第7話 少し傷ついて助けを請えばいい
ガンジスの川辺はたくさんの天幕が並び、踊り子達が華やかなサリーを着て花びら舞い散る踊りで、花道を作っていた。
スシーマを初めとする王子や貴族達は、それぞれ十人ほどの屈強な側近を従え、川の反対側で待機していた。
川向こうでは次々に良家の姫君が象に乗って到着し、輿から姿を見せるたび、こちら側の男達から歓声が上がった。
もちろん姫君達はサリーの上からヴェールを被り、容姿はまったく分からないが、ここに選ばれたのがとびっきりの美姫達ばかりだという事は、すでにヒンドゥ中の噂になっていた。
「あれはアヴァンティ国のリリア姫らしいですよ、スシーマ様」
ナーガは姫君が到着するたび、丁寧に説明を加えてくれる。
しかしスシーマは馬に乗ったまま、気乗りしない顔でふてくされていた。
侍女や女官に大袈裟に飾りたてられたのが気に入らないのだ。
派手な狩りの衣装は大粒の宝石で留めつけられ、頭のターバンには孔雀の羽が背丈と同じぐらいの高さまでそそり立っている。
「ああ、めんどうだ」
この後姫君一人一人の天幕の前で挨拶を交わすように父王から言われていた。
それもうんざりだが、狩りの最後には正妃を選ばなければならない。
ナーガと話し合って、すでにユリに決めていたが、それも気が重い。
きっと大喜びではしゃぎまくり、おおいに結婚生活を夢見る事だろう。
そしてすぐに世界一不幸な妻だと気付くのだ。
「あ、あれはシェイハンの巫女姫では?」
だから、ナーガの告げた一言に沈んだ気持ちが一気に跳ね上がるのに我ながら驚いた。
「な、なぜ一度断った女までいるのだ?」
スシーマは浮かれた自分を悟られぬよう、眉間にシワを寄せ尋ねた。
「もう一度再考されては、という事では?」
ナーガがにやにやと答えた。
どうやらこの愛すべき側近が余計なお節介をしてくれたらしい。
心からいいヤツだ、とこの時ほど思った事はない。
しかし素直になれない王子は真反対の事を言った。
「ふん。余計なことを……」
だが、長年付き従ってきた側近はそんな王子をよく分かっている。
「すみません」
非難をすべて受け取って流した。
さっきまであれほど重苦しかった気持ちが不思議なほど弾んでいる。
すぐそこに、あの巫女姫がいるというだけで、心が浮き立つ。
スシーマは自分でもその変化に驚いた。
とりあえず乱暴な弟王子に切り捨てられてはいなかった。
まずはその事にほっとした。
他の姫君達に比べ、質素な輿に乗っているが大丈夫だろうか。
あんな小さな庇ではヒンドゥの強い日差しは防げまい。
心配そうに巫女姫の象を見つめるスシーマをナーガがにやにやと見ていた。
頭の蛇達までにやにやしてる気がする。
「な、なんだ! まだ生きていたのかと呆れてただけだ」
「私は何も言ってませんよ」
くすりとナーガが笑った。
「元気にしていながら、私の手紙を無視した無礼な女だ。
恥をかかせてやる。己の立場を思い知るがいい」
「ええ?! もう何するつもりですか。少し素直になって下さいよ」
ナーガはからかい過ぎたかと、意地になっている王子が心配になってきた。
姫君の輿がそろうと、狩りに参加する貴族達の名が一人一人呼ばれた。
呼ばれた貴族は、それぞれ十人ほどの狩り上手の側近を連れてガンジスの浅瀬を渡り、姫達の天幕の前を大勢の声援を受けながら進んでいく。
スシーマの番になると、それぞれの天幕から侍女に手を引かれたヴェールの姫君達が姿を現わし、王子の挨拶を待ち受けた。
ここが王子にアピール出来る最大の見せ場とばかり、みんな様々に趣向を凝らし、姫の衣装や宝飾ばかりか、背景にまでこだわって背にペルシャ織りの布を広げたり、南方の珍しい鸚鵡を肩に乗せたり、王子への珍しい贈り物を用意したりと涙ぐましい努力をしている。
スシーマはその一人一人に丁寧に挨拶を交わし、そつのない褒め言葉で讃えた。
「アヴァンティ国のリリア殿か。お父上からそなたの噂は聞いている。
噂にたがわぬ美しい方だ。遠方からのお越し、疲れたであろう」
「いいえ。お美しいスシーマ様のお姿に疲れなど吹き飛びましたわ」
「今日は存分に楽しんで下さい」
馬上からの挨拶と言えども、十もの天幕に挨拶して回るのはさすがに疲れた。
リリアの天幕が最後かと思ったら、王の大天幕を過ぎた向こうにも一つ天幕が張られていた。
ひと悶着あった天幕の場所決めは、王の天幕を挟んでリリアとユリの天幕を張る事で解決させていた。
大天幕の向こうにユリの姿を見つけて、スシーマは(そうだった)と思い出した。
ついさっきまで、このユリを正妃にと決めていたのだ。
だが今は別の選択肢にすっかり心が動いてしまっている事に罪悪感を感じた。
その懺悔の気持ちのせいか、今日はやけにユリが頼りなげだった。
ヴェールから覗く目がひどく沈んでいるように見えた。
嫌いな訳ではない。
むしろ大事だからこそ不幸な妻にしたくなかったのだ。
(すまない、ユリ)
そんな想いからか、他の姫君よりもすぐそばまで近付いて、馬の上からユリの頭を撫ぜた。
愛する妹にするように……。
ユリは突然頭を撫ぜられて驚いたように顔を上げた。
他の姫君達もその行動に驚いた。
ユリの侍女達は勝ち誇ったように顔を上気させる。
明らかな特別扱い。
まるで正妃だと暗に示しているかのような……。
傍らで見守っていたナーガは(あーあ……)と頭を抱えた。
優しすぎる王子のこんな行動が、却ってユリを苦しめるのに分かってない。
(朴念仁のくせに罪つくりなんだから、もう……)
「ご、ご活躍を期待していますわ!」
ユリは一気にいつもの元気を取り戻し、笑顔になった。
「任せよ」
何も気付かぬ朴念仁は、ユリから離れ、天幕も無しに象に乗ったままの巫女姫へと進んだ。
馬に乗るスシーマより象の輿に乗る巫女姫の方が高い位置にいる。
「これ、象の上から王子を見下ろすとは何事ぞ。下りて挨拶せぬか」
ナーガは王子の側近として巫女姫の象に近付き注意する。
輿にかけられた紗布から顔を出した巫女姫は、小さな庇で避けきれなかった日差しをもろに受け、ゆでだこのようにヴェールから覗く肌を真っ赤にしていた。
僅かにのぞくその瞳を見ただけで、スシーマの心は弾んだ。
それなのに、巫女姫は声をかけたナーガを見下ろすだけで、少しも自分を見ない。
スシーマの事など眼中にない様子に、急にむらむらと腹が立ってきた。
「いかがした巫女姫殿。早く下りるがいい」
わざと意地悪な言い方をした。
他の姫君達もクスクス笑っている。
象から下りるには、乗降台の所まで移動しなければならない。
分かっていて意地悪な事を言った。
少し傷ついて、反省すればいいと思った。
そして自分に助けを請えばいいのだと願った。
「すみませんっ! すぐに乗降台の方へ象を移動させます、ミトラ様!」
象の手綱を持っていた従者が、あわてて引っ張った。
驚いた象がバランスを崩し、巫女姫の輿がぐらりと傾いだ。
そしてその反動でなんと! 姫の体が外に投げ出された。
「あっ!!!」
その場の全員が驚きの声を上げたが、一番肝を冷やしたのはスシーマだった。
あまりに唐突な事で、体は動かなかった。
(姫っっ!!)
声無き声で叫ぶ事しか出来なかった。
しかし象のそばに馬を寄せていた役に立つ側近は、馬から飛び降り、頭の蛇の伸ばした胴体も手伝って、その体を間一髪受け止めていた。
「危ない、危ない。あの高さから落ちたら大怪我ですよ」
(でかしたぞ、ナーガ!)
本当は駆け寄って愛すべき側近を抱き締めたいほどだったが、そんな事は出来ない。
大勢の家臣が見守る中で、弱味を見せるわけにはいかない。
「ふ、ふん! 悪運の強い女だ」
余裕で笑ってみせた。
「気を失っています。日陰に入れないと死にますよ」
ナーガは意地っ張りの王子を責めるように言った。
そしてスシーマは最後の矜持を担ぎ出し、言い放った。
「この後、王がお出ましになる。
目障りだ。隅にやっておけ!」
次話タイトルは「嫌われている……」です