恐怖と安心
本日。
俺は、女子の服装をして登校したにもかかわらず、誰も疑問に思わないのか、それについて聞く人は一人としていなかった。
ちなみに授業は全て無事終了し、俺は下校している。
まだ日が短く、5時という時間は暗くなるのが早い。
そんな下校道中。俺は、出会ってしまった。朝、連絡された不審者に…
「君、歩くの大変でしょ?
家まで送ってあげるよ。」
「必要ありません。」
キッパリと断ってみせる。けれど、相手はしつこいことに手を掴んできた。
「待てよ。
せっかく誘ってんだから断るんじゃねーよ!」
相手の手に力が込められる。
まずい…
俺は必死に手を振りほどき、咄嗟に相手の顔に拳を当てた。
必然的に相手の体は後ろに倒る。
チャンス…!
そう思い、走って逃げようとした時…途端に目眩が私を襲う。
忘れていた。今日は"あの日"だった…
目眩で朦朧とする意識の中、初めて俺は"不審者"という存在に恐怖した。
背筋に悪寒が走り、気持ち悪い…
何をされるのだろう…?
怖い、怖い…怖い…。
薄れる意識の中、魔の手は私にのびる…。
「誰か、助けて…。」
「今更助けてかよ…馬鹿か?」
…誰も来ない。そう思ったその時、俺の後ろから知っている声が聞こえた。
「…おい。そこで何をしている。」
知っている声ではあったがその声は、怒りをむき出しにしていた。
「はっ…彼氏の登場かよ。」
「彼氏?そんなんじゃねーよ。」
「じゃぁなんだよ!?
部外者が入るんじゃねぇ!!」
沸点の低い不審者は、信悟に殴りかかる。
しかし、それは受け流されお返しと言わんばかりに腹部に膝げりをお見舞してみせる。
相手は痛みのあまり地面に踞った。
信悟は、そんな不審者に容赦なくポケットから取り出したテーピングで拘束し、通報した。
「クソッ!彼氏じゃないならいったいなんだ!?」
「親友。」
不審者の言葉に信悟はそう、あっさりと言い返す。
相手に他に話す気力がないことを確認した後、俺のもとに駆け寄ってくれた。
「優希。大丈夫か?」
その声に、安堵した俺は堪えていた気持ちを信悟にしがみついて爆発させていた。
「…怖かった。殺されるのかと思った…」
震える体をそっと支えてくれる信悟。
俺は…私は…
こんなにも弱々しくなってしまっていた。
◆
警察で事情聴取された後、私は信悟と一緒に帰ることにした。
私の意識が動転しているのを知り、手を繋いでくれる。その手は大きく、温かく…落ち着きを与えてくれた。
「こうしてると、昔の事…思い出すな。」
先に言葉を発したのは信悟。
「…うん。」
あの頃とは、私がまだ男で、からかいを受けていた時の事。
その時も信悟は、私の手を握り、なだめてくれた。
たったそれだけ…
けれど、笑顔で手を握っていてくれる。それだけでも、その時の私にとっては救いだった。
それ以来、私は彼をよく見るようになって、気がつけば両者共にいつの間にか、かけがえのない存在へと変わっていて、親友になっていたのである。
「信悟は、何も変わってないな…。」
「まぁな。」
彼の声を聞くだけで、心臓が跳ねる。
彼の手から伝わる体温が、何故か、私を惑わせた。
他愛ない話を続けている内に、どうやら家に着いたらしい。
私は、彼の手を渋々離しお礼を言う。
「信悟。今日は、ありがとう。…また、明日ね。」
「おう。明日も迎えに行っていいか?」
「…!?
…信悟がいいなら、お願いする。」
彼の言葉に、私は頬を赤く染める。
もしかしたら、彼も顔を赤くしているかもしれない。そう思うと、嬉しく感じた。
けれど、「親友。」
あのとき、彼が言った言葉。
嬉しかったはずなのに、今では、どこか苦しい感じがした。
「わかった。それじゃぁ、また明日。」
手を振り私は信悟を見送り、姿が見えなくなった後、家に戻ると…。
「ただいま。」
「優希!よかった…
怪我とか無い?」
案の定、心配していた姉と母が私を出迎えてくれた。
「…夜御飯、食べる?」
「今日は、いいや。」
「そう。ならお風呂で体を温めてから、寝なさい。」
母は安堵の表情を浮かべる。
二人共、心配していたらしく涙声に近い。
そんな時、姉は言った。
「…今日って、生理じゃなかった?」
「あ…そっか。ならシャワーの方がいいね。」
◆
シャワーを浴びて、浴室から出ると着替えが準備されていたため、私はそれらに着替えた。
そのまま自室に戻り、ベッドに横になっていると…
姉が部屋のドアをノックして、入る。
「優希、入るよ。」
姉はそのまま、ベッドで向かい合うように横になってくれて、抱きしめながら頭を撫でてくれる。
「怖かったよね。
もう大丈夫だから、安心して眠りなさい。」
姉にそう言われて、私は初めて、体が震えていることに気づき…
姉に抱きついて、泣いてしまっていた。
「怖かった…」
「うん。
もう大丈夫だよ。」
「…姉ちゃん。
今日はこのまま、一緒に寝てくれる?」
「うん。いいよ。」
姉の抱きしめる力が少し強まる。
私は姉の胸に顔を埋めて、安心したのか、いつの間にか眠っていた。
◆
今日あった出来事を振り返える。
親友が女になり、そして不審者に襲われそうになっていたところを俺が助けることに成功。
その時に支えた優希の体は、紛れもなく女のそれだと感じた。
朝、胸をあてられたとき膨らみを感じたが、まだ確信できずにいたため、俺は現在動揺を隠せずにいる。
…優希が、女。
今まで女性という存在が苦手で、全く関係を築こうとしなかった俺にとって、衝撃的でありながらも嬉しさの方が大きかった。
何度、優希が女だったらよかったのにと思ったことか…
けれど、そんな事を話せば、俺はきっと嫌われてしまうのだろう。
「明日…どんな顔で会えばいいんだよ。」
ため息まじりに俺は、眠るためにベッドに身を投げた。
◆
朝、目を覚ますと珍しく、姉が私の隣でまだ眠っていた。
きっと、昨日はかなり心配して疲れたのだろう。
しかし、このままでは遅刻しかねない為、姉の体を揺する。
「姉ちゃん。朝だよ~」
「ん…あぁ、優希。
眠れた?」
「…うん。ありがとう。」
目を覚ました姉は、それだけ確認して私の部屋を後にした。
「あっ。優希、タンスの中見ておいて。
サイズは合ってるはずだから。」
戻って来て、何を言うかと思えば…しかしタンスか…。
私はタンスの中を確認してみることに…すると、そこには女物の下着と服が入れられていた。
まぁ、さすがにノーパン&ノーブラで登校するわけにはいかないため、履いてみると…
「どうして、サイズ知ってたんだろ…」
見事にピッタリだった。
私はその下着を着用したまま、制服に着替える。
1日しか経っていないはずなのに、女性としての動きがすっかり身に付いていた為、すぐに着替えを終わし、学校に向かうために玄関の扉を開け放つ。
家の前には信悟が待っていてくれた。
「うぃーっす。優希。昨日は大丈夫だったか?」
「うん。お陰で。」
会話の内容は違うが、いつも通りの信悟が目の前にいてくれる。
変化が無いことを嬉しく思う自分。けれど、変化を望んでいる自分。
一体どうしてしまったのだろう…。
◆
結局、今日もいつも通りの一日だった。
違うと言えば、学校帰りに病院に行くこと。
けれど、そこで私は自らの感情が普通であることを知ることができた。
それは、診察室でのこと…
検査結果を知る為に訪れると、先生は言う。
「…君は、遺伝子的にみても女性に変わっているみたいだ。」
その結果を聞き、私は質問をしてみる。
「あの、私が女性ってことは、もし好きな人がいたとして、それが男性でも普通なんでしょうか…?」
「そうだね。ごく一般的なことなはずだよ。」
そう知らされたのだ。
私の感情は普通。
なら、あとは相手次第ということになる…
家の自室で、私は1人で悩んでいた。
…信悟が好きなのだろうか?
信悟。その名を口にするだけで、体温が上がる気がする。けれど、同時に胸に何かが引っかかっているような感じにもなってしまう。
明日から、どう接すればいいのだろう…
「…もし今の感情を伝えたら、嫌われちゃうかな。」
自分で言った言葉なのに、苦しくなって涙を流していた。