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大きすぎます!

玄関で靴を履き終えた俺は、ふと振り返った。

澪がまだ眼鏡をかけていない。

「おい、澪。眼鏡」

「……あ……!」

澪は慌てて玄関の靴箱の上に置いてあった黒縁の伊達眼鏡を手に取った。

でも、手が少し震えていて、うまくかけられない。

「……かけて……あげよっか?」

俺は自然に近づいて、澪の顔を両手で軽く固定した。

「……う、うん……」

澪の頰が、ぽっと赤くなる。

俺は眼鏡のツルに指をかけて、丁寧に耳にかけた。

フレームが少しずれていたので、指先でそっと直す。

「これでいいか?」

「……うん……ありがとう……お兄ちゃん……」

澪は眼鏡越しに俺を見て、くしゃっと笑った。

「眼鏡かけてるとなんか大人っぽくなるな」

「……えへへ……お兄ちゃんに……そう言われると……嬉しい……」

澪は照れくさそうにスカートの裾を指でつまんで、くるりと一回転した。

「じゃあ、行こうか」

「うん!」

俺はドアを開けて、澪の手を引いた。

外の空気は、秋の終わりを思わせる少し冷たい風が混じっていた。

陽射しは柔らかく、近所の住宅街を優しく照らしている。

澪は最初、俺の袖をぎゅっと掴んで歩いていたが、少しずつ足取りが軽くなっていく。

「……外……もう……だいぶ……慣れてきたかも……」

「そっか。よかったな」

「……うん……お兄ちゃんが……いつも一緒にいてくれるから……怖くなくなった……」

澪は俺の手を握り返して、

小さく笑った。

道中、近所の公園の前を通る。

ベンチに座ったおばあさんが、鳩に餌をやっている。

「……あ……あの鳩……昔も……いたかも……」

「十年経ってるからな。子孫かもな」

「……ふふ……子孫……」

澪は楽しそうに、俺の腕に頰を寄せた。

「……お兄ちゃん……今日、ぬいぐるみ……どんなの買えるかな……クマ? それともウサギ?それとも……猫?」

「お前が好きなの選べよ。俺は金出すだけだから」

「……えへへ……お兄ちゃん……優しい……」

俺は照れを隠すように、軽く澪の頭を叩いた。

近所のおもちゃ屋『トイ・ハピネス』は、駅に向かう途中の小さな商店街にある古い店だった。

シャッターが少し錆びていて、看板の色が少し褪せているけど、子供の頃から変わらない場所だ。

店に入ると、懐かしいプラスチックと布の匂いがした。

「……わあ……!」

澪の目が、一瞬で輝いた。

店内は狭いけど、ぬいぐるみコーナーが奥にずらりと並んでいる。

「行ってこい」

「……うん!」

澪は俺の手を離して、小走りでぬいぐるみ売り場に向かった。

俺は少し離れたところで、

ビデオゲームコーナーへ。

今日、ちょうど新作のRPGが発売日だった。

棚に並んだ新作のパッケージを手に取って、カートに入れる。

(……これ、楽しみにしてたんだよな)

俺は少し満足げに、澪の様子を見に行った。

「……お兄ちゃん!」

澪が、でっかいクマのぬいぐるみを抱えて戻ってきた。

――いや、抱えている、というより、

完全に隠れている。

ぬいぐるみの大きさは、澪の身長の半分以上はある。

茶色のふわふわの毛で、大きな黒いビーズの目が、こっちを見ている。

澪の体は、足しか見えない。

「……これ……!この子……!すっごく……かわいいの……!」

声が興奮で上ずっている。

「……でかすぎだろ、それ」

「……でも……この子……私を……守ってくれそう……お兄ちゃんみたい……」

「……」

俺は財布を取り出して、中身を確認した。

新作ゲームの値段と、

このクマの値札。

明らかに、ゲームを諦めないと足りない。

「……はぁ……」

俺はため息をついて、

カートからゲームのパッケージを棚に戻した。

「……お兄ちゃん……?」

「いいよ。これ、買ってやる」

「……え……?でも……お兄ちゃん……ゲーム……楽しみにしてたんじゃ……」

「別に。また来月買えばいいだろ」

俺はレジに向かって歩き出した。

澪はぬいぐるみを抱えたまま、俺の後ろをトコトコついてくる。

「……お兄ちゃん……本当に……いいの……?」

「いいって言ってんだろ」

「……ありがとう……お兄ちゃん……大好き……」

澪の声が、少し震えていた。

レジで支払いを済ませて、袋に入れてもらおうとしたら、店員のおばちゃんが笑った。

「……この子、大きいねぇ。袋に入らないわよ。そのまま持って帰りなさい」

「わかりました」

俺はクマのぬいぐるみを、澪に抱かせたまま店を出た。

帰り道。

澪はずっと、クマを抱きしめて歩いている。

ぬいぐるみの大きさのせいで、時々道の真ん中でフラフラする。

「重くないか?」

「……ううん……この子……あったかくて……もふもふして……気持ちいい……」

「……そうか」

俺は澪の横を歩きながら、ふと笑った。

「……お兄ちゃん……笑った……?」

「別に」

「……えへへ……お兄ちゃんの笑顔……好き……」

澪はぬいぐるみの頭に頰を寄せて、俺を見上げた。

「……お兄ちゃん……今日も……ありがとう……新しいお友達……連れて帰れて……すっごく……幸せ……」

「……ん」

俺は澪の頭を、軽く撫でた。

陽射しが、少し傾き始めていた。

帰り道の住宅街は、夕方の柔らかい光に包まれている。

澪の三つ編みが、風に揺れて、クマのぬいぐるみの毛に絡まる。

俺は、そんな澪の横顔を見ながら、胸の奥が温かくなるのを感じた。

十年分の空白が、少しずつ、こんな日常で埋まっていく。

(……悪くないな)

俺は小さく息を吐いて、

澪の手を握った。

「……お兄ちゃん……?」

「早く帰ろうぜ。腹減った」

「……うん!お兄ちゃんのご飯……楽しみ……!」

澪はぬいぐるみを抱えたまま、俺の手をぎゅっと握り返した。

帰り道は、少し長く感じたけど、それは、とても心地いい長さだった。

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