2話 アダム・フォルスタイン
冒険者ギルドで働きはじめて、もう十年近くになる。
けれど、窓口の椅子に座ったのは生まれてはじめてだった。
いつもはモップや雑巾を片手に、バケツを抱えて床をみがく側。
だが今はどうだ。
きれいな受付嬢たちが並ぶカウンターの外、冒険者たちの席に座っている。
なんだか奇妙な心地だった。
そうだ。
大事なことを言い忘れていた。
俺は冒険者ではない。
魔力がこれっぽっちもないからな。
魔法が使えなくたって、剣が使えなくたって、冒険者登録はできる。
でも、根っこの部分——“魔力”だけは必要なんだそうだ。
いいんだ。
同情はよしてくれよ。
くたびれた清掃用の制服のまま、ぎこちなく腰を下ろす。
そんな俺を見てアナはため息をついていた。
「ったく、なんでそんなに緊張してんの。別に面接じゃないんだから」
「いや……ほら……椅子がやけに高くてな」
俺はひょいと足を浮かせ、ぶらつかせた。
靴底が床につかない。
まるで子どもみたいだ。
それを見て、アナは笑いをこらえている。
アナに一枚の紙を手渡された。
「これが依頼書よ。確認して」
そこには、几帳面な文字でこう書かれていた。
募集内容:S級指定ダンジョン《箱庭》における行方不明者の調査のための支援要員
依頼主:A級冒険者パーティ白翼 代表者 アダム・フォルスタイン
「アダム・フォルスタイン……」
俺はその名前をなぞるように声に出した。
どこかで聞いたことのある響きだ。
「そう。この辺じゃ有名な貴族の坊ちゃんよ。四男? だったかしら」
すかさずアナが答える。
「なんでも五年前に“箱庭”に入ったパーティの生き残りらしいわ」
アナは机の引き出しから、分厚い紙の束を取り出した。
それをペラペラとめくる。
「そのとき仲間を何人も失って、ずっと行方を追ってる。記録によると、これまでも何回か調査に入ってるみたいだけど……うーん、どれも浅い階層止まりね」
「行方を、追ってる?」
俺はたずねた。
「ええ。行方不明者についての調査をしたいんだって。ダンジョンなのに攻略じゃなくて、捜索が目的。珍しいでしょ?」
アナは視線を上げた。
「行方を追ってるっていっても、生きてる可能性はほぼゼロ。まあ、だから、正しくは遺体と遺品の回収かな」
チリン、チリン。
ギルドには似つかわない、可愛らしい鈴の音とともに
扉がひらいた。
振り向くと、入り口に四人の冒険者らしき人が立っている。
アナが小さく手を振ると、
こちらに向かって歩いてくる。
いかにも重そうな鎧をまとった長身の女戦士。
眼鏡をかけた獣人の魔導士。
小柄な僧侶の少女。
そして中央に立っているのは、
深緑色の外套を着た青年。
青年は異質なオーラに身を包んでいる。
素人目でも、それは明らかだ。
そう——
彼が、アダム・フォルスタインだった。
大きな頭巾をかぶっているが
隙間からは、美しい銀髪が見え隠れしている。
この辺りでは、めずらしい髪色だ。
整った顔立ちに、貴族らしい上品な所作。
けれど、目の奥が空っぽで、
光もよどみもない。
幽霊みたいだ。
「おいベン、ぼーっとすんな」
アナが肘で俺の脇腹を小突く。
「呼ばれてるわよ。雑用のバイト、あんたに決定」
「はっ!? 俺が?」
「他に誰がいるの。私がツテで紹介してやったんだから、感謝しなさいよ」
そう言って、アナは俺としっかりと目を合わせた。
「ベン」
「毎日、トイレ掃除ばっかりしてるんだし、たまには外のキレイな空気でも吸ってきなよ」
軽口を叩きながらも、アナの声には少しだけ心配の色が混ざっていた。
それを察して、不甲斐ない気持ちになる。
俺は座ったばかりの椅子から立ち上がり、
いそいそと彼らのもとへ行った。
近づくほどに、空気が違うことに気づく。
彼らの周りだけ、ギルド内の喧騒から切り離されているようだった。
さすがはA級冒険者パーティだ。
「ベンジャミン・クロウだな?」
リーダーのアダムが名前を確認する。
低い声。
静かな威圧。
俺は変に圧倒されてしまった。
「えっと……その……清掃係です」
「汚れた場所を恐れない者は、頼りになる」
思いがけず褒められ、背筋がピンと伸びる。
隣の魔導士が、カバンから書類を取り出し、
めくりながら言った。
「報酬は金貨二十枚。前払いで半額を支払う。危険手当も込みだ」
「に、二十枚!?」
驚きのあまり、大声を出してしまった。
意味もなく口元を押さえる。
周りをキョロキョロと見回す。
「いや、金貨二十枚って」
家が一軒建つ額だ。
俺の借金も、半分は消える。
「その代わり、命の保証はないですけど…」
僧侶の少女が不安そうに俺を見上げた。
「怖くないんですか?」
至極もっともな問いに、俺は苦笑するしかない。
「……借金取りのほうが怖いからな」
そう答えると、アダムだけが静かに笑った。
「ひいい!」
短い悲鳴。
「アダム様が、わ、ワラッテイル……!」
少女は片手に持っていた魔法の杖を、なぜか俺に仕向ける。
ずっと黙っていた女戦士は目を丸く見開いていた。
「え?」
結局、俺は契約書にサインをした。
久しぶりに書いた自分の名前。
黒いインクが白紙ににじんでいた。
「出発は三日後の早朝だ。よろしく頼む」
アダムはそう言って背を向けた。
どこか影のある、寂しい背中だった。
外は雨が降っていた。
確かに朝から曇り空だった。
雨粒のひとつひとつが、勢いよく、
地面をつらぬこうと、必死に働いている。
だが、ことごとく失敗している。
びしゃびしゃという激しい雨音が悲鳴にも聞こえる。
そのくせ、しんとしているのだ。
外は冷たい。
俺は雨が好きだ。
そんなふうに、ぼうっと窓の外を眺めていると
アナが俺のもとへ歩いてきて、書類の控えを差し出した。
「ほんとに行くの?」
「……行くさ」
「後悔するかもよ」
「どうだっていいよ」
アナはしばらく黙っていたが、唐突にこう言った。
「じゃあ、無事に帰ってきたらご褒美あげる」
「……本当か?」
「うん」
頷いて、アナは胸元のボタンをひとつ外した。
俺はつい指先を目で追ってしまう。
それを見て、アナは満足げにニヤリと笑う。
「……トイレ掃除、一週間免除!!!」
「っけ、なんだよ」
俺はアナの外されたボタンを睨みつけた。
「なんだよってなによ」
「いやー俺、トイレ掃除大好きだからさー。悲しいなー」
そう声に出すと、なんだか馬鹿みたいで、肩の力が抜けた。
——ようやく、自由になれる。
不思議とそんな気持ちだった。
雨のせいで、空気は澄んでいた。
ギルドのレンガ造りの壁に風が吹きつけ、窓枠をぎしぎし軋ませる。
強く吹く風は、
決して人を急かすようなものではない。
むしろ歓迎しているのだ。
ようこそ、と。
けれど俺は、知らなかった。
大事なことは、まだ何ひとつ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
わー、ちょっと長くなりましたね(°_°)
しばらくはダメ兄貴がメインです。
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