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カルテの記憶  作者: 子見
14/20

第十四章 ーーー1990オルタナティブーーー

 和也が古田看護師長に(施設で会って話がしたい)と呼ばれたのは、桜の葉も枯れ落ちた晩秋の日だった


 和也は既に結婚をしていて、一人で行くには不安を感じていたが、妻の由香里から一緒に行きたいと言ってくれたことに安堵した……


 共に仕事を休んで木曜10時に約束を交わしていたため、9時に家を出たところだ


―――「和也さん、お義父さんあんまり良くないってことかな?」

 車を走らせてから2つ目の信号待ちの時に、由香里は無口になっていた和也の様子を見ることを兼ねて声をかけた。


「うん・・最近はご飯もずっと食べてなかったじゃんね・・正直・・もう逝かせてあげたいというか・・父親があんなに衰えている姿は、可哀そうに思えたりもしてさ・・」


「そうだよね・・・私のお父さんもお母さんも、まだ全然元気だから、なんとも言えないけど・・元気だったら長生きしてほしいと思うけど・・・お義父さん辛そうだもんね」

――――――――――――――


 線路を渡り北へ車を走らせる、チェーン店だが昔から地元に愛される和菓子店で最中の詰め合わせを買ってから向かうことにした。


 和也は何度となく通っている道のりだったが、今回の足取りは重く感じる…


そんな重たい車でも到着してしまう、所定の駐車場に車を停めてからは、自分の足が余計に重く感じた。


 自動ドアを過ぎると相変わらず開放感のある雰囲気だが今日の和也には暗く感じた。


 入って直ぐに、顔なじみにもなっている矢野事務課長へ来たことを告げると、いつも通りの場所に(お掛けになっていてくださいね)といつも通り対応された。

古田看護師長が現れ、一美がここへ来た時の部屋へ案内された。そして今日は、もう一人の男性職員が同席した。


「担当させて頂くことになったケアマネの渡部と申します。前任者から話は聞いてはいますが、今後の参考にさせて頂きたくて色々と話を伺わせて下さい。」


「いえ・・こちらこそ宜しくお願いします。古田さんいつもすみません。」


 古田に挨拶しながら和也の脳裏には、初めて顔を合わせた狐目のこの男性職員がすごく若そうに見えたが、3年以上施設と付き合ってきた中で、ケアマネージャーと呼ばれる介護支援専門員の資格を有しているという事は、20代前半ではないことに察しがつき、古田の隣に座るこの男の経歴が少し気になった。


――短い間が置かれた後に、本題に入るべく古田が口を開く


「以前、一度、話をさせてもらいましたけど、看取りの件で今日は改めて話がしたくて今日はわざわざ来ていただきました・・お忙しいのに申し訳ありません・・バイタル・・血圧とか脈拍なんかは落ち着いているんですけど、最近特に食事の摂取量が少なくなってきたのが目立ちます・・食べなくなると勿論、衰弱は進みます、できる範囲で点滴はしていきますが、血管も脆くなっていて刺さらないこともあるんですよ・・・そして入ったとしても体の代謝がかなり落ちてきているので、点滴をすることも一美さんの体には負担になりかねません、医師と相談しながら進めていきますけど、以前確認した内容では・・・もし心臓が止まるようなことがあっても、心臓マッサージ等の救急処置はしないと伺っていましたが、今も気持ちは変わっていませんか?」


長い説明だったが和也と由香里の予想は的中していた、的中していたことで、内容は理解できた


―――そして気持ちは固まっていた…


「はい、父がこれから元気に生活できるとは思えませんし、人の世話になりながら生活することは望んでいないと思います。―――知り合いから聞いたことがあるんですけど・・食べられなくて・・胃に・・穴をあけて・・栄養を流す・・」たどたどしい浅知恵に困った。


「(胃ろう)ですかね?」古田が補足する。


「あっ・・それです・・父はそれも望んでいないと思います。できる範囲の必要な事、そしてできるだけ苦しまない最期を迎えさせてあげて欲しいです。」


 この(胃瘻)も施設と付き合う事になって学んだ、所謂、延命処置と理解していた。


「わかりました・・・改めて説明致しますが、ここは老人保健施設施設と言って、医師や看護師が常駐しているので簡単な医療は提供できますが、病院ほどの設備はありません。設備が整っている病院へ入院を希望しますか?」


和也の横顔を気にしながら由香里が口を開いた・・・

「逆に教えて欲しいのですが・・・病院ですることの違いはありますか?」


「はっきり申し上げて、今の一美さんにできることは限られています。病院でできる事と、ここでする内容は、あまり違いはないと思います。うちの施設はリハビリ施設なので40代の方や100歳を超える方も利用していますが、今までここで最期を迎えられた方も少なくはないですね。」


一美がここへ来て3年と4か月が過ぎていた


 いつかこんな日が来る事はある程度は想定していた…

父の事を良く理解してくれている職員にお願いすることが父にとって一番望ましいことだと和也はこの場合で判断する事ができた。

・・・・・・・・・・


古田看護師長が渡部へ視線を送り、再確認の完了を告げた。合図を受けた渡部がバトンを受け取る。


「これから介護をしていく上で、今までの一美さんの趣向も含めて色々と伺わせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」


「どのようなことでしょうか?」

難しい話の流れから難しい顔のまま和也が聞いた。


「あ・・いえ・そんな難しいことではないですよ、趣味とか、好きな食べ物とか・・もともとお仕事とかは、他のスタッフに聞いたんですけど、富高帝人に勤務されていたと伺いましたが、どんな方だったのかなと思いまして・・」


 和也は父との想い出を蘇らせた

「はい、富高帝人で、働いていました。時代と共に製紙業が厳しくなってきたと僕にも言っていたので苦労していたと思いますが、新規産業に力を入れて、なんとか会社を盛り立てたと父の知人を介して聞いたことがあります。父は仕事のことは、あまり僕達に話はしませんでした。でも内容を話さないだけで仕事に対する姿勢というか・・なにか大事なことは教えてもらったような気がします。本当に優しい人で・・仕事は管理職で忙しそうでしたけど、休みの日は釣りに一緒に出掛けたりもしました。尊敬もしていましたし、良い父親だったと思います………


……母があんなことにならなければ・・・・」


 話の内容から渡部では手に負えず、古田看護師長が反応した


「そうでしたか・・・私達が知っている一美さんは・・・・ここに来た時には、もう気力もない状況だったし、身体機能もだいぶ衰えていて、ほぼ寝たきりというか・・・性格的な部分とか全然わからないので、できるだけそういう事も理解したうえで、最期を看取らせて頂けたらと思っています。」


和也も由香里もこの言葉で、改めて父の最期を委ねる事に決心が固まった。


「父は・・・・母がいなくなってから、急に元気がなくなったというか・・・ほんと気力が抜けてしまったように見えて・・・尊敬していた父が哀れに見えてしまった事もありました。それが、本当に悲しくて・・・僕も仕事が忙しい時期で、妻にほとんど父の面倒を任せてしまっていた事も申し訳なくて・・・ある日・・・父に(そんなことしても・・・どうにもならない!)みたいな感じで怒鳴ってしまった事があって・・・すごく後悔したことがあったんですよね・・・」


 明らかな後悔を含んだ和也の思い出が蘇った。


「一美さんが、あそこまで体力も気力も落ちていたことを推察すると、ご家族も苦労されたんじゃないかなと思いました。ご家族の精神的負担も、この業界では問題視されていますので・・・つい・・ご家族様が、イラっとしてしまう事も理解しているつもりです。私達からすれば、黒川さんご家族は、すごく対応がしっかりしていたというか・・ご家族の愛情が伝わってくるというか・・・私達こそ勉強させてもらっています。」


「いえいえ!とんでもない・・・自分はなにも・・妻には本当に苦労かけてしまっているだけで・・・」


「そんなことないわよ、私もお義父さんには良くしてもらったし、気にしてないよ」


「いや・・・僕は次男なのにね・・・兄は就職してそのまま他県へ出て、転勤が多くて実家にはたまに寄るくらいで、姉も他県に嫁いだままだし・・同居は僕自身が望んでしたことでもあったんですけど・・結果、一番苦労をしたのは妻で、こんな時じゃないと、なかなか言葉にできないから言っておきますけど・・・感謝しています。」


和也は、はにかみながら照れていた。

「あら・・そんな風に思っていてくれてたんだ、少し嬉しいです。」

由香里も照れた。


こんな夫婦のやりとりを古田看護師長と渡部は、微笑ましく思え、できるだけ一美の看取りを穏やかなものにできるよう自然に思えた。


 更に家族との面談は進み、深刻な空気から穏やかな空気へと変わったことで、好きな食べ物は刺身や寿司、バレーボールをやっていたことまで話が進んだ。


―――「ありがとうございました!改めて…一美さんの性格と人柄…嗜好を知ることができました。

・・・終末期になると、五感が低下しますが、比較的に最期まで保たれるのが聴覚です。一美さんに反応がないかもしれませんけど、声をかけることはとても良いと言われていますので、面会に来られた時は、できる範囲、声をかけて頂けたらと思います。」


 古田看護師長の言葉で面談は締めくくられ、和也は、父親に唯一抱いていた後悔を言葉にしたことが懺悔のようになっていた。


「古田さん・・・色々・・お世話になります・・父を宜しくお願いします。なにか・・・少し楽になった気がします。父の最期をどうか宜しくお願いします。 最終的に色々と要望を伝えてしまって申し訳ありません・・」


 この様なやり取りがされている事を一美が知る由もなく・・・・無論、一美の後悔と自責の念は、まだ晴れることはない・・・・一美の性格からして自分が原因で子供に後悔をさせるよりも、自分が背負った方が気楽だと考えるのだろう・・・なにもできない、しようともしない今の一美には伝わるのだろうか・・・


―――――――――――――――


「美樹さん、試験勉強・・進んでる?」


 「あ!介護長!お疲れ様です。テキスト開いても難して眠くなっちゃうんですよね・・」


 苦笑いの表情を浮かべた鈴木に声をかけてきたのは、身長が小さくふっくらとした体形から母性が溢れているその容姿で、スタッフからは母親のように慕われている、この施設の介護部の管理者、佐野介護長だった。


「試験は2月だから、まだまだ時間はあるけど、入社して3年が過ぎて、介護福祉士を取得すれば、名実ともに立派な介護職員になれるね!」


「いやいや・・・まだ全然自信がないです・・」


「大丈夫よ!仕事しながらの試験勉強は大変だけど、自信を持ってね・・・ところで、美樹さんが担当してる黒川一美さん・・・もう看取りの方向で進めているって聞いたけど、どんな状態かな?」


「はい、先日、看護師長と渡部さんから、ご家族と面談をして看取りの同意書にサインも取ってくれたみたいです。三食とも摂取量は一口食べれば良い方で、ほとんど食べられていません・・・私・・ここに入社して、初めて担当を任せて貰えた利用者さんなので、ずっと関わらせて貰ってきて・・なんか複雑なんですよね・・・」


「そうだったんだ・・・初めての担当だったんだね。私も初めての担当っておぼえてるな・・懐かしい・・もう30年以上も前の話だけどね、でも美樹さんが一美さんに接している時が一番反応良かったように見えていたけどな」


 当初、一美は(黒川さん)と呼ばれていたが、スタッフの間で、明らかに(一美さん)と呼んだ方が、反応が良いとされてからは、親しみを込めて(一美さん)と呼ばれるようになった。


「え!そうですか?一美さんは来た時から、あまり反応してくれる方ではなかったので、担当になったけど凄く不安で・・・」


「そんなことないわよ、私なんか目も開けてもらえないし・・美樹さんが声かけてるときは目を開けて反応してたでしょ? すごくびっくりしちゃった!」


「え!いつも目は開けてくれますよ?そして・・たまに涙を流して(ごめん)なんて言う時があるので悲しくなる時があるんですけど、(ありがとう)って言ってくれることもありました。申し訳ないけど・・・少しだけ可愛いって思っちゃう時があって・・あっ・・それと好きな食べ物はイチゴだと思います!ご飯は食べなくなってますけど、たまに出てくるおやつのイチゴだけは食べてくれたりします。」


 全てを放り出してしまった一美を3年以上かけて観察した鈴木の結果だった。


 「へー・・・全然そんな一美さん見たことない、今・・食べられなくなっているなら、言語聴覚士に嚥下状態を確認してもらいながら、イチゴをご家族に差し入れて貰っても良いかもね、渡部君に伝えて検討してみたら?」


 鈴木は早速、渡部に伝えた・・・詳細に聞き取った筈の面談の会話の中にはイチゴの情報はなかった、鈴木の自信に満ちた言葉に渡部は動かされ、和也に無事伝わった。


 和也も父がイチゴ好きだったという認識はなかったが、季節外れのイチゴを求め、スーパーマーケットを何件も回り、3件目が空振りしても諦めるどころか何かの使命感に追われているような、不思議な気持ちに駆られて5件目の小さな青果店で、なんとか手に入れることができた。


―――――・・・・・・・・

イチゴは由香里が施設に届けた。


 届けられたイチゴは、ミキサーにかけられ一美の乾いた唇に塗られた程度だったが、一美の周囲にイチゴの香りが舞った。

・・・・・・個室に移され、東からの大きな窓が優しく一美を照らす、真っ白な壁には過去の写真や施設で撮影した写真までもが飾られている。ベッド脇に置かれたステレオは、1990年代の洋楽を響かせていた。


 この日から、食事を摂ることは一切なく、医師から点滴も困難と判断された。2日おきに届けられるイチゴは、毎日ミキサーにかけられ、毎日個室の中に舞っている。


 数時間前・・数分前・・そんな間際の過去を忘れてしまう一美は、今までループしてきた過去の記憶を新鮮なままループさせ続けていた。


――そしてついに一美がこの施設に来てから3年と5か月が経過しようとしている・・・今日も、ここに来てからもなぞられた記憶と新たに掘り起こされた過去をループさせて、消えない自責の念に縛られながら、模造された夢の中を浮遊していた。

~~~~~~~~~~~~~


―――――――「ここは・・・どこだ・・・」ベッドの上で目が覚めたと思った…


目は覚めていない・・・夢・・なのか・・・・・・


意識はしっかりとしている…だが暗い…


――俺は・・ここは?…どこにいるんだ・・・


―――暗闇の中心にぼんやりとした小さな光が見えるだけの世界だ、唯一感じるのは音だった。


意識がしっかりしているのに苦痛もない・・・苦痛以外の感覚もない・・・


 聞こえてきたのは、周囲の誰もが危険と感じさせる音を一美だけが冷静に感じていた。


 遠くの方で聞こえる俺を呼ぶ声・・・苦痛に苦しむこともない今の一美に、声は一美自身ではなく客観的にしか届かない…


徐々にぼんやりと温かい光が遠くの方に広がる

広がるにつれて…怖さを消していく…


―――――――――

・・・(ご家族に電話して)・・一美さん・・・「バイタルは?」・・かみちゃん・・・・【黒川さん・・黒川さん・・・】・・おとうさん・・『吸引機もってきておいて・・・』・・・おとうさん・・(看取りの同意書は取ってあるんだよね?)・・かみちゃん・・・カミ・・「一美さん!・・・一美さん・・・」カミちゃん・・・

――――聞き覚えのある様々な人の様々な声が聞こえる。

――――――――――――


・・・・・俺が呼ばれている・・・誰・・?


――光が大きさと温かさを増していく・・

・・・・・・・・・・心地が良い・・・次第に一美の全身を光が包んでいった。


意志だけがどこかに運ばれているようだ――



――光の先に匂いと音の気配がある・・興味などという単純な感情ではなく一美にはどうしようなく自然なまま流されていく


―――完全に広がった光は一瞬で、その後は、徐々に弱まっていった・・

どこかに導かれ吸い込まれていく…


・・・・・一美が向かった先には・・・・


その先とは・・・


ここまでが中編となります。


次章より、ついに後編になります


引き続き宜しくお願い致します!

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