第9話 出発!
リベルの傍にかがみこんだ女性を、リベルは驚きの表情で凝視する。
狭い牢屋のような場所で発せられた言葉は、静けさもあってわずかに反響していた。
しかし、聞こえているからと言ってその女性の言葉を理解するのは、リベルには当然無理なことだった。
「神の子って、何?」
「それはあなた様が知らなくてもよろしいことです。ただあなた様が、私たちにとって非常に重要な人間であるということは理解してください」
「だったら、何でこんな監禁みたいな。重要なんでしょ?」
「だからこそです。あなた様が逃げ出してしまわないように、こちらで管理させていただきたいのです」
「そんな、人を物みたいに……」
「物ではなく、神の子、ですよ」
神の子という言葉が何を意味するのかはわからない。ただの肩書のようなものなのか、それとも本当に神様の子どもという意味なのか。
しかし、そんなことは今はどうでもいいことだった。
今重要なのは、なぜリベルがここへ連れてこられたか、だ。
リベルを神の子と呼ぶのならそれでも構わないと本人は思っていた。まったく、ピンとこないような呼ばれ方をしても実感が湧かないからである。大切なのは、なぜ女性たちが神の子という存在を必要としているのか。
そして、ここは一体どこで、攫われてからどれだけ経ったのか。
「聞いてもいいかな?」
「答えられることでしたら答えましょう」
「……君たちはどうして神の子を必要としているの?」
「我らが神のためです」
「その神って?」
「絶対神ゼネウス。我らが崇める神がそれでございます」
「絶対神、ゼネウス……」
リベルは女性が言ったことを反芻する。
絶対神ゼネウス。
そういう神話には疎いリベルには、その名前に聞き覚えはなかった。一般的に知れ渡っているようなおとぎ話には、そのような名前の神は登場しないはずだ。
しかし、絶対神と言っている以上、何かしら特別なことがあるように思えてならない。
「そういえば、崇めているって言ったよね?君たちっていったい何なの?」
「我々は世界の真理を求め、掴む者。我らが神の導きによって、この世界について知るために存在する、『英知の神託教団』でございます」
「英知の、神託教団?」
それもまた、リベルの知らない名前だった。
王都に来てから炎魔竜アグニ、神の子、絶対神ゼネウス、英知の神託教団と聞き慣れない言葉がリベルの耳に次々と入っている。
何か良くないものに巻き込まれていると感じたリベルだが、時すでに遅し。こうなってからでは後の祭りという奴だ。
「聞き慣れないのも無理はありません。我々は日陰に住まう者。おいそれと人の耳に入るようなことはありません」
「じゃあ、何でそんな秘密組織みたいなところが、僕を攫うのかな?」
「ですから、申し上げましたでしょう?我々には神の子が必要だ、と」
「だから、なんでその神の子が必要なのかってこと。そのゼネウスとか言う神のためって言ってたけど、どうして神のためになるんだ?」
「それは詳しくはお答えできません。ご了承ください。ですが、安心してくださいませ。神の子であれば死ぬようなことはありませんから」
そう言った時の女性の顔に、リベルは言い知れぬ恐怖を感じた。
その顔が怖いのももちろんあるが、それ以上に、この後どうなるかはわからないが何かが起こるというあやふやな状況に置かれている自分が見えたのだ。その無表情の奥の瞳に映る自分が。
女性の声は穏やかそのものだが、その顔は常に無表情だった。
そこでリベルは不意に思い出した。この声をどこかで聞いたことがあった。
「あなた、もしかして路地裏に入った時の?」
「その通りでございます。そして、それ以前にも一度会っております」
「一度?」
「はい。変身魔法で姿を変えておりましたが、二日前にあなた様を占ったのは私でございます」
「あれも……。何でそんなことを?」
「どうしても神の子が必要だったのです。神託ではあの日あの場所で神の子と会うと出ていましたので」
「つまり、最初からそれが目的で占いをしていた。そして次の日に僕を攫ってこんなところに」
「乱暴をしたことについては謝罪致します。ですが、それほど我々には必要だったのです。あなた様が気を失っている間に、怪我の治療は済ませておきました」
「そう?まぁ、誘拐した人に感謝したくないから感謝はしない」
「それでも構いません。あなた様の気の済むようにしてください」
「だったら、早くここから出たいんだけど?」
「ご安心ください。明日にはここを出ることができます。その際には我々がお送りいたしますので」
「つまり、それまではダメってこと?ていうか、明日には何があるの?」
「私が教えたではありませんか」
「教えた?じゃあ、占い師の時の」
リベルが思い出し、目を見開く。
「炎魔竜アグニの討伐計画実施日です」
「ということは、僕は丸一日眠っていたってことになるのかな」
「その通りです」
その日に何があるかはわかった。そして、その日に英知の神託教団なるものが動くことも予想できた。
ようやく幾らか回るようになった頭で考えるが、情報が足りなさ過ぎてリベルには判断のしようがない。
何かが起こる。
その先は決して教えてはくれないだろうが、ただ普通に帰してくれるとは思えなかった。
さきほど女性はリベルを送っていくと言っていたが、つまりそれは解放されるその時まで一緒にいるということ。
さらに、神の子なら死なないとも言っていた。それは普通の人間なら死んでしまうような状況に放り込まれるかもしれないということ
より動くようになった頭で、この先の恐怖を意識し始める。
リベルは体の震えを抑えるために、ギュッと体中に力を入れた。
「結局、君たちはどうして神のためとか言って行動するの?路地裏の時も神の導きとか何とか言ってたでしょ?」
「我々にとって絶対神ゼネウスとは、言葉通り絶対の存在です。それ以上に信じられるものなどありはしません」
「あなたはその神とやらに会ったことはあるの?」
「ありませんよ。そう簡単に会えては、神とは呼べませんから。神に会いたければ自ら努力して進んでいくしかないのです」
「言っていることはごもっともなんだけど、今の状況と合わせてみると何とも皮肉なものだね」
「そう思うのはなぜですか?」
「簡単。人に多大な迷惑をかけているから」
「迷惑をかけてしまうのは、しょうがないことなのです。生きていく以上は誰かと関わりを持っているのですから」
「それでも限度はある。ここまでのことをして、ただで済むと思っているの?」
「思ってはおりません。ですが、それも仕方のないことなのです。誰しも迷惑をかけずに生きることはできませんし、何かを成したいのであれば、その影響を大きいものでしょう。ですが、ご安心ください。この先に待つのは決して悪い世界ではありません。むしろ、楽園と言っても過言ではないでしょう。音楽が失われるこの世界において、私たちが音楽の尊さと素晴らしさを伝えることで、世界に本当の調和をもたらすのです。それこそが、我らが神の意思。そのために必要なことなのです」
音楽の尊さと素晴らしさ。
その言葉にリベルは反応を示した。
その言葉だけは、リベルの目指すもの、信念と同じようだった。しかし、この女性に対していい印象を持っていないために、女性の言ったことをそのまま信じることはできなかった。
「あなたたちが言う本当の調和って、何?」
恐る恐るといった様子で尋ねたリベルを、相変わらず無表情で女性がじっと見つめる。
そこに迫力が見え、リベルは目を逸らして体を少し引こうとするが、自分が縛り付けられて固定されていることを思い出してそれを断念する。
そして、もう一度女性の目を見る。
「……調和、それは我々が目指す最後、すなわち楽園です」
「その言い方は曖昧過ぎる気がするんだけど」
「でしょうね。そういう言い方をしていますから。ですが、外部の人に大まかに伝えるにはこうした方がいいのですよ」
「じゃあ、それ以上は教えてくれないのかな?」
「残念ながら、いくら神の子であっても私の独断で説明するわけにはいきません」
「……どんなに頼み込んでも?」
「我々はそのようなことでなびくほど、心は弱くありませんから」
「…………何も思わないのかな、そういうのを見て」
「そこは人それぞれでしょう。ですが、少なくとも私は何も思いませんね」
女性の顔には揺るぎはなく、そこに無表情なりの意思が見えた気がした。
しかし、わかったところでどうにかなるわけでもなく、リベルはただ、俯いた。
「そう。残念だね……」
「私には理解できかねますが、あなた様は今、憐れんでらっしゃるのですか?」
「さぁ、どうだろう?自分でもよくわかんない。僕が憐れんでいるのか、そうでないのか。でも、たぶん同情はしてる、と思う」
「何に、ですか?」
「さぁ?自分でもわかんないかな。ただね、悲しい、とは思うよ」
「それも私には理解できかねます」
そう言うと、女性は立ち上がって、リベルの傍から遠ざかっていく。
そして、リベルから見えなくなる直前で立ち止まり、振り返らずに言った。
「私たちを憐れもうが、同情しようが、私たちには関係ありません。私たちには、ここがすべてなのです」
「うん、何となくわかる」
リベルが先ほどまでの敵対的な態度から一転して、温和な様子で同意すると、女性は驚いたように振り向いた。
その視線の先には、優しい笑みを浮かべてリベルがいた。
「なぜ、そのように思うのですか?」
「そう、思うから」
答えになっていない答えだったが、女性はそれがリベルのすべてなのだと感じた。
この姿がリベルなのだ、と。
女性はしばらくリベルを見つめた後、視線を切って早足にリベルの視界からいなくなった。
「ふぅ、緊張した」
緊迫した空気が消え失せ、リベルは強張らせていた体から力を抜き、だらりと背中の金属棒に体を預ける。
誘拐されて監禁されている状況でだらけるのもなかなかに見えるが、今のリベルには疲労が蓄積していた。
いつも店に立っているため、人と話すこと自体に抵抗はないが、あの女性は今まで会ったことのないようなタイプだった。
無表情で不愛想な顔から放たれる鋭い視線は、これまで温和な生活しか送ってこなかったリベルには、受け止めるだけで辛いものがあった。
(それにしても、この後どうなるんだろうねぇ。ここはグレンに助けてもらうことを期待するか。いや、一日だけでどうにかなるものかな?そう簡単に見つかるような甘さはないはずだけど。グレンも今は本調子じゃないしなぁ)
困ったなぁ、と他人事のような軽さで考え事に耽るリベルは、あることに気が付いた。
「名前聞くの忘れた」
本当にどうでもいいことである。
♢♢♢
その日、王城前では一つの動きがあった。
一週間という短い期間ではあったが、その中でできるだけのことをやったという自負がそれぞれにあった。
そして、その中で脅威に向かう者たちが今、集結していた。
前日にはすでに周辺の人々には今回の事態については説明してある。
初めは王城前で暴動が起きそうだったが、国王が直々に説明することで混乱は一時的に収まった。
今朝は、これから決戦へと向かう戦士を激励しようと、多くの人が駆けつけていた。
「それでは、これより出発する!目標、ヒューレ火山頂上!」
先頭に立つ第一部隊隊長シリウスが大きな声で宣言すると、人々は大きく沸いた。
列の中央付近にいるクレアは、肌を打つビリビリとした歓声に気を引き締める。
そして、みんなの歓声が戦士たちの背を押し、彼らはヒューレ火山へと向かっていった。
今日が、アグニ討伐計画、実行日。
もう一作品『魔法少女なんてありえない!!』を投稿しました。
良かったら、是非そちらもご覧ください。