第11話 勇者と少年
クレアたちがヒューレ火山の頂上に到着した時、そこで目にしたものは紛れもなく灼熱地獄だった。
大地は溶岩が固まって黒く覆われており、火口周辺はいまだに赤熱している。所々から噴き出す溶岩は、大地を溶解させ、そこにマグマの池を作る。
そして火口の上空に、一つの光る炎の球体が浮かんでいた。
そこからは尋常ならざる魔力を感じ、誰もがそれが炎魔竜アグニなのだと理解した。
「あれはまだ、寝ている最中という話だ。今のうちに仕掛けるぞ」
シリウスが球体を差してそう指示するが、実際はどうにかなるものではない。
火口の上空は飛び上がろうにも距離がありすぎて届かない。いや、隊長であるシリウスやアスティリア、勇者のクレアは届くかもしれない。
しかし、届いたからと言って攻撃しようにもすぐに火口へ落ちてしまう。
ここで白兵戦は無理がある。
最低でも、あの球体を火口から引き離さなければどうしようもない。
「というわけだ、ラインヴォルト、クレア、お前たちの出番だ」
「はいよー」
「了解です」
クレアとラインヴォルト、そして魔法部隊の兵士が魔法の準備をする。
この世界において魔法を使える人間は多くない。大体全体の二割程度である。その中でも使い物になるのはさらに半減して一割程度。
その一割が魔法部隊に配属されていて、彼らは基本的に武術をあまり使用しない。
なぜなら、魔法とは元来遠距離から放つものであり、近距離技術と合わせて使う必要がないのだ。一応、軍隊に入っている以上必要最低限の訓練は受けているが、それでも他の部隊の兵士と比べれば見劣りする。
ゆえに、クレアのように近距離の白兵戦も遠距離の魔法戦も両立できるのは、勇者だからこそと言える。
そんなクレアたちは全員同じ魔法を唱えていく。
これは最初から作戦で決めていたことだ。
「剛毅なる水精よ、その流水でもって敵をねじ伏せよー」
それぞれの手元に魔法陣が浮かび、そこから大量の水が噴射する。
全員の水が空中で一つの水の柱となって、炎の球体へと迫る。
炎には水。そう考えられて初手に出した魔法。
相手がまだ眠っているのなら、この攻撃で倒せなくともある程度のダメージを与えることができれば。
魔法にそれなりの魔力を込め、勢いよく噴射する水柱は炎の球体へと迫り、そして。
ジュッ……
そんな儚い音を出して消え失せた。
あの強力な水柱であっても、放つ熱気だけで一瞬で蒸発してしまったのだ。
「くっ!」
歯を食いしばったクレアは、もう一度攻撃してみようと同じ手段で魔法を唱えようとする。
しかし、それをラインヴォルトが制した。
「やめた方がいい。今のでダメなら、いくらお前でも無理しなきゃ届かないぞ」
「でも、だからって」
「あぁ、そうだな。水がダメだからって他のが無理とは思えないかもしれねぇが、俺の感覚が正しければそういう問題じゃねぇんだ」
「どういうことだ、ラインヴォルト?」
シリウスが尋ねると、この中でもっとも魔法に精通しているラインヴォルトは、顔を強張らせて言った。
「おそらくだが、あの球体には外敵を弾くシステムみたいなのがあって、そのせいで攻撃が届かないんだと思う」
「じゃあ、さっきのジュッ、というのはそれで弾かれたということかしら。ランヴォルトでもクレアでもダメだなんて」
「いや、クレアなら無理をすれば行けるかもしれねぇが、それでも倒すことはできないだろうな。魔力を使い過ぎて使い物にならなくなるのがオチだ。それは絶対にダメだ」
「そうだな。クレアは我々にとって重要な戦力だ。万全な状態でいてもらわなければ、この戦いに勝ち目はない」
「そうだな。あの球体には接近するのも危険。現状ではこのまま待つしかない」
「あなたがそこまで言うのならそうかもしれないけど、実際待つと言ってもどれくらいなのかしら?」
アスティリアがどうしたものかと首を傾げると、不意に声が聞こえた。
「そう長くお待ちいただくことはありません」
それは若い女性の声だった。
全員がはっとした表情で見上げると、なんと高熱を放つ球体の近くに一人の女性が浮かんでいた。
「なっ!?」
その場の誰もが驚きの声をあげる。
ただ浮いているだけなら魔法で何とかできる。
しかし、炎の球体の近くは超高温で、水の魔法が一瞬で蒸発してしまうような場所なのだ。そのような所にどうやっているのだろうか。
それが疑問として浮かぶ。
そんな面々を見下ろしている女性は、無表情のまま続きを言う。
「このアグニは間もなく孵化します」
「孵化、だと?復活ではないのか!?」
シリウスが怒鳴り散らして問うと、女性はその顔に何も宿すことはなく答える。
「ある意味では復活と言えるでしょう。ですが、詳しく言えば転生、でしょうね」
「転生?」
「その通りです。炎魔竜アグニの魂が別の竜へと植え付けられ、その竜が次代のアグニとなるのです」
「何だと……そんな話、聞いたこともないぞ!」
「当然でしょう。この事実は、我らが英知の神託教団によって長い年月、隠匿され続けてきたのですから」
「それをなぜ、今言う?」
「そうですね。あえて言うなら、今の私は高揚しているのです」
「高揚?」
「はい。ようやく……ようやく私たちの欠片が揃い、ピースが嵌まる。神の子が生きている間にアグニが現れるというこの僥倖に、私は歓喜しているのです」
言っていることは歓喜そのものだが、無表情でさらに抑揚が少なく言うと、それは不気味な宣言に聞こえる。
言っている言葉の意味もわからず、困惑が増す。
しかし、どちらにしろ、この女性がただものではないことがわかる。
「先代のアグニの時は、神の子がいませんでした。ですが、今回は揃った。この機会に恵まれた私は何と幸運なことか。これこそが我らが神の導き。感謝してもしたりません」
奇妙な言葉を並べ続ける女性を、地上にいる人たちは呆然とした表情で見上げる。
そんな時、炎の球体がひと際強く輝きだす。
クレアたちは手をかざして目を細め、ほとんど太陽と同じような明るさとなる球体を見る。
女性もそちらに視線を向け、目をすっと細めた。
「どうやら時間のようですね。それでは私はこれで」
「待ちなさい!!」
去ろうとする女性をクレアが呼び止めた。
「あなたは一体何のためにここへ来たの!?」
「……そう言えばそうでしたね。私としたことが、興奮しすぎてうっかりしていました。ここに送るために来たのでした」
そういった女性は手を地上へと向けた。
すると、クレアたちの傍に一つの魔法陣が出現し、クレアたちは警戒を強めた。
「この方を置いていきます。まぁ、この方は死ぬようなことはないでしょうから、精々あなた方ご自身の身をお守りください。死にたくないのなら」
魔法陣が紫色に輝き、突如としてそこに一人の銀髪の少年が現れた。
その少年はぐったりと横になっていた。
「それでは、これにて。死にたくなければあがいてみてください」
そう言った女性は煙のように消え、少年を包んでいた紫色の光は消え失せた。
クレアたちは女性のことは置いておいて、突如現れた少年へと駆け寄る。
クレアが確認してみると、どうやら息はあるようで、ただ気絶しているだけのようだった。
その体にはすでにラインヴォルトがかけたのと同じような魔法がかけられていて、この過酷な環境でも動けるだけの状態ではあった。
「ちょっと、起きなさい!」
「…………っん……」
クレアが少年を起こそうと体を揺らすと、少年は閉じていた瞳を開け、その奥の碧眼を露わにした。
その目を見た瞬間、クレアは戦場で自分でも予想の付かなかったことを思った。
綺麗だ、と。
男の子に対して思うことではないが、それでもクレアはその少年の碧眼を綺麗だと思った。
「あれ、ここ、は……?」
周りにいる人に驚きながら、少年は現実とは思えない非常識な光景を見渡す。
「ここはー」
少年の疑問に答えようとクレアが口を開いた瞬間、先ほどから太陽のようになった球体に変化があった。
「お前ら、気を付けろ!!」
シリウスが全員にそう告げると、クレアも気を引き締め、少年を立たせると自分は少年の前に立って臨戦態勢を整えた。
あまりの事態に困惑しているように見える少年に対して、クレアは背中越しに言う。
「そこからあまり動かないで。私が守るから」
後ろで少年の返事が聞こえた気がしたが、クレアは目の前に集中していて聞き分けるほどの余裕はなかった。
クレアは腰の剣を抜き、正眼に構える。
炎の球体はもはや光の球体となり、火口の上空からクレアたちアグニ討伐部隊の前まで下りてきた。
それが放つ熱気は、ラインヴォルトの魔法でもってしても完全に防ぎきれるものではなく、首筋に汗が伝う。
しばらく光り輝いたままでいたその球体。
その時は、突然来た。
ガァァァァアァァアァ!!!!!
光の奥から耳をつんざくような雄叫びが耳を打ち、顔をしかめる。
光は徐々に収まっていき、クレアたちの目の前に一つの存在を見せる。
長い尾、大きな翼、鈍く光る鋭い爪、獰猛な牙、全てを射貫くような凶悪な瞳。
そして、それらを身に着ける強大な炎のように赤い肉体。
その姿は伝承にあるような竜そのものだった。
しかし、その全身から伝わるプレッシャーは生半可なものではなく、かつて感じたことがないほどの威圧感を持っていた。
グアァァァァアアァァ!!!!!
もう一度吠えたその竜、炎魔竜アグニを前にして、クレアたちの討伐が始まった。
すみません、まだちゃんとは始まりませんでした。
次から本当に始まります!