第129話 女性と魔力
建物からダイブしてリベルに圧し掛かった女性は、すぐにリベルの上からどいてくれて、リベルとしてもきつい体勢のまま時間が過ぎることがなくてよかった。
きついというのは、別に重いということではなく、美人の女性が自分の上に跨るというのは、明らかに精神的によくない。さらに特筆すべきはその大きな胸であり、跨られるとリベルの目の前にその胸が来ることになるのだ。さすがにそれは避けたい。
さらに後押しで、服の豪華さからかなり上流の女性のようなので、このことがきっかけで面倒ごとになるのは避けたかったのだ。
もっとも、前半の方は、ここまで冷静に思考できていたリベルは、そこまで気にするところではなかったのではないか、と思われるが、さすがにリベルはそこまで裏は考えていない。
ただ、すぐにどいてくれたので、大した問題にもならなかったが。
女性は乱れたスカートのすそを直し、リベルは体に付いた土ぼこりを払った。背中までは手が届きづらかったので、それは放置しようと思ったのだが、いち早く察したアンナが背中の分を払ってくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
礼を言うとにっこりとするあたりもリベルにはかなりの好印象。
リベルは笑顔のアンナの頭を軽く撫でてやると、問題の女性の方に向き直った。
女性の方も直すのが終わったのか、ちょうどのタイミングでリベルの方を向いた。
そして、真っ先にリベルに頭を下げた。
「本当にごめんなさい。怪我はありませんでしたか?」
「はい、大丈夫です。大した衝撃でもなかったですし」
これは慰めているわけでもなく、本当に大した衝撃はなかったのだ。もしかしたら、無意識の所で<ハーモニクス>が発動して、衝撃を緩和したのかもしれない。魔法がばれていないかははなはだ不安ではあるが。
そのために少し苦笑いになるリベルだが、その様子を女性が気にするようなそぶりを見せることはなかった。実際、今回のことはリベルからしても明らかに女性の方に非があると思えてしまうから、変に慰めたりするのは逆効果だろうと判断した。こうして謝罪してくれていることから、あまり悪い人には思えないこともある。
「そうですか。それは良かったです。こんなことで怪我をさせてしまったら、どう謝罪すればよかったか……」
その表情から、本当にほっとしていることが見て取れた。
結局、衝撃は<ハーモニクス>に吸収されたようだから、怪我をするようなことは万に一つもなかったと言えるが、それを言うのは論外なのでリベルは言わない。
「まぁ、怪我がなかったのは良いことですし、僕の方は大丈夫ですよ。そちらの方こそ、怪我はありませんでしたか?かなり高いところから飛び降りたようですし」
リベルが見上げると、その高さは数十メートルほどあった。おそらく、昔それは大きな建物で繁盛はしていたのかもしれないが、今では完全に廃墟の一つである。
その屋上から飛び降りるというのは、非常識なことは獣人族と言えど変わりはないはずだとリベルは思う。
「それは、そうですね。しっかり下を確認しなかった私の方が悪いですしね。以後気を付けます」
「えっと、今後もこうやって飛び降りる可能性があるということですか?それはさすがに一被害者の立場から言わせてもらうと、やめた方がいいんじゃないかと」
「あ、今のところその予定はないですよ。はい、大丈夫です」
女性が慌てたように言うところに、リベルは少なからず不信感を抱き、何だかこの女性がもう一度同じようなことをしてしまうのではないかと不安になった。
ただ、おそらく今後のことはリベルは関りはないと思うので、リベル自身そこまで言うつもりはなく、注意程度で済ませられればなと思っている。
もっとも、自分よりも年上の人に注意するということがかなりシュールなので、ぎこちないのは否めない。
ちなみに、それに関しては当然のごとくグレンはぎこちないの対象外である。
「それで、一体どうしてあんな所から飛び降りたんですか?普通はそんなシチュエーションになることはないと思いますけど……」
「それは……あはは、他の人を巻き込むわけにはいかないので、そう簡単には言えないですね。ごめんなさい」
これでリベルの一応の親切は断られたことになるが、だからと言ってそれでどうこうする気はない。関わるなというのなら、関わらない方が良いのだろう。それはここまでの旅で大体経験していた。
それでも、少し不安が残る所はあるが、それなら、とリベルは別のことにシフトする。
とはいえ、「あなたは特殊な魔力を持っていますか?」などと直接聞くのはおかしいので、少し捻らなくてはならない。捻りすぎてわからなくなる、というのはグレンが経験したことがある。
でも、リベルはそれでも気にしない。わからないというのなら、それはそれでいい。何だか珍しかっただけで、今すぐに重要というわけではない。あとで後悔するようなら、それも仕方ないということだ。
もっとも、こんなことを言うとグレン辺りが怒りそうなので言わないが。
リベルはそうして捻って、質問をする。
「もしかして、あなたはかなり特殊な生まれではないですか?服装からしてかなり裕福ではありますが、ただ単に裕福というわけではない。他の上流階級の人たちとも違う生まれでは?」
これにリベルは、「普通ではない力を持っていませんか?」という意味を持たせた。
普通にそんなことを聞いても、意味はないことだ。おもにリベルにとって。
これは別に駆け引きとかは発生していないので、しかも敵というわけでもないので、ここで話を少しぼかすのはおかしなこと。それでもリベルがぼかしたのは、それが面白いから、という理由しかない。
意味深な言葉を使うことで相手の心理や回答を誘導し、自分の望むように答えさせる。今回はそれとは違うが、ようは自分の思い通りに話を進めたいがためにあえて意味深な言葉を使って曖昧にしているのだ。
これはグレンはよく悪趣味と言うが、生憎とリベルはそれが止められない。特にリベルのその悪趣味の対象となるのがグレンであることから、昔からよくやめてくれとは言われていたが、いまだに止められないらしい、とリベルは冷静に自覚した。
そんなリベルの質問に対して、女性は心底驚いているような表情をした。まるで、「何でそれを知っているの?」とでも言いたげな表情。
「なんでそれを……」
ぼそりとこぼれる声も、表情から予想できることだった。今はおそらく心の中のことがそのまま出てくるのだろう。
グレンの言う通り本当に趣味の悪いことだが、試しに言ってみたことがビンゴだったようで、リベルは不敵な笑みを浮かべる。
「なぜというのは、知ることができた、というだけです。不思議な魔力をお持ちだな、と思って」
「魔力?それを感じたんですか?一体どうやって……」
「僕は元々魔力に対して敏感な感覚を持っています。普段はそれで問題はないんですけど、あなたのように特殊な魔力を持っている人がいると、どうしても反応してしまうんですよ」
「……よくわかりませんが、私が特殊だということでしょうか?それであなたはここにいる、と?」
「そういうことになりますね」
リベルが頷くと、女性は疑うような表情を向けてきた。
それも当然と言えば当然だ。今のリベルの発言は明らかに怪しすぎた。
いつものリベルならこんないいからはせずに、どこまでもあいまいで広い意味の言葉を使い、そして相手の答えを自分の望む方向に誘導したりするのだが、リベルは直感で何となくこの女性に対してそんなことをするのは失礼だなと思ったのだ。この女性のどこからそんなことを感じたのかはわからないが、リベルはそう思ったのだ。
「すみませんが、あなたたちは一体何者ですか?銀髪というのは非常に目立ちますが、私はあなたのような人たちを見たことがありません」
ここでソフィーのことを言わないあたり、リベルが感じた特殊な魔力は、ソフィーが見えるということとは直結しないのだとわかった。感覚的にはアンナと似ているところがあったので、もしかしたらということもあったのだが、やはり見えていない。
リベルはもう少し様子を見ようと思った。
「失礼ですが、見たことがないからと言って、それが何でしょうか?あなたがこの国の全てのことを把握しているとは到底思えませんし、さらに言えば、別の国に行っていれば知るも何もないと思いますが?」
「それは……」
リベルの言葉から、女性は何かを察して、リベルとアンナを交互に見た。
この反応からおそらくはリベルたちが元奴隷であると思っているであろうことを、リベルは簡単に予想できた。
その答えは半分だけ正解であるが、そのことをわざわざ言う必要もない。判断するのはあくまで女性の方なのだ。
女性の考えを誘導するような真似は控えた方が良いと思っていたが、さすがにリベル自身のこととなるとこの手に頼らざるを得ない。
本当にリベルは一応は悪いと思っているのだが。
女性はどこか納得したように頷くと、これまた謝罪してきた。
「辛いことを思い出させたようですみませんでした」
その言葉は二人に言われているのは確実だが、意味を持つのは一人だけだ。
リベルはちらりとアンナの方を向くと、その表情にあまり変化はない。大丈夫なのだろうと判断して、リベルは代わりに答えた。
「大丈夫ですよ。僕は気にしていませんから。それより、僕の質問には心当たりがあったようですね」
「うっ……」
「そうですか。答えたくないのであれば、それで構いません。それではこれで」
リベルは形式的に頭を下げると、その場を後にすることにした。得られた情報は少ないが、それでも全く収穫がなかったわけではない。
ならば、ひとまずは良しとしてこの場は引いてもいいだろうと考えた。
結局、後悔しても仕方のないことだから、このままわかれても問題はないだろうと思ったのだ。
それにこのタイミングなら、奴隷の件で気分を悪くしたからさようなら、という筋書きが女性の頭の課で繰り広げられるだろうから、離れやすかったというのがある。
「あ、はい。わかりました。本当にすみませんでした」
三度目の謝罪をする女性を後ろにして、リベルたちはその場所を後にして、元居た場所に戻ることにした。
今回は全くと言っていいほど動きがありませんでしたけど、次はしっかりと話が動きます。
ある意味、次への布石、みたいな。次というのは、大きな意味で。