美術室
別に、あれから何か進展があったわけではない。
と言うのも、二人きりになるシチュエーションがそんなに無いんだ。その事に気づいたのは、決意してみた次の日。
朝はお互いの友達と喋ってるし、挨拶ぐらいしかしない。昼休みもさっさとどこかへ行ってしまうし…。放課後はそれぞれ部活で、出会う機会すらないんだ。僕がヘタレだという事実は認めよう。だけど廊下ですれ違う時に談笑できるくらいの関係かと聞かれたら、違うよなぁなんて思うんだ。じゃあ、呼び出す?それってハードル高くない?
…謎なんだが、みんなどうやってきっかけを作って、付き合ってるのか、不思議になってくる。
そんな事を考えている時だった。
「やった!ちょうど良いところへ、来てくれた!」
部活が終わり、教室に戻るところだった僕は、小松先生に呼び止められた。美術室に居る生徒に、鍵を閉めて帰る様に言ってくれと頼まれる。顧問の小松先生は用事があるらしい。
「三階まで階段登るの、億劫で…」
ボソリと先生は呟いた。億劫って…。美術室は三階だけど、顧問でしょ?
「先生まだ三十代…」
足腰が弱るには、まだ早いと思う。
「私は、永遠の28歳だから!」
ビシッと鼻ギリギリに指を突きつけられる。あう…、妙齢の未婚女性に、年齢の話は禁句だったらしい。逆鱗に触れたかな?
「…はい」
変な汗をかいてしまった。
「ゴメンね、急いでるから。頼んだ!水嶋君!何なら、うちの部員、口説くのを許す!」
親指を立ててウインクする先生…リアクションがどう考えても二十代じゃないと思う。でも、言ったらまた逆鱗に触れそうなので、僕は、はいと頷いた。
「美術部、売るんだ…」
頼まれたので仕方なく三階までの階段を上る。美術室って来たことないかも…。美術の授業は選択制で、書道か美術を選ぶんだけど、絵が下手な僕は書道を選んでいる。
少し緊張しながら、明かりの漏れる引き戸をそっと開けた。
「お邪魔します…」
美術室には石膏像が並び、油絵の具の匂いが漂っていた。独特の雰囲気だな…。
エプロンをして、髪の毛を後ろで一つ括りにした女子生徒の後ろ姿が見えた。どうやら、この時間まで残っているのは、一人だけらしい。藍色のシュシュに見覚えがあって、おや?と思ったら、高崎さんだった。彼女は、僕が入ってきた事にも気付かないくらい集中している様だ。
すぐ後ろまで来ているのに、全く気付かない。すごい集中力だと思いながら、しばらく彼女が絵を描いている様子を眺めていた。イーゼルに置かれた布張りのキャンバスには、複雑で美しい色合いが重なっている。
いつも僕が見られているので、こんなにじっくり彼女を見つめたことはないかも…。首筋や、頸が綺麗だななんて感想を抱きながら、高崎さんは今、どんな表情をしてるんだろう…なんて考える。
「高崎さん?」
声をかけてみたけど、聞こえてないみたい。絵に没頭しているのかな?何度か声をかけてみても、全然気付いてくれない。
うん?…もしかして、瑠偉が言ってた、無視されたって噂は、コレのことかな?なるほど、そういうことだったのか…。
仕方なく、肩をトントン叩く。
「高崎さん?」
ハッとした顔で僕を振り返った彼女は、不思議そうな顔をする。
「水嶋君?あれ?どうしたの?」
「小松先生に伝言を頼まれたんだよ。鍵閉めて帰ってくれってさ」
「あ、わざわざありがとう」
ふと、時計を見た彼女は慌てる。
「うわぁ、もうこんな時間!?帰らなきゃ…」
後片付けをし始める彼女を見ながら、僕は小松先生の言葉を思い出していた。口説くのを許すって言われたからなぁ…。折角許しを貰ったことだし…。
「高崎さん、一緒に帰らない?」
「後片付け、まだ終わってないけど、いいの?」
「僕も教室に鞄取りに行ってくるから、一緒に帰ろうよ。」
「うん」
「あ、LI◯E知らないから、教えてくれる?」
「ちょっと待ってね」
側に置いてあったスマホを手に取る彼女。
そして僕達は連絡先を交換し合って、一旦離れた。
教室までの道のりの、足取りが軽い。さり気なく聞き出せたから、自分としては上出来だと思う。
昇降口で待っていたら、今片付けが終わったとメッセージが来た。パタパタと急ぎ足の彼女が近付いてくる。女の子との待ち合わせって、なんか新鮮だな…。
駅に向かって二人で歩きながら、小松先生の話題になる。
「小松先生って非常勤講師だけど、部活も熱心に見てくれるし、良い先生だよ。賞も何度も貰ってて、実績もあるし」
「そうなんだ…」
知らなかった。軽いノリの先生だし、生徒からは人気があるけど、人は見かけによらないんだな…。ただ、使い走りにされたおかげで、今高崎さんと一緒に帰れているのだから、感謝しないといけないだろう。
「すごく集中してたね」
「…もしかして、何回か話かけてた?」
「うん」
「昔からそうなの。悪気はないんだけど、集中してると聞こえないんだ…」
ごめんねと、しおらしく彼女は謝る。やっぱり無視してた訳じゃないんだな。
「そうみたいだね。僕の父さんも本読んでる時、そんな感じだよ。だから、別に気にしないよ?」
「本当?ありがとう」
彼女は微笑む。やっぱり、笑った顔の方が可愛い。
「私の事をよく知る友達は、気にしないんだけど、無視してるって思われる事もあるんだよ」
「僕はそう思わないから、大丈夫」
「気付いてなかったら、さっきみたいに肩叩いてね。さすがに気付くから」
触れる許可を貰ったみたいで、僕は嬉しくなる。
「うん」
二人で並んで歩く道は、いつもより時間がゆっくり進む。君の歩幅が、僕より狭いせいかも知れない。だけど僕たちの時間は、今重なっているんだな…。
駅で分かれた僕たちは、別々のホームへ向かった。線路を挟んだ別のホームに、彼女の姿が見えた。高崎さんは、僕に気づいて手を振った。嬉しくなって、僕も手を振り返す。
まずは一歩、前に進めただろうか…。
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