キスしようか
No.3 「キスしようか」
二人は公園のベンチに座っていた。夕日が公園のベンチに座っている二人とその側に止め置かれている自転車に長い影を落としていた。公園の隅に立っている樹木の紅葉が木枯らしに吹かれて、ざわめいた。彼は身震いしながら、紺色のコートの襟を立てた。
「寒いな」
彼女はかじかんだ両手を温めるように、ホット・ミルク・ティーの入ったボトルを握りしめていた。
「うん、もう秋も終わりか……。何だか、あっという間だね」
遥は寒さで赤みが差した鼻をすすった。
「歌、うまくなってたね」
「そうか?」
「そう言えばさ、中学の頃、ギターやってたでしょ。まだ、続けてるの?」
彼は口に煙草をくわえて、ライターで火を点けた。
「いや、大学に行ってからは、あまり」
「そう、学校は楽しい?」
「別に、普通だよ。そんなに楽しいってわけでもないけど、それなりにやってる」
彼が口から吹き出した煙は冷たい風に巻かれて、消えた。
「お前は?」
「うーん、どうだろう」
彼女は手をさすって、白い息をはきかけた。
「何か、大学にいると寂しくなっちゃうことがある」
「寂しい?」
「うん、周りに人がたくさんいるのに、寂しくなっちゃうの」
「なんで?」
「よく、わからないけど、何だか自分の居場所がないなって」
「居場所……ね」
「そんな事、思っちゃう時ってない?」
彼は腕を組んで、考え込んでいた。
「まあ、あるといえば、ある……かな」
「そう、よかった。そんなこと考えてるの、私だけなのかと思ってた」
しばらく、彼女は自分の足元を見下ろして、黙りこんでいたが、ふいに、顔を上げて、彼の顔を覗きこんだ。
「ところで、今、カノジョとかいるの?」
「はあ? 何だよ、いきなり」
「いいでしょ、別に。ねえ、いるの、いないの?」
彼は吸いかけの煙草を砂の混じったアスファルトの上に落とし、スニーカーの裏で踏み潰した。
「いない」
「いないの、本当に?」
「ああ」
「そうか、いないのか。それは、悪いこと聞いちゃったね」
彼女は潰れた吸殻を見下ろしている彼が口を開くのを待っていた。
「ねえ、私には聞いてくれないの? 彼氏いるのかって」
「聞いてどうするんだよ」
「あっ、ひどい」
彼女が泣いているような素振りを見せると、彼は面倒くさそうに頭を掻いた。
「じゃあ、お前はいるのかよ?」
「私はねえ……」
彼女はもったいぶるように間を空け、茶色がかった髪を撫でつけた。
「私は、いた。いたんだけど、この前、別れちゃった」
「別れちゃったって、笑いながら言うことかよ」
「だって、もうけっこう前のことだから」
「フラレたのか?」
彼女の表情が急に曇り、彼は慌てて言葉を付け足した。
「いや、ゴメン。あまり、気にしてないみたいだったから……」
「うん、やっぱり、私がフラレたのかな」
彼女はそう言いながら、街の中に沈もうとしている夕日を見つめていた。
「あのね、さっき、思い出したんだけど……」
「何?」
「私たち、この公園でキスしたことあったよね」
「えっ?」
「あれ、覚えてないの?」
彼はわざとらしく、顔をしかめていた。
「いつ、だっけ?」
「私たちが付き合い始めた頃。ねえ、本当に覚えてないの?」
「いや、覚えてるよ」
「そうでしょ? もう、忘れてたら、顔、引っ叩いてやろうかと思った。私、あれが本気でした初めてのキスだったんだから」
「えっ、マジ?」
彼女は肩をすくめて、頷いた。
「でも、あの頃は楽しかったよね」
「あの頃はって……まだ、そんなに昔の事でもないだろ?」
「うん、でも何だか、すごく昔の事みたい」
烏が街の上に張り巡らされている電線の上で鳴き、秋の終わりを告げる風に乗ってどこかへ飛び去っていった。彼女は夕日を見つめながら言った。
「ねえ、またキスしようか」
「何、言ってんだよ」
「いいでしょ、お互いに独り身なんだしさ。それとも、私とじゃ、もう、イヤ?」
しばらくして、彼はベンチの背にもたれかかっていた体を起こした。
「じゃあ、目、閉じろ」
「えっ、いいの?」
「ああ、早くしろよ」
「ちょ、ちょっと待って、まだ、心の準備が……」
「お前から言い出したんだろ」
彼女は耳を赤くしてうろたえていたが、大きく深呼吸した後に目を閉じた。
「いいよ」
「途中で開けるなよ」
「わかってるってば」
彼はベンチから腰を浮かせて、彼女の側に体を寄せた。そして、少しためらった後に、夕焼け色に染まった彼女の唇に口づけをした。




