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カルテの記憶  作者: 子見
8/20

第八章 ーーー判定・選択・決断ーーー

〜美紀との付き合いが始まってから

   

あっという間に3年が過ぎた〜


 年が明けて正月気分が世間から薄れ始めていた頃、仕事は順調に進み在庫管理は、職員含めてほぼプログラムが完了され…新入社員も3年の間に5名追加され…3名が定年退職を迎えた


3人ともその後、会う事もなかった

今となっては、名前も顔も思い出せない…


 今日もいつものように自分のデスクに座ると、西須が新しく買ったらしいカーディガンの評価を求められた.馬鹿にしたように褒めたつもりが本気で受け止めくられ…馬鹿にしたつもりが馬鹿にされたような気持ちになった


 そんな一美の背中に二年先輩の徳谷(トクタニ)が声をかける


「おはよう黒川君、またパソコンのこと教えてもらえるかな?昨日、自分なりにやってみたんだけど、わからないところがあって・・・」


「はい、わかりました、徳谷さんもパソコン好きなんですね?」


「いやいや、これからの時代、僕も少しは勉強しなきゃと思ってね、これ良かったら飲んで、寒いでしょ?」


 缶コーヒーを差し出され、お礼を言うと、徳谷さんは自分の持ち場に入って行った。

 徳谷さんとはプライベートで会う程、仲が良いわけではなかったが、パソコンについて良く質問され、仕事のこともアドバイスをしてくれたりする、職場の中では、一美にとって所謂、害のない人のままだった

・・・・・・・・・・・・・・・


「お前もほんと人がいいな・・・」

遠くから、今のやり取りを見て、近づいてきた敏彦さんは、相変わらず徳谷さんが嫌いみたいだ。


「え・・どうしてですか?」


「あんな奴に教えることねーよっ!!」

眉間にシワを寄せて明らかに不機嫌を伝えてきた。


「聞かれれば、誰にでも答えますよ」


「とにかく!!あいつには、気を付けた方がいいぞ!」

苛立ちは、徳谷さんにではなく、僕に向けられているように思えた


 敏彦さんは、とにかく仕事が早く周囲からも頼りにされていた一面もあったが、手際が悪い職員にいつもイライラして、怖がられる存在でもあった

(そんなこともわかんねーか?考えてから仕事しろよ!)といつも口癖のように言っていた


 気が荒い性格が徳谷さんの様に害のない、あまり目立たない人が嫌いなんだと思っていた


――――――――――――――

それからまた少し時が過ぎ…

2月に入って間もないころ


「黒川・・聞いたか?」

ヒソヒソと耳元で敏彦さんが囁いた


「なんですか?」


「今年度の人事で、ついに課長が退職するかもよ」


「え・・そうなんですか?」


「頑固おやじだけどさ、俺は課長のこと嫌いじゃないだよね、少し寂しくなるな」


「僕は未だに怖いだけですよ・・・」


「お前は、ほんとなんもわかってねーな?」


「どういうことですか?・・・」


 あれから必死に一美なりに頑張ってきたつもりだった。

今の管理システムが認められ、池田部長から社内表彰を受け取った時でも、

いつもの無表情で「良かったな・・」と一言声をかけられただけで、怖さしか感じられなかったからだ。

 敏彦さんが僕に苛立つように、一美の苛立ちも敏彦に伝わってしまった。


「あのさ!この際だから言っとくけどよぉ~黒川の悪口を徳谷が西須を利用して広めてるのは気付いてんのか?」


 一美にとって、全く予想していない物が入ってきた。

敏彦のストレスはこれだけで収まらずに一美に噴出した


「西須を使えばあいつが悪者にもならねーし、余計な所にまで話すことくらいわかるだろ?」

一美は下を向いたまま、様々な感情の整理に追われた。


「パソコンの事も、お前から知恵を得て、課長にアピールしまくってるぞ?あーいう、いけすかねー野郎は当然嫌いだけどな、お前みたいに呑気な奴もイラつくんだよ!」


・・「すみません・・・でもなんでそんなこと・・・・」


「嫉妬だろ、ほんとわかんねー奴だな!あんなやつは社会にウジャウジャいるわ!」


「すみません・・・」


「お前さ、こんな話聞いても徳谷の事、ムカつかねーの?」

共感を求められているように聞こえたが、一美には悲しみの方が強かった。

「なんか・・ショックというか・・」


「ほんとハッキリしねーな!あれほど気を付けろって言ったのに!」


―――――――――

 昼休みが過ぎて、徳谷さんから声をかけられたが、適当な会話と忙しい雰囲気を絞り出し、とにかく徳谷さんから距離を取った。一美には避ける事しかできなかった。

・・・・・

―――日が変わっても、一美の取った行動は変わらなかった、それ以外の手段が思いつかなかっただけだった

徳谷はそれに気づき、どうやら一美に近づくことをやめて作戦を変更したらしい…



――――――――――

 2月が下旬に差し掛かったころには、課長の退職の話は噂から社内通知に変わった。敏彦さんから声をかけられたのは、通知が出されてから2日目の事だった。


「おい、黒川、部長に呼び出されたぞ、一緒に来いって」


「え!?…敏彦さんなんかやったですか?」


「なんもしてねーよ、っていうか、お前も一緒だから!」

足取りが重いまま部長室へ二人は向かった。



 在庫管理室から生産工場を抜け、本社ビルまで徒歩で15分以上かかるほど会社は大きかった。


 本社ビル内に入るのは入社試験以来だ、作業着の二人がそこに存在することも違和感があり、同じ会社とは思えないくらいだ。緊張だけを確かにして、一美の心境とは関係なく、部長室を敏彦がノックする。入室すると正面に木目の大きなデスク、その向こう側に池田部長が座って待ち構えていた。


 朝礼等の職員が集まるような時にしか会う事もない、遠くに感じていたような存在で、こんなに近くで会うのは表彰以来だった。そして部長室の閉ざされた中で会うのとでは、また違った感覚になった 


 しかしなによりも手前中央の応接用ソファに、庄司課長が座っていたことがなによりも驚き、緊張が更に注がれる


課長が先ず口を開いた――「お疲れ様、来たね君たち、部長にご挨拶して・・・部長、佐野君と黒川君です」


「佐野です」「黒川です」 

二人ともロボットのように硬くなった


「はい、お疲れ様・・どうぞ、そこに掛けてください。」


 部長は体も大きく、堂々とした姿勢が余計大きく見えるような存在だ


「さて・・・君たちにも、庄司さんが退職することは伝わっていると思いますが、実は庄司さんは僕の先輩なんですよ・・・定年を迎えてからも、一緒に仕事をしてもらいたくて、今まで無理を言って今日までなんとか私もやってこれたと思っています…しかし今回はどうしても退職されるということになってね」


「いやいや・・私はもう古い人間だから・・・いつまでいても仕方ないよ」

少し砕けた庄司課長の言い回しが聞きなれていないせいか違和感を感じる


続けて庄司課長は

「そういうことだから、君達、これから頑張ってくれ」と淡々とそれだけを言い、ひじ掛けに両手を構え、立ち上がる姿勢を取った


池田部長が少し焦ったように

「庄司さん、一緒にこの子達に話しましょうよ!」

・・・・・・

「池田君・・もう君は部長だ、私の及ばないところまで成長した…本当に今までありがとう、私はもう十分だよ、これで満足して退職することができるよ」

そう言うと、部長の視線を感じているはずの課長は退室していった。



・・・・・・

「昔から、あんなお方でね・・・立場は関係なく尊敬と感謝は今でも…これからも忘れる事はないだろうね………では、話を本題に戻しますが、来年度から佐野君を課長に任命したいと考えている。そして今まで係長というポストは置いていませんが、来年度から黒川君、君に係長として仕事をしてもらいたい、頑張ってもらえますか?」


敏彦さんは間髪入れず先に応えた

「はい!ありがとうございます、がんばります!」



「黒川君・・・君はどうですか?」

「はい・・・でも僕で良いのでしょうか?」


池田部長の表情が緩んだ

「なによりも庄司さんからの強い推薦ですよ。」


「え?本当ですか?」


「はい、佐野君も勿論ですが、黒川君の話は前から聞いていましたよ、若いころの私の様だと言われました」


「そんな・・・とんでもございません!」


 喜びもあったが、庄司課長への今までの感情と印象のギャップに只々困惑した。

 敏彦は隣で当然かのように堂々と姿勢を正して真っすぐに聞いていた。日頃、いい加減にも見えた敏彦が別人の様だった。その後、正式に発表されるまでは口外しないように口止めをされて退室した。



エレベーターの中で、

「おい、課長の所に行くぞ」


 一美も同じ気持ちでいた。


二人は同じ道のりを戻ったが、一美には違う道の様に感じた。


―――――――――――――

課長室に到着してノックをする。


ノックも別物に感じた…   

「なんだ・・なんか用か?」


「黒川が課長に話があるみたいですよ」無茶振りされた・・


「あ・・あの・・・課長・・ありがとうございます・・・」


「まだ早すぎると思ったがな・・ただ悔しいだけでは、ここから先には行けないぞ?」


一美は頷いて、真っすぐ目を見て直立していた。


「世の中にはな、人を都合よく使ってくる人、悪く言う人・・・裏切り・・卑怯者・・・そんな人間がいて当然なんだよ、みんな弱いからな・・・だから仕事として結果を出せる奴と出せない奴がいる、言い訳は問答無用・・・なによりも…言い訳はカッコ悪いだろ」


――最後だけ口元を緩めて言った課長の表情は、今度こそ一美にも笑顔として伝わり、もっと課長の事を理解するべきだったと反省した。


池田部長が一緒に仕事をしたいと言った意味が理解できた。


「黒川、これでお前もわかったか?」

敏彦が得意気を放り込んできた。


「馬鹿者!人の事言ってる場合じゃないぞ!・・・・・佐野・・・・・お前はな、何かと感情的になりすぎる、はっきり言って管理職には不向きだと思っているがな・・・・・二人ともまだまだなんだよ、チャンスを得たのは確かだがな、ここからは自分たち次第なんだぞ?わかったか?」課長の会話の途中にある沈黙こそ一番の恐怖だった。


「はい!」「はい!」


―――――――――――――――――

 この日から、徳谷を避けることをやめた、そのかわり徳谷が一美を避けるようになった。


 西須は相変わらずだったが、自分から挨拶をして、いつもより一往復分の会話を増やすことにした。敏彦さんの口癖も変わった。

 3月に入っても正式に辞令が出るまでは、美紀と会っても美紀にも言わず命令に従っていた。3月は美紀と4回会えた、男として幼く、自信を失いかけていた一美にとって、初めて自慢ができることができた、何よりも美紀に報告することを楽しみにしていた。

  


―――――――――――――

 4月に入り予定通り全体朝礼の中、辞令が交付される。庄司課長の功労社員の表彰と一緒に行われる形となり、庄司課長が去り際に

「お前は、良くやった・・・これから本当に頑張れよ」


今までも俺を励まし応援してくれていたはずだった、未熟な自分を反省した。 


(本当に・・)とわざわざ付け足された意味を理解することが目標になった。


――新たな目標ができてから、美紀と会えるのは4日後だった――


いつも通り美紀から事前にポケベルで確認されたが、会う前に電話が欲しいと言われたのは初めてだった。

 夕食を終えた7:30過ぎに電話ボックスを求め、今日も駅まで歩くことにした。

 

 電話ボックスが視界に入る距離まで近づいたとき、喫煙所に人影を感じ、電話よりも先に喫煙所に向かった。


――そして遠くからのシルエットに期待が膨らんだ。

「こんばんわ!おしぶりです。」会えたことが不思議と嬉しかった。


「おお~来たか!来ると思ってたよ・・なんてな・・・」


「最近、いらっしゃらなかったですよね?」

一人よがりに求め、心配していた気持ちもあり一美の気持ちが先行した。


「ん?・・・俺はいつもの通りだぞ?兄ちゃんこそ見かけないと思っていたけどな・・・人の出会いとは不思議なもんだな・・」


「そうですね、最近、僕も見かけないなと思っていたんですけどね」


「なんだ?・・・死んだかと思ったか?」


「あ・・いえ・・そういうことじゃないです!」

―――少しだけ焦った。


「あっはっは・・兄ちゃんは元気か?」


「はい、出世したんですよ!この4月から係長になりました!!」


 親には勿論、美紀にもまだ話していなかったのに、まさか、このおじいさんに初めて報告するとは思ってもいなかったが、なぜか言ってしまった



「仕事頑張れと言ったが、また俺の言っていたことが当たったか・・・」

照れくさそうに、一美も笑って答える


「当たりましたね!これからも頑張りますよ!」


「これからが大変になるだろうけど、兄ちゃんなら乗り越えられるはずだ、頑張れよ」


「はい、あ・・僕、ちょっと電話してきます」


「おうっ、俺もそろそろ・・またどこかでな・・・」

火をつけたばかりのタバコを吸っていたおじいさんに見送られ、電話ボックスに向かった。


―――そして受話器の向こう側から聞こえた美紀の声は、いつもより元気がないことが、すぐに伝わってきた。

「なんかあったの?」


「ううん、ポケベルでは伝えられないから、電話で話したくて・・・」


「絶対元気ないよ・・どうしたの?」


「体調が少し良くないだけだよ、でも大丈夫だから、木曜日に会う約束してるけど、会う場所を、いつもの公園で待ち合わせにしてくれる?」


確かに、あそこで何度も行く当てもなく車で話したことがあったが、待ち合わせに使うことは初めてだった。

「美紀ちゃんも車で来るってこと?」


「うん、話がしたくて・・・」


「話するなら、迎えに行くよ?」


「ううん、いいの、公園で待ち合わせにさせて・・」


―――明らかな違和感と不安が伝わってきたが、深刻そうな声に従うことにした。


 電話を切り、外に出て喫煙所を見ると、既におじいさんは、そこにはいなかった。


 気持ちを落ち着かせるために喫煙所に向かう、一美の報告をする楽しみな気持ちは不安が上書きされ、無論、そこでも解消できず、美紀と会う木曜まで不安を抱えたまま、只でさえ待ち遠しいその日をひたすら耐えた。


―――――――――

 やっと迎えた木曜は仕事で何があろうと定時で上がらせて欲しいと事前に敏彦さんにお願いをしておいた、終わり次第、公園に向かった。

 約束していたのは7時だったが、6時過ぎには到着した。日がだいぶ長くなり、まだ明るさが残っている。



―――7時近くなると次第に暗くなって電灯に明かりが灯った。

 7時を過ぎても美紀は現れない、公衆電話があったが、そのまま待つことにした。やがて完全に日が落ちて、電灯の明かりが桜を照らし、小さな夜桜が浮かぶ。




―――時計は7時40分を過ぎていた。


一度だけ美紀のポケベルを鳴らし、車の中で待つことにしたが、色々な不安が混ざり、気急ぐ事もあって、会ってから買うつもりだったタバコを切らしてしまった。


 この場から離れることも不安に感じたが、仕方なく近くの自動販売機を求めて車を走らせることにした。


 

 買って戻るまで20分程度のはずだったが、戻った所に見慣れた形のヘッドライトが公園の出口を照らしている!


 一美のヘッドライトでそれをなんとか遮り、お互いを照らし合った。

眩しさで視界が奪われても見間違えるはずもなく…

ギリギリの所で美紀に一美の存在を知らせることができた。


一美が道を譲る筈もなく

美紀が引き返し適当な場所へ車を停める、その隣に一美は車を停めた。


―――美紀の車のライトが消えて助手席に向かってくる。


「ごめんね・・・もう帰っちゃったかと思って・・」

「タバコ切らしちゃって、買いに行ってただけだよ」


「このまま会わないでとも考えたんだ・・・」

「どういうこと?やっぱりなんかあったの?」



 美紀はフロントガラスの先を見据えながら、その先に敵でもいるような今まで見たこともない表情をしていた。




 「うん、もう決まってることだから、受け入れて欲しい、その約束ができないなら話せないけど、それでもカミちゃん聞ける?」


「聞くよ!」

聞く覚悟よりも不安と苛立ちが勝る


「カミちゃんはそう答えると思ってたけど・・・あのまま会わずにいた方が良かったと思うな・・・」


「大丈夫だから、言って!」

更に苛立ちの方が濃くなってしまった


「うん、もう会えなくなっちゃった・・・」


「それは別れるってこと?」

話が進んだことで苛立ちは抑えられたが、一見、冷静にも見える一美の頭の中は、混沌としていた。


「そう・・・」

「無理だよ!俺何か悪いことした?」


拒絶しか出てこない。



「もう決まってるって言ったでしょ?受け入れてくれる約束!」


「言ったけど!・・・なんで!?・・・」 


 美紀の気持ちを察する能力の高さと用意周到な一美の扱いに、今まで一度も勝ったことがない、絶望の中、諦められない窮地に立たされた。


「理由は、言うべきじゃないと思うけど・・・言わないと納得してくれないのもわかってる。だから言わなきゃならないとも思ってるけど・・・」




「ちゃんと話してほしい!」


    ・・・・・・・・・・・・・・



フロントガラスに二枚、桜の花びらが降りそそぐ・・・






・・・・・「・・・妊娠したの・・」




・・・・・・・・・・・・・


――――長い一瞬の間が空いた、一美が言葉を発する前に、美紀の言葉が先に出た。


「これは私の自己責任だから・・・私の事は良いから、私の決断受け入れて!」

 

「そんなわけにはいかないよ!」

責任の重さは感じたが、測定不能だ。

結婚することが一番の解決方法で、その手段は多くの人がたどり着ける決断だと思うが、二人は違っていた。


・・・・・

―――「私たちには先がない・・私は十分なの・・カミちゃんには理解できないかもしれないけど・・・カミちゃんは違う幸せ見つけて欲しいから・・」

父親になるにはまだ早いと美紀が判断したことには変わりはないが、果たしてそれだけの理由だったのか、一美にはそこまで追求できなかった。


・・・・・・・・・・・

「そんなのだめだよ!・・・無理だよ・・・親にも話してみるし!」


「たぶんそれじゃカミちゃんは幸せになれない・・・・

・・・このまま続けていても、進展していかない事はカミちゃんもわかってるでしょ?その上、こんなことになったら・・・」



返す言葉が思いつかない・・・



同世代の男女関係と言えば、日曜日に遊園地や観光地へ遊びに行く話題が一美の耳にも入って来ていた。泊りで旅行に行く事すら珍しくない中、世間に隠れるように、生活の隙間にできた限られた時間でしか美紀とは過ごせていない状況に苛立ちも確かにあった。


そしてこれがいつまで続くのか・・・


そんな疑問さえも・・・



しかしこの終わり方は、一美の想像を遥かに超えていた・・・



「カミちゃんと出会えて、私は後悔してないよ、ほんとありがとう………うん!!がんばろう!」

・・・・・・・・


「これしか本当にないの?」


「うん・・・私はそう思ってる。」

・・・・・


「子供はどうするの?」


「それは私の自己責任だから!お金なんて請求しないから安心して」

この話題に切り替わった瞬間、美紀の表情が切り替わった。


「そんな・・・」

手のひらは熱く汗が掴めるほどだが、その熱い手は体を溶かすどころか凍てついていた。


「いいから!そんなことよりも、このことは、みんなには内緒だよ!それは絶対に守って欲しい!・・・じゃ・・・いくね・・・」

一美はとっさに美紀の手を取った。

・・・・・・・・・・・



「だめだよ・・・泣きたくないし・・・カミちゃんも頑張って・・・」


「わかった・・・でも最後に・・ごめん・・・」


 掴んだ手を引き、美紀を抱き寄せた。唇から伝わってくる美紀の温度は今までで一番熱かったが、そこに流れた冷たい雫が余計にそう感じさせたのかもしれない・・・



 やっと男として胸を張れるはずだった・・・報告も・・周囲の期待や約束さえ果たされず守れないまま・・

俺は・・・間に合わなかった・・・そして・・手の平から美紀が離れた・・


――――美紀が車を降りていく―――


「これで仕事を休むなんてことないよね?」

最後の言葉も(しつけ)だった。


 


 絞り出された微笑みを浮かべて美紀はドアが閉める、完全に一美の元から美紀が離れていった。運転席から追いかけたい衝動は勿論あった。


ドアノブになぜか手をかけられない・・ 


(情けない…無責任すぎる…このままでは…)

脳裏によぎるが、手が動かない…




 テールランプが見えなくなるまで、かなりの時間があった筈だった。


―――ハンドルに身を預けてどれだけ時間が経ったのだろうか・・・フロントガラスはピンク色で遮られた。


 


 そして明日から降るはずだった雨は、予報よりも早く霧雨となってやってきて、へばり付くピンクの壁は一美を完全に孤立させた。


この公園に・・この日以来・・一美は立ち寄ることは一度もなかった。


――――――――――――


次の日、美紀に言われた通り出勤したことだけは覚えている。その後、耐えられずに何度かポケベルを鳴らしたが、返ってくることはなかった。



 電話は2回鳴らした、何度鳴らしても誰も出ることはなかった。



 3回目の電話は、(この電話は・・現在・・)と言う女性の声に一瞬驚いたが、その電子的な声に絶望した。



 しばらくすると、真也君をはじめ、色々と問いただされることが繰り返されたが、(自分が原因で別れた)としか言えなかった。


 そして真也君達からも美紀が消えたことを知らされた。


 無責任で無力な自分と罪悪感を抱えたまま一美の時間は動き続けていく、最後の約束だけを守りながら生きていくしかなかった。



―――あの時、美紀よりも先に一美が美紀の求めている言葉を出していたら、運命は変わっていたのか?

 


 桜を見るたびに思い出す。


なぜ…あの時…俺は………


これよりずっと先の未来でも、一美の脳裏に焦げ付いた…何度も想い浮かぶ過去となっていく


そして…

いつまでも繰り返す疑問がこびりついたまま


――美紀は、今どこで…何を・・・


ここまでが前編という構成です。

ここから先、中編から後編まで続きます。


ここまで読んで頂きありがとうございます。


この先の展開は果たして...

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[一言] 辛いですね…… 今はこれしか書けずすみません<m(__)m>
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