【最終回】ステキナチカラ
手首に包帯を巻いて、白銀紗季が教室に入ってきた。
とてもばつが悪そうな顔をして、まるで暴風の直撃に備えるように身をこわばらせながら、目を伏せてその姿を現した。
途端に教室のみんなが歓喜の声をあげた。
「白銀さん!」
「紗季ちゃん!」
「紗季〜!」
「やっと来たぁー!」
勝太から聞いていた通りだった。
みんなが紗季のしたことに感謝し、笑顔を浮かべている。
「お……、おはよう……」
今まで通りのクラスの人気者という偽りの姿を演じることは難しいようだった。
ビクビクと犯罪者のように、目をキョドキョドさせて入ってくる。
そんな紗季の様子には気づかないようで、クラスのみんなは彼女を取り囲んだ。
「ありがとう! 楽しかったよ」
「手首、どうしたの?」
「あんな体験できるなんて思わなかった!」
「VRゲームなんて比べ物にならないぐらいほんとうにVR体験だったよ!」
「好きなバスケ漫画の中に入れるなんて思わなかったぜ! 最初は他のイケメンキャラに押されてどうなるかと思ったけど、主人公補正で無双してやったぜ!」
「またお願い!」
「それにしてもどうしてあんなこと出来るの?」
まっすぐ勝太の席へ歩くと、
「ショウタ……」
紗季は少しひそめた声で、言った。
「付き合って」
「へっ!?」
交際してほしいという意味かと思い、勝太はびっくりしたが、どうやらその意味ではなかったようだ。
サッサと歩き出した紗季のあとをついて行くと、屋上に出た。
屋上に吹く風には少しだけ、秋の匂いが混じっていた。
「手首……大丈夫か?」
屋上に着いても背中を向けたままの紗季に勝太が聞くと、ようやく長い髪をなびかせて振り返るなり、呟くように言った。
「人間って、くだらない……」
「またそれかよ」
勝太は頭を掻いた。
「それ言うために呼んだワケ?」
紗季はいつもながらの鋭い目で勝太を睨むように見ながら、吐き捨てるように言った。
「そうは思わない? 自分の気持ちのいいことにばっかり頓着して、全体のこととか何も見えてない。みんな自分さえ良ければいいんだわ。世界が環境問題とか抱えてても、自分の楽しいゲームとか漫画に逃げてばっかり。どうぶつのほうがナンボかマシだわ! 無邪気で罪のないどうぶつを見習いなさいって言いたい!」
「だから……」
勝太は、困った。
「それを俺に言ってどうなると?」
「……そうね」
紗季が大人しくなった。
「あんたもそんな人間だものね」
そして、言い足した。
「私だって……人間」
しおらしくなった紗季を見ると、なんだか可笑しくなって、勝太は思わずクスッと笑ってしまった。
それに反応することもなくうつむいている紗季に、自然に言葉が口から出た。
「なんていうか……正義感が強いんだよな? サキは」
「正義なんてないわ!」
キッ! とまた勝太を紗季が睨む。
「正義なんて人間が作り出した幻想よ! それに……っ! みんなを地獄に落とそうとした私が正義なら、それこそ人間は……9割以上の人間は悪ということになるでしょ? そんなの……やだ」
紗季が黙り込んだ。
勝太はめんどくさかった。めんどくさいながらも、この場から早く帰りたいとは思っていなかった。
自分の想い人は、心に描いていた女の子とは、まったく違っていた。幻滅した。しかし、ほんとうの彼女を知れたことは、何か勝太の裡に、紗季に対するとめどない興味を産むこととなっていた。めんどくさいからこそ、そこに深淵のようなものを感じ、それを覗き込みたくなっていた。
「なんだかよくわかんねーけど……」
かける言葉を探しながら、勝太は言った。
「おまえに興味が出てきた。もっとおまえのこと、知りたい」
「勘違いしないでよ?」
紗季がまたキッ! と睨む。
「わたしの正体知ってるの、あんただけなんだから! だからこんな話してるだけなんだから! ここからベタな恋愛ドラマが始まるとか思わないで! そんなフィクション、ありえないから!」
勝太は本心から即答した。
「いいよ? べつに」
紗季は調子を崩されたように、ガクッと膝を折った。
「い……、いいのかよ?」
「だっておまえ、ひどいやつだもんな」
そう言いながら、勝太は優しく笑った。
「ほんとうのおまえは、ひどいやつだ。でも、ほんとうのほんとうのおまえは、優しくて、俺が死んだら号泣するやつだけどな」
「うるさい」
紗季が魔導師の杖を突きつけるようなポーズをしてきた。
「でもっておまえ、口ではファンタジーくだらないとか言いながら、魔法少女やらせたらノリノリだったもんな」
「うるさい。からあげにするわよ」
脅すようにそう言いながら、紗季がクスッと笑った。
「とりあえず……ファンタジー楽しいだろ?」
「くだらないわ」
「現実が辛いものなんだから、甘いファンタジーは必要なんだよ。癒やしの意味で」
「そんなレベルの低いこと言ってるんじゃないって、言ったでしょ! 国家だってファンタジーなんだから、人間が戦争を起こしてしまうのはファンタジーのせいよ! しっかり本来的な現実的自己を見ていないからだわ」
やっぱりコイツ、めんどくさいだけかな……。そう感じて、勝太が教室に戻ろうかと思った時、続けて紗季が言った。
「ひとつだけわからないことがあるの」
背中を向けかけていた勝太が振り返る。
「ん?」
「なぜ、あんたがキャラの名前を変えたのに、私もゲーム世界に引きずり込まれたの?」
「あー……、アレ? 俺も考えてたんだけど……」
勝太は平然とした口調で言い切った。
「俺が白銀紗季を好きすぎたからじゃね?」
「な、何よ、それ?」
「名前は『ミア』に変えたけど、俺の中ではまだ『サキ』のまんまだったからな。それぐらいおまえのこと大好きだったから」
「キモいこと言わないでよ!」
「……ま、その白銀紗季が幻想だったって、今はわかったから、もうアレだけどな」
勝太は『好きじゃない』という言葉を、『アレ』にして濁した。
「アレって何よ? はっきり言いなさいよ!」
「『複雑なやつだな』って思ってる」
「そうよ! 人間は複雑なものよ! 一面だけ見てその人間のすべてを決めつけないで!」
「そのセリフ、そっくりお返しするよ」
「あ……うん」
紗季がやたら神妙な顔になり、うなずいた。
「私も………あんたやみんなのこと、一面だけ見て決めつけてたものね」
思わず勝太はクスッと笑ってしまった。
めんどくさいやつだけど、なんだかほっとけなかった。
コイツはこのまま生きればきっと、いつか気づくだろう。自分が特別な人間とかではなく、そんな幻想を自分に見ているだけだということに。
それに気づいた時、その幻想が壊れた時、誰が紗季を支えてくれるのだろうか。
ほんとうの紗季を知っているのはたぶん、自分だけだと勝太は思えた。
「おまえ……」
勝太は自然に口から言葉が出てしまった。
「俺と結婚しろよ」
「は……、はあっ!?」
紗季が顔を真っ赤にした。
怒っているのか照れているのか、まったくわからなかった。
「俺がおまえを支えてやんよ」
勝太は照れることなく、まっすぐ言った。
「ほんとうのおまえを唯一知ってる俺がよ」
紗季が泣いた。
子供のように前進してくると、勝太の胸にその顔を埋め、子供のように泣きはじめた。
お読みいただき、ありがとうございました。
この作品の原型は、私が高校生の頃に描いた、未完の漫画作品でした。
元々の形だと紗季ちゃんの思想を賛美した、メッセージ性の強すぎるイデオロギーに満ちたものだったのですが、時が経ってから書き直したらなんだかふんわりとしたものにできました。
ちなみに高校生の頃の私はニーチェの『ツァラトゥストラ』に毒され、かなりおかしなことになっていました。
未完だった物語を、形はかなり元とは変わりましたが、ここに完成させられたことを嬉しく思います。
それでは重ねてありがとうございました(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ




