第3話 私が敬い礼儀を尽くすと思ったのか!
翌日、瞑想の間で一人マントラを唱えながら、スシーマは熱心に祈りを捧げていた。
ナーガの話では今頃シェイハンの巫女姫が面会の部屋で待ってるはずだ。
一人で行くからついて来るなと言い捨てて、この瞑想の間にやってきた。
どうにも嫌な予感がする。
会いたくないのだ。
なぜだか、その姫と会ってしまったら自分の何かが変わってしまうような胸騒ぎがしていた。
このまますっぽかしてやろうかと思っていた。
だから面会の部屋には子猿のハヌマーンを代わりに置いてきた。
「スシーマ様ああ!」
そんな瞑想室に乱入してきたのは、ユリだった。
「こんな所にいらっしゃったのね!
もうシェイハンの姫とお会いになったの?
どんな方でした?
まさか婚約したのではないですわね」
マントラを唱えるスシーマの腕に絡みつき、矢継ぎ早の質問を浴びせた。
スシーマは仕方なくマントラを終え、深く拝礼して祈りを終わらせた。
「ユリ、祈りの途中に入ってくるのはやめよ」
本来なら手打ちにしてもいいほどの無礼だが、スシーマはユリには甘かった。
幼い頃から共に育ち、妹のように大切に思っている。
だから尚更、妻には出来ないと思っていた。
敬虔なスシーマには近すぎて、ユリには近親相姦のような罪悪感を抱いてしまう。
ユリの気持ちには充分過ぎるほど気付いているが、応える事は出来ない。
ユリを愛されない妻にしたくなかった。
そしてユリを選べない事が、スシーマの婚期を遅らせる最大の原因だとは言えるはずもなかった。
本来、周りが納得すれば結婚相手は誰でもいいと思っているスシーマだが、誰もがユリを候補の筆頭に考えているために、他を選ぶわけにいかなかった。
他を選んで、このユリが大人しく引き下がるとは思えない。
だから、ユリが結婚してから自分は結婚しようと最近は考えている。
その程度には大切に思っている相手ではあった。
だが一向に自分との結婚を諦めようとしないユリに、最近は傷つける言葉も吐かなければならないのが辛かった。
「私ではなく他の男と結婚すればいい。
そなたの家柄なら選び放題だろう」
今日も最終的にこんな事を言わなければならなかった。
「ひどい!
私はスシーマ様以外との結婚なんて考えた事もないのにっ!!」
ユリはわっと泣きながら部屋を出て行った。
それと入れ替わるように、ナーガがにやにやしながら入ってきた。
「罪な男ですね」
ナーガにだけは自分のこの複雑な胸中を伝えていた。
「シェイハンの姫君がお待ちですよ。
何やってるんですか」
「まだ待ってたのか。
ハヌマーンが追い払ったと思ってたのに」
「そんな事だろうと思いましたよ」
ハヌマーンは女嫌いだった。
夜這いをかける女達をいち早く見つけ退冶してくれる。
だから夜はいつもベッドで一緒に寝ている。
女避けの神獣だった。
「ですが一度ご覧になるべきですよ。
ちょっと見た事のない美少女ですよ」
ヴェールに隠れて目しか見えないはずなのに適当な事を言っていると思った。
しかし、部屋に入って驚いた。
ヴェールを外して、顔も髪も晒している。
どうやらヒンドゥと違って、ヴェールで隠す習慣がないようだった。
しかも……。
その見た事もない容姿に目が離せなくなった。
黒目黒髪の多いヒンドゥとは明らかに違う外見。
月色の柔らかく真っ直ぐな髪は腰まであり、瞳は至宝の翠。
しかもその翠の深さは神秘の湖のようだ。
肌は白肌の多いバラモンの姫君達でさえ比べ物にならないほど白く透き通っている。
小さな鼻と口も精巧で、およそ同じ人類とは思えなかった。
(妖精?)
それが正直な第一印象だった。
「なんと珍しい。
シェイハンとはギリシャの流れをくむ国と聞いていたが、そなたの国の者はみなこのような髪の色をしているのか?」
あまりの珍しさに、吸い寄せられるように近付き、思わず髪を一房すくい取っていた。
「あ、姫君に失礼ですよ、スシーマ様」
あわててナーガが注意した。
普段のスシーマが決してやらない失態だったが、こういう場合の対処法は心得ている。
優しく微笑んで詫びれば、年頃の姫なら顔を赤らめ許してくれる。
「ああ、すまない」
女殺しの微笑で巫女姫を攻略したものと思っていたスシーマは、思いもかけない相手の態度に不意打ちをくらった。
子供のように小さな姫は、射るような視線で自分を睨みつけていた。
自分の頭二つ分も小さな姫に、幼い印象を持っていたが、その奥行きの深い翠の瞳は傲慢と言っていいほど高飛車に自分を見上げていたのだ。
ヒンドゥで父王に続き第二位の地位を持つ自分に、これほど不遜な態度の女になど会った事もなかった。
そもそもヒンドゥの女達はヴェールで顔を隠し、唯一見えている目さえも、男と直接合わせる事はしない。目が合いそうになると、はにかんで伏せるのが淑女の作法だ。
王子に対して無礼とも言える態度だが、その少女の威厳のようなものに思わず髪を離して謝った。
「いや、失礼した。
巫女姫殿には無礼であったか」
しかし少女は自分の侘びにも答えず、素っ気無く言い放った。
「用件を申されよ」
それは軽い衝撃だった。
その無礼な物言いに、もしや自分が皇太子だと気付いてないのかと自己紹介をした。
「待たせて失礼した。
私はマガダの皇太子スシーマだ」
皇太子とは知らず失礼しましたと、謝られるとばかり思っていたスシーマは、その返答に更に驚愕した。
「知っている。
私の名もここにいる理由もご存知のはず。
結論を申されよ」
その態度には女として媚びる様子も、侵略された国の王子への卑屈さも無かった。
目の前の後ろ盾も味方も何もないはずの女は、対等の者に接するような態度だったのだ。
しかしスシーマにもプライドがあった。
属国の女などに対等を気取られては王子としての威厳に関わる。
「あなたの国の女性は、みなそのように失礼な物言いをするのか?」
少しきつい言い方をしたつもりだった。
しかし巫女姫の返事はそれ以上に辛辣だった。
「私の国などもう存在しない。
そうなったのはそなたの国のせいだ。
私が敬い礼儀を尽くすと思ったのか」
もっともだと思った。
少女の言う事はあまりに正しい。
「侵略した国の巫女を妻に娶るという鬼畜の行いに賛同されるのか否か。
申されよ!」
スシーマはひどく悪者になったような気がした。
そして実際に悪者なのだ。
自分の知らなかった事とはいえ、加害者には違いない。
ヒンドゥの女は、男に逆らわないように教育されている。
男が黒と言えば、たとえ白であっても黒と答えるように育てられている。
だからはっきりと自分の意見を言う少女が、あまりに新鮮だった。
だが、こうまで辛辣に言われてすまなかったと詫びる訳にはいかない。
自分はマガダの皇太子なのだ。
自分の侘びは、国家の侘びにもつながる。
「言われなくても最初から断るつもりだった。
不愉快だ。出て行くがいい!」
ようやくの事でそれだけを答えた。
巫女姫はそんな自分に、あざやかなまでの笑顔で告げた。
「賢明な判断、感謝致します」
そうして振り返りもせずに部屋を出て行った。
スシーマはそれをただ呆然と見送る事しか出来なかった。
そして、隣りの側近は肩を震わせ笑いをこらえていたが、我慢しきれず、ついには頭の蛇と共に吹き出してしまった。
「あははは! スシーマ様が女性にこれほど辛辣に言いくるめられるのを初めて見ましたよ。
どうです?
自分に少しも靡かない女性に出会った感想は?
興味がわいてきたんじゃないですか?」
「冗談じゃない。あんな無礼な女!
二度と会うか!」
次話タイトルは「謝るなら考え直しても構わない」です