第十五章 ーーー赤火ーーー
「おはようございます!」
鈴木の挨拶は3年以上経っても変わらず今日も力強く優しいままだった。
今日は日勤業務で8時30分からの業務…8時13分に鈴木美樹の入館が自動認識され施設の中に入って行く
「あっ!美樹ちゃん!昨夜・・・一美さん亡くなったよ!」声をかけてきたのは同期入社で夜勤明けの渡邉麻美だった
「え!・・・・・・そうなんだ・・・そろそろ・・もうダメかもって思ってたけど・・」
「一美さんは診察室に安置されていて、ご家族とか親戚とか来てるみたい、葬儀屋さんのお迎えは、10時頃になるって聞いたけど・・・」
「何時頃に亡くなったの?」
「5時半頃だった、5時くらいから呼吸が急に荒くなって、オンコールして・・先生も看護師さんも来てもらったんだけど、そのまま眠る様にって感じだったみたい・・・」
「そうだったんだ・・・・・そうか・・・麻美ちゃんおつかれ!」
「美樹ちゃん担当だもんね?」
「うん・・・そろそろって覚悟していたけどショックだな・・・着替えて直ぐ行ってみるよ!」
鈴木美樹は、高校を卒業して、この施設に入社した。
現在は21歳になったが、この若さでも親戚や知人との別れを経験していた。しかしそのどれとも一致しない今の感情に戸惑いと動揺が隠せないでいた
―――着替えを済ませてから事務所の前を通るが、いつも通りに矢野事務課長が座っている、慌てた様子もない。配属先のフロアに行っても、いつも通りの業務が進んでいる。
いつも通りの景色―――
そこに一美がいない事は、間違い探しの絵のように…意識しなければ気付かないだろう
気にしていた…そして知らされた事で…意識していた鈴木には、明らかな現実となり違う風景に見える
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「おはよう!美樹さん・・・一美さん亡くなっちゃったね・・・」
「介護長おはようございます、今、麻美ちゃんから聞きました。」
「美樹さん担当だったから、部屋の私物の片付けと、お見送りが終わったらカルテの記入までお願いして良いかな?」
「わかりました・・ありがとうございます。」初めての担当を最後まで担当させようとする介護長の配慮だった。
「介護長・・・診察室に行ってみても良いものなんですか?」
「一緒に行ってみる?」
就業に入る前に、一美が安置されている診察室へ向かうことにした。
―――「失礼します。」「失礼します。」介護長の後ろに続く。
小窓が付いた原色の黄色い引き戸はローラーが付いていて軽い力で大きく開いた。診察室と言っても施設の診察室は、縦長の20畳程のスペースで、両側の壁には棚が置かれている、中央に置かれたベッドが余計に部屋を狭く感じさせていたがベッドの周囲を囲む親族達は、過度な冷房がかけられている筈の診察室を温かくしていた。
初めて施設に来た親族もいる中から鈴木と由香里の目が合うと、由香里はその後ろにいた和也と共に、親族の隙間を縫って鈴木の元にやってきた。
「佐野さん・・・美樹ちゃん・・長いことお世話になりました・・・美樹ちゃんには、ほんと・・色々とありがとうございました。」
涙ぐむ由香里の後ろで和也も鈴木の目をしっかりと見ながら、続けて感謝の気持ちを表してくれていた。
―――由香里が主になって施設の手続きは行っていたが、和也も面会には頻回に訪れていた。3年5か月という月日は、次男夫婦として、鈴木をはじめ、ここの施設のスタッフとは世間話ができる程の距離感になっていた。
「いえ・・そんな・・私は何も・・・お世話になりました。」
それでも鈴木にとってこういった場面は、この仕事に就いてから初めての経験で言葉に詰まった。
「まだ部屋の私物を片付けていないんですけど、どうしたら良いですかね?あと・・・今後の支払いや、手続きみたいなものはありますか?」
今まで通り由香里の機転は早い。
「それなら、後ほど鈴木がご案内します。」
佐野介護長からの配慮を含めた指示だった。
――――その指示を受け、漏れがないように、前もって一美の元部屋に鈴木は向かっていく。
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(・・・海?・・・潮の香だ・・)
―――牧草地のような柔らかい草の上で一美は目を覚ました。
着ている服や靴は、どこか懐かしい感じがしたが、いつの頃の物かは思い出せない。
見渡す限り人工物が一切見当たらない場所に、自分自身がどんな状態なのか、鏡などあろうはずもなく確認しようがない。
顔と頭を撫でる…
そして見つめた自分の手足が懐かしく感じる異様な感覚になった。
目覚めた遠く先に唯一、草が生えていない砂利道が気になった…その道の更に向こう側が気になったが背丈を遥かに超えた生い茂る草が果てしなく続いて何も見ることはできない
しかしその向こう側に、香と波の音を感じた。草の壁は、海の気配だけを感じさせるだけで、その草の密度は一美を完全に遮断している。
後ろを振り返った反対側は、遠くに山も見えるが、その裾野から草地が見渡す限り広がっていて、一美には何もないように感じた。
「・・・俺は死んだ・・・のか?・・・
川ではなくて海なのか・・・」
そんな事も頭を過った。
途方に暮れたが不思議と不安がない。
・・・脱力感も感じない・・・むしろ体は軽い・・思考も働く・・・自然に立ち上がれた事にさえ驚かなかった。
「お―――――い!誰かいますか――――?」
返事はないが恐れもなかった。
大きな声も自然に出た。
そこにある自然の中に、自然なままの一美が確かに存在していた。
.........
一美はとにかく草の壁に沿って、道を歩くことにした。
――どれくらい歩いたのだろうか・・・かなりの距離を歩いたはずなのに疲れていない事に気が付いた。
今まで送ってきた生活を考えたら立ち上がれる事に驚くはずだが、それ以上に、歩を進めていく度に蘇ってくる記憶に驚いていた。
・・・一歩進める度に失われていた記憶を思い出す。
それはド忘れしていた何かを瞬間的に思い出した時の、快感ともいえるアレが一歩踏み出す度に繰り返されている感じだ。
記憶が蘇るたびに・・その時の感情も蘇り、一人でいるはずなのに涙を堪えようと必死になっていた。
足が勝手に前に進んでいく感覚で、一歩一歩と歩く・・・
――そんな一美の滲んだ視界に草の切れ目が見えた。
そこまで行ってみると、草のトンネルとなっていて、その先に微かに光を通している、光の存在を感じて改めて空を眺めると、虹色とオーロラが混ざった上に雲が重なる不思議な空に変わっていた。――
やはりそこにも恐怖心はなく、一美は草のトンネルを少し屈みながら進んでいく事にした。
―――草のトンネルに入っても波の音と潮の香を感じたが、その気配は一向に近づいてこなかった、しかし途切れることもないその気配は、その先に歩を進めることを躊躇わせることはなく一美は奥へ進んでいく、トンネルに入っても記憶は一歩一歩と蘇っていった。
―――しばらくすると、またあの時のように段々と広がってくる光に包まれてトンネルを抜けた。一気に開けた瞬間に、眩しさから一瞬視界を奪われたが、徐々に見えてくる景色を見渡した。
トンネルに入る前に見た虹空がさっきよりも近くに感じて、真っ白な砂浜が一面に広がる。
水平線はオーロラのように波立ち、この中で一番白い波が潮の気配から香りに変えた。
この時、一美の記憶は、ほぼ蘇っていた。
溢れる感情に戸惑っていたが、思考が働き始めた一美にはまだ何かが、欠けている事に気付く・・・
その欠けている何かを探すかのように・・・白い砂浜を隅々まで見渡し、またしばらく歩いた後…
遠くに、同化するよう白いベンチが置かれている事に気付いた。
そこに向かって歩を進めるが、白く極め細やかな砂浜に足が取られて、なかなか足が前に進まない。
徐々に…本当にベンチであることがしっかりと目で確認できた時、ベンチに誰かが座っている事に驚いた!
........
一美は勿論、更にベンチに向かって歩を進めていく・・・
(・・・白髪?・・・・白い服を着てる・・・・)
一美の砂を踏む足音が大きく感じて、ベンチの男にも聞こえているように感じたが、振り向こうともせずに微動だにしないまま座っている。
「あの!・・すみません!こんにち!!」
一美は少し大きめの声をかけた。それでもなにもなかったかのように変化がない。
深い砂浜に格闘しながらやっとベンチの横までたどり着くと、高齢の男性であることまでわかった。
「こんにちは・・・」
今度は、少し恐る恐る小さな声をかける。
・・その高齢の男は・・ゆっくりと…
一美に向かって振り向いた・・・
「よう兄ちゃん・・火持ってねぇか?そろそろ来る頃だと思って待ってたんだよ!」
衝撃と共に!
欠けていた残りの記憶の一部が蘇った!!
「あ!・・・あなたは!・・・」
「兄ちゃんが来るの待ってたよ」
ーーその老人は…
富宮駅の喫煙所で出会った老人だった!!
「思い出しました!あなたは・・・あの時の・・・」
老人は大きな口を開けて笑った
「懐かしいな、おぼえてくれてたか⁈」
「え・・・どういう事ですか?僕は・・・どういうことですか・・これは・・?」
「ああぁ・・もう気付いてるだろ・・あの世だよ」
「じゃ・・あなたは・・・ひょっとして・・・」
そう一美が言いかけると、さっきよりも大きい笑い声で遮られた。
「そんなんじゃねぇよ!それより火ないか?」
「え・・・火なんか持っていませんよ・・・」
「ズボンのポケットに入ってるだろ」
右のズボンのポケットを目で教えられた。
慌てるようにズボンのポケットに手を突っ込んだ―――
「うわ!・・・え・・え!?・・・」
言われた通り、当時の赤い安物の100円ライターが入っていた。
「なっ!兄ちゃんも吸うか?」
得意気に差し出されたタバコを一本受け取る。
―――その代りにライターを差し出した。
お互いに深く一口吸い込み、言葉通りに一息ついた
...........
―――「記憶は戻ったか?」
その言葉が表面張力の最期の一滴だった。
ギリギリ返事を返す
「は・い・・・」
今まで耐えていたものが、堪え切れずに一気に止まらなくなった。
「どんな気分だ?」
「感・謝・・と・・申し・訳・ない・気持ちで・・・いっぱいです・・・」
「兄ちゃんは、しっかりとやり遂げたじゃないか、そんなに自分を責めるなよ」
「はい・・・でも・・みんな・に・迷惑かけ・て・しまいました」
「皆・・・一人で生きてきたわけじゃない・・そして何かを抱えて・・助けられながら人間ってのは…生きてるもんさ・・・」
―――老人との会話は進んでいく・・・
ノンフィクション作品として紹介してきました。
それに嘘はありません、私が直接、確かに聞いた…体感した話も含まれた作品であることは間違いありません。
この先、最後まで見届けて頂ければ幸いです。




