第13話 あの男、欲しいな
ガンジスの川べりは突如として黄色と黒の縦縞の衣装で埋め尽くされた。
(あれは、アショーカの私兵団?
なぜこんな所へ?)
スシーマは巫女姫を馬の前に乗せたまま目を凝らした。
問題児の弟王子が、私兵の兵士を何百も引き連れ狩り場から現れた。
その背には、今狩ってきたらしい鹿が血を滴らせておぶさってある。
そして王の前まで来ると、側近達の背負う鹿と共にドサリと地面に投げ出した。
あまりの無礼な態度に、王の顔が怒りで真っ赤になっている。
(バカか? あいつは?)
信じられない行為だった。
それこそ殺してくれと言っているようなものだ。
「間の悪いヤツだ。
この不機嫌極まりない時にあのようなマネをして……。
終わりだな」
「終わりというのは……?」
スシーマの呟きに答えるように少女が不安そうな顔で自分を見上げている。
その反応が意外だった。
今まで自分の死以外に興味を示さなかった少女が、なぜそんな顔をするのか。
「まあ、おかげでそなたへの怒りがあちらへ向いてくれた。
命拾いしたな、ミトラ殿」
初めて名前を呼んだ。
どんな反応をするかドキドキする。
しかし、その勇気はあっさりスルーされた。
「わが息子を切り捨てるつもりなのか?」
少女は名を呼ばれた事も気付かず、更に問うた。
スシーマはさすがに少しむっとした。
自分よりも弟王子に心が向いているのが腹立たしい。
「ふん。簡単に切り捨てられるほど間抜けではないだろうが、刃を重ねたならば死罪は免れぬだろうな」
同じ刃を重ねるでも、さっきの自分とは訳が違う。
父王はあの破天荒な弟を嫌っている。
なにか正当な理由をつけて殺したがってるのだ。
「そんな……。自分の子を……」
巫女姫はひどくショックを受けているようだった。
自分が王を不機嫌にさせた事が原因だと心配しているのか。
「そなたが責任を感じる必要はない。
あの者がバカなのだ」
そう言っても、まだ納得していないようだ。
だが、スシーマにはなぜ弟王子が、こんな暴挙に出たのか思い当たる事があった。
弟王子はタキシラの反乱討伐の任務を命じられたはずだった。
自分もその命令に加担しているが、別に陥れようとしたわけではない。
成り行き上、仕方なかったのだ。
本人の日頃の行いが悪いせいで、それ以上どうしようもなかった。
謀反の疑いで牢に入れられるか、反乱討伐か。
その二択しかなかったのだ。
本音を言うと、一番悪いのは父王だ。
タキシラの反乱は起こるべくして起こった。
叔父のタキシラ太守ゴドラは、あまりに無能で身勝手な太守だった。
民に重税をかけ私腹を肥やし、貴族の娘に次々手を出した。
それを知っていながら、野放しにした父王の無策のせいだ。
民は悪くない。
しかし反乱が起きてしまったなら討伐しなければならない。
討伐軍の総大将になれば民に憎まれるのは必至だ。
誰も総大将になりたくなかった。
だから父王は目障りな王子をその任に就かせる事で失脚させようとしている。
弟王子が腹立ちまぎれに暴挙に出る気持ちも分からなくはない。
だがしかし、こんな鹿狩りで怒らせてどうしようというのか。
愚かとしか言いようがなかった。
巫女姫はなぜか身を乗り出して、その行く末を見守っている。
自分は死を望むくせに、人の死は心配なのかもしれないとスシーマは思った。
「我ら、タキシラ遠征を前に士気が高まり、狩場中の鹿を全部狩りとってしまいました。
お詫びに我らが仕留めた鹿を父上に献上致します!」
へ理屈をこねて、父王への敵意をむき出しにしている。
しかし弟王子にも強みがあった。
自分を今、手打ちにしてしまったら、タキシラの討伐に向かう別の者を探さねばならない。
正直、弟アショーカほどの適任はいなかった。
軍神といわれるほどの戦上手で、十八にしてすでに幾つもの反乱を鎮めている。
初陣より、いまだ負け知らずだった。
失脚させるならタキシラの反乱を鎮めてから、或いはタキシラで戦死してくれるのが父王としては理想だった。
「王のため、国のため、命を捨てる覚悟ゆえ、士気が高まり過ぎたのでございます」
そんな風に言われては父王も無下に罰する事も出来ない。
(ほう……)
スシーマは感心したように弟王子の政治手腕を見守った。
「みなの者、よく聞けい!!
我らこれより私兵を投じ、必ずやタキシラの地を鎮圧し、王子の中で最初の太守となる事を誓おうぞ!!」
いつの間にか大勢の民を味方につけ、討伐の後タキシラ太守になるのが当然であるかのように事を運んでしまった。
「わが偉大なるビンドゥサーラ王よ、栄えあれ!!」
「おおおお!!!」
民衆は煽られて、雄叫びを上げている。
(不思議な男だ……)
スシーマは崖っぷちに立ちながら、いつの間にか欲しい物をしっかり手に入れてしまうこの弟王子にいつも驚かされる。
綱渡りのような生き様なのに、必ず生き残る。
そして自分の足場を無理矢理奪い取って固めていく。
真面目で堅実なスシーマとは対極の生き様だった。
それはスシーマから見ると、とても愚かで……。
そして……羨ましかった。
すっかり民衆を味方につけた弟王子の勝利だ。
凡庸な父王に勝ち目などない。
「ふっ」
とスシーマはおかしくなった。
弟王子は非常にやっかいな政敵だった。
皇太子の座も争ったし、民衆の人気も二分している。
だがマガダの国にとって、ヒンドゥにとって役に立つ男でもある。
父王と違い、自分は失脚させようと思った事はない。
本心は自分の右腕にしたい。
やっかいな敵は、非常に優秀な味方にもなる。
「なかなかの策士だな」
(あの男、欲しいな……)とスシーマは思った。
しかし、その思いは直後に覆される事になった。
次話タイトルは「私が決めたのだ。もう拒む事は出来ぬ」です。
次話完結です。




