第12話 孵化
アグニは姿を現した瞬間、目の前のクレアたちを確かめるように首を伸ばして覗き見る。
ゆっくりと伸ばされた頭だったが、その獰猛さと迫力を兼ね備えた姿に気圧され、兵士たち、そしてリベルは尻餅をついてしまった。
辛うじて数人の兵士、隊長三人と勇者はその場に立っていた。
「お前たちは下がっていろ」
尻餅をついた人たちにシリウスが声をかける。
この程度でダメになってしまうようでは、戦いなどもってのほかなのだ。
「そこの少年を守り通すのだ」
シリウスの指示で、兵士たちはリベルを連れてアグニから大きく距離を取る。
シリウスにもリベルが一体どういう存在なのかはわかっていなかったが、それでもどう見ても一般人で戦闘ができるようには見えなかった。
そういった一般人を守るのが軍の仕事である。
兵士たちに連れられたリベルは、急いでその場を後にしようとするが、足に力が入らず、速く走れない。
他の兵士たちも同じで、誰もが不格好な逃げとなってしまう。
それはまるで、怪物から逃げ惑う哀れな存在。
実際には間違っていないが、当の本人たちはそれに気付いてはいない。
そして、巨大な捕食者の目には、無様な獲物の姿が映っていた。
ビュオォォォ!!!
アグニが翼を大きく羽ばたかせ、辺りに突風を巻き起こす。
上空に上がった竜は向かう先は。
「なっ!!?」
戦いの場から脱出しようとしていたリベルたちの進行方向をふさぐ形で、アグニは降り立った。
上空から着陸したアグニが起こした振動で、ただでさえ足元が安定しないリベルたちは、走っていた勢いそのまま地面に転がってしまう。
「早く逃げて!!!!!」
クレアたちがリベルたちの方へ走りながら叫ぶが、転んだ痛みですぐには起き上がれない。出来るのは恐怖の対象でしかない怪物を見上げることだけ。
そんな獲物を見下ろすアグニは、上体を反らして大きく口を開ける。
このままでは食われてしまう、そう誰もが思っていた。
次の瞬間。
グギャァァァァアアァ!!!!!
その口から倒れるリベルたちへ叫び声を浴びせる。
耳をつんざくような叫びに全員が顔をしかめ、耳に痛みを覚える。
普通ならこれではただうるさいだけなのだが、そこは悪魔の竜が行うと、一種の攻撃だった。
叫びによって生まれた風圧で、倒れるリベルたちの体は軽々と浮き上がり、走って来ていたクレアたちの上空を通り越して、火口へと一直線に向かう。
各々が叫び声をあげながらも、急に宙へと巻き上げられて、必死に空気を掴むように手足をもがくことしかできない。
「っ!!!??」
誰もが一瞬の出来事で言葉が出ず、その間に兵士たちは全員火口の中へと落ちていってしまった。
そして、リベルは…………
♢♢♢
町を歩くグレンには、この町の空気が気に入らなかった。
正確には、今のこの町だ。
炎魔竜アグニの討伐が今日行われるとあって、街中では不安そうにしている顔と勝利を信じて浮かれる顔と、様々な表情があった。
しかし、グレンにとっては炎魔竜アグニというものになど興味はなかった。
今は行方不明になったリベルを探すのが先決だ。
今朝から何度か探査の魔法を使ってはいるのだが、やはり反応しなかった。これではただ面倒なことに巻き込まれるために王都に来たようで、グレンとしては提案した手前複雑な心境だった。
(とはいえ、面倒に巻き込まれているのは、どう考えても俺よりもリベルのような気がするな)
そうぼやきながら何か手がかりがないか、と町中を歩き回ってはいるものの、これと言って目ぼしい情報はない。
リベルの銀髪は目立つので、本来ならだれかが覚えていてもいいはずだったのだが、ここまで情報がないと意図的にそうさせられているとも考えられた。
(だが、そうなるとリベルの外出の時から完全に魔法をかけておかなくちゃならない。そうしなければ、どこで誰に見られているかわからないからな。となると、ずっと宿を見張っていたか、それとも宿にいた連中の誰かか。リベルが目を付けられていたというのを確定とすると、一体どうしてそんなことになったのか。それもこんな王都という、人攫いには面倒な人通りの多い場所で。それをやるなら、ナルゼにいる時に攫った方が楽なような気がするが)
グレンの焦りは、リベルは自分が王都に連れてきたから攫われたかもしれないという仮説の元にあった。
実際、精々二、三日しかいるつもりがなかった王都で、早々と攫われるという事態は、グレン自身がもう少ししっかりしていれば防げていたかもしれないのだ。
グレンにとってはそのことがかなりきていて、気分が落ち込みがちだった。
(面倒ごと、か。アグニのことには関わっていなければいいな。勇者どもが討伐に行ったらしいが……あいつらじゃ絶対に勝てない。アグニの正体も知らない奴らには。炎魔竜アグニは、普通の竜とは違うんだから)
「っ!!??」
瞬間。
グレンは強力な魔力の気配を感じた。
しかし、それは何かに対する悪意でも敵意でもなく、ただ純粋な魔力の放出に思えた。
いくら魔力の感受性が高いグレンであっても、ここまで強く伝わることに、自分で驚いている。しかも、今の気配は近場ではなく、明らかに遠くからだった。
そして、思い至った。
その魔力の元がどこで、一体誰なのかを。
「リベル」
そうつぶやいた後のグレンの行動は早かった。
グレンは魔法を唱え、転移魔法を使ってその場から姿を消した。
突然人が一人消えたことで、周囲の人々は驚いていたが。
♢♢♢
暑くて苦しい。苦しくて熱い。
そんな不愉快な空気を、リベルは感じて目を開けた。
リベルが目を覚ますと、辺り一帯には熱気があふれ、所々から湯気が噴出していた。
先ほどまでと同じ場所にいるようだが、どうにも雰囲気がさらに険しいものになっている気がした。
体を起こしたリベルは、近くで聞こえる剣の音、人の声、叫び声、そして巨大生物の雄叫びに困惑していた。
「ようやく起きたか!」
リベルが振り返ると、そこには必死な表情で魔法を使っているラインヴォルトがいた。
当然リベルはその名前を知らないため、印象は金髪白ローブということになる。
「悪いが、お前を連れて逃げてやれる状況じゃなくなった!このまま俺の近くにいろ!」
リベルが今なお戦い続けている人たちを見ると、そこには巨大な両手剣を持って赤い鎧を着た黒髪の男、煌びやかな槍を持って青い鎧で水色の長髪の女性、そして剣を片手に動き回る白い鎧を着た赤髪の少女、勇者である。
今戦っているのは、見た所その三人とリベルの傍にいるラインヴォルトだけである。
リベルがここでアグニが現れる前に目を覚ました時は、もう少し人がいたはずである。
それに、リベルはアグニの咆哮に吹き飛ばされて、他の何人かは火口の中に。
その後を想像し、リベルは改めて状況を少しだけ理解し、吐き気を催した。
これまで普通の生活をしてきたリベルには、その想像はきついものがあった。
「あの、他の人たちは?」
恐る恐るといった様子でリベルが尋ねると、ラインヴォルトは唇を噛みしめ、苛立たしげに言った。
「全員死んだよ!」
そう叫びながらもラインヴォルトは魔法を使って、白兵戦をする三人を援護する。
しかし、リベルには度重なる非常識に頭が追い付いていなかった。
広がるは地獄、地獄、地獄。
ただ、それだけだった。
リベルには受け入れがたい現実が、今この瞬間に目の前で繰り広げられていた。映るは非常識のみ。
ただの一般人である少年は、唇を震わせ、地に突く腕にも足にも力は入らず、体中がだるく、目を逸らしたい気分だった。
今この時がすべて、夢だったらよかったのに。
それだけが切な願いだった。