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顔パスポート

作者: 美月里亜

顔パスポート


昼下がり若い世代を中心に人気のブランドを豊富に揃えたブティック店内は休日と言う事もあり賑わっていた。

この店のマネージャー五十嵐はここに立って仕事をしている事に誇りを持っていた。

整えられた白髪交じり髪の毛もしっかりと整え、ビシッと着こなしている新品同様のスーツの胸元に光るネームバッジ。

そのほとんどの客はみんな同じようなファッション髪型メイクをしている中に彼女はそこにいた。

一見地味な彼女はその空気の中に溶け込んでおりいつからそこにいたのか全く分からなかった。

いつものように営業スマイルを見せていたこの店のマネージャー五十嵐は彼女よ存在に気付くと笑顔が消えていくのが分かった。

決して美人とは言えない風貌ではなく、かと言って不細工と言う訳でもない。

スタイルもいたって普通。

そんな彼女が彼を見付けて満面の笑顔を見せた。

邪気の全く無い屈託のない笑顔。

この笑顔が凶器だった。

無邪気と言う言葉は悪い意味が無いように思えるが、一方で思慮の無い意味にも伝えられる。

彼女の場合後者だった。


「おじさん、久しぶり!元気だった?」


「…、はい、もちろん。美冬さまも元気そうで何よりです…」


美冬と呼ばれた彼女はクスッと笑い手にしていた新品のジャケットを五十嵐に渡すと。


「これ顔パスで!」


当然のようなその仕草。

女はこのブティックの大元の社長令嬢であり、当然のようにこうして商品を取っていく。

親の力に加えて天真爛漫なこの笑顔に多くの人は騙されてきた。

物心ついた時から彼女はずっとそうして生きてきた。

男の顔色が変わった事に全く気付かず美冬はグレーのジャケットに腕を通し、


「これすぐに着るからこのままでいいよ。これもある意味エコだよね」


などと言って店を出ていった。

五十嵐の苦虫を噛み潰した表情など彼女には全く見えなかった。


美冬は今までずっとそうやって生きてきた。

美冬にとって一番大切な物は笑顔だった。

元からたれ目の目尻を下げてニコッと笑うだけで大抵の事は許される。

世の中には損する人間と得する人間がいるが美冬は間違いなく得する側の人間である。

美冬にとって見た目…、顔が全てだった。

学歴やら内面やらどうでも良かった。

特に見た目がいいと言う訳では無かったが愛嬌だけが人1倍良かった。

愛嬌なんてとバカにしてはならない。

美冬が今までこうして生きてこれたのはこの愛嬌のおかげと言って間違いではない。

親の財力とか言われそうだが、この笑顔さえあれば美冬は一文無しになったとしても何とか暮らしていけると思っている。

小学生の頃は近所の駄菓子屋、ゲームセンター、小さなカフェなどは全て「顔パス」を通してきた。もちろん、全てがタダになる訳では無くいくらか代金を支払ったりするものの中学のお受験も合格ラインまであと一歩足りなかった物の、面接官から好印象を受けて合格した。高校に入り彼女の「顔パス」は更に進化を遂げた。

「顔パス」をされる度言葉で表せない程の満足感を得る事により彼女は幸せを感じていた。

自分は他の人より優位に立っている。

そんな不確かな自信を持つことができた。

常に数人のコ達に囲まれ何不自由無く過ごしてきた美冬は時に批判される事もあったがそんな事全く気にならなかった。

何よりも大切なモノは自分。

自分が楽しければ他の事なんてどうでもいい。

しかし、家庭内での美冬の立場は微妙で。いつもデキのいい兄弟と比べられ居心地が悪かった。

虐待などされてる訳では無かったが明らかに両親の態度は違っており、早く家から出たかった。

美冬の作ったような笑顔が嫌いだと姉に言われた事もあった。

早くに家を出て一人暮らしを初めてから一度も家に連絡をした事は無い。


数日後、仕事帰りの美冬は馴染みのバーに立ち寄りいつものように顔馴染みの客を見つけ、話し始めた。

独身貴族のこの男は週末必ずこの店に来ている。

最近どう?など誠いつもと変わらない会話から始まり、最終的には美冬がデロンデロンに酔いつぶれて相手に全て支払わせて終わると言うのがいつものパターンだったが、今日は違っていた。

名前さえ知らないこの男は美冬にとってただの


「いつもありがとう、ごちそうさま」


席を立ちバッグさえ開ける素振りを見せない美冬に対して、男はきょとんと首を傾けた。


「え?何でオレが奢る空気なの?」


名前さえ知らないただのATMだと思っている男にそんな事を言われ美冬は戸惑った。


「え?……。今日厳しいの?じゃ、マスター、顔パスで」


しかし、美冬はすぐにマスターにいつもの笑顔を見せた。

大抵は客の男に払ってもらえるがごくたまに行るイレギュラー対策の一つの支払いにマスター対策がある。

美冬の祖母ぐらいの年齢である温厚なマスター。

美冬はマスターの笑顔しか見た事がない。

だが、マスターは眉間にシワを寄せて答えた。


「畏まりました、それでは顔パスポート拝見します」


「……え?」


何て?今何て言ったの?

もう既に店の扉の前にいた美冬は聞きなれない言葉に足を止めた。


「はい?今何て言った?」


「顔パスポートですよ、顔パスポートが無ければ顔パスは使えませんよ」


何それ?顔パスってそもそもそんな正式名称あった?そんなパスポートなんて本格的なモノ出すような重いものだった?

顔パスなんて挨拶のようなモノでしょう?


「何言ってんの?」


独身貴族がお尻のポケットからスマホを取り出し、ニュース画面を美冬に見せた。


『現在日本人の90%の人が所持している顔パスポートですが、今だに反対派の方も多くいるようで…』


見た事のあるニュースキャスターが知らないニュースを喋っている。


「何これ?フェイクニュース?」


「お前マジで顔パス持ってないの?」


独身貴族がごつごつした指でスマホの画面変えアプリを開き、美冬に突き出した。


「これ本当に知らないの?」


そこには免許証より堅くない表情の男の顔写真、利用できる場所、利用できるランクなどが書いてあった


「この利用できる店、ランクでサービスが変わるから、オレの場合この店ではただの常連客何のサービスも受けられないってなってる。ひどいよね、常連客なのに。まぁ世間なんてそんなもんだよね、常連客だから特別って言うのもおかしな話だよね、だから、美冬ちゃん、顔パスポートも持っていないキミはここではサービスも受けられない以前に常連客でも無い訳。もちろん、オレは客としてここにいるからキミの飲み友達……」


彼は言葉を区切りスマホ画面を神妙な面持ちでじっと見た。


「あれ?オレのアプリにはキミの存在入ってないや。顔パスポートを持っていないキミの事は認識されないのか…」


クスクスと嫌な息を漏らし笑い出した。


「な…………」


何なの、それ!

美冬は財布から数枚の紙幣を出しカウンターに叩きつけそのまま店を出ていった。


一体何なの?

スマホを開き顔パスポートをググると普通に出てきて驚いた。

は?マジで何これ?

まずアプリをインストールして…、簡単な個人情報を入力…、ん?、何、このパスワード?、国から発行されるパスワード?

意味分からない!こんなののせいで酔いが覚めたじゃない!

コンビニに入り、ツカツカとカゴの中にアルコールやらツマミを投げ入れレジに向かう美冬。

無言で機械のようにレジを打っていた学生らしき店員がアルコールで手を止めてこれまた機械的に口を開いた。


「顔パスポートはお持ちですか?」


「え……」


レジ画面にアルコールタバコ購入の際には顔パスポートのご掲示をお願いしますと表示されていた。

は?いつからこんなのあった?

店内にいた他の客の冷ややかな視線。


「お客様?」


頭の中が真っ白になった美冬の耳に店員の声がノイズに変わる。


「あ………、えっと………、やっぱりいいです!」


自分だけがおかしいの?

自分だけ知らないの?


『限定キャンペーンと行っています。今顔パスポートと本人確認との連動で……5000ポイントプレゼントさせていただきてます』


行き交う街の中でそんな風にキャンペーンを呼び掛けてる人の声がはっきりと耳に入った。

別の場所では飲み屋の前でペコペコと頭を下げる人に掴みかかる人の姿もあった。


「あー、もう一度言ってみろ!」


すごい剣幕の男にただただ謝罪する男。


「申し訳ありません、ですが、何度も言うように当店は顔パスポートお持ちで無いお客様のご利用は禁止させていたのだいております、万が一顔パスポートお持ちで無いお客様を入れた場合当店が業務禁止になってしまいます…申し訳ありません」


そんな押し問答が他の店でも行われていた。

気分が悪くなったきた。

この場所はついさっきまで自分が普通に生きてたところなのに、違う世界に迷い来んできてしまった感覚に陥る。

ふらつく足取りのまま家までの道を急ぐ。頭では急いでいるのに力の入らない足が思うように動いてくれない。

幼い頃、舗装したての真っ黒なアスファルトが妙に気になったものの自分は歩きたく無くていつも私についてくる気の弱い級友を歩かせてみた事が頭をよぎった。

新しい靴を買ったばかりだと言っていた級友はかなり嫌がっていたので、私はそのコの背中を押して強引に歩かせた。

のろのろと歩きだし、結果靴が地面に張り付き最期には靴が取れなくなり泣いていたあの子を思い出した。

名前さえ覚えていない猫背のあのコの事面白がって『ダンゴムシ』って呼んでたっけ。

あのコの名前何だっけ?

あれ?

そう言えばあのブティックのマネージャーは?さっきまでカウンターで飲んでいたあの人の名前は?

あのコだけじゃない…。

私……、誰の名前も知らない………。

駅に駆け込み震える手でICカードをタッチした。

何事も無く構内に入れた事に安心した。

終電間近と言うこともありそんなに人はいない。


「お、お前彼女と別れたんだって?」


酔っ払ったサラリーマンが同僚らしき男にちゃかすように言った。


「昨日別れたばかりなのに何で知ってんだよ!!……、あ、また『顔パス』が更新されてる!何だよこのシステム…」


「お前の設定ミスだろう?今のお前個人情報ガバガバだぜ!」


ケタケタと笑っていた男がよろけて私にぶつかった。


「あ…、すみません……」


赤ら顔の男が謝りながらじっと美冬を見て、ヒッと口角を上げた。


「このお姉さん、顔パス不所持だーーー!!!」


自分のスマホを掲げひきつった表情で大声で叫ぶから周りの人間が美冬に注目して、数人でいる者はひそひそと眉を潜め何かを話し、また一人でいる者は美冬にスマホを向けて珍しいモノでも見るように目を見開いた。

え?え?何これ……。

人が怖い………。

騒ぎを聞きつけたのが駅員が近付いてくる。

私……私は……。

美冬は力を振り絞り階段を駆け上がり、駅を出た。

そんな中でも周りの視線が怖かった。

みんなが自分を嘲笑っている。

そんな気がして。

早く帰りたかった。

帰る?このまま一人暮らしのアパートに?

私のアパートのセキュリティどうなってたっけ?

息が苦しい。

どんよりした空が余計に美冬の気持ちを重くしてゆく。

そうだ、実家に帰ろう……。

美冬は向きを変えタクシーを捕まえようと思ったが首を振り、歩きだした。

今は誰にも会いたくない。


通いなれた筈の道に着く頃には空が色づき初め空気が軽くなっていた。

もう少し、もう少しで着く。

犬を連れた老父とすれ違う際軽く会釈され、ビクッとしながら頭を下げる時目頭が熱くなった。

戸外の古い一戸建ての家。

多分もう起きてる筈…。

チャイムを押すとカタカタと庭から物音がした。

庭で花に水を上げていたのだろう。

ジョウロを持ったままの母親は私に向けて笑顔を見せてくれた。


「………」


声が出ない。

熱いものが込み上げてきて、体が動かなくなる。


「……、た、た」


だいま。

と言う美冬の声と母親の声が重なった。


「どちら様ですか?」


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