第二章 ーーーサナギーーー
一美の過去を良く知る者たちは、特に仕事に対してプライドを持ってやってきた男だと多くの人が言うだろう
一美の世代…若くして置かれていた環境は
(男のくせに仕事ができない奴)
現代では完全にタブーとも言える根拠のない主観的評価をされる環境の中で育った…そういう時代だった
しかし…その評価基準の結果は、絶対的とも言えた。評価されなければ居場所を与えてはもらえなかった…
一美自身にはプライドを持って仕事をしているという意識はなく、特別な事ではない当たり前のこと
多くの人は皆
職場に関係なく…居場所を求めている
時代が変われば違いがある筈なのに…
いつの時代でも、どうしても存在してしまう・・・
そんな居場所をなくしてしまう人たち…
しかし一美は偏見を持つこともなく、情けをかけるわけではなく、ただ人を助ける事に喜びを感じ、人に感謝される自分を作る…そのための努力ができる男だった!
そして運も味方した
そんな男…
現在の一美が、一美自身も含め
誰があそこまで…
ここまでになると予想しただろう...
――――――――――――
そしてまた…
今日も過去の記憶が蘇る…
一美が入学した高校は、その年に試験的に1クラスだけ情報処理科を設けた
パソコンがまだ普及し始めていない当時の社会に向けて、純粋な学校のチャレンジ精神と、物珍しさから生徒を獲得しようとする隠と陽から生み出したものだった
一美の超自我が、田舎暮らしであったことや、チャレンジ精神と、物珍しさに刺激されたのかもしれない…
入学して情報処理科が定員割れしていると、他科からの転科募集が出された事をきっかけに、一美もそのチャレンジに便乗した。方向性が正しいのか否かではなく、チャレンジする姿勢は親も反対しにくいものだ、学校の狙いもそこにあり、簡単に転科することができた
このチャレンジは、無謀とまでは言わないが、結果から言えば…思えば只々運が良かった!
プログラミングとシステム管理が後の仕事で、あれほど役に立つとは当時の一美に推測できるはずもなかったがMOS、C言語、CADなどの資格取得を容易にしたからだ
更に気弱な性格から人生が始まった一美を救ったのはバレーボールだった
高校を卒業するまで、身長は何度測っても169.7cmで、日によってコンマ1は変わっても170cmに達することはなかった、バレーボールは数あるスポーツの中でも、身長が高い方が優位であることが顕著に現れるスポーツだ、一美は決して大きくない、むしろコートでは小さすぎた。
そこにあるもの…それにすがるしかない、続けなければ自分はあの頃に戻ってしまう、そんな気持ちに追い詰められたかのように、そこにあるものでなんとか結果を出すしかないという執念が、日常的に擦り込まれていた事によって、その環境において効率的で効果的な方法を見つける事を学んだのかもしれない…
――――――――――
「とにかく大卒でないと、こんな田舎者は相手されませんよね?」
高校2年の三者面談で母親と担任の会話は、初めから進学の方向性が決定しているかのように始められた。
そう感じる事ができる程、成長をした未熟者がそこにいた。
―――(大学にさえ出ておけば)―――
繰り返し母が言う言葉に、大学進学が人生のゴールなのかと勘違いする気分だった。
未来は一択に絞られそうになり、このやり取りを親の愛情と受け止められるほど育っていなかった。
母は、父の一歩手前を歩く夕方日曜の国民的な母親のような一面と、決断と覚悟をした時は、誰にも止められない強さがあった
まさに昭和の代表的な母親だ
それが愛情とも取れる時と、思春期…歳頃となると、恥ずかしい気分、ようするにウザい時がある
この三者面談の時の母親は、正に後者だった…
言い方が違うだけかもしれないが、「長男だけでも大学に行かせときたい」という言葉は、純粋な親の愛情なのだろうと思えたが、母の勢いは日々増していった
そんな母に対する反抗心は全くなかった訳ではないが、それ以上に気になった事があった。
それは年に3回くらい帰省するたびに並ぶ、食卓の風景だった…
「一美の好きなもの作っといたよ!」
いつも通り優しい母親が出迎えてくれた
好物と言っても、もちろん贅沢なメニューではない、手作り餃子や、けんちん汁、鶏肉と根菜が混ざった煮物で、一美にとってのおふくろの味という物だ
もちろん寮生活を送っていた一美にとって、久しぶりに食べる、おふくろの味は格別で、心から美味しいと思えていて母も献立に迷いはなかったと今では思う…
しかし、正月の食卓は餅があるかないかだけで違いがわからなかった、同級生との正月明けの再会で交わされる、(正月何してた?)という会話から逃げ、逃げた先で雅之とばったり会ったものだった
貧しい事が嫌じゃない…
なによりも正月の母親が…
悲しそうに見えたのが辛かった
―――――――――――
高校3年へ進級してまた三者面談が行われた、1年経っても感じた事は変わらなかった。
そして数日の後、一美は行動をおこす
担任の大河先生に、親には内緒という条件を交わし、進学の意思というよりも、思いのままをぶつけてみることにした。
―――結果
「就職するにしても、親が納得する就職先でなければ意味がないぞ、ちょっと試してみるか?」と反対されるどころか、担任の表情が楽しそうに見えて拍子抜けしたが、しっかりと受け止めてくれた。
・・・・・・・・・・・・・
そして担任からの提案は、数日後の家庭科室で明かされた…
「これどう思う?」と大河先生から差し出されたのは、富高市の最王手になる富高帝人製紙会社の求人票だった!
「これって…あの製紙会社ですよね⁉︎」
富高市には製紙会社が複数存在していた、一昔前では製紙産業で全国トップの産業地域として、煙突の多さと工業廃水による環境破壊で、海鳥が油塗れになっている映像や、白い目の魚が浮いている映像が流れ、ニュースに取り上げられる程のだったが…
一美が高校を卒業する頃には、規制がかけられ煙突の多さは変わらなかったが、煙の質と工業廃水の浄化技術が進化して、マイナスイメージを消しても尚、全国シェア率の上位を維持していた。
担任から…
「富高市内の複数ある会社の中でも、富高帝人は最王手になるから日本一と言っても良いだろう、正職員枠のうち、高卒枠だと求人倍率は28.35倍と聞いてきたわ・・・この辺では一番大きな企業だからな、下手な大学へ進学するより難しいぞ・・・どうする?挑戦するか?」
と問われたが、問いではなく、断ったら何かをすべて失うような挑戦状にしか受け取れず
「ありがとうございます!」と部活の挨拶と同じように即答した。
「富高市は一美の故郷からここよりは近くだろ?故郷に帰る気もあったのか?」
「いえ、実家に戻りたくても戻れないかもしれないと思っていたので、今は何とも・・・」
部活の練習時間が迫っていた、もう一度、お礼を伝えて家庭科室を後にした。
…家庭科室の思い出はこれだけとなった。
―――――――――――――――
週末の練習試合の筋肉痛が重たい立秋の月曜日に職員室へ担任から呼ばれた、就職試験の案内を受け取り必要な書類を記入した。
親に気付かれないためと言われ、大学進学への道も並行して進めていく事を、今度は担任から条件を出された。一美の学生生活で一番の努力期間に入った
大学の合格発表よりも先に、4次試験の難関を経て獲得した、内定通知書が学校に郵送されてきた、内定通知書を手に取った瞬間でも大学進学に魅力がなかったと言ったら嘘になるかもしれない、それでも一美の決心は強かった
大河先生からも
「よく頑張ったな・・・正直お前が内定取れるとは思わなかったよ」と笑いながら言われた
「親にはどうやって伝えたらいいですかね?」
一美の問いかけに、笑顔の先生から、急に1人の男の顔に変わり
「そりゃ、お前が胸張って説明すればいい、ちゃんと自分の意志を伝えてこい」
笑顔ではなく厳しい顔だったが、怖くはなかった
当時の一美にはそんな担任を(面白がってんのか?)
と疑う気持ちも生まれたが、内定が決まった喜びよりも、親にどうやって話そうか不安な気持ちで精一杯になっていた
――――――――――――
周りも見えず走り続けいた…
そんな時、俺の手をいきなり掴んできたのはバーレーボール部の後輩、依田だった…掴まれたまま秋の合宿へOBとして参加させられることになり
ペースが崩されるような気分がして気が進まなかったが、
結局……部活が楽しいものだったと再認識して終わらせることができた
そして筋肉痛が癒えた頃、アルバイトで貯めた貯金を使い、いつもは帰省など考えもしない年の瀬を見えはじめた季節…連絡も入れないまま帰るのも初めてだ…何も考えが纏まらないまま電車に体を放り込んだーー
久しぶりの駅…改札をくぐり、見慣れた錆びた街灯が懐かしい、歩きなれた家路から自宅の屋根が視界に入ると、今回の帰省はどうしても不安が押し退けてくる
他人の家のような玄関を開けると、見慣れたビックリした母親の顔は一瞬で見慣れた笑顔に変わった
「どうしたの?帰ってくるなら電話くらいすれば良いのに!それとも何かあった⁈」
「そんなんじゃないよ!なんでもないけど…雅之とかにも会いたくてさ…」
明らかな動揺を隠すことが必死で、夕食までの記憶が当時でもなかった
「突然だったから…大したもの用意してないけど…」
申し訳なさそうに目の間に夕食が並べられたが、その気遣いが余計に切り出す気持ちを揺らす…明らかに食べるペースが遅いことと明らかな不審を、親にはどういう風に映っているのか気にはなったが、タイミングを見逃さないように意識は強く保つ
ーーその時
「学校でなにかあったの?」と母が様子を探る
父親の表情は夕刊でブロックされていた
(あんな姉でも今は居てほしい)と思ってしまった
「試しにさ、ちょっと・・・受けてみたんだよね・・・まさかとは思ったんだけど・・・」
そう言いながら、親の顔色を見ながらバッグを漁り、封筒から内定通知書を広げて母に見せた。
「富高帝人製紙!・・すごいじゃない、でも大学はどうするの?」
母は内定通知書を使って半分隠れている…
父はブロックを外す気配がない、一美から切り出す覚悟を決めた!
「富高の製紙会社って有名だし、富高帝人製紙って言ったら、その中でも全国的に有名でしょ?・・・・あんな遠くの学校でも話題になっててさ、試しに受けてみたんだね・・・
そうしたら、受かっちゃってさ、クラス中から羨ましいって言われちゃうし、俺も、ここなら就職もいいかなって思っちゃったんだよね。先生とも相談したんだけど、下手な大学行くよりいいんじゃないか?て言われたんだよ、大学はあんまり興味ないからさ、勉強嫌いだし、ここに就職することに決めようと思ってるんだけど、どう思うかな?」
一美が一番驚いた!
こんなにも長く、親に語ったことがなかった…
「本当にそれでいいの?私は、大学進学することが将来の為だと思ってるけど・・・お父さんはどう思う?」母には耐えられず父へパスをする。
―――父のブロックが解除された―――
「自分で決めたことなのか?」
急に太い声が部屋を包む――体感温度が下がった。
「うん・・あ・・・はい」
・・・・・・・・・・・
「本当に大学はいいのか?」
「はい・・・富高帝人なら就職でも頑張ってみたいと思って」
………
「そうか、後は一美自身で決めろ、学生と仕事は違うぞ」
それだけ言って、また夕刊の向こう側に戻っていった
・・・・・・・・・・・
「じゃあ、明日は日曜だし、月曜祝日だから月曜の昼過ぎまで、久しぶりにゆっくりしていこうかな」と言い残し、殺風景な自分の元部屋に、逃げるように隠れた。部屋に入るなり大の字に寝転がって、天井を眺める…見慣れた杉板の木目模様が、さっきまでの緊張感をほぐしてくれた…
・・・・・・・・・・・・・・・・
しばらくの間、木目を眺め続けていたところに、母親がノックする
「いい?」一美の返事と共に引き戸が一度引っ掛かるが、慣れた手つきで開かれた
「本当によかったの?あれが一美の本心?」
「母さんが、大学進学を進めてくれたのは嬉しかったよ、でもさっきのが本心なのも本当だよ・・・ごめんね」
「ううん、本心ならいいんだよ、とにかく母さんも、お父さんも一美を応援してるから・・ありがとう」
そう言って部屋から出ていった
親から、ありがとうと言われて…一美は、親のプライドを守り切った事に安堵した事と、自分が誇らしくも思えて満足していた、また大の字に寝転がり、天井の木目に自然と目が行った
――その目に焼き付いている木目は、書けと言われたら書けないだろう、でも、もしあの実家に戻れたとしたら、あの時見た時と同じ状況ならば思い出せるような気がする…現実なのか夢なのか区別もつかない、木目を見た記憶・・・・
その先が思い出せない
(今となっては・・お世話になった・・担任の・・名前も思い出せない・・)
~~~~~~~
現在の一美が戻ってきた、夢でもない記憶の断片に挟まれたまま目を覚ます・・・
~~~~~~~
「まただ・・」
一美の記憶が飛んだ…
気がついたらベッドの中・・という感覚だ。
壁紙もベッドも全てが白で統一された風景は、一美への情報を遮断した
何が起きても驚かない一美だったが、なにもないことに混乱した
「ここはどこだ?」いつものように記憶を絞る
(入院、若い女、そして妻)断片的な記憶といつもセットで罪悪感に襲われる感覚は、一美にとって禊とも言える。相変わらずの倦怠感だ
このまま布団の中に埋れていたい・・・
…しばらくはそうしていられた…
時間感覚はない午前か午後でさえも、昼間であることは窓からの光の量でわかった、部屋の入り口から声を掛けられる。
「黒川さーん 黒川さーん おはようございます。」言葉を発しながら近づいてくる
「黒川さん、おはようございます、理学療法士の勝亦といいます。黒川さんの担当になりました、今日から宜しくお願いします」
頭はスキンヘッドにしているが、眼鏡の奥に見える目と全ての雰囲気が、優しさにあふれているような男だった。長年の経験から、こういう男は逆に怒らせると厄介だとも直感した。
・・・・・・・・・・
(理学療法士)という言葉に一美は全く反応できない。布団から顔が3分の1しか出ていなかったが、勝亦には一美が理解できていないと十分に伝わった。
「リハビリをやりましょう、体を動かして運動のお手伝いをさせてください。」
かろうじて(運動)という単語は一美に伝わった、運動と言われても、自分がするとは思いもしない、運動と言われたことで、また昔の記憶が差し込まれてきた。
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一美の幼少期は、(泣き虫カミ)と呼ばれ、姉からも、
「ほんと、なにをしても泣くよね」少し笑みを浮かべながら、作られた驚きの顔は、今でも忘れられない…
見るに見かねた父親は―――
「男が、いちいちメソメソしてんじゃねぇ!」と怒鳴り、そして一美は、余計に泣き始めてしまう、典型的な泣き虫だった…
姉がきっかけを作り、父がとどめを刺す
何度も繰り返される光景を遠目で見ていた母親が、小学3年生になったある日、僕を突然に小学校へ連れ出した。体育館の前には、母の友達が立って出迎えてくれている。
中では、バレーボールのネットが張られ、20人以上の子供たちと、それを上回るボールの数で賑やかな雰囲気になっていた。見慣れたはずの体育館が全く違う場所に見えた。
「ねぇ母さん、バレーボールやるの?」
間髪入れずに「見に来ただけだよ!」僕とは目を合わせず母は言い放った!
親子の探り合いがはじまった…
当時、一美にとってここへ辿り着いたのは、只の偶然だったのだが、母にはそうでなかったようだ、
―――母がやっていた婦人ソフトボールに連れていかれて、キャッチボールの相手をさせられた。
僕はボールが怖いし、何が楽しいかもわからず、すぐ飽きて人を寄せ付けないように、一人で縄跳びを始めた…
サッカー少年団にも行ったことがある、今思えば監督の図らいなのか、その日の練習試合に入れてもらえた、しかし上手くできるわけがない、それを見ていた上級生が、ボールに遊ばれている僕に、集団的笑い声を浴びせてきた、もちろん泣き始めて二度とグラウンドに入ることはなかった
更には保育園の過程にあった、スイミングでは「顔に水がかかった!」と、これ以上の当たり前な事はない理由で泣き叫び、今まで何百、何千の子供の相手をしてきたであろうスイミングコーチも根を上げて皆が遊んでいる風景を、僕はプールサイドから眺めていた始末だ
母親からしてみたら、「なんとかしなければ」と考えていたのかもしれない…
母としてのこだわりか・・父を納得させるためなのか・・姉の影響か・・それ以外なのか・・現在となってはわからない・・なぜスポーツにこだわったのかもわからない…
・・・・・・・・・・・
バレーボールも、一美にとって今まで体験してきたスポーツとなんら変わらないものだったが、母は違っていた…小さい町でこれ以外の選択肢が見つからない、その最後まで来ていたからだ…
今までとは母の覚悟が明らかに違った
練習日には、必ず顔を出し、来れない時は、母の友達が交代で一美の見張りにつくという徹底ぶりに逃げ道は断たれた
追い詰められた感覚と相変わらずな一美は、
「ボールがあたった!」当たり前の言い訳を続けては泣くを変わらず繰り返す…
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しかし日を重ねるにつれ、運が良かったのか、人の出会いや運命、タイミング、理由なんてわかる訳もないまま何かが作用して、一人で練習に行けるようになり6年生になった時にはコートに立つことが当たり前になり、中学に入学する時には、一美自身がバレーボール部に入部することが当たり前になっていた。
一美の努力はどこから生まれたのか?
(自分の知らないところで、自分のために動いてくれている人がいる、人の優しさは、時に誤解することがあるのかもしれない)
中学2年の頃、わかっているようで、わかっていない一美の成長と共に感じた心境だった
現在の一美には、もっと雑な記憶だったが当時の(運動)が回想された
~~~~~~~~~~
勝亦に車椅子へ移され、廊下を進む、車椅子が動き続ける、車輪のどこかが接触しているのか(キュ・・キュ・・)と鳴り続けていた、何も感じないまま単調な音は…目的地に到着する頃には、その音がウザったく感じていた
案内された部屋は入り口というよりも、道路の待避所のように、廊下から直ぐに見渡せるような大きなフロアになっていた。そこにはアルミ製の物が多く、窓からの日差しで反射して見えにくい…見えたところで、それがなんなのかは理解できそうにない器具の集団
銀色の部屋は、運動と言ってもスポーツジムを連想するようなところではない、日の光が差し込まなければ、冷たそうな物で溢れていただけだ
勝亦に導かれ、ほとんどが銀の中で、銀ではない場所に導かれる…
「先ずは、ベッドで体をほぐしましょう、ベッドに移りますね」
ベッドといっても、表面は緑のクッション製の物に覆われている、仮設ステージのようなところだ、そこに上がることに躊躇してしまう、勝亦にベッドの際まで車椅子を着けられたが、あまりにも近い距離に逃げ出したくても逃げられない感覚になった。勝亦は色々と話しかけてきたが、一美の意思も伝わらず、抱えられるように緑のステージに上げられた。
返事をしないことを良いことに、脱力感と倦怠感で拒否するのも面倒だったが、ここま
でされると気分が悪い・・・放っておいて欲しい・・そんな気持ちを抱えながらイライラしていた。
「こん・・なこと・・する・な・・・・・・やめろ・・・」
一美の声は小さいが、言葉としての力は伝わったはずだった。
しかし勝亦は動じない…
「がんばりましょう、最初はつらいかもしれないけどね、体がもっと痛くなっちゃうから、痛くしないようにやるからね」変わらず勝亦の見た目通り優しい言葉だった
しかし一美には、最初の(がんばりましょう)の時点で、聞こえなくなっていた…
―――勝亦のリハビリが開始される
・・・(こんなことしても意味がないんだよ、俺が健康を取り戻したところで何が得られるというのだ、頼むからほっといてくれ)・・・
心の中で、念仏のように唱えるしかない、抵抗もできない。勝亦の優しさが辛い
人からの優しさ…それをきっかけに…
妻への想いが溢れ出す・・・
そして一美はサナギのように殻を作り、更に深い過去の記憶へ逃げていった・・・
快か不快かの判断しかできない事と直近の記憶が曖昧になっている一美だったが、相変わらず過去の記憶だけは保たれている
しかしその保たれてしまう記憶が、鮮明かつ現実となって一美を苦しめている大きな原因となっていた
・・・今日も残された確かなものが蘇る・・・
また…懺悔の時が始まる…
ここから先に、伏線が散らばり始めます。
2章まで読んでいただいた方なら、もうお気づきの方もいらっしゃるとおまいますが...
もちろんラストまで伏線全てを回収する構成になっています。
読み手の方はどのように捉えて頂けるのか?
私の主観的作品ではなく、答えはそれぞれの心の中
人それぞれの(心)次第になると思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
最後までお付き合い下さい
宜しくお願いします