第104話 ナターシャ族
グレンは眼前に手を出した。
「<プロテクション>!」
この<プロテクション>はあくまで、対処の表面に防御壁を展開するだけのもので、単純な壁とするなら、最初にヘルヴィの大剣を防御した魔力の壁の方が意味がある。
本来なら。
この<プロテクション>でグレンが防御壁を纏わせたのは、大気だ。
グレンの目の前の大気の<プロテクション>をかけ、防御壁としたのだ。
つまり、大気中の空気それぞれに防御壁、または防御幕が張られ、それらが寄り集まってグレンの目の前に存在しているのだ。
今のグラムは最初の時よりも威力を増していることが、拳を打ち付けた時にわかった。
前と同じ方法で防ごうとしても、難なく切られてしまうだろう。
それに、あの時はヘルヴィはグラムの力を使わず、ただの剣として使っていたように思えた。
だからこそ、この大気への<プロテクション>。
単なる魔力の放出である壁よりも、ちゃんとした魔法の方が、防御力は高い。
防御壁を張る防御魔法もあるにはあるのだが、今は使えない。
ならば、今持てる最大の防御で迎え撃つしかない。
「そんなもの!」
ヘルヴィが思い切りグラムを振るった。
グラムはグレンの展開した防御を切り裂こうとする。
グラムの力なら、どんな防御魔法も破ることができる。
そこには、絶対の自信があった。
「ん?」
しかし、ヘルヴィはグレンの防御を切り裂くグラムから伝わる感触に、違和感を覚えた。
それは、いままでグラムの力を使って感じたことのない、若干の抵抗。
いくら万物を切り裂く魔剣でも、それらが寄り集まれば、少しは抵抗できる。
その抵抗が微々たるもので、結局は切り裂くことができるものだとしても、そこにできた時間はとてつもなく貴重なものだった。
「<アームズ>!」
元の機械を破壊した時尾ような長々とした強化ではなく、たった一言で済む、簡単な強化。
だが、本来強化が体全体へと及ぶであろう所を、グレンは繊細な魔力制御でもって、右腕のみに集約させる。
「このっ!」
ヘルヴィはグレンの自由にさせるものかと、グラムにさらに力を込めて、防御後とグレンを切りにかかる。
突如として加速するグラムは、グレンの防御を容易く切り裂く。
元々、少しだけの抵抗しか与えることができなかったために、さらに力を籠めれば意味を成さないのは当然。
しかし、そこにできる一瞬の間に、グレンは体を沈み込ませ、グラムの軌道から外れる。
「なっ!?」
驚きの声を上げるヘルヴィ。
そうなるのも仕方のないこと。
今のグレンはヘルヴィの攻撃により、視界がはっきりとしないはずだ。そう長く続くことではないとはいえ、こんなに早く回復するのもおかしい。
さっきの攻撃を受けんがしていたならあり得るが、そんな様子はなかった。
確実に、ヘルヴィの蹴りはグレンの衝撃を与えたはずだ。
それなのに、どうしてこのようなことになるのか、わからなかった。
その答えを、グレンは持っている。
だが。
(教えたやる必要はねぇな)
グレンは<アームズ>で強化された拳で、ヘルヴィの胴に重たい一撃を与えた。
「がぁっ!!」
自身の身を貫く衝撃に、ヘルヴィは呻いた。
エドモンドのようにミスリルの鎧を身に着けていれば、大したダメージにはならないだろう。
何しろ、元の機械を破壊した一撃をくらっても、鎧にはひびが入ってへこむ程度なのだ。この程度の一撃では、牽制程度にしかならないだろう。
だが、それを生身で受けるとなれば、その身を貫く一撃は相当なものだ。
グレンは<アームズ>の効果を右手一ヶ所にのみに限定しているので、その効果は通常よりも跳ね上がる。
その一撃で飛ばされるヘルヴィは、何度かバウンドし、転がり、地面に手をついて何とか止まる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
荒い息をするヘルヴィの様子から、グレンはどこかの骨にひびが入るか折れるかしたのだろうとわかった。
すぐに終わらせようと思い、グレンが一歩前に出ると、ヘルヴィはそれと同時に勢いよく立ち上がった。
「くっ!」
急に起き上がったために痛んだのか、腹を抑えているが、グレンは起き上がったことに驚いた。
今のでも倒れることはないということなのだが、まさか勢いを付けられるほどの力があるとは予想外だった。
ナターシャ族であるなら、それも当然かもしれないが、こんな様子のナターシャ族を見るのは初めてだった。
手傷を負いながらも、獰猛な目はその光の強さを増すばかり。
(すごいな。これは倒れないか。それに、考えてみればこれが初のクリーンヒットなわけだし、もう少しやっておかないとな。示しがつかない)
グレンも気を引き締めて、両手を前にかざした。
その動作で、何か来ることを察したヘルヴィは、グラムを素早く構え、防御するどころかまたしても攻めてきた。
そのどこまでも攻めの姿勢は、グレンの嫌いなところではなかった。
「面白い。やってみろ」
グレンは意識を集中させる。
「世界を作りし元素でもって、その身に絶えることの無き炎雷よー!」
グレンの手元から炎が放たれ、ヘルヴィを飲み込もうとする。
グラムが吸収した火球よりも大きな炎。
「くそっ」
これはまずいと判断したヘルヴィは、グラムを噛めて防御姿勢を取った。
火球と同じように、尾の炎も吸収してしまえばいいということだった。
しかし。
「え?どういうことだ、これは!?」
グラムが炎を吸収することなく、グラムを打ち付ける炎にヘルヴィが押し込まれていった。
「グラムなら炎は吸収できるはず。許容量を超えるわけでもないし、一体どうし」
て、と言おうとしたヘルヴィの視界に、ちらりと走る雷が見えた。
そう言えばグレンが、炎雷、と言っていたことに気付いたヘルヴィは、その意味にすぐに気づいた。
「炎属性と雷属性の合成魔法……」
「その通り。これは炎であると同時に、雷の属性も持っている」
「なら、なぜグラムで吸収できない!炎の属性を持っているんでしょ!?」
炎の属性を持っている限り、グラムの敵ではないはずだ。
その自信がヘルヴィにはあった。
しかし、グレンはヘルヴィの勘違いを正す。
「これがあくまで、二つのものが一つに合わさっただけなら、お前のグラムは炎の属性だけを吸収できただろう。だが、これはそうじゃない。炎と雷の属性を持っているというのは、炎の魔法と雷の魔法が合わさっているわけじゃない。属性が合わさることで、これは一つの魔法として完成している」
「だから何だ!」
「つまり、この魔法には炎属性の部分と雷属性の部分という分けられるところはない。あくまで、二つの属性を持ったものでしかない。だから、グラムが炎属性を吸収しようとしてもそれは同時に雷属性であるから、吸収することはできない。グラムは炎属性の魔法は吸収できるが、炎属性を含む合成魔法を吸収することはできない!」
「なん、だとぉ!」
ヘルヴィは声を上げるが、グラムとともに徐々に押し込まれていく。
熱はグラムで遮断できているが、雷の方はどうしようもない。こうして攻撃を受け続けている限り、体中にしびれが回ってくる。
「くぞっ、くそっ、くそっ!!」
どうにかして脱出しようとするが、今グラムの防御を解けば、この魔法に飲まれてヘルヴィの負け。
また、このまま防御し続けていても、いずれ痺れが体中に回って動けなくなり、ヘルヴィの負け。
どちらにしても、ヘルヴィには負けしか出てこなかった。
「このっ、このっ、このっ!!」
頭を絞るが、この絶体絶命が目の前に迫っている状況で新たな考えは浮かんでこない。
しかし、焦るヘルヴィに突如として別の結末が降ってくる。
「さらなる炎雷よー!」
威力を上げた攻撃により、ヘルヴィはグラムとともに吹き飛ばされた。
だが。まだ意識はある。
痺れも全身に回っていないため、立つことはできる。
今の状態で勝てる保証などないが、立てるのなら、立たなくてはならない。
ヘルヴィは戦士の矜持を、空中を飛んでいる数秒の間に固めた。
固めたのだが。
「<アクセル>」
その言葉とともに、超加速でヘルヴィの目の前に現れたグレンは、拳を突き出す。
腹に痛みがあり、体の一部が痺れている今、空中でヘルヴィに為す術はなく、グレンの拳が命中する瞬間を、ただしっかりと見ることしかできなかった。
♢♢♢
地面に仰向けになっているヘルヴィの脇に、グレンが立つ。
「あたしは、負けたんだな。約束通り、お前の望みを叶えてあげるぞ」
むしろ清々しいのか、どこかすっきりとし表情を浮かべるヘルヴィを見下ろすグレンは、すぐに視線を切って踵を返す。
「別に約束はしていなかった。何も望まねぇよ」
「そうか?お前はそれでいいのか?」
「……確かに、今の俺には望むものがあるが……それはお前には絶対に叶えられない。だから、別にいい」
「そうか。それは残念」
口調は全く残念そうではない、というのは、グレンは言わないことにした。
言っても、おそらくヘルヴィには意味のないことだと思ったのだ。
その代わり、別のことを口にする。
「ご褒美として、お前が知りたがっていたことを一つ教えてやる。ナターシャ族とは、一体何なのか。どうやって、そんな部族が生まれたのか。お前は知らないんだろ?」
「あぁ、知らない。お前は本当に知っているのか?」
「あぁ、知っている。お前は本当に知りたいか?もしかすると、お前の人生が変わるかもしれないぞ」
「それでもいいさ。あたしは、自分のことが知りたい。もうナターシャ族の生き残りはあたしだけだからさ。知っておきたいんだ。他の奴らのためにも」
「……ナターシャ族っていうのは…………お前たちの先祖、ナターシャ族の始まりとなったやつは、人間族と魔族のハーフだった」
「……は?」
ヘルヴィはグレンの言葉に耳を疑った。
ナターシャ族の先祖は、人間族と魔族のハーフ。
グレンはそう言った。
「信じられなくても、それはしょうがない。だが、事実だ。お前がナターシャ族と言うのなら、お前の体の中には魔族の血が流れている」
「魔族の、血?だが、何代も後になれば、魔族の血は薄まってるよな?だったら」
「そういう風にはならない。どうしてかはわからないが、魔族と他種族とのハーフだと、どんなに世代を重ねても、魔族の血は全体の半分のままらしい。どういう理由かはわからねぇが」
「じゃ、じゃあ、あたしは半分……魔族ってことか?」
「そうなるな。あの高い身体能力と反射神経。納得の付く説明だろ?大体、その魔剣グラムを扱える条件が、それを証明している」
「証明、だと?」
「そうだ。魔剣グラムは、魔族の血を持つものしか扱えない。どんなことがあっても、その大前提は覆らない。お前が魔族の血を引いているのは確実だ」
グレンが淡々と告げると、グレンの背後から絶望するような声が聞こえてくる。
今ヘルヴィがどんな表情をしているのかも、グレンにはわかった。
「そんな……あたしが、魔族の……血を……え?わけがわからない」
「……お前が自分を何者だと思うかはこの際どうでもいい。事実を告げといてなんだが、俺には関係のないことだからな、お前が何者であるかどうかなんて。重要なのは、お前自身がどうありたいか。それだけだろ」
それだけ言って、グレンはその場から駆けて行った。
事実を告げたのが正しいことだったかどうかは、グレンにはわからない。
知っておいた方が良いことだったかもしれないし、知らない方が良かったことだったかもしれない。それはもう、当人次第だ。
だが、願うなら、グレンはヘルヴィに、知って良かったと思ってほしかった。
魔族に対する偏見が強い今だからこそ、それを受け入れるべきなのだと思うのだ。
それだけ願って、グレンはリベルたちの元へと急いだ。