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店のバックスペースで待つこと三十分弱、到着した警察官に連れられて事情聴取は駅前の派出所で行われることになった。
ガタつくパイプ椅子に性悪女と隣り合わせに並べられて最悪な気分は継続中。でも、こういうのって普通容疑者と被害者を一緒に座らせたりしないものだろう? と怪訝に思ったが理由はすぐにわかった。和成はすでにやんわり犯人扱いされてるし、女のほうにも妙な圧力がかかっている。穏便に、などといえば聞こえはいいが、要するに示談で済ませてしまおうということか。面倒なことは避けたい腹なのだろう。
「多分ねー、この子も魔が差したっていうかー、もう反省もしてることだろうしー、ここは大目に見てあげてもさー……」
パグみたいな潰れたツラした警察官は、作り笑いもブサイクで正直直視するのが辛い。
もちろん、和成はこのまま犯人扱いじゃ腹の虫が収まらないし、女のほうも簡単に折れるとは思えなかったが、ここに来てから一時間以上もこの調子なのはさすがに気が滅入る。『事情聴取』なんて最初の数分お茶を濁す程度だけで、実際は女のほうが折れて首を縦に振るのを待つ単調で緩慢な拷問に近い。
「君からもちゃんと「ごめんなさい」って言ったらどうだい? そうしたらこのお姉さんも許してくれると思うんだけどなー」
「…………」
この論法もこれで三回目だ。やってもいないことを謝る筋合いなんてないし、最初の二回は和成も噛み付いたが、それももう飽きた。その無言を都合良く反省と判断したのか、「ほらね」と説く大人でも守れる治安なのだから、この街の安全は折り紙つきなのだろう。税金泥棒めと本人には聞こえないくらいの声で罵ったときに、入り口の引き戸がカラカラと開く音がした。
「こらぁ、ぼん。お前、何したん?」
背中をどやされて振り向くと、地味めのデザインのくたびれたスーツ姿がのっそりと派出所内に入って来た。『ぼん』などとおかしな呼び名で呼ぶ人物には覚えがあり、顔を上げると目の前にあるのは確かにその顔だった。
「村さんっ!」
男は和成に片手を上げて答えると、勝手知ったる感じで派出所の中をずかずか歩く。ボリボリと掻いた頭は手入れの手間を惜しむように短く刈り込まれ、浅黒く焼けた肌は一日の多くの時間を日差しの下に晒していることを伺わせる。
村田将吾。目元に深く刻まれたシワと、たわしみたいに硬そうな髪に混じる多めの白髪がえらく貫禄だが、年令はまだ三十代そこそこのはずだ。
村田は横を通り過ぎる際に挨拶がてらに和成の頭を叩いていった。次いで聴取中の制服警官を当然のように呼びつけると二言三言耳打ちする。そのまましばらく制服警官と小声で話し合っていたが、ふと和成のほうを振り向くとなにやら目を眇めた。
「なんだぁ、ガキンチョのくせに色気付きおって……大学入ったと思ったらもう痴話か?」
「ちょ、なぁっ!? ちっ、違うよ!」
和成は大きく首を振って否定した。認識の相違っぷりが甚だしい。隣りの女も黙ってはいるが言いたいことはあるらしい雰囲気だ。
「俺、無実だから。完全に誤解で連れてこられて、ちょー迷惑してるの!」
メールで村田を呼び出したのは和成だ。こういうときに知り合いに刑事がいると強い。
村田は神奈川県警に務める現役の警察官だ。彼とは和成が中学生の頃からの知り合い――といっても直接の知り合いではなく家族の内のひとりがそうだったのだが、その頃の和成は見た目の貫禄がハンパないこの男を好きにはなれなかった。ときどき彼が家に来たときは、できるだけ自室に篭ってやり過ごそうとしていたくらいだ。
ただ、色々あって世話になってみると情に厚い性質がわかり、今では抵抗なく付き合っている。十以上年が離れているにもかかわらず村田は和成のことをあからさまに下に見るようなことがないので、和成にとっては頼れる兄貴のような存在だ。
「お前、阿呆かぁ。自分で無実言う奴がぜぇんぶ無実なら、警察も法律もいらんわ。……で?」
小・中・高と学生の頃は引越しが多かったらしく、昔から村田の言葉はあちこちの土地癖がついていて独特な言い回しをする。自分で『村田語』などと吹くくらいだし、きっと標準語に直すつもりなどないのだろう。
「いや、実は……」
説く言葉を探してみるが、意外と一言で説明がつくうまい言葉が見つからない。あれこれ頭の中をまとめているうちに、またしても隣りの迷惑女のほうが先に口を開いた。
「こいつ、ストーカーなんです。私、電車の中で付きまとわれて、写真も撮られた」
「ん、なっ、」
――んだか、身に覚えもない罪が追加されているじゃないですか!
「ち、ちょっと待てよっ! 黙って聞いてりゃ人のこと好き放題ワルモノ扱いしやがって!」
怒鳴るつもりはなかったが、出た声はかなりデカかった。村田が眉を顰めるのを視界の端に捉えたが、和成もここは引くわけにはいかない。
「言っとくけど、付きまとってなんかいねーし、写真も撮ってねー。証拠もないのにデタラメ吹くなよな!」
「嘘。だって私、毎朝乗る車両替えてるのに、気が付くとあなたも大抵同じ車両に乗ってる。シャッターの音も何度も聞いたことある」
「冗談じゃない! それ、かんっっぜんに、濡れ衣だし。大体、こっちだってお前に会わないように、健気に毎朝乗る車両替えてやってんだぞ」
「え? なんでわざわざそんなことするの?」
純度100%の訝しむ顔が和成を覗き込む。その表情が妙に癇に障るが、声を大にして言い返せるほど格好のいい理由でもないので、舌の上の言葉が尻込みする。
「あのな……誰かさんがひとのこと虫以下みたいな目で見るからだろ……」
「は? 別にそんな目で見てないけど」
当然のような顔で全否定。なんなのこの無自覚な悪意は。和成は付きたくもないため息を一つつく。
「大体、どこをどう見たら俺みたいな人畜無害な奴をストーカーだなんて結論に行き着くわけ? その思考、マジでありえないから」
「言い逃れにしては説得力ない」
今度こそ、毅然と反論をしようとしたところを、
「ぼぉーん、お前ぇ……」
低くした声に遮られた。顔を向けると、村田のやけに真剣な目に射抜かれ、和成は慌てて大きく首を横に振る。
「いやいやっ! マジでストーカーとかないから。それに村さん、わかってるでしょ。俺がそういうの絶対ないって……」
村田はしばらく押し黙っていた。品定めるというか、真偽を見透かすというか、そんな印象の瞳で和成を見据えて、やがて小さく息をついた。肩の力と一緒に彼を取り巻いていた緊張感のある気配がフッと緩むのを感じ、和成もいつの間にか胸につかえていた固い息を吐きだした。
「それならそうと言えや。阿呆」
口元がニッと上がったのを見ると、今度は素直に安心できたらしく吐いた息はさっきより大きなため息になった。
村田は表情は変えず目だけを横に動かして女に向けた。
「嬢ちゃん。信じろってぇ言われても、よう信じられるもんでもないだろうけどな。この阿呆は間違ってもそういうことだけはしない阿呆や。俺はコイツんこと、ガキの頃から見てるしな。そのへんだけは信用できるけぇ」
『だけ』というのが激しく気に入らないが、せっかく頂戴している信用はありがたく頂いておく。だが、その言葉だけで女が納得するはずもなく、村田の見せた表情がそれを示していた。浮かべていた笑みは形を崩して苦笑にすり替わり、肩を竦めて一つ嘆息をつく。
「ま、そんなんで納得できるなら警察なんぞいらん、てな」
半ば押しのけるように制服警官に椅子を譲らせると、そこへドッカリと座り込み、おまけに自分だけお茶を要求する図々しさだ。警官が奥に引っ込んだのを認めてから、村田はまず和成と女を交互に見比べた。
「な、嬢ちゃん」
「…………」
村田が今度は体ごと女を正面に向く。女はわずらわしそうにその視線を受け流し、俯いた。
「その阿呆がホンマにストーカーだって証拠は、あるんか?」
言いつつデスクの上に肘を付くと、体勢をだらしなく前のめりにした村田が下から女の顔を覗きこもうとした。女は一瞬不快そうに眉を歪め、上からの目線でじっと村田を睨めつける。何かを言ってやろうと蠢かした唇が、しかし結局は一音も発せず中途半端に閉じられたのを和成は見た。
「…………ストーカーじゃないって証拠も、ないでしょ……」
「ま、な。確かに」
仕切り直しに口から出た言葉は、歯切れが悪い。だから一言でいなされる。村田はパッと上体を引き起こすと、さも女の言うことが当然だと言わんばかりに大きく頷いてみせた。ただ、それで言いくるめられたわけではないのは浮かべている笑みの質で明らかだった。
「なら、こうしよか」
村田が唐突に打った手のひらが乾いた音を鳴らす。やけに澄んで響いた音が取って付けた感を存分に滲ませる。隣りで女があからさまに疑わしげな顔をした。多分、和成自身も同じような顔を村田に向けている。二対の胡乱な目にさらされても、しかし向かいの顔はどこ吹く風だ。
「期限は七日。その間に嬢ちゃんはこの阿呆が犯人だって証拠を上げる。で、ぼんは自分の無実の証拠を上げる。ルール上は期限を過ぎたら証拠不十分扱いやて、ぼんの有利や。だけん、嬢ちゃんには証拠の捏造も自白の強要も有り有りの特別ルールでハンディ無し。で、最終的には俺を納得させたほうの勝ち。……どや?」
言葉通りのどや顔を向けられても、和成はとっさに返す言葉なんて見つからなかった。それはきっと女のほうも一緒だ。
「なぁ、どや?」
もう一度念押ししてくる村田の顔がまんざらでもなさそうなのが、痛い。