隊員連絡所運営委員への応募
活動先では何もすることがなく、毎日ネットサーフィンの毎日。私は南米・ボリビアまで来たのに、ただJICAからお手当をもらって、怠惰な生活をする毎日。それでは私の存在価値がありません。
そこで私は考えました。首都ラパスには、青年海外協力隊員が自由に活用できる施設があります。それを「隊員連絡所」と呼び、協力隊員の活動拠点みたいなもので、宿泊もできました。その施設は協力隊員が自主的に運営していました。私は活路に、協力隊員が自主運営する隊員連絡所の運営委員長になろうとしました。運営委員長の改選時期に、私は立候補したのです。
しかし、協力隊員の中で嫌われ者である私。私が運営委員長に立候補を表明すると、大ブーイングが起きました。そして私が運営委員長になるのは反対、どうしてもなるのであれば他の運営委員は全員下りるとまで言われました。私と一緒に運営委員をするのが嫌だったようです。そこまで私は他の協力隊員に嫌われていたのです。しかしここで私が退いては私のプライドはズタズタです。
私一人では隊員連絡所の運営はできません。活動先では何もすることがなく、ただ活動先でネットサーフィンで時間を潰す毎日。やってみたダンスでも、ボリビア人女子に嫌われる始末。私が南米ボリビアで、そして協力隊員としての存在価値が見出だせるのは、もうこの隊員連絡所の運営委員しかないのです。しかし運営委員長は他の協力隊員たちの反対が強く、もう無理だと思いました。
ちょうどその頃、活動先変更のため、首都ラパスに来た協力隊員がいました。彼はまだ大学出たての若い青年でした。その若い協力隊員に隊員連絡所の運営委員長になってもらい、私は運営副委員長になることで、他の協力隊員から何とか了解を得ました。
私は何とか他の協力隊員に頭を下げ、運営副委員長に就任させていただきました。運営委員長にはなれなかったけれども、副委員長でも私の存在価値はアピールできます。これで私の存在価値が若干できたのではないかと思いました。




