別れと出会い (1)
「それでは、皆、元気でな」
馬車の中から、リュシルが兵士たちに呼びかける。
「はい! 隊長も、お元気で!」
「クラマ、隊長のこと絶対に守り抜くんだぞ」
「何があってもだ!」
兵士たちは、涙をこらえつつ口々に叫んでいる。リュシルはそんな彼らに、きれいな敬礼をひとつ見せて、馬車を出すよう御者に伝えた。
兵士たちも真顔で敬礼を返し、馬車が見えなくなるまで見送っていた。
あれから程なくして、リュシルとシュウは領土をあとにした。
リュシルの策略?に乗せられた兵士たちは、事あるごとにシュウをからかいに来て、もっと隊長とラヴラヴしろだの、部屋へ通わないのか?だの、挙げ句の果ては不意打ちでkissをしてみせろだの……。
ため息の出る毎日だったので、馬車が街を離れると、
「一緒に過ごした人たちと離れるのが、こんなに嬉しいなどという状況は、もうこりごりです」
と、シュウがほうーっと、ここ数日でもっとも大きなため息をついて言った。
リュシルは、はは、と笑いながら、済まなさそうに言う。
「悪かったな。しかしお前も少しは乗ってくれるかと思ったんだが、最後までかたくなな対応だったな。まったく石頭なヤツだ」
「あたりまえです」
即答するシュウに、リュシルは苦笑する。
「ところで、これからどこへ向かうのですか?」
「ああ、その昔、住んでいたところだ」
「え?」
「もう40年ほど前になるかな?」
「でも、それでは…」
シュウはリュシルの外見のことを言っているのだ。千年人は現れてから消えるまで、その外見が変わらない。40年も経って少しも変わらない人間が現れたら、きっと大騒ぎだろう。
「心配するな。私のことを知っている者は、そこには一人しかいない。しかもそいつは」
「千年人なのですか?」
「いや、私が千年人であることを知っている、百年人だ」
リュシルは遠くを見つめるような仕草をして、「もう、じいさんになっているだろうな」と、少し感傷的に言う。そして、驚くように見つめるシュウに聞いた。
「クラマ。お前には自分のことを話した百年人はいるか?」
「いいえ」
「そうか。けど、ひとりくらいはそういうヤツを作れよ。いや、そのうち出来るだろうが」
「…」
馬車をいくつか乗り継いで、着いたのは貴族が住んでいるのであろう広大な屋敷。
そこで出迎えてくれたのが、リュシルの正体?を唯一知っているという元執事だった。
もうすでに引退していたが、昔なじみに頼まれて、リュシルがいる間だけ、一時的に執事をすると家族には説明してここへ来ているのだ。
「おかえりなさいませ」
「ああ、久しぶりだな。ランス」
「はい、いつまでもお変わりなく。大変嬉しゅうございます」
「お前も思ったよりじいさんではないな、安心した」
「また、ご冗談を」
明るい口調で話しているが、その老執事は目に涙を浮かべている。ランスと呼ばれた執事は、あとから降りてきたシュウにも、丁寧に挨拶を述べる。
「ようこそお越し下さいました。歓迎いたします」
「ありがとうございます。私は」
「シュウ・クラマさまですな、リュシルさまより伺っております」
いつの間に連絡を取ったのだろう。早馬の手紙を出したのだろうか。
それならば、シュウの事も話してしまったのだろうかと不安になったが、どうやらその心配はなかったらしい。シュウのことは、ランスと同じく、リュシルの正体を知っている百年人だと言ってあるようだった。
用意された部屋へ行く間、誰ともすれ違わなかった。
広い廊下にリュシルの肖像画がかかげられ、リュシルが可笑しそうに「私のひいひいひい…とにかくおばあさま、だそうだ」と言っていた。もちろん本人のものだろう。
「それにしても…」
「? なんだ」
「ここにはどなたも住んでおられないのですか?」
「ああ、ここは別館なんだ。本館は少し離れたところにあって、ここの持ち主一家はそちらに住んでいる。もともとここは私の先祖のおばあさま、ふふ、もちろん私だが、が住んでいて、その人が行方不明になってからも、なぜか衰えることのない財力で、いつでも子孫が帰ってこられるように整えられている」
「そうでしたか」
リュシルは微笑みながらシュウを滞在中に使う部屋へと案内した。
「千年生きてきた中で、ここでの暮らしが一番私の性に合っていた。だから、最後を迎えるのはここがいいと、漠然と決めていた」
「…」
「そのためには、ランスに私の事を受け入れてもらわねばならなかったのだが…。あいつは思うよりたやすく私の正体を受け入れてくれたんだ。お、お前の部屋だ。私の部屋はもうひとつ向こうのドアだ。荷物を置いて落ち着いたら来い。話の続きはアフタヌーンティを楽しみながらにしよう」
「わかりました」
荷物をほどいて簡単に片付けると、ゆったりした服に着替えて、シュウはリュシルの部屋へ向かった。ノックの返事を聞いて中に入ると、ランスがお茶の用意をしている。
いつもは自分がその役目をこなしているので、他人にお茶を入れてもらうのは久しぶりだ。けれどこういうシチュエーションもなかなか良いものだと、シュウはカップを受け取りながらランスに微笑みかけた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ランスは有能な執事のようだ。紅茶が驚くほど美味しい。
リュシルもゆったりと紅茶を楽しみながら言う。
「やはりここは落ち着くな。紅茶の味も変わりない」
そんなリュシルをいとおしそうに見つめながら、ランスは本当に嬉しそうだ。
「それにしても」
「?」
「本当に千年人と言うのは、お姿が変わらないのですな。そうやってリュシルさまがそこに座っておられると、あの頃に時間が巻き戻ったようです」
「お前は変わったヤツだったな、最初から。この屋敷が気に入っていた私は、かなり時間が経ってから、もう私を知っている者などいなくなっただろうと、安心して帰って来たんだ。そうしたら」
そこでリュシルはいったん話を切って、昔に思いをはせるように言う。
「廊下に引き延ばされた自分がいたんだ、本当に驚いたよ。あの絵はたしかかなり小さかったはずなのにと思ってな」
そして意味深にランスの方を見る。ランスは少し照れたように話し出す。
「お屋敷の倉庫整理をしていたときに、偶然あの絵の原画を見つけて、私は一目でそこに描かれた人に恋をしてしまったのです。絵の中の彼女は、かなり前に行方不明になった、こちらの当主だとお聞きしました。けれど、一介の執事が大切な絵を頂くわけには参りませんでしたので、頼み込んで大きく書き直してもらい、あそこに飾らせていただいたのです」
リュシルはどうだ? と言うようにシュウに目配せする。シュウは曖昧に笑ってみせる。
「そして…。 運命の日がやってきました」
「おいおい、そんな大げさなもんじゃないだろう?」
「いいえ、私にとっては忘れられない日です。あの日、お屋敷の玄関でリュシルさまを見たとき、私は願いが叶って、あの方が絵から抜け出て来てくれたのだと思いましたから」
「…ははは」
リュシルは乾いたような笑いをしているが、その表情はむしろ照れているようだ。
「ですから、リュシルさまが千年人だと知ったときも、私はむしろ嬉しかったのです。あの絵の方が、ずっとその美しさを保っていられるのなら、千年人だろうが女神だろうが、全然かまいません」
「おいおい、ちょっと怖いぞ、ランス」
リュシルは熱に浮かされたように話すランスを少したしなめる。ランスははっと我に返るように顔を赤らめて頭を下げた。
「申し訳ありません、少しはしゃぎすぎましたな」
「本当に、だ」
今度はランスが照れたような顔をして笑っていたが、「そういえば」と、思い出したようにリュシルに聞く。
「シェフは必要がないとお聞きしていましたので、本当に来てもらっていないのですが、今日の夕食はどうなさるのですか? 食材はたっぷり用意してごさいますが」
「ああ、それでいい」
と、リュシルはシュウを手で示しながら、美しく微笑んでみせた。
「最高の料理人を連れてきたんだからな」




