第119話 褒められることと優しさ
魔獣五匹は、当たり前のようにグレンたちに呆気なく倒された。
そもそもこのくらいの魔獣なら、五匹でも三人は一人で対処できる。それに対して三人で挑むのは、明らかにオーバーキルだ。
そのため、リベルは全く心配せず、助けた銀髪の少女、アンナに意識を向けていた。
「こんなところで一人でいるのは危ないでしょ。普通にもっと開けた場所でもよかったと思うけど」
リベルのもっともな意見に、アンナは恥ずかしそうに答えた。
「それは、その、道に迷って……」
「え?」
リベルは驚き、エクリア王国からここまでどこか迷うようなところがあったかどうかと考えた。
まぁ、リベルたちは四人いたため、迷うというのは可能性としては低かったが、それでもわざわざ森の中に入ろうとはしないだろう。
一体どうしたらそうなるのかと頭を悩ませたが、リベルはアンナが十歳そこそこであることを思い出した。そのくらいの年齢での一人旅なら、まぁ、それもしょうがないか、と納得できてしまった。
納得するところではなく、注意するところなのだが、それは幼い少女に求めるのは少し違う気がした。
それよりも、アンナが一人で行動していることの方が問題だ。その年で何かあった場合、さっきの魔獣のように対処できない可能性が高い。
もっとも、周りに人がいればそれは危険性は減るが、それも周りにいる人への信頼性に依存する。
リベルはあまり自分を信頼してくれとは言えない。良くも悪くも、リベルは間違いなく、アンナという一人の少女の環境を、どうしようもなく壊したやつの一人なのだから。
それでも、リベルは自分がアンナを心配する気持ちは決して嘘ではない、と自分に言い聞かせるくらいの自分に対しての信頼性があったのは、リベル自身良かったと思った。
「ここは危ないから、しばらく僕たちと一緒に行動する?確か、前に言ってたよね?ラスカンに行きたいって。僕らも目的地はそこだから、一緒にどう?」
リベルはアンナに手を差し出した。
その手をじっと見つめたアンナは、そっと、自分の手をリベルの手に重ねた。
「はい、お願いします」
アンナが笑みを浮かべると、リベルもつられて笑みを浮かべていた。後ろの三人も、微笑ましげな表情をしていた。
ひとまず全員で森を出ようということになり、来たときと同じように転移魔法で元の場所に戻った。
だが、少し場所はずらして、人が通る街道から数メートルほど外れた場所だった。
転移魔法の転移先にちょうど人がいたり物があったりしたら、お互いが危ない。一応、転移した先の周辺には人がおらず、何も問題はなかったが、そういう配慮をグレンは習慣として欠かさなかった。
全員の自己紹介をして、とりあえず五人でラスカンに向かおうということになったが、そこでグレンが呼び止めた。
「今ここら辺には人がいない。ちょうどいいから、ここらで変身魔法をかけておくか」
「あぁ、それもそうか。アンナが元々の顔を覚えきれていないかもしれないところでいきなりだから、変身を解いた後にまた自己紹介をする必要がありそうだけど」
「いえ、その必要はありません。全員覚えましたから」
リベルよりも小さなアンナは、リベルたちの顔を見上げて、そう言った。
「え?本当に?本当に僕たちの顔を覚えたの?」
「はい。私、人の顔を覚えるのは得意なんです。長い間宿の受付をやっていたので、その癖で人の顔を常日頃から覚えていたんです。ですから、変身しても、ちゃんと元の顔は覚えています」
「なるほどな。すごい記憶力だな、そりゃ」
『ですね。なかなかに優秀ですよ』
「そうね。私もそう思う」
周囲の絶賛を受けたアンナは、きょとんとした表情をしていた。
「ん?どうしたの?」
リベルが尋ねると、アンナははっとして我に返ったようだった。
「あの、私、人から何かを褒められることが、全然なかったので……その……」
「褒められたら困る?」
リベルは優しげに言っているつもりだったが、その言葉自体の意味は変わらず、アンナは体をビクッとさせた。
褒められたら困ると言われても、そうしたら褒めた方も困ってしまうものだ。
それはアンナもわかっているのだろうが、それでも慣れないものは困るというのはリベルや他の三人にも理解できる感情だった。
「あの、すみません、せっかく私なんかが褒めてもらったのに」
リベルはアンナのその言い方に苦笑して、腰を下ろして目線を合わせる。
突然目の前に見えたリベルの目に、俯きがちだったアンナの顔はふっと上を向いた。
「いや、それは良いんだ。謝る必要はない。おそらく、僕たちはこの後も君のことを褒めるようなことはあるかもしれない。僕ら以外の人ももっと褒めると思う。そして、君はたくさんの人から褒められる。それが悪いことじゃいのはわかってるよね?」
「は、はい。良いことだとは、知っています」
「うん。それがわかっているなら、別に何かを強く言うつもりはないよ。ただ、君に教えるだけだ」
「教える?何をですか?」
「君がどれだけ褒められるべき子かっていうことと、僕らはどうしようもなく君のことを褒めるということをだよ」
リベルはそう言って、アンナの頭を撫でた。その際に触れる獣人独特の獣耳にリベルの手が触れ、アンナは少しくすぐったかった。でも、悪くはない。
「でも、それで褒められて、それで何ですか?」
「そこはリベルの悪い癖だな」
アンナは呆れたように言うグレンを見た。
リベルは、ははは、と笑いながら、やんわりと言い返していた。
「悪い癖だなんてひどいなぁ。僕らしいって、人間らしいってことでしょ」
「お前を人間の模範にしたら、世界は終わると言ってもいい」
「それでも世界は回る」
「今はそういうことは、って、そんなことはいいか。こいつはな、こう言いたいんだ」
グレンはそうして、リベルの言葉を通訳する。確かにリベルの言うことはわかりづらいことはある。でも、リベルの本質がわかっていれば、読み取ることは素難しくはなかった。
少なくとも、長年一緒にいるグレンには。
「お前が褒められることは、良いことだ。そう思えばそれでいい。言われ続ければ、褒められ続ければ、お前は否応なく慣れていく。そうなればいいと、こいつは思ってるんだよ」
リベルはグレンの解釈には何も言わない。概ねそんなところで合っているからだ。これ以上付け足すのは、アンナにとって逆効果と言えるだろう。
アンナがどこまでわかるのかがわからなかったので、結局同じような言葉で表面的なことしかリベルは言えていなかった気がするし、グレンは解釈できていなかったような気がしてならないリベルだったが、それがこの場では一番いいことなのだろうと判断した。
アンナがどうあるべきかは、どうあっても自分自身で決めなくてはならないことだ。
しかし、そこに他人が定めた指針に頼ることは、決して間違いではなく、むしろ人としてあるべき姿だ。
だからこそ、助言を与え、手助けはするが、根本的なところはその人に任せる。そんな考えを持っていることは、グレンでなくてもわかったことだ。
リベルの言葉はどこまでも、リベル自身の本質を物語り、本質を隠す。
リベルの本質は、優しさだ。
優しいがゆえに本質を物語り、優しいがゆえに本質を隠す。
別に誰に対しても優しいというわけではない。敵対する人なら、わざわざ優しさを与える必要はない。
リベルが優しくするのは、どこまでも自分のためで、自分がそうあってほしいと他人に願うからで、そうありたいと自分に望むからで、そしてだからこそ、リベルは自分自身が定めるルールの下、一度決めた相手には絶対的に優しのだ。