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カルテの記憶  作者: 子見
6/20

第六章 ーーーイチゴ牛乳とネオン管ーーー

 一美は、入社して間もない頃は、定時で仕事が終わると寄り道せずに7時過ぎには自宅へ到着する生活を繰り返していた…それが美紀と出会った時期と残業が増えた時期とが重なっていた。


 残業が増えたことは仕事を任せてもらえるようになった証拠とも言えるが、本当の残業と美紀との時間が混ざったことで、両親は何かを感じ取り、口に出して心配してくる母親のことが面倒くさく感じていた。


 無論、美紀を親に紹介するどころか、報告もするつもりもなかった。


面倒臭そうな俺に母親から出してきた「夕食が必要なのかだけは、前もって言ってほしい」という条件だけは守る様にした。


 美紀との言葉が交わされてから半年が経つ、相変わらずスーパーマーケットに胸を躍らせて通っている。

 一美もポケベルを持つようになった今、美紀から(630)と入ってきたので、6時に職場を出て、スーパーマーケットの出口付近に買い物を終えた客をターゲットにした粉物屋に寄ってからタバコに火をつけた。


 買い物目的と帰宅ラッシュで相変わらず混雑しているが、美紀の車を見つけるスピードは会うたびに短くなっていた。


 今日は、洋助から久しぶりに連絡を貰い、結婚すると報告を受けたので、美紀の紹介も兼ねて会いに行くことになっていた。

――いつも通りドライブスルーの様に乗車する。

「いつも迎えに来てもらってごめんね、もう少しで納車されると思うから」


「注文したんだね、迎えなんて気にしなくていいよ、楽しみだね」

(助手席はもう少しで卒業できそうだ。)


「この前・・父さんと車を見に行ってきたんだ・・・美紀ちゃんは車のことなんて、わからないかもしれないけど、最近出たばかりのスポーツカーが展示していて、500万以上するのに、金出してやるからこれにしてみれば?って言うんだよ・・・びっくりしちゃって」


「それでどうしたの?」

「いや、さすがにそのメーカーで一番のスポーツカーだから、お金出してくれるって言っても買わないよ! 違うのにした」


・・・・・・・・・・・・・


「買ってもらえばよかったのに」

妙にあっさりとした言い方だった。


「え?・・・なんで?」


「それ買って、お父さんに貸してあげたり、一緒に乗れば良かったと思うけど?」


「だって凄い車だよ!凄く高いし…」


「車の事はよくわからないけど、お父さんも嫌いじゃないんでしょ?」


「確かに、あんな車に乗れれば嬉しいし、父さんも楽しそうで、冗談じゃなくて目がマジだったら逆に怖かったんだよね・・・」


「私が言ってるのは、親にお金出してもらうことを進めてるわけじゃないよ?」


一美は、理解できないでいた…


確かに国産車とはいえ、この時代は燃費や排ガス規制は緩く、競争の様に各メーカー一押しのスポーツカーを売り出していた。

 勿論、購入前に真也君にも相談していたが、RB、2J、ロータリーといった専門用語が並び、違いがあることは理解したが、どう違うかまでは未体験の一美には想像もつかず、結局は見た目だけで判断するしかなかった。


 父親も楽しそうに話をしていたのが印象的で、結局、父に進められるように二人乗りの車で、車体後部にエンジンが搭載されているスポーツタイプの車を購入することにした。


 一美にとって、初めての車は軽自動車か中古車でも仕方がないと覚悟していたので、スポーツタイプの初心者マークが似合わない車を購入できるとは思ってもいなかった。

・・・・・・・・・・・・・


あれからカタログを毎晩すり切らしている、そんな興奮状態にある一美には、美紀との会話を理解できるわけもなく、父に対しては援助してくれた事への感謝だけだった。


――(一美は進学すると思っていたしな、たまには、俺にも貸してくれよ)――


父が発したその時の言葉は、美紀との会話がなければ、お金を出したことへの冗談と、父親らしい不器用な優しさにしかならないところだった、洋助のアパートに到着するまでの時間では全てを理解するには短すぎた。


――――――――――――



「よう、カミ! ういっす」玄関前で出迎えてくれた。


同級生を町で見かけても、中には気付かない振りをしたこともあったが、1年以上、会わないでいても、こんなにも違和感がなく再会できる友達は、何人いるだろうか・・


「恵美です、はじめまして、噂のカミちゃん!!」

「噂」・・洋助は俺の事をどう言っていたのか、眉をしかめて洋助の顔を見た。


洋助と結婚した恵美さんは、短髪で日焼けした肌に緑色のTシャツが映える、いかにも活発そうな女性だった。


 美紀も運動神経が悪そうなタイプではないが、肌は白く、長い髪をいつも束ねられている姿とは、見た目だけでは対照的だったが、直ぐに意気投合していたことに、俺も洋助も安心した。


 部屋は決して広くないが、まだ引っ越しの段ボールが所々に置かれていて、細長いリビングはテーブルからキッチンが見渡せた、奥に寝室とバスルーム、新鮮な雰囲気と環境に憧れた。


一美は先ほど買った今川焼を洋助に渡すと、美紀は恵美さんに白い箱に赤いリボンが付いた、今川焼とは比べられない物を手渡していた。


「いつ買ってきたの?なんも言ってなかったから・・・」

「来る途中だよ、手ぶらじゃ来れないでしょ?」

一美にだけ内容が伝わる声の大きさと仕草が、その気遣いよりも美しく感じた。

・・・・・・・・・・・・・

 

恵美さんが支度した夕食をご馳走になる前に、洋助と一緒に今川焼を食べたことを恵美さんから二人とも叱られた。夕食を終えて、恵美さんがイチゴをテーブルに出した時だった。


「ねぇ・・恵美・・牛乳は?」

「え?イチゴ牛乳にするの?」

 

「いや違うよ!イチゴ食べるのに、牛乳なきゃ食べれないでしょ!!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「練乳は買ってあるよ?」

「練乳はいらないよ・・あってもいいけど、牛乳はないと食べれないじゃん!!」

・・・・・・・・・・・・・・・・

「は? 意味わかんないんだけど!」

洋助と恵美のケンカとまでは言わないが、言い合いが始まった。


「牛乳にイチゴを入れるってこと?」

「だから違うって言ってるじゃん!」


美紀は一美に視線を送る

(あなたの方が付き合い長いのに知らないの?)としっかりと受け取れた。


一美も視線で(知らない)と返事した。


「牛乳飲みながらじゃないとイチゴは食べられないってこと!」


「しらねーし!」

・・・・・・・・・・・


一瞬…冷えた空気が入ってきたかのような静寂の間


暖かな花びらを撒くような美紀の笑い声が部屋に響く…


恵美さんが次に笑って一美がそれに続く


「俺も付き合い長いけど、初めて聞いたよ、洋助なに言ってんの?」


「えぇー・・イチゴ食べる時にカミも牛乳飲むよね?」


「飲まねーよ!…でも…だから身長デカのかな?」

・・・・・・・・・・・・


 洋助は昔からこんな調子だ…高校を入学するときには身長は既に180cmを越えて、左利きだったこともあって、バレーボールに有利な武器をたくさん持っていた。


 説得の結果、一緒にバレー部に入部したが、それだけではなく左利きには天才と変人が多いという固定観念と偏見を俺に植え付けたのが洋助だった。


 天才的なひらめきと、変人的な感性を兼ね備えた洋助に嫉妬するほどだった


 恵美さんは僕たちの3歳年上で、洋助は子供の事も考えて結婚を早めることになったと馴れ初めを聞く事になったが、美紀がシングマザーであることを話した後からは、子供の話題にはならなかった。

・・・・・・・・

帰り際に洋助から、美紀がトイレに寄っている隙を見て、

「一緒に住む事になると、ほんと色々出てくるよ、さっきの牛乳なんてもんじゃない」

一美の心にしっかりと響いた


洋助なりの助言とエールだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・


「私、美紀さんともっと話したい、今度2人で会いたいな」

恵美さんも美紀の魅力を感じてくれたようだった。


 また会おうと言葉を交わしたが、具体的な約束は高校時代と同様にしなかった、またすぐ会えることが当たり前すぎた感覚のままだった、次にいつ会えるのか、それがわからないことをわかっていたが、いつ再会してもいつも通りでいられる自信もあった。


―――――――――――――


帰りの車内で一美は自分では整理しきれない、何とも言えない衝動を抑えられなかった、それは焦りなのか嫉妬なのか、理由は定かではないが口に出した。

「俺はまだ子供には会えないって事なんだよね?」

・・・・・・・・・・・・・・・・


・・「会えないって事じゃないよ」・・


しばらくの沈黙は、美紀が間を開けるのは珍しかったので長く感じた。

「じゃ会わせてくれるの?」


「そういう気持ちでいてくれるのは嬉しいよ、カミちゃんは、その先を考えてくれているって事?」


「もちろんそうだよ、結婚を考えるなら避けては通れないし、俺にはよくわからないけど、このままじゃ先に進まないとも感じていて、俺なりに悩んでもいたんだよ」


「ごめんね、私もずっと考えてるよ、でも私と付き合ってること、御両親に話せる?」


・・・・今度は一美が間を作った。・・・・


「私だったら、わざわざ年増のコブ付きにって思うのが、ご両親の本音だと思うな」


「そんなことないよ!」


それ以上の言葉を出せなかった。

 

 親に何も話せていなかったことを美紀には言っていない。

しかし美紀ちゃんには俺が親に話せていない、話したくない気持ちを知っていたかのように質問してきた事に動揺してしまった。


「ごめん・・俺がまだ子供なんだよね・・」

「大丈夫・・私も変なこと言っちゃった、ごめんね」


車の道順は、いつもの公園の駐車場だとわかった。


 そこは桜が立ち並び草野球ができる広場のある駐車場は、珍しく24時間施錠されることなく出入りができて、夜になると毎晩のように数台の車が停車している所だった。

 名前もわからない、ただの「いつものところ」になった場所、ここで話をするのは今日で6回目だ。


 ここから富宮駅までは15分で到着する、それを考え出した途端、今日はこのまま帰ることが無性に切なくなった。子供だと自覚したばかりなのに子供のように甘えてしまう自分が情けなくも思った。


 そんな俺の気持ちを察してか膝の上に置かれていた手に美紀の手が重る、手の甲から鼓動を伝えてしまいそうで、それを隠すように美紀の手を上から強く握り返した。


 手をにぎってから時間がなくなった、無意識に自分の頬に引き寄せ、美紀の香りと温度で生命維持しているかのようだった。

・・・・・・・・・・・・


・・・時と共に一美の全ても止まっていた・・・


――「ちょっと待ってて」――

いきなり我に返る様に覚まされた。



美紀が車から降りて行った。


 車の先に電灯が、更に先の電話ボックスに向かって歩き始めているようだ、他にも数台の車が息を潜めるように止まっている、電灯に集まる虫達だけが賑やかにしていた。


 暗闇に照らし出される美紀が遠くへ行ってしまうような気持ちになり一美も車を降りる。


 電話の声は聞いてはいけないような気持ちになって、聞こえるはずがないのに電話ボックスには近づけなかった。


電灯の下から虫を見上げて、タバコに火をつけた。



―――――――――――――



電灯の下に美紀もきた、賑やかな虫たちの下に二人が照らし出される。


「朝早くには帰らなきゃだけど・・・」

 どうやら親に電話していたらしい。


 美紀がどんな言い訳を伝えたのかはわからない、でも無理を伝えてくれたのは確かだ、無力な俺と何が理由で自分と一緒にいてくれるのかさえ不安になった。


・・・「ありがとう・・・」

一美は消え入りそうな声で返事した。


以前の冷たかった美紀の指の記憶が未だに残っていたが・・・今日の指、そして手の平は温かかった。

――――――――――――


 車内の緑色に光る時計は11時を回っていた。二人も行き先がなく電灯の明かりに群がる虫のように、ようやくたどり着いたのは、田舎の風景に似合わないネオンの明かりが眩しい古びたホテルへ寄せられていく。


 意図した薄暗い部屋の雰囲気は、古めかしさを増しているだけになっていて、少し蒸し暑く、クーラーの風量を強めると異臭を感じた。テーブルの灰皿の中に置かれたライターを使ってタバコに火をつける。


 女性と泊まりに来たことがなかった一美が、今まで妄想してきたシチュエーションには程遠い空間だった。


・・・・・・・・・・・・・・


「それ吸ったら、お風呂入っちゃいなよ~」

タバコを吸っている悪餓鬼をしつけるかのように発せられた言葉は、さっきまで凹んでいた一美の気持ちを和ませた。


「うん・・・」


「こんな遅くからじゃこんなところじゃないと泊まれないね、私は全然平気だけど、カミちゃんは気にしちゃう?」


「美紀ちゃんが平気なら俺こそ全然平気だよ」

一美は言われたままに初めての蛇口やアメニティに苦戦しながら風呂を済ませた。


「私も入ってくるね」


タバコを吸っていても普段の呼吸となにも変わらない感覚だった、美紀の性格からして自分の緊張をほぐすために淡々としているように振舞っていてくれている。

 しかし、どうしても心のどこかに出産と離婚を経験していることが、一美の心に邪念を作り出す、繰り返えされる葛藤の中、一美自身の善意で美紀に対する気持ちを糧に振り払う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

気持ちを切り替えるかのようにベッドにふざけたように転がってみた、それも馬鹿らしくなって大の字で寝ながら、またタバコに火をつける。

・・・・・・・・・・・・・


ドライヤーの音が聞こえてきた、音が止むと備え付けの薄いガウンを着た美紀が現れた。


「寝たばこダメだよ~」

―――笑い声で答えた。


乾ききっていない髪に見惚れ、ベッドの縁に座った美紀に惹かれた。

・・・・・・・・・・・・


「落ち着いた?カミちゃんの気持ちわかるよ。洋助くんと恵美ちゃん幸せそうだったもんね。」

子供をあやすような甘いものをかけられた。


 美紀にとって一美の存在は、決して頼りになる存在とは言えないはずだ、子育てを経験する以前の美紀と出会っていたならば、一美の事をどう見たのだろうか?


 今も余裕のある生活を送っている訳でもないのに、なぜか一美の事を放っておく気持ちになれないのは、やはり愛情なのか、また母性なのか、理由はわからない。


 人から求められることで自虐的な心境に落ち込んでいた美紀を一美が和ませて、美紀は、そこに寄り添う事で、成立していた。


「うん、洋助があんなに早く結婚するのが意外なだけで、良い人と巡り会う奴だとは思ってたから・・・・」

「カミちゃんも、巡り会うと思うよ?」


「うん・・・美紀ちゃんと出会えたよ」

「もっと良い人に・・・こんな・・・」


その先を言う前に一美が被せた

「俺にとっては美紀ちゃんしかいない」


―――タバコを深く一口吸ってから、灰皿に強く押し付けて消した。―――


「嬉しいけど・・」

その先も、どうしても聞きたくなかった。一美は美紀の手を握り静止した、それでも美紀を止められそうになかった。


今は、導かれるのではなく、自分の意志で美紀の唇を制止した。

 

 一美から全てを求められているという快感が、気持ちが整理しきれていなかったが美紀は握られた手に力を込めた。


―――「自己責任だからね?」―――

 繰り返される美紀から絞り出された言葉の意味は一美にはまだ届かない。


(自己責任とは…)


 やがて二人を、外から漏れたネオンの光が、ストロボの様に場面を切り取っていく。


 一美は、見えない感情を実感するために、器官を共有するかのように美紀を求め、美紀は全てに応えた。

――そこにある中で唯一、純白で異様に張りのあるシーツに潜像するかのように――


・・忘れられない夜のはずだった、この日が何年、何月、何日、忘れることはなかった。


 いつしか金曜だったことだけを忘れていない自分になってしまった。


忘れられない夜であった事に、違いないはずなのに・・


―――――――――――――



 朝を迎えて一美は夢と現実を彷徨いながら、目を閉じたままベッドの中から美紀を遠くに感じていた。

美紀は朝早くから身支度を5時には整え、俺が起きるのを待っていてくれた。


・・・「おはよう」・・・


初めて聞いた言葉に感じた。

俺を焦らせないようにと気遣ってくれている美紀を感じて一美も身支度を始めることにした。


「清太くんはいつも何時頃に起きるの?」

「今日は、土曜だからいつもより遅いかな、それでも7時か・・遅くても8時には起きると思う」


部屋に時計が見つからない。

テレビをつけるとニュースと共に5:36が映った。

こんなに朝早く起きるのも久しぶりだったが、一気に自分を覚醒させた。身支度をしていると美紀が湯を沸かしお茶を入れてくれた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「家じゃなくて、ここから一番近い駅でいいからね」

「ありがとう、ごめんね」


 一美からの息子も含められた気づかいに安心した気持ちと、何とも言えない確信のない不安があったが、危険を知らせる交通標識程度の危機感の前を、美紀は通り過ぎていった。


「謝らないでよ・・ほんとに謝らなきゃならないのは俺の方だよ、ごめん、ありがとう」

―――――――――――――

富高駅の二つ前の駅のロータリーで降りて「じゃぁ・・」だけの言葉だけで走り出していく美紀の車を見送った。

―――――――――――――


 普段使い慣れていない駅という訳でもなく、通勤の景色とは駅の雰囲気も違う。

 世界が違う様に感じて、天気は今の一美の気持ちを表しているようだった。


 夜のままの服装では暑く、下着代わりに着ていたTシャツだけになった。上着を持っている姿は、周囲の服装とも違和感を生じさせて、一美そのものが世間の違和感になった。

次に会う約束も急いでいて忘れてしまったが、今は余韻で満足していた。

・・・・・・・・・・・・・


富高駅までの切符を買うのも久しぶりだ。

(これでしばらく切符を買うこともなくなるな・・・)そう思いながら、電車が来るまでの20分をタバコの時間に使うことにした。


・・・・・・・・・・・


 喫煙所の隣に、手作りなのか規制品なのかもわからない、黒い台座に規則正しく並べられた指輪を売る露店商が、声をかけてきた。

 喫煙者は必ず立ち止まることを狙っていたのかもしれない。


まんまと鴨になった。


「見るだけでもいいよ!どう?つけてみなよ?」

ライダースの革ジャンを纏った若作りなおじさんが声をかけてくる。


一美は指輪やアクセサリーなど興味もなかったが、洋助に見せられた結婚指輪を思い出していた。


 そこには、そのどれとも似つかわしくない髑髏や十字架などをモチーフにしたものばかりで、それを進めてくる店員に嫌気を感じた。

しかし、黒い板の片隅に3組だけペアになっている指輪の中から、太く厚いが無地で、その多くの中で唯一シンプルな指輪を見つけ、挑発的にも感じた店員に逆らうように、迷いない決断で対抗してしまった。


「おう、ありがとう!今日初めてのお客さんだよ!」


 軽い返しに(結局、鴨にされた)と我に返ったが、ここまできて引き返せずに支払いを済ませた。


時計を見て、小さな紙袋に入れられた指輪をポケットに押し込み、乗り遅れてもなんら問題のないホームへ走る


―――――――――――――




電車に乗り込み、汗をTシャツの袖で拭い、一息ついて自分を整理した。


 富高駅までは様々な余韻で満たされていたが、電車を乗り換えるように一美の気持ちも切り替わった。


・・・(親にはどう話すべきか?)・・・


頭の中は、これだけになっていた。ポケベルが鳴り(101010)と美紀が安心させてくれて、無事であることが確認できた。これ以上、お互いの環境を住みづらいものにしたくないからだ。

―――――――――――――――

駅に到着して喫煙所に向かう、おじいさんがいないか期待する気持ちもあったが、今日は見当たらない。

 家路まで歩きタバコを無意識にしていた。


何も言わずに朝帰りをしたことは初めてだった。

 その言い訳をすることも忘れ、別の事で頭がいっぱいだった。


――――――――――――――――



20歳未満の離婚率は、当時の時代に関わらず非常に低く推移している、30歳代の離婚率がいつの時代も目立ち、ドラマをきっかけに熟年離婚という言葉が生まれたのは平成の中期だ。


 根拠は薄いが地域差も現れるほどで、その環境に影響されることもあるのかもしれない。


 この時代の富宮市こそ、まさしく環境が強く作用する地域言えた。

美紀と、もし結婚したならばと想像するだけで、少子高齢化が早期に始まった過疎地から・・・

・・・(どこからきた嫁だろう・・あんな若くして子持ちの独り者か)と噂される声が聞こえてきそうだった。


 それは、何よりも美紀の負担になるだろう……親はどう思うのか?…子供への影響、長男が家を出ることを許すのか?


一美の頭に多くの課題を連想させたが、一美には整理しきれないまま、家路まで重たい足を引きずり続ける…


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― 新着の感想 ―
[一言] 一美くんも美紀ちゃんも切ないなあ……ってまた泣いちゃいました。 ちょっとまずいかも(^^;) 仕事はできるけど……「今日は何も書けないかも」ってくらい心を持っていかれました。
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