0話 ひとりぼっちの少年
昔々、あるところに、ひとりぼっちの少年がおりました。
その少年は誰よりも賢く、誰よりも強く、
そして——誰よりもさみしい子どもでした。
少年の名は、エドワード。
森の奥深く。
廃墟と化した古い城。
人々から忘れ去られたその古城に、エドはひとりで暮らしていました。
城の周りは濃い霧でおおわれており、昼と夜の区別もつかないほどです。
風の音や鳥の声、草木の呼吸。
それから、ときおり響く美しい雨音だけが彼の世界のすべて。
それでもエドは退屈していませんでした。
彼にはたくさんの友達がいたからです。
おしゃべりで、少し生意気なシルバーウルフの少年ルカ。
引っ込み思案だけれど、物知りなエルフの女の子レイ。
いつも明るい笑顔でみんなを照らしてくれる、獣人族猫科の少女リーティア。
あげだしたら切りがありません。
だって、エドが先日数えたときには、友達が百人を超えていたのですから。
特に仲の良いシルバーウルフの少年は、エドに決まってこう言いました。
「なあエド、外に出ようぜ。森の向こうには、もっと楽しいことがたくさんあるんだってさ」
エドは笑って首を横に振り、たずねます。
「王様ごっこやかくれんぼよりも?」
「ああそうさ! この森を抜けたら、大きな町があって、美味しいものがいっぱい食えるって!」
ルカは大きな耳と銀色のしっぽをクルクルと動かしながら、嬉しそうに言いました。
けれどもエドはかぶりを振るばかり。
「森の外なんて行かなくてもいいよ。ここがいちばん平和なんだから」
そう言って、エドは空間を指でなぞりました。
すると、ぱちんと小さな音がして、宙に一匹の蝶が現れます。
ガラスのように透き通った羽を持つその蝶は、きらめきを放ちながら、ふたりの周りをふわふわと舞いました。
「ね、きれいでしょ? ぼくの魔術、前より上手くなったんだ」
「スッゲー! これってホンモノ?」
「もちろん」
エドは同じようにもう一匹を人差し指の先に産みだして、ルカに見せました。
ルカは目を丸くしていました。
「エド、おまえ、神様みたいだ!」
その言葉に、エドは少しだけ寂しそうに微笑みます。
「神様なんて、いないよ」
——エドは、知っていました。
本当のことを知っていました。
すべて自分が作り出した幻であることを。
蝶だけではありません。
ルカも、友達も、城も、すべてが幻でした。
この世界自体が、エドの魔術によって閉じ込められた“箱庭”なのです。
外の世界から切り離され、封じ込められた、永遠の亜空間。
かつて人々が「保護区」と呼んだ悲しい楽園。
エドは、誰かを待っていました。
何年たっても、何十年たっても、変わらぬ姿のまま。
その“誰か”は、もうとっくにこの世にいないと分かっていたけれど。
それでも、夢を見ることをあきらめられなかったのです。
「ねえ、ルカ」
「ん?」
「ぼくの兄さん、どこに行ったのかな」
やさしくて、かっこよくて、いつもエドを守ってくれた人。
でも、最後にはエドを裏切って逃げた。
最低な臆病者だ。
エドは幼いころの記憶を掘りおこして、そっと目を閉じました。
「ぼくね、いつか兄さんを見つけるんだ。必ず、見つけるんだ」
その言葉にルカが反応することはありませんでした。
次の瞬間、青空がぐにゃりと歪んだからです。
二匹の美しい蝶が、逃げるように羽ばたきました。
霧へ向かって溶けていきます。
「兄さんに、あのとき逃げたこと、謝らせるんだ」
その声には怒りと哀しみが混じり合っていました。
「ぼくを捨てたこと、絶対に許さない」
エドの中で、唯一の家族への寂しさが、少しずつ憎しみへと姿を変えていたのです。
古城の高い高い天井からは、白い光がさしこんでいます。
そこには無数の細かい魔法陣が根をはり、脈動していました。
まるで、城そのものが生きているようでした。
この空間は、エドの魔力そのもの。
彼の記憶と感情が形を成し、物語となって広がっているのです。
風が強く吹き抜けます。
エドの魔力がざわつき、城の壁がほんの一瞬、涙のように揺らめきました。
ルカは捨てられた人形のように、動かなくなっていました。
エドは目を細めました。
遠く、森の方で「ガサ…ッ」と枝が折れる音が。
空気がひりつきました。
「侵入者だ!」
久しぶりの他者の気配。
エドは顔をパッと明るくしました。
胸は高鳴っています。
懐かしさと、好奇心。
加えて隠し味程度に恐怖の念を。
もう一度、風が強く吹きました。
ついに誰かが、この亜空間内に足を踏み入れたのです。
「ふふ……いいよ。ちょうど退屈してたところだし」
エドはゆっくりと立ち上がりました。
そして動かなくなったルカの額に手をかざします。
「じゃあね」
するとルカは地面にばたりと倒れ、数秒したのち消えてしまいました。
それからエドは森の入り口の方角へと向き直ります。
両腕を広げて、小さくつぶやきました。
「《亜空間魔術》」
手のひらから、複数の魔法陣が信じられないスピードで展開されていきます。
エドの瞳が青白く光りました。
「《ようこそ、ぼくの世界へ》!」
その声とともに、廃墟の外で強大な光が炸裂しました。
幻想の森が目覚め、侵入者を迎え撃つために、数百の幻獣が一斉に咆哮したのです。
また、時を同じくして。
森のどこかで、二匹の蝶がぱたんぱたんと羽を閉じました。
重なり合うようにして、冷たい土へと落ちていきました。
その羽音だけが、やけに現実的にエドの耳に響いています。
——とてもあたたかくて、残酷な、夢のようなお話のはじまりはじまり。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
息抜きになれば嬉しいです。
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