせては、待つことの意味はどこへ行ったのかということだ。待つことは相手にプレッシャーを与える一つの手段だ。そこに雁行もある程度含まれるというのに、その眼光を緩めてどうしようというのだ、というのがグレンの考えだ。
そう考えると、この犬人も中途半端なのだな、と思えてしまう。
修行中であればそれも仕方のないことかもしれないが、それを戦いの場で見せてしまえば、それは負けは必至。
どうやら相手も観客の野次を聞き、審判の反応からこの試合に関してグレンと同じような考えに至ったようだ。
完全に同じかどうかはグレンにはわからないことだったが、グレンは反射的に、こんな奴と一緒の考えは嫌だな、と思ってしまったことに苦笑いした。
そして、困惑の表情から焦りに表情へと移った瞬間、犬人の目は余裕をなくしていた。
その数秒後。
「はああぁー!」
犬人が待ちの姿勢を崩して、一気に勝負を決めようとグレンへと攻めてきた。
その槍は鋭くグレンへとのびようとする。
確かに、待ちを得意としているのかもしれないが、これならそこら辺の相手ならどうにでもなる突きだろう。それはグレンが意外に思ったところだ。
しかし、相手はグレン。そこら辺の相手とは格が違う、ということだ。
グレンでなくとも、この試合に参加しているのは、国から認められた相手だけ。それが自分の不得意な分野がそう簡単には通用しない。
グレンは犬人の動き出しを察知し、防御姿勢から攻撃姿勢へと重心が移っり、槍を突き出そうとした瞬間に、一瞬で相手の懐に入る。
「遅いな」
ここまで入ってしまえば、槍はその特性を十分に生かせなくなる。
犬人がグレンを内側に入れないようにとしていた待ちの姿勢を崩したがためにできた隙をついて、グレンは肉薄したのだ。
こうなれば、勝負は見えている。
グレンは犬人にそれ以上の何かをさせる暇を与えずに、鳩尾に拳を叩きこんだ。
「ごふうっ!」
うめき声をあげてグレンの拳に持ち上げられる犬人の体は、グレンが力を抜くと呆気なく地面へと倒れ伏し、誰がどう見ても戦闘不能が確定した。
「勝者、グレン!」
そのコールと同時に響く割れるような歓声の中、グレンは予想通り気配を見失ってしまったことを一人悔やんでいた。