第11話 死んでくれて良かった
ユリは一体何が起こったのか分からなかった。
天幕の中でシェイハンの姫と話をしていた。
狩りの儀式の話だ。
ビンドゥサーラ王が好む残酷な儀式だった。
見ない方がいいと忠告したのに……。
なぜか巫女姫はそれを聞いて天幕を飛び出してしまった。
呆れた事にヴェールもきちんとつけずに大衆の中に飛び込んでいったのだ。
(これで正妃の話は完全に無くなったわね。バカな人)
ユリは危うく最大のライバルになりそうな女が、自ら墓穴を掘った事に安堵した。
ヒンドゥの貴族の男は妻の素顔を他の男に見られるのを、まるで妻の裸を見られたように嫌う。
王族なら尚更だ。
他の男の目に触れたと知られただけで女の価値が下がる。
ましてこの狩り場の大衆の中で素顔を晒したとなれば、まずまともな男の妻にはなれまい。
「ユリ様、先程の女が何やら外で騒ぎを起しているようですわ」
侍女の知らせに、あわててヴェールをつけて天幕の外に出た。
そして人ごみを開かせて騒ぎの中心を見ると、驚いた事に不可触民をかばって王に暴言を吐いていた。
まともな男の妻どころか、もう生きて今日の終わりを見る事も出来ないだろう。
(なんてバカな人なの)
ユリは不幸過ぎる女が気の毒になった。
今となっては、確かに美しかったと認めてあげよう。
この後の惨状を想像すれば、それぐらいの称賛を与えてあげてもいいだろう。
とても美しいが、愚かで不幸な女だったと……。
王が弓を引いて矢を放った。
「きゃっ!!」
さすがにさっきまで一緒に話しをしていた女が殺される場面には目を背けた。
「ユリ様が見るには、あまりに残酷な見世物ですわ。
天幕に戻りましょう」
侍女は心配してユリの視界を防いでくれた。
「どうなったの? 死んでしまったの?」
「いえ、当たらなかったようですわ。あっ! またっ!」
どうやら王が何度も矢を放っているらしい。
そのたび観衆が悲鳴を上げ、ほうっと安堵の息をもらす。
「不思議に矢がそれておりますわ。悪運の強い女ですこと」
ユリはほっとして指の隙間からシェイハンの女を見た。
そしてその神々しいまでの美しさに息を呑んだ。
真っ直ぐ王を睨みつける女の、戦神のような威厳。
そうしてためらいなく王に呪いの言葉を吐いた。
愚かでバカな行いなのに、なんて美しく生きる人なのかと僅かに羨望が浮かんだ。
「望み通り殺してやろう!」
しかし怒り狂った王は、剣を抜いて女に向かっている。
女は目を閉じ、静かに死を待っていた。
ユリは(良かった)と思った。
死んでくれて良かった。
生きていれば、きっと自分はこの女に敵わない。
この女が生き続ける限り、自分は敗北感を味わい続けるだろう。
そんな予感がよぎった。
だから息の根が止まる所を見届けたかった。
しかしユリの目に飛び込んできたのは思いがけない光景だった。
(スシーマ様?)
シェイハンの女に向かって突き進む王を追いかけ、その振り下ろした剣を受け止めた。
(なぜ?!!)
ユリだけではない、観衆すべてがそう思った。
王と剣を重ねてしまったら無事では済まない。
たとえ皇太子であろうと失脚は免れない。
(どうしてそんな事を!!)
正妃選びに集まった姫君すべてが、皇太子の乱行にショックを受けた。
前途有望な皇太子から、王に刃を向けた反逆者に転落したのだ。
もうあの皇太子に未来はない。
誰もがそう確信した。
(なぜスシーマ様が、あの女のために?)
ユリは目の前で起こっている事が信じられなかった。
スシーマは幼い頃から帝王教育を受けている。
理想の国を創るためならば、何を犠牲にする事も厭わない。
まして女ごときのために自分の立場を危うくするなんて、考えられない。
スシーマにとって女とは世継ぎを産むための道具でしかない。
それは充分に分かっていた。
それでもユリは構わないと思っていた。
それでもスシーマの妻になりたかったのだ。
それなのに……。
あの姫のためなら、すべてを捨ててしまえるというのか……。
いや、そんなはずはない。
きっと何か理由があるはずだ。
「今この者を殺してしまえば、この者の思うつぼです」
スシーマの言葉に(ああ、やはり……)と溜飲を下げた。
理由を聞けば、重臣も観衆もすぐに納得した。
そうだ。すべては父王のため。
父王を呪いに落とさないために、仕方なく暴挙に出たのだ。
ユリは事態が丸く収まりかけた事に安堵の息を漏らした。
しかし、次のスシーマの言葉に再び驚愕した。
「この者を私の妻に迎えましょう」
「なっっ!!!」
聞き間違いだと思った。
他の姫達も、重臣達もそう思った。
しかし聞き間違いではなかった。
「万が一にも呪いが成就しないよう、妃として私のそばに置き、必ずや呪いの言葉を解かせましょう」
衝撃が身を凍らせる。
嘘だと心が叫ぶ。
ガクガクと足が震え、体を支えていられない。
「ユリ様っ!!」
くずれ落ちるユリの体を侍女が二人がかりで支える。
ユリはそのまま気を失った。
次話タイトルは「簡単に手に入るから興味がなかったのかもしれぬ」です。