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第2話 嫌ならこの場にいる姫達から正妃を選びなさい

 スシーマ王子の住む東宮殿の中庭に面した広間では、華やかなサリーをまとった姫達のお茶会が開かれていた。


 主催者はスシーマの母、ラージマール王妃だった。

 月一回程度行われるお茶会に参加出来るのは、ヒンドゥでも最高級の家柄の姫だけだった。

 ヒンドゥの権力者の妻達は、結婚すると後宮に入り外出する事は出来ないため、集まるのは未婚の姫ばかりだ。

 自然にそこはスシーマ王子の花嫁候補の集う場所となった。


「ラージマールおばさま。この焼き菓子はお口に合いまして?

 父が西方からわざわざ料理人を連れてきて焼かせましたのよ。

 焼きりんごが入っていますの。珍しいでしょう」


 得意気に王妃の真横に座るのは、マガダの属国、コーサラ国の姫ユリだ。

 ラージマールの姪でもあるユリは、現在のところスシーマの婚約者候補の筆頭だった。


「ええ。とても美味しいわ。コーサラ王にお礼を言っておいてちょうだい」


 ラージマールは派手さはないが、非のうちどころのない美人だ。

 その上敬虔なバラモンの血筋を引く、申し分のない賢母でもあった。


「スシーマ様にも食べさせて差し上げたいわ。

 今お部屋にいらっしゃるのでしょう?

 私持っていってきますわ」


 ユリが立ち上がりかけると、他の姫達がざわついた。


「ユリ、お待ちなさい。

 あなたは幼少よりスシーマと共に育ち、幼馴染の気安さがあるのかもしれませんが、もうお互いに年頃になったのです。良家の姫が気軽に殿方の所に行くものではありませんよ」


 ラージマールは自分にも厳しいが、他人にも厳しい女性のかがみでもあった。

 特に姫達の貞節にはうるさかった。


「だっておばさま、ユリはもうずいぶんスシーマ様のお姿を見てませんわ。

 お元気にしてらっしゃるのか気になりますもの」


 口を尖らせて言い返せるのは、姪のユリぐらいのものだ。

 他の姫達は、緊張して直接言葉も交わせない。


「よろしいではございませんの、ユリ様。お会いした事があるだけでも」

「そうですわ。私達なんてまだ一度もお見かけした事もございませんのよ」

「お噂には聞いておりますけど、涼やかで凛々しいお姿。

 私も一度でいいから拝見致したいものですわ」


 他の姫達は夢見るように手を組んで麗しい王子の姿を思い浮かべた。


「ええ。それはもうスシーマ様以上に素敵な殿方なんて見た事ないですわ。

 皆様もスシーマ様をご覧になれば、一目で心を奪われてしまいますわよ」


 ユリはスシーマと共に育った事が自慢だった。

 五歳年上のスシーマは妹のように自分を可愛がり、抱っこしてもらった事も何度もある。

 堅物王子の一番身近な女であり、ずっとスシーマの正妃になるものと思って育ってきた。

 実際、父のコーサラ王はユリをスシーマの妻にするための尽力を惜しまなかった。


 それなのにどうゆう訳か、適齢期になっても王子は一向に結婚しようとしない。


(真面目な方だから、まだ勉学に励みたいのだとおっしゃってるらしいけど……)


 最近は王の御前会議にも出席していると聞いた。

 次代の王として学ぶ事はたくさんあるのだろう。


 だけど……とユリは思う。


 せめて婚約だけでも正式に交わして欲しい。

 父も、ラージマールおばさまもユリが一番正妃として丸く収まる相手だと言ってくれている。

 家柄も容姿も権力も。

 そしてスシーマ王子は事を荒立てたがらない性格だから、きっとユリを選ぶだろうと。


(うぶな方で、照れてらっしゃるのかしら)


 幼馴染としてそばで過ごしていた時から、女の影が見えた事はない。

 もちろん色目を使う女官達はたくさんいた。

 しかし、軽くあしらう姿しか印象になかった。


「きゃあああ!!!」


 考え込んでいたユリは姫達の悲鳴で、はっと我に返った。

 見ると、みんな外していたヴェールの片側を付け直し、サリーの余り布で顔を隠して身をよじっている。

 ヒンドゥでは年頃の女性が殿方に顔を見せるのは、はしたない事だった。

 この反応は、この女ばかりのお茶会に男性が現れたということだ。

 ユリはヴェールを付け直しながら、みなの視線の先を見た。



「ああ。姫君達とのお茶会でしたか。これは失礼」


 長身に緑の衣装。緑のマントに緑のターバン。

 そして右肩には栗色の髪が優雅に垂れて、なにより涼やかな藍色の瞳。


「スシーマ様!!!」


 ユリはヴェールを付けきらないまま、スシーマの胸に飛び込んだ。

 兄のように慕っていたユリには、それは自然な事だった。


 他の姫君達はヒンドゥの女にしては、あまりに大胆な行動に驚いた。

 そしてラージマールは困ったものだとため息をついた。


「ユリか。久しぶりだな」

 スシーマは軽く受け止め、みなの非難から逃すようにそっとユリを引き離した。


「最近は少しも会って下さらないんですもの。

 ユリはずっと淋しくてたまらなかったのですわ」

 ユリは大粒の黒目で上目使いに見つめた。


「そなたももう年頃なのだ。

 幼馴染とはいえ妙齢の男と密会するわけにはいかぬだろう。

 変な噂がたてば、そなたの縁談にも差し障りがある」


 前にも言われた事があったが、ユリはズキリと心が痛んだ。

 まるで自分との縁談は無いような言い方。


「子供の頃のように私に抱きつくのもやめた方がいい。

 もうそれぐらいの分別はつくだろう」


 ポンポンと頭を撫ぜられて、ユリは泣きたくなった。


 そんなこと分かってる。

 自分だって他の男だったら、会ったり抱きついたりする訳がない。

 相手がスシーマだからするのだ。

 それなのにまったく分かってない。

 恐ろしく鈍感なのか、牽制されているのか……。

 ユリは鈍感なのだと思い込みたかった。



「それよりどうしたのですか? スシーマ。

 お茶会のところにまで乱入してくるなんて。

 わたくしに何か用なのでしょう?」

 ラージマールは母の顔になってスシーマを見た。


「ああ、そうでした。私の縁談話の事です」

 

 スシーマの発言にユリをはじめ、姫達がぎょっと耳をそばだてた。


「今しがたこのナーガに聞いたのですが……」


 スシーマは後ろで拝礼して控えるナーガを見下ろした。

 その頭の二匹の危険物に気付いて、姫達から「きゃあああ!」と悲鳴が上がった。

 いつもの事だ。


 ナーガはその二匹のペットのせいで女にモテた事はない。


「シェイハンの巫女姫だったかしら。

 わたくしもゆうべ王から聞きました」


「受けるつもりはないので、母上から王に断って頂けませんか?」

 ナーガが無理矢理とりつけた約束は、母への直訴という形で反故ほごにされようとしていた。


「残念ながら今回は珍しい容姿の姫だとかで、王が絶対に会わせると息巻いておられましたよ。

 会うだけでもしなければ、納得しないでしょう。お会いなさい」


「断ると分かっているのに会っても仕方ないでしょう」


「王はそなたが一向に正妃を迎えようとしないのを心配しているのです。

 嫌ならこの場にいる姫達の中から正妃を選びなさいな」


 ラージマールの言葉にユリと姫達は一斉に胸をときめかせた。

 スシーマはその気配を感じて大きなため息をつく。


「未来の王妃を選ぶのです。そう安易に決められないでしょう」


「あら、この中の姫達なら問題ありませんよ。

 結婚などは案外思いつきで決めた方がうまくいくものです。

 考えすぎるから選べないのですよ」


 ヴェールの奥から期待を込めて自分を見つめる姫達の視線にスシーマはうんざりした。

 こんな中で誰かを選ぼうものなら大変な騒ぎになる。

 特にユリを選ばなかった場合の軋轢あつれきは想像するのも恐ろしい。


「分かりました。明日、シェイハンの巫女姫ですか? 会いますよ。

 ただし即刻断りますから。先に言っておきます」


 スシーマは落胆する姫達を置き去りにナーガを連れてさっさと立ち去った。


 スシーマが立ち去った部屋には、ほうっという嘆息があちこちから洩れた。


「なんてお美しい方なのでしょう」

「お噂には聞いておりましたが、想像以上でございましたわ」

「それにあの堂々としたたたずまい。素敵ですわね」


 ユリの言った通り、姫達は一目で心奪われた。


「でもシェイハンの巫女姫との縁談があるのですか?」

「まさかお受けになったりしないですわね」

「そんな聞いた事もない属国の姫など選びませんわよ」

 西方にあるシェイハンは権力者達の間では、どうしても欲しい国として有名だったが、女達や大衆に知られている国ではなかった。


「おばさま! スシーマ様はまさかその巫女姫と婚約しないですわよね」

 ユリは懇願するようにラージマールの腕をとった。


「どうかしらね。

 結婚に関しては本人の意思を尊重するつもりですから、余程の事が無い限り私は口出ししませんよ」


 ラージマールとしては、ユリやここに集う姫達の中から選んで欲しい気持ちはある。

 しかし、重臣や側近と違い正妃だけは息子本人が本当に愛している相手を選ばせたかった。

 そう思うに至ったのは自分の体験があるからだ。


 自分はビンドゥサーラ王とは政略結婚だった。

 今のユリと同じように誰もが納得出来る丸く収まる姫だった。

 後ろ盾も強く、王は自分を王妃として大切に扱ってくれる。

 しかし実質の正妃にはなれなかった。


 王にはもう一人、西宮殿に王妃がいる。

 どちらが正妃という区別をつけてはいないが、その他大勢の側室とは明らかに扱いの違うもう一人の王妃だ。


 そして、王は西宮の王妃を口ではののしりながら、ずっと愛している。


 一度も一番になれなかった女の悲しみは自分が一番分かっていた。

 だからユリをはじめとする姫君達のためにも、一番の女性を正妃にすべきなのだ。

 愛する妻に一番そばで支えてもらう事、それが正しい王となる一番の近道なのだ。


 それは、なれなかった自分だからこそよく分かっていた。


次話タイトルは「私が敬い礼儀を尽くすと思ったか!」です

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