糞ゲーと言われた乙女ゲームの悪役令嬢(末席)に生まれ変わったようですが、私は断罪されずに済みました。
短篇のリハビリ中でございます。
お付き合い頂けたら幸いです。
「オーフトゥン王国王太子オッジの名の下に、ダイナマ公爵家が、この大陸間で交わされた条約により禁止されている奴隷売買を行なっていることを告発する! それと共に、私オッジとビジョンヌ公爵令嬢との間で交わされていた婚約を、ダイナマ公爵家の有責にて破棄することを宣言する!」
まるで舞台に立っているかのように、シャンデリアの明かりが煌々と照らすホールの中央で、我が国もとい歴代乙女ゲー部門でキング・オブ・糞ゲーとの呼び名が高(低?)かった『君は僕と恋をする』略して『キミコイ』メイン攻略者であるオッジ王太子殿下が、長年婚約者であったビジョンヌ・ダイナマ公爵令嬢に向かって高らかに宣告した。
「オッジ殿下! そんな小娘に騙されて……今すぐその告発及び宣言を撤回なさるならば、この事は不問にして差し上げますわ」
美しい赤い瞳が殿下の後ろに立つ水色の髪をした少女を睨みつけるも、すぐに横から出てきた騎士団長二男オーリゴや宰相を務める伯爵家嫡男マジクにより視線を遮られた。
さすがヒドイン・ヒルデちゃんだ。ちゃんと他の攻略対象者である彼等の好感度もそれなりに上げてあるようだ。動向には気を付けてたから知ってたけど。
「笑止! カンパニ、資料を持ってこい」
「ハイ、殿下。これ集めるの大変だったんだから。あとでちゃんと美味しい思いさせてよね?」
ぶ厚い資料の束を差し出したのは、もうひとりの攻略対象者だ。金で買える爵位である准男爵家の跡取り息子だ。爵位は低いが金と伝手には困らない彼の攻略を疎かにすると、どの攻略対象を選んだとしても彼等の婚約者を蹴落とすだけの情報が集まらなくなる。だから、何をもってしてもカンパニのイベントだけは最低限クリアしないといけないのよね。
ふーん。でもやっぱり彼の好感度はそれほど高くできなかったんだ。当然だろうけど。
断罪イベントにおいてカンパニが資料を差し出す時のセリフにより、ある程度の好感度がわかるようになっている。あれはイベントをクリアできる最低ラインぎりぎりの時のものだ。
逆ハールートの存在しない『キミコイ』だが、実際には攻略対象者すべての好感度をある程度上げなくては、ラストの断罪シーンを成功させることはできなくなる。
オーリゴの好感度が低いと断罪前にヒドインは奴隷商に捕まえられて売られてしまうし、マジクの好感度が低いと選んだ攻略対象者の婚約者家の罪を暴く切欠を見つけることができなくなるので、そもそもの攻略対象者を振り向かせることができなくなる。
この手の乙女ゲーには珍しく、攻略対象者たちはそれぞれの婚約者に対して恋愛的な想いは抱いていないが、政略による婚約相手として敬意を持っているので、ただ横恋慕を仕掛けても発生するイベントはことごとく失敗することになる。
歯牙にも掛けられないんだな、これが。
つまり、イベントを進めていくには全ての攻略対象者に対してある程度以上の好感度が必要になる。これが結構大変なのだ。『三回話し掛ければ口説ける』だの、『これをプレゼントすればOK』だの『選択肢を間違えなければイケる』などといった温いフラグですらない。
たとえば、オッジ殿下の好感度をキープしたければ、年三回あるテストで高得点を取らなくてはならない。内容は、ゲーム冒頭にだらーっと流れてくるだけのオーフトゥン王国史に関するテストを三択問題とはいえ五十問ずつ。あんな小さい文字で無茶いうなってネットは大騒ぎとなった。……ちょっと嘘だ。だって人気低かったからね。でも文句をいうユーザーが多かったのは本当だ。私も声を上げたクチだ。
オーリゴの好感度を上げる方法もかなり酷い。まずは奇数月第一週にランダム発生する出会いイベントに成功して彼を発見しなければならない。いる場所がランダムなので見当をつけて探しに行ってもいないし、殿下からの誘いを断ることもできずに泣きそうになる。更に年に一回ある運動テストで高得点を取らなくては、それまで貯めた好感度が一気に下がる。酷い。
そしてこの運動テストがとにかく惨いのだ。横スクロールの画面に立っている柱に駆け寄り、光ったタイミングで◎×△□ボタンを押せという洒落にならないレベルで激ムズだった。
オッジ殿下だけは強制イベントなので何もしないでも出会えるし、その後にもいろいろ起きてくるけれど、他の攻略対象者の好感度を上げなくては攻略は行き詰まる。まったくもって、どこの本格RPGゲームかと憤るユーザー達は多かった。
カンパニは一人だけクラスが違うから出会いイベントが発生するタイミングが難しくて大変だったっけ。多分、ヒドインちゃんもそんな感じだったのかも、……って、嫌だ。この世界でもあの乙女ゲームの攻略法がそのまま通用するかどうかもわからないのに。つい囚われてしまいそうになる。駄目ね。
乙女ゲームの攻略なんか関係なく、ただカンパニの好感度を上げたくなかっただけかもしれないのに。
とにかく、逆ハーがない癖に攻略対象者すべてを視野に入れて攻略を進めていかないとあっという間に詰んでしまう『キミコイ』。コンプ厨としてはなかなか燃えるものがあって、だから前世の私もかなり周回しまくった訳なんだけど。
それでも、この攻略の難しさ以外にも、キング・オブ・糞ゲーという称号を付けられたのには理由がある。
まぁいいや。とにかくヒドインちゃんがメイン攻略対象であるオッジ殿下と一緒になってビジョンヌ様を断罪しているということは、私ヴィア・シシャックが、末席悪役令嬢というものにならずに済んだことができたって事だ!
そう思うと、それだけで晴れやかな気持ちで一杯だった。
これで心置きなく、今日の卒業を寿ぐことができるってものだ。ヒャッホー!
私は心の中で喝采を上げ、すっかり温くなってしまっていたグラスの中身を、未だに続いている断罪に向かって捧げ持ち、笑顔で中に入っていたワインを飲み干した。
今夜はお祝いだ!
*****
物心ついた時には、自分がこの世界とは全く違った文明を持つ、“地球”という惑星にある“日本”という国で生きていた記憶があることに気が付いていた。
日本人だった時はブラック気味の会社で社畜生活をしてるような底辺生活をしていたから、子爵家の長女(ちな兄がいるので跡取りではない)という上流という訳でもないけど、上位貴族の責務とかもあんまり関係ないお気楽ポジションで、でもやっぱり庶民の暮らしよりずっと豪勢だよね~っていう幸せ極楽な人生が用意されていた事に、神へ感謝を捧げた。
オーフトゥン王国って、どこかで聞いたことあるような国の名前だなぁって思ってたんだけど、どっちかっていうとゲームに出てきた国の名前というより“お布団”のネット用語かよって思ったし。それを除けてもなんとなく知ってる言葉や似てる言葉がある気もしてたけど、『デジャヴって奴かな。前世でも散々感じたわー』とか生半な前世の知識が邪魔をしてくれたものだから、それ以上深く考えることもなく過ごしていた訳よ。
なのにさ!
貴族学園へ入学する一年ほど前になって、お父様から突然呼び出されて、決定事項として言われたのよ。
「お前の婚約者となるカンパニ君だ。この国、いやこの大陸で最も勢いがあるカルネモッチ商会の跡取り息子である。お前はキゾック学園を卒業したら、即カルネモッチ准男爵家へと嫁に入り、我がシシャック家を後ろから支えるものとなるのだ。いいな、ヴィア」
あ。この国の准男爵っていうのはお金で買える爵位ね。一代爵だけど代変りの際にまたお金を積めば爵位を継続して持つことも可能なの。
それと、この時はじめて、皆が言ってるキゾック学園が、貴族の子弟がいく学園って意味じゃなくて、初代キゾック公爵が創立者であるキゾック学園だって知ったって訳よ。でもね、一番の衝撃はこの先にあった。
「初めまして、婚約者殿。カンパニ・カルネモッチです」
くるんくるんの金色の巻き毛をした小太りの、平均的な身長である私より目線がずっと下にある男の子に、挨拶されたのだ。
最悪だ。
いや、最悪なのは見た目じゃない。いや見た目だって良いに越したことはないんだけど、今はそんなの横にポイだ。
准男爵家の跡取り息子であるカンパニ・カルネモッチ。そしてその婚約者ヴィア。
このふざけた名前をふたつ揃って聞いた時、私は、初めてここが「神絵師の無駄遣い」と謳われた乙女ゲーム『君は僕と恋をする』の世界だと気が付いたのだ。
いや、ヴィアっていうのは私の名前なんだけどさ。でもヴィアだけじゃ分らなかった。家名であるシシャックと合わせたって分からなかった。まったくもってピンと来なかったのだ。私の家の名前なんて、ゲームに出てきたのかすら覚えてなかったんだもん。
キング・オブ・糞ゲー(乙女ゲーム部門)、神絵師の無駄遣い『キミコイ』
アレは本当に絵師さんが可哀想だった。だってさ、本当に美麗絵な絵師さんなんだよ。他ゲースチルの尊さに涙を流したことだってある。何度も。
今作だって、ヒドインって嗤われるような性格をしていようともヒルデちゃんのビジュアルは完璧可愛かった。お約束すぎる淡い水色の髪と瞳も尊い、思わず抱き締めたくなるような美少女だった。正に神絵師様様だ。
メイン悪役令嬢となるビジョンヌ公爵令嬢もメリハリボディの黒髪紅瞳美人でむしゃぶりつきたくなる様な美しさで最高だった。ちょいエロいドレスを着こなしたパケ絵は拝みたくなった。あ、ちなみに断罪されたパーティーで着てたドレスね。
実家の悪逆非道がバレてオーリゴに取り押さえられた時に、床に広がるドレスの裾が美しかった。
一人だけ、発売前から立ち絵が公開になっていたメイン攻略対象者であるオッジ王太子殿下も銀髪蒼瞳の麗しさでうっとりした。
その時の台詞は定番だからこそ心に響いた。声優さんも売れっ子だったし、台詞つき動画広告にトゥインクした。
ここまではいい。つまりメインストーリーな彼等のビジュアルは神絵師様の本領が発揮された素晴らしいものだったのだ。
だが、オッジ王太子殿下の背後に、後ろ姿で並んでいた他の攻略対象たちが、よろしくない。全然、まったく、誰一人として萌えなかった。
私だけじゃないよ。このゲームをした心は乙女なユーザー達の総意としての判決だ。有罪。それしかなかった。
騎士団長子息オーリゴはまんまゴリマッチョ。体格だけじゃない。顔もゴリラそのものだったのだ。名前を逆に読むとゴリオってなると気が付いた人がネットで騒いだお陰でプチ炎上したほどだ。逞しいキャラがいるのは構わないけれど、イケメンじゃないと許されないでしょ。そもそも乙女ゲーなら細マッチョが基本の筈なのに。
宰相子息マジクはひょろガリ眼鏡、しかも顔色の悪い陰険簾頭。最悪だ。神絵師様だったからこその無駄クオリティで描かれた頬のこけ具合といい、ハイライトの消えた瞳といい、いろんな意味でキモさが爆発していた。さらにこの男、口が悪いなんてもんじゃないのだ。スチルを集める為とはいえコイツの攻略に乗り出して心をバッキボキに折られた乙女は数知れず。しかも、マジクって名前だけど魔法が使える訳じゃない。『キミコイ』に魔法はなかった。奇術としてのマジックが趣味で、告白シーンで跪いて空中から鳩とか紙の花を散々取り出しては「これじゃない」「いや、これでもないな」とぽいぽい捨てる。そうして「あぁ、これだ。キミに、一番似合うのは、私だと思う」とか言い出して瞳の色と同じシトリンの指輪を差し出してくるのだ。正直、酷い演出すぎる。告白失敗してもちゃんと掃除して帰れよな。
そして、最大の汚点が、准男爵で大商人の息子カンパニ・カルネモッチだ。
天使の様な金色の巻き毛をした、チビでデブ。しかも口を開けは「僕には最高級品しか似合わない」と札束を持って居丈高に言い放つ。
誰だよ、こんなの乙女ゲーの攻略対象者にするって決めたの。
攻略するのも気が滅入る三人の攻略者たちは、攻略が進むと甘い言葉を口にするようになる。
髪型や着る物だけマシになって、でも見た目と性格はほぼそのままの状態で。
…………。
イケメン無罪って本当なのよ。無駄に高い画力で描き出されたブサイクを攻略しなくちゃいけないだけでも心が折れそうになるのに、俺様目線の甘い台詞を言われても困るしかない。いや、確かに何度か噴き出したけどね。乙女ゲームにその手の笑いは求めてないのよ。何処に需要があるって運営は思ったんだろう。
「オリジナリティを履き違えている」というのが『キミコイ』が「キング・オブ・糞ゲー」と呼ばれた最大の理由だ。
しかもこのゲーム、全攻略対象者に婚約者がいる。
これもゲーマー達の乙女心を無駄に刺激するのだ。実際のところこれに忌避感を感じない層はやっぱり少数派だよね。しかもさぁ、表立って毛嫌いしている訳でもないんだもん。恋心はないとしながらも婚約者を尊重する態度を崩さない相手を攻略していくっていうのは地味に萎える。
勿論攻略を進めていくと全ての婚約者に瑕疵が見つかるんだけど、そこに辿り着くまではイベントを起こそうとする度に、居心地悪くて仕方がなかった。
そうして、そんなカンパニ・カルネモッチの婚約者が、ヴィア子爵令嬢だ。
ヴィアって家名じゃなくて個人名だったんだよ。前世でゲームやっている時にはまったく気が付かなかったよ。いや、私の名前なんだけどね。
でもさ、ひとつだけ言わせて貰えれば、ゲーム内の私はヴィ↓ア↑。そして私は、ヴィ↑ア↓、なんだよね。発音が違うの。だから余計に判らなかったの。ホントなの!
だから、だからね。すぐに気が付かなくっても仕方がなかったと思うのよ。私、カンパニルートの悪役令嬢ではあるけど、それほど美形って訳でもないし。髪の色も瞳の色も地味な藍色。まぁ不細工ではない。でも貴族令嬢としては平々凡々もいいところなのよねぇ。
でも記憶を取り戻したのが学園に入ってからとか断罪スタート状態からじゃなかっただけマシって話なんだけどー。
まぁね、なにがどうなったとしても、カンパニだけは攻略されることはないって思ってた。だって見た目が乙女ゲー攻略者として間違いまくりなんだもん。メインのオッジ王太子殿下を攻略して当然だと思うの。
それでも一応はずっと見張っていた。断罪怖いし。ヴィアの実家が犯していた犯罪行為については元々がそれほどの大罪ではないから爵位取り上げられて平民になるだけなんだけどさ。そのままカンパニが領主になるから、あれを領主と仰ぐのには抵抗がなくもないし。
でも知り得た限りでは、ヒドイン・ヒルデちゃんはカンパニの近くには最低限しか現れなかった。当然だ。逆ハー無いし、各攻略対象者ごとのイベントは時間が重なっている事も多いから、どれかを発生させたら他は起こせないのだから。一点集中するしかないのだ。
ただ、私としても実家の瑕疵を取り除くことで目一杯な部分もあったから、今日という日を迎えるまではドッキドキだった部分もある。
でもこうしてビジョンヌ様が断罪されて、ヒルデちゃんがオッジ殿下の腕に抱かれているということは、もうこれ以上、乙女ゲーに振り回されることはないってことだ。
私の人生はここから始まりよね、って気持ち……だったのに。
「ヴィア子爵令嬢、僕との婚約を君の有責で破棄して貰おう。大丈夫、君の領地に残る借金を埋め合わせるだけの慰謝料は払う。というか我が家に負った借金は無かったことにしてやるから感謝しろよ。さぁ今すぐこの書類にサインしろ」
ぴらりと差し出されている書類に目を見張る。
特記事項として『ヴィア・シシャックの不貞行為による破棄』と書かれている事の不快さに、思わず盛大に眉を顰めた。
その根も葉もない内容の書類を掲げているのは、『キミコイ』の攻略対象者様でもある、私の婚約者。誰もが攻略を嫌がった男、カンパニ・カルネモッチだ。
今はその短い首に、ビジョンヌ様を上回る美しい女性の腕を巻きつけながら、偉そうに有責での婚約破棄を認めろと迫っている。
学園の卒業イベントに、外部の人連れてくんなよ。
カンパニへ凭れかかるようにして甘えた様子で立つ美しい女性が、真っ赤に塗られた唇を、にいっと持ち上げ私に嗤い掛けた。
身に纏っている高級そうな薄地のドレスは、その女性の、ぷるんぷるんしててめっちゃ重そうなふたつのお山をほんの少しだけ、なんなら絶対に見せちゃいけないラインぎりぎりを隠しているだけだ。っていうかこれってドレスってことでいいの? 前世で水着の上に巻きつけて着るパレオをもっと細くて薄い布で作った感じ。なんならエッチすぎる布切れだ。案の定、背中はがっぱり開いているらしい。美しい薄衣が胸元でクロスするようにして肢体に巻きつけられ、首の後ろで華やかにリボン結びされている。
この結び目の端っこを引っ張ったら、どうなっちゃうんだろうと想像するだけでドキドキする。
じゃなくて!
「どういうことでしょうか、カンパニ様」
財力では負けていようが、シシャック家は子爵家だ。……くそっ。日本のゲームが元だと思うと、それまでなんとも思ってこなかった自分の家名が駄洒落すぎて名乗る度に地味にくるものがある。辛い。
家同士による取り決めで結ばれた政略としての婚約相手でしかないカンパニから、そんな不当な要求をされる筋合いはない。婚約が無くなること自体は目出度いが、条件が気に入らないので突っぱねた。
「キミの家が我がカルネモッチ家にしている莫大な借金を棒引きにしてやるからさ、婚約破棄の汚名を被って欲しいんだよ。借金まみれの無様な家が相手だろうと、爵位が上の本物のお貴族様との婚約を、准男爵家でしかない僕の有責で反故にしたら、その後の商売に傷がついちゃうだろ? それ位、すぐに理解しろよ」
へらへらと厭な笑いを浮かべながら、一応は声を潜めて私の顔のすぐ横で囁かれた。
ムカつく。本当に、ムカつきやがりますわ。
「失礼な。借金? 何のことでしょうか。我が領地の経営は健全そのものですわ!」
パシン、と扇で無礼な男の頬を叩きつけた。あ、やっちゃった。てへ。
驚き過ぎたのか、実際の打撃によるものより心の衝撃がずっと大きすぎたのか、その場にカンパニ様……いいやもう呼び捨てで。カンパニの野郎がへたり込んだ。
「ぼ、ぼくは知ってるんだぞ! お前の領地は大嵐のせいで背負った借金を払えなくて困ってるんだろうが」
怒りに手をぶるぶると震わせながら、カンパニが私を指さして叫ぶ。
他人を指さしちゃ駄目って教わらなかったのかしら。厭ね。
確かに、我がシシャック家の領地は婚約を結ぶ前年に領地を襲った大嵐のせいで山が崩れて街道を結ぶ橋が壊れた。
土石流は農地を吞み、その年の農産物は全滅。なんなら未だに山から流れ出続けている粘土質の土混じりの水が、かつての農地に広がり続けており、主たる産業である小麦の生産は出来なくなってしまった。
まずは領民の命を繋ぐ為の糧食を配り、橋を直し、道に広がった粘土を取り除き、家屋の補修費用の助成を行なった。あのままでは収益の出ない年が続くことになり、国からの見舞金や税の緩和処置でもどうにもならなくなるところだった。
それを助けてくれたのが、カルネモッチ家だ。
あの時の援助金が無ければもっと切羽詰まっていたかもしれない。それは素直に感謝したい。あのお金があったからこそ、今の私がここにいるんだから。
「シシャック家には、カルネモッチ家に借金はしておりません。現在あるのは業務提携という絆だけ。出資金に見合うだけの配当を年に2回に分けてお支払いしている状態ですね」
そうなのだ。我がシシャック子爵家がカルネモッチ准男爵家より援助金として都合をつけて貰った資金はすでに返済し終えているのだ。
そうして、現在私が始めた事業に関して関心を持ってもらって、資金を提供されているにすぎない。
つまり、我がシシャック子爵家には借金などない。繰り返す、借金など、無い!
「嘘を吐くな。お前の領地はいまだに泥だらけじゃないか! 雑草を取り除く事すら手が回らず、あちこちボーボーにして」
まぁね。そう思ってるんだろうなぁというのには気が付いていた。
我が家のタウンハウスへ来た時に、お茶菓子として領地の新たな特産品を出しても「無理して高い菓子を買ってこなくてもいいのに。確かに好物だが実家では幾らでも食えるからな!」と自慢げに腹を揺らして笑っていたから。
あの大嵐の被害を受けて、領地の建て直しをしている中で私が見つけたのは、山から流れ出した粘土質の土の中から芽生えた蓮の花だった。
美しい。前世の世界で見た花そっくりのそれ。
花が終われば、記憶と同じ、シャワーの口そっくりの花托ができた。
こっそりとその花托を摘み取り、グロテスクな見た目のその中から真っ白い実がコロリと出てきた時の興奮は今も覚えている。そうして、思わず口に含んだその甘さも。
疲れた体を癒す、滋養に満ちた味わいに、「これでシシャック領は助かる」と涙が流れた。
丁寧に花托の部分を集め、中を取り出して家族にも食べさせた。
腹を満たすことはできないが、ただ小麦粉を練って茹でただけの団子で腹を膨らすこと以上のものが得られるようになって、健康状態が飛躍的によくなったのは吃驚した。そういえば前世でも漢方薬になっていた気がする。
どんな効果があるのかはハッキリしなかったので、それを調べる為に薬師ギルドへ依頼を出した。
根っこのところが膨らんで食べられるようになったのは翌年夏の終わりだった。
花が咲いたその年は、葉が枯れ切った後でも根茎が膨らんでいるのを確認できなかったので、やはり前世の蓮に似た別の種なのかもとガッカリしたが、翌年花托を収穫したついでにちょっと根っこ部分を引き上げてみたら、あの瘤こぶした根茎が出てきて喝采を上げた。皆に驚かすなと怒られたが、調理して出したらその美味しさに吃驚された。
その時私が作ったのは、綺麗に洗って皮ごと擦り下ろし、ちょこっとだけ汁気を絞って平鍋で焼いたものに蜜を掛けただけの簡易版蓮根餅だった。
あ。作ったっていっても実際にはウチの料理長が大量生産してくれたのよ。
私は指導しただけ。だって転生してからおろし金なんて触ったことなかったし。握力なんて全然無いから絶対に怪我するもん。
「薄く切って油で揚げてお塩振って食べても美味しいんだけどねー」
皆が争うように食べているところに呟いたらこれもリクエストされたので、更に掘り出して、作り方を料理長へ教えた。
スライスして揚げるだけだから、あっという間にできるんだけど、揚げる傍からお父様とお兄様、更にはお母様までがツマミ食いしていくので全然他の人に回って行かない。
もっと一度に作れるものは無いのかといわれたので、魚醤を使ってきんぴらっぽい何かと、挽肉を挟んで揚げ焼きにしたものと、ついでに鳥肉と煮て貰った。
蓮根の先の方のちいさい物はシャキシャキするからスライスしてチップスやきんぴらが美味しいし、根元の太い物はホクホクするから煮物に合うんだよね。
どれも美味しくできて、鼻高々だった。
いつの間にか宴会が始まって、私には果実水しか許されなかったのに、なんだか久しぶりに皆が笑顔になっているのが嬉しくて、その笑顔を作ったのは私だって思ったらもっと嬉しいし、自慢したい気持ちになっちゃったんだよねぇ。
それでまぁなんというか、「それで、ヴィアはどこでこの“レンコン”なる植物について詳しい事を知ったんだい?」って、お兄様から聞かれるままに、「前世の世界では普通にお店で売ってて、おばあちゃんが良く作ってくれるのを見てたんです!」って説明してた。
皆の前で。堂々と。
うん、馬鹿だよねー。私もそう思う。
という訳で、私の家族は皆、私が前世の記憶を持っていることを知っていて、その知識を疑うことがない。
だから、私が領地内での生産を小麦中心から蓮根栽培に切り替えようと進言した時、あまり迷わずに受け入れてくれた。
丁度、その頃に追加で葉っぱとか根茎とかいろいろな部分についても出してた調査依頼に関して、薬師ギルドからの報告が上がってきたことも大きかったんだと思う。
おばあちゃんから聞かされていた効果を教えておいたからね。調べるのも楽だったんだろう。
「白い実は美肌効果が高く、身体の浮腫みを取ることもできる」「花を乾燥させ未発酵茶葉と合わせて淹れることでリラックス効果が得られる」「葉には、鎮痛鎮静作用や免疫力強化、血行促進の効果が認められる」「生の根茎の絞り汁を少量摂取することで便秘を解消できる」「根茎は加熱して常食することで便秘を改善する。また排尿を促進し浮腫みを取り、美肌効果も認められる」「根茎の芯には葉と同等以上の各種効果が認められる」「葉、茎をそれぞれ茶にすることで、効能を高めることができる。特に蓮の葉茶は免疫力が上がる効果も認められた。長期保存も可能」等々。
報告書には知ってることしか書いて無かったけど、権威付けがしたかっただけだからね。問題ない。
という訳で、最初こそ復興支援金とされていた私の身売り金だったんだけど、キチンと一旦返した後に、カルネモッチ家からの申し出により業務提携が結ばれて各種製品を製造する為の事業整備が行なわれたのだ。お陰様で人気は上々だ。
「雑草ではありません。あれは初夏には綺麗なピンクの大輪の花を咲かせるのです。そこから採れた蓮の実のシロップ漬けや根茎から作った上蓮根餅は、カンパニ様も大好物ではありませんか」
蓮根を擦って取り出した澱粉粉はじゃが芋やトウモロコシから取った澱粉粉より色が濃くて味に癖がある。だが、だからこそそれで作った葛餅もどきは格別の味わいがするのだ。
私が最初に作った蓮根の繊維がたっぷり入った蓮根餅とはまるで別格、もちもちくにゅくにゅとした今までにない食感と舌触りは、あっという間にグルメ達の心を掴み、高級菓子の仲間入りを果たした。
「え、あ。あれが? あのひと口で銀貨一枚するあの上蓮根餅が、お前の領地に生えまくっている雑草からできている、だと?」
「雑草ではありません。蓮の花は、遠い国では神の花と呼ばれる尊い花です」
嘘吐いてないもん。蓮の花は仏像の足元に咲いてるアレだもん。お釈迦様が手にしてるお花だもん。
それにしても、私達が売ってるのより高いの喰ってんなぁ、カンパニ。
まぁ『蓮根でんぷん粉』の名前で原材料を売っていたりもするので、王都内ではお貴族様御用達のお店でも出しているんだろう。しかし、一個銀貨一枚はやりすぎじゃないの? それでも買う人がいるんだからいいのか。
蓮根餅は日持ちしないけど、でんぷん粉としてなら領外へも売れるからね。我が領の主力商品のひとつです。
「それは……素晴らしいな!」
「でしょう!」
ガシッとカンパニが差し出してきた手を握り締める。
我が領地のすばらしさをようやく知らしめることができて嬉しい気分だ。
気分がいいので、私は首にかけていたお守りの中からそれを引っ張り出して、カンパニに向かって差し出した。
「これは!?」
「この条件で。よろしいですね?」
「ありがとう。感謝する。配当金も、期待している」
書類の内容を読み進めていく内に、満面の笑みとなったカンパニが、首に絡みついたままの美女を見上げて頷き合い、サインを認めた。
私が差し出したのは、婚約の白紙を申請する書類だ。
慰謝料は双方共になし。両家はこれからも対等な立場で業務提携を続けていくと但し書きしてある。
でもだって。私にだって、結婚相手には夢があるのだ。
オッジ殿下が美形であるように、この世界にだってちゃんと美形はいる。
そして美形ではなくても好感度の高い男性はいくらでもいるのだ。
人生における価値観が、その価格が高いかどうかだけの男と暮らすのは、私には無理だ。
「配当金に関しては『努力致します』ね。では、こちらは父へ渡しておきます。カルネモッチ准男爵へは、お願いしますね?」
「あぁ。勿論だ。まぁ、新しい婚約者としてドーラ・クィンを紹介すればわかってくれると思う」
うわぁ。なんだ自分の親に対する根回しもしないで婚約破棄を宣言しちゃったのか。良かった、こんな人との婚約を白紙にできて。
それに……あー、まぁいいか。もう婚約者でもないだし。『キミコイ』の名前付けの法則についてなんか、説明するのも面倒臭い。
「それにしてもすごい美人な方ですね。どこでお知り合いになられたのですか?」
でも好奇心だけは押さえらんないので、つい訊ねた。
「彼女は、我がカルネモッチ商会のデザイナーで不動の一番人気なのだ」
「まぁ、そうなのですね」
思わず口元に扇を翳した。
同意はしてみたものの、ドレスデザインは王妃様お気に入りのドレッサ様こそが不動の人気デザイナーであることは周知の事実だ。ドーラ様という名前でもクィン様でもない。多分。あんまり興味ないんで自信ないけど。
つい視線をカンパニから後ろのドーラさんに移すと、にっこりと笑顔を向けられる。
う。尊い。この美形の少ない駄目乙女ゲームの世界において、これほどの美形はなかなかいないんじゃないかな。なんで攻略対象じゃないんだろう。一部の層には熱く支持されるだろうに。この人を攻略する為ならば、カンパニだって幾らでも攻略するって程に。
「あの、ドーラ様は、カンパニ様の、どこに惹かれましたの?」
無粋だってわかってるけど、聞かずにはいられないよね。だって誰がどう考えても、さすがにオッジ殿下は世継ぎのこととか考えなくちゃ駄目だから無理かもしれないけれど、もっと高位貴族の恋人の地位だって狙えたんじゃないかと思っちゃう。のよね
「勿論、お金ですわ」
私の無粋な問いに、ドーラ様が眩しいほどの笑顔でハッキリと言い切っちゃった。うーわー。
「カンパニ様は、私が望むもの全てを与えて下さいますもの。地位や名誉があっても使えるお金は限られるものです。自ら増やす事のできる方が一番です」
「そ、そうですか」
ニッコリ笑顔でとんでもなくエゲツナイ構想を口にするドーラ様に思わずドン引く。でもそうかぁ。財布といわず金庫の中身を空っぽにする勢いで使いたい、ということか。そうだね、商人としてのカンパニというか、カルネモッチ家は確かに有能だと思う。うん。
しかも、なんでこの言葉を聞いたカンパニはすっごいいい笑顔なんだろう。え、キモい。
「いいだろう、ドーラのこのハッキリとした物言いが好きなんだ。僕も金が好きだからね。高価な物が大好きだ。そしてドーラも、金が掛かる。最高じゃないか!」
「私も、カンパニ様のぶ厚い金離れの良い財布が大好きですわ」
カンパニの言葉に、ドーラ様がぎゅっとカンパニを抱きしめた。
むぎゅっと音がしそうなほど、豊かなお胸の山にカンパニのでかい頭がめり込んで形を変える。おぉ、すごい。アニメの中でしか観た事の無い光景だ。作り物なのかしら。でもすごい。
思わずじっと見すぎたようだ。ドーラ様がにやっと嗤った後、カンパニの視界に入らない角度で私に向かって片目を瞑ってシーッと指を口元へ当てた。うおっ。セクシー。
「まぁこんなことを言ってはいるが、実際のドーラは僕個人よりずっと金持ちだと思う。彼女はセクシーランジェリーというものを初めてこの世に売り出した素晴らしき伝道者なんだ!」
それでヴィアには名前も分からないのかと得心した。
さすがに学生には早い。嫁入り前に興味を持つなどはしたないとされてしまう部類の話題だからだ。
「うふふ。ランジェリーは女性の身体をより美しく魅せる為のラッピング。私、それをより華やかに彩り魅せる術を考えるのが好きなのです」
「そうだ。ドーラの才能はランジェリーだけじゃないんだ。カルネモッチ商会のディスプレイを任せた店舗の売り上げは倍増したほどだ。ドーラと一緒に沢山儲けて、ドーラの為に沢山使う! 最高だろ」
「確かに」
これは……うん、お似合いだね!
良かった。これならカルネモッチ准男爵もふたりの婚約を認める事だろう。
「ふふ。では、我がシシャック領が次に打って出る新規事業にもそのドーラ様の御力を、どうぞお貸しくださいませ」
「おぉ! 詳しい話を聞かせて貰おう。……稼げるんだろうな?」
「勿論。そのつもりです」
蓮の花の美しさを活かして観光客を呼び、薬師ギルドお墨付きの効果がある特別なお茶や、いろんな蓮のデザートを売り出し、美味しい蓮根料理で歓待する。
つまり、シシャック領の観光地化計画である。
お泊りできる施設を作る事には躊躇した。
初期費用がかかるのは遠慮したかったんだけど、隣の国へ抜ける大きな街道からちょっと逸れてるんだけど、でもちょっと逸れるだけで美味しいご飯が食べられて、季節によっては綺麗な花の咲く幽玄な景色も見れちゃう事があって、しかも疲れが取れる特別なデザートまであるってなったら、皆、そっちのルート選ぶよね?
実際に、蓮茶各種や蓮根でんぷん粉を売り出したことで仕入れもできるということで、巡回ルートに組み込んでくれるようになった商隊も増えてきた。
立ち寄った人達から、『(季節によっては)綺麗な花が咲き乱れてて』、『その茶は疲れを取ってくれて』、『美味しい菓子や料理になる』って聞かされた人たちとしてはさ、一度くらいは行ってみたくなるってもんだよね?
それでも、一度来て満足して終わりっていうんじゃ流行が過ぎたら過疎っちゃう。プラスαな部分が欲しかったんだけど、綺麗でセクシーな空間っていうのは、これまでのこの世界には無いコンセプトだもん。いけるんじゃないかな。長期滞在も見込めちゃうよね? 夢が広がるわぁ。
乙女ゲーム内の悪役令嬢に転生して十八年。婚約破棄イベントも完璧に乗り越えたらしい私は、浮き浮きした気持ちで元婚約者殿と熱い握手を交わした。
皆、もっと蓮根たべようぜ!