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「あー、俺、喉渇いた。なんか飲んでいい?」
マイペース保仁が人の返答を待つでもなくさっさと手を上げて店員を呼んだ。
「じゃあ、俺はヤケ食いしよ。ヤケチョコケーキ」
享がガバっと起き上がった。コイツは根が単純だから切り替えもやたら速い。両手を上げて「おねーさん、おねぇさんの店員さーん」と大声で呼んだ。
ちょっと離れたところで「はーい」と女の声がして、パタパタ小走りに寄ってくる足音が聞こえた。議題に関しては一旦放置、いつものパターンだと和成が案を出すまでグダグダと時間を潰すことになるが、それならせめて冷たいコーヒーくらいは欲しい。
「お待たせしました。ご注文ですか?」
ややハスキーな声で店員は言った。
「俺、コーラ下さーい」
「俺はチョコケーキぃ。あと、ミルクティーね」
二人は自分達の注文だけ済まし、さっさと畳もうとする。友達甲斐のなさは今に始まったことではないので、「あ、俺も、」と自分で店員を呼び止め、顔を上げた。
上目遣いに見上げる格好で店員の女と目を合わせる。と、急に向こうが目を大きく見開いた。
怪訝に思って瞬き三回。そして、合点がいったら瞬き六回。
「あ、あぁっ!」
「あーっ!」
打ち合わせなしで見事にハモっても全然嬉しくない。「えっ、ナニ?」と問い掛けてくる享は無視。というより、そっちを答えている場合じゃない。
艶のある長い黒髪を髪留めでアップにし、高校生からオバサンまでそつなく詰め込む無難極まりないデザインの制服に身を包んでいるせいで雰囲気はあのときとちょっと違ったが、剣のある目元でわかった。
東海道本線で会ったあのかわいい系の美人だ。
「あんた、あのときの……」
向こうもこちらを正しく認識したらしく、すぐさま臨戦態勢あの日と同じく眉間にギュッと皺を寄せた。おいおい、それって客に対してはどうなのよ。
ただ、ここですかさずやり合えるほど和成もタフではない。あの日の傷はまだ治りが浅いし、もとを正せばエロい目線で美脚に食いついていた自分のほうにも後ろめたさがある。ここはさくっとオーダーだけして、あとは知らんぷりを決め込もうと、
「じゃあ、俺はアイスコー……」
「ちょっと! いい加減にしてよ、警察呼ぶわよ!!」
言い切る前に大音声で被せられた。
「えっ?」とは自分の口から出た言葉かと思ったが違った。向かいで顔色を変えた享だった。
白昼のカフェ、たかだか二回会ったきりの相手からただアイスコーヒーを注文しただけなのに通報騒ぎ。この急展開な扱いはなんだ。おまけに周囲に座るオバサマ連中の好奇の目が超ウザい。あんたらの期待する昼ドラ成分なんか一切ない。
「カズ、お前、なにしたの? ていうか、そんな度胸あったっけ?」
保仁のセリフは全然フォローになってないし、享にいたってはあからさまに人の不幸を喜ぶニヤニヤ顔。お前らは本気で友達甲斐がないなと内心で舌打ちしつつ、しかしこのまま言われっぱなしというのもいい気がしない。
「なぁ、客に対してそれはないでしょ。俺、ただ注文しただけじゃん」
ひくっ、と口元がこわばったのが見えた。今度はすかさずツッコむ。
「そういう顔するのもどうなのよ? アナタ、店員。俺、オキャクサマ。立場わかってないでしょ?」
「……うるさい、変態のくせに」
カッチーンときた。言うに事欠いて、変態とか!
「お前なぁ、ちょっとカワイイからって調子にのってんじゃねーぞ! 責任者呼べよ、責任者ッ。文句言ってやる!」
和成の剣幕のせいか呼び立てるまでもなく責任者風の男性店員が駆け寄ってきたので、気分を滅多に使わない戦闘モードにカチッと切り替え、睨めつけた。
「ちょっと、ハルちゃん、何やってんの!? ……お客様、うちのスタッフが何かご迷惑を?」
ご迷惑も何もおたくの店員どうなってんの? と口火を切ってやろうとしたら先を越された。
「店長、こいつストーカーなんです。警察呼んで」
その一言で場の空気は一瞬凍った。
「ええっ!?」と驚きの声は今度こそ自分の口が言ったのだと思ったら、店長と呼ばれた男が大口開けたすごい顔で仰天していたので多分こっちに取られたのだろう。
コイツなんなの? ナニ言ってんの?
「マジでっ!?」
「うっわぁー、とうとうやったかー」
享と保仁からは半分冗談の白い目を向けられた。こういう時こその友人が揃って擁護にまわらずで笑いを取りにくるのは、自分の日頃の行いを反省するべきか。ともかく、このまま言いたい放題に言わせてたら本気で社会的に死ぬ。
和成は立ち上がって詰め寄ろうとしたが、それは店長の男がすかさず止めに入って椅子に押し戻された。「まぁまぁ」なんて笑って言ってはいるが、すでに扱いが怪しい人物なのがムカつく。
「ふざけんなよ! 誰がお前のことなんかストーカーするか。妄想入ってんじゃねーの!?」
「嘘。だって電車の中で、いつもチラチラ私のこと見てる」
「はぁ? それってたった一回だろ。勝手に話、作んな」
言ってから、一回分はチラ見肯定したのに気付いてやや気不味い気分。だが、いまさら出た言葉は引っ込められないし、濡れ衣を晴らすためには致し方ない。
口元をきっちり真一文字に引き結んだ顔は到底人の話を素直に訊くようには見えないので、もうちょっと丸め込めそうなほうに的を絞る。
「ねえ、こんなヤツの話、真に受けないほうがいいよ。全部嘘だから。『あたしってカワイイからみんなが注目するの』なんて思い上がってるんだよ、きっと。これ病気だね、病気。自意識過剰病」
和成はちょっと大げさに肩をすくめ、苦笑いで被害者の面を作った。これだけ思い込みの激しい女なら普段から相当周りを振り回しているのだろうし、その振り回されている筆頭は多分この店長風の男はず。ちょっと突っつけば思い当たる節なんて掃いて捨てるほどに違いないので、ここは同情を引く作戦に出てみる。
「こっちは勝手な思い込みで疑われて迷惑してるんだよね。店長さんも客に難癖付けるような勘違い店員抱えて大変じゃない?」
すると、店長の表情が明らかに渋苦い顔になった。どうやら数ある思いある節のどれかにクリーンヒットしたらしい。ざまあみろだ。これであともうひと押しでもしてやれば形勢は逆転、悪者は向こうだ。
ところが。
「言っときますけど、こいつ、バカだけどそういうことする奴じゃないですよ。俺が保証します」
完全に油断していたところに一足遅い援護射撃が飛んできて、――なぜか誤射された。
「でも、彼女さんもこいつが本当にストーカーじゃないかハッキリさせといたほうが安心でしょ。だったら警察呼んでさ、サクぅーっと無実証明してもらったらいいんじゃね? そのほうがカズも後腐れもねーだろうし」
だろ? と保仁は何気ない顔で。
なにが『だろ?』、だ! 和成にしてみたらたまったもんじゃない。なんなんだ、このリーチ直後の捨て牌で振り込んじゃったみたいなイタい感じは。
おまけに店長の男も妙に納得の顔で大きく頷いている。
「ちょっ、ええっ!? 保仁、待てって。俺は別に後腐れとかそういうのはどうでもよくて……」
慌てて取り繕うとした和成の両側から、享と保仁の二人がガッと肩を組んできて耳打ちした。
「バーカ。こんなカワイイ子に誤解されっぱなしなんて勿体無いだろう?」
「そうそう。こういうのは巷じゃフラグっつーんだぜ。ここでちゃーんと解決しとけばルート突入でしょ」
つないどける美人はつないどかないと。うまくいったらもちろんこっちにも友達斡旋よろしくー。などとお前らの余計なお世話は下心の含みアリか。というより絶対そっちがメインだろ。
冗談じゃないぞ、誰がこんなカンチガイ女と。
「あのぉ、」
「はっ? なに! なんすかっ!? 俺達、今超絶取り込み中なんですけど!」
話の腰を折られて返しが思いっきり不機嫌になった。しかし、すっと顔を寄せてきた店長は周囲に配慮したいくぶん小さな声で、
「申し訳ありませんが、ちょっと奥まで……ご一緒いただけませんか?」
「えっ!?」と狼狽した声は今度こそ自分の口から出ていて、当然のことながら即断お断りしようとしたが、相手の必要以上に慇懃な態度が逆に和成に拒否権がないのを知らしめていた。
「ここだとお客様にとってもご都合が悪いでしょう?」
さり気なく人目が多いのを目線で示されると頷かざるおえない。
最悪だ――悪気なく笑顔で手を振る享と保仁に「てめーら、ぜってー覚えとけよな」と恨み節を投げつける。お前らなんか友人から知り合いに格下げだと吐き捨ててから和成はしぶしぶ立ち上がった。
そして、さっきからずっと蔑むような白い目で見ているこの最悪の元凶女をしっかと睨みつけてやる。
ぱっちりした目はよく見ればびっくりするほど澄んだブラウンだし、肌は思わず触れたい欲望かられるほどツヤツヤで白い。そこにきて桜色のぷるっとした形の良い唇に意志の強そうな形の眉までいちいち和成の好みにドハマりなのが腹立たしくて、ちゃんと心してムカついてないとちょっと油断したスキにカワイイなんて思っちそうになるじゃねーか。なんの恨みでハメてくれたかは知らないが、こっちにゃたった今出来たての恨みがテラ盛りなんだ。せめてその顔で吠え面かかせてやらなきゃ腹の虫が収まらない。
そんなふうに考えていたのが顔に出たのか、女は一瞬さらに表情を険しくしてから目を反らせた。