そしてまた『はるぶすと』
最後の日、帰りはパリへ飛ぶという樫村さんは、フライトスケジュールの関係上、ずいぶん早い時間に京都駅を出る電車に乗ることになっていた。
だからあとの3人は、樫村さんを駅で見送ったあと、またホテルに帰ってゆっくり朝ごはんを食べて。そのあと冬里は仕事へでかけ、私は夏樹と最後の京都観光をするつもりだったのだけど。
とりあえずお見送りがあるので、私は眠い目をこすり、なんとか起きて用意をはじめる。
冬里はというと、先に起きて「シャワー浴びるね~」などと軽く言いながら、バスルームへ入って行っていた。
そこへコンコン、とノックの音がして「どうぞ」と答えると、夏樹が入って来た。
なんだか硬い表情をしている。わたしは反対に緊張のカケラもなく、ふわぁ~と大あくびをしながら、「どうしたの夏樹。まだ時間はあるわよ」などと冷たいことを言う。
すると夏樹が、最敬礼をして言い出した。
「由利香さん、お願いがあるんです! 今日、やっぱりハル兄を見送ったあと、早く帰りたいんです! 出来れば店に間に合うように!」
「え?」
私はあくびで伸びをした姿勢のまま、固まって言った。
「どういうこと?」
と聞くと、夏樹はガバッと起き上がって、私の肩をつかんで揺さぶりながら必死に言う。
「やっぱり店が気になるんすよー。シュウさんの事を信頼してないんじゃなくて、俺が早く帰りたいんですー!」
私は返事をしたいのだけど、必死の夏樹がユサユサする手を離してくれないものだから、ただ、アワアワしてるだけ。
すると、カチャッとバスルームの扉が開いて、腰にバスタオルを巻いただけの冬里が出て来ると、可笑しそうに笑いながら言う。
「夏樹ー。それじゃあ由利香がしゃべれないよ」
「あ」
ようやく今の状況を理解した夏樹は、慌てて手を離し、また最敬礼した。
「お願いします!」
私はふうーっと息をついて、ちょっとホッとしたあと、
「わかったわよ。夏樹が料理命なのは十分知ってるし。料亭のお料理食べて、刺激受けたんでしょ」
と、ペロッと舌を出して冬里に向かってウインクする、はずだったんだけど…。
「由利香さん?」
夏樹が顔を上げると、冬里の上半身を目ハートにして見ている私がいた。
「冬里~! あんた何でそんなに均整とれた綺麗なボディしてるの~!」
「え?」
「へ?」
「あんたってものすごく着やせするタイプだったの?! じゃあ! もしかして鞍馬くんも夏樹も同じ? なんで今まで隠してたのよー!」
すると夏樹がいぶかしそうな目で私を見ながら、
「もしかして由利香さん、筋肉大好き?」
とか言い出すので、私はキッパリ否定した。
「違うわよ。南大門のお仁王様は彫刻だからいいけど、現実ではあまりにも筋骨隆々はダメ! 均整の取れたバランスのいいのが好きなの!」
夏樹は「はあ?」とかあきれていたが、ただ冬里は、自分の着替えを持ってまたバスルームへと戻りながら、楽しそうに言った。
「ふうん。じゃあ、由利香はもう僕にメロメロって事だね。九条に言っておくよ」
あ、しまった。
パタンと閉じたバスルームの扉に向かって、ちょっと焦って言う。
「ダメダメダメ。それとこれとは話が違う! ほら、夏樹も言ってやって、早く帰れなくなるわよ」
「え? わかりました!」
と、それからまた2人、命がけ? で冬里を説得したのだった。
そのあとは、怒濤のスピードで荷造りをして、ホテルの朝食もキャンセル、驚くフロントの人を尻目にそのままチェックアウトして、駅へ向かう。
特急のホームまで降りていき、三者三様、樫村さんにお礼としばしのお別れをした。
「ありがとうございました。空港まで行けなくてすんません。また連絡下さいよ、ハル兄」
「ありがとうハル。新生『はるぶすと』にもぜひ遊びに来てよ。んーと、お忍びでいいからね」
樫村さんは2人と「ああ、またな」と、がっちり握手する。
私も「ありがとうございました」と言ってしっかりと握手してもらう。樫村さんの手は、とっても大きくて、とても暖かかった。
「ああ、由利香も俺が引退する前に、両親に会いにロンドンへ来いよ」
「あー、はい」
忙しいのを理由にあんまり両親に連絡も入れないから、ちょっと痛いところを突かれたと、苦笑いでごまかす。
樫村さんが乗り込んで座席に着いたところで、列車はするすると出発した。
しばらく去って行った電車のあとを見つめていると、冬里が言い出した。
「じゃあ、僕ももう行こうかな。九条が、報告を首を長くして待ってそうだからね」
と、いたずらっぽい笑みを見せる。私はチョイとその腕をつつきながら言う。
「もうホントに、くれぐれもよろしくお願いしますよ、冬里さま」
「はいはい」
「それから、ありがとう、冬里。お陰でとっても楽しかったわ」
「ああ、僕もね」
すると、ちょっと感傷的になってたのかしら。ずーっと電車が消えたあとを見送っていた夏樹が、気持ちを切り替えたように言う。
「よし! …じゃあ冬里。帰ったら向こうで冬里が来るの、待ってますよ」
「うん。それまで腕を磨いておいてね」
「もちろんっす!」
握りこぶしを突き出す夏樹。それに冬里がコツンと自分のグーをあててから、
「早く行ったほうがいいんじゃない?」
と、時計を指し示すので、夏樹が嬉しそうに頷いた。
新幹線改札と、出口に向かう改札。そこで私たちはあっちとこっちに別れて。
「さあーて、じゃあ早く行きましょう。今から一番早く乗れる新幹線は何時かな~」
夏樹はもう帰宅モード全開だ。
そのあとは、夏樹にせっつかれながら小走りで改札へ行って、切符を早い時間のものと交換し、発車3分前にホームへと駆け上がったのだった。
新幹線の駅から、在来線に向かう途中も、夏樹が私の荷物をひったくるように持って、急ぎ足で言う。
「由利香さん、俺が荷物持ちますから、由利香さんはついてきて下さい」
「はーい」
本当は思い切り走りたいのだろうけど、私がいるから我慢してるんだろう。それがわかるから、いつものように愚痴も言わずに夏樹について行く。
電車が★駅に着いたとたん、「タクシー拾いますから、待ってて下さい!」と改札に走り出した夏樹が、急に歩みを止めた。
肩越しに、微笑みながらこちらを見ている鞍馬くんの姿が見えた。
ふふ、夏樹、びっくりしてるわよね。
「シュウさん…」
「お帰り、夏樹。由利香さんも、お帰りなさい」
「シュウさん、なんで?」
私は夏樹を追い越して改札を通り抜け、ちょっとふざけ気味に言う。
「夏樹があんまり一生懸命だから、会いたかった人に迎えに来てもらいましたー」
すると鞍馬くんは、「由利香さん…」と、ため息をひとつついて夏樹に話しかける。
「由利香さんに連絡をもらって、迎えに来たんだよ」
そう言って、焦る夏樹を落ち着かせるように、穏やかな口調で言う鞍馬くん。
「大丈夫。まだ店のオープンまで時間もあるし、なにより今日は日替わりランチ限定20食だから、夏樹がいれば余裕だよ」
「シュウさん…」
「店の事をずいぶん心配してくれたんだね、ありがとう。じゃあ、店までは歩いて帰ろうか」
そして私に向き直り、手を差し出しながら言う。
「由利香さん、荷物お持ちします」
「はい」
私はお姫様のごとく、優雅に鞍馬くんに荷物を渡して一緒に歩き出す。
改札を抜けるのも忘れて、ほけっとしていた夏樹は、慌てて改札口を出ると、
「待って下さいよー。シュウさん、由利香さーん」
と言いながら、本当に嬉しそうに私たちに合流したのだった。
さて!
色んな事があるけれど、今日も『はるぶすと』は、通常通り?いえいえ。
本日は日替わりランチ限定20食で、営業しております。




