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第四話

 ――彼女は子供が欲しいけど、身ごもりたくない。自分の時間を縛られてしまうから。


 ちょっとショックを受けながらも、僕はシンパシーも覚えていた。

 自分の時間を侵害されること、彼女も気にしているなんて。そして、子供に関心があることも。

 でも、「入院」の二文字はスルーできない。もちろん、先輩の話が正確でない可能性もある。すでに事故が起きたのは数カ月前だし、すでに治療が済んで通学している可能性もゼロじゃない。

 しかし、まったく別人の恐れもある。


「ツキヒーホシ、ホイホイホイ……」


 競輪場の前を通ると、またあのサンコウチョウの鳴き声が耳の奥を揺らしてきた。見ると、やはり巣全体に蓋をするようにうずくまる、尾の長い鳥の姿が目に入ったんだ。



 彼女の名前も、先輩から聞くことができた。明日にはこの名前を出して、情報をさらに募ってみるつもりだった。

 すでに僕は帰りの電車の中。今日はいつもより部活が長引いたこともあり、普段利用する時間帯に比べて、人の数が少ない。僕の下りる駅のひとつ手前では、僕以外の車両内にいる客が全員降り、がらんどうとなってしまう事態にも出くわした。

 あと一駅なら、わざわざ座るのは面倒。僕はドアに背中を預けながら、ぼうっとドアから見える景色の先を眺めていた。

 見飽きた景色が通り過ぎていき、それは同時に、僕の中での到着カウントダウンを促す。ここを過ぎれば、あと何分と、つい体が数えてしまうんだ。

 やがて線路は完全に直線となり、踏切とその奥へ見える跨線橋が、もうじきの降車のときを告げる。

 背中のリュックをもう一度背負いなおしかけて、僕はふと、いつもと違うものが景色に混ざりこんでいるのを見た。


 それは例の踏切の先、駅構内に入る線路の上にあったんだ。

 ピンクのリボンをあしらった、麦わら帽子。かぶる方を下に向けてレールに横たわるそれの姿がはっきり見えたんだ。

 でも、それだけじゃない。速度を落としながら迫り、僕のドアの角度から見えなくなるぎりぎりのところで。

 帽子がふわっと舞い上がった。けれど、それは風に吹かれたからじゃない。

 帽子の下から巻き上がる、豊かな黒髪に打ち上げられたからだ。それは少しだけご無沙汰していた、彼女が文庫本から顔を上げるときの仕草そっくりだったんだ。

 その下に見えた肌色が、車両の影に隠れてしまうのと、「ドン!」という音が電車全体に響いたのは、ほぼ同時のことだったんだ。


 数秒後。駅構内で、ホームに示された乗り場の矢印とは、だいぶずれる形で電車は止まってしまった。


「ただいま、異音を感知いたしました影響で、列車を停止しております。お急ぎのお客様には大変――」


 車内放送が流れているも、僕にはのんきな内容にしか思えなかった。

 あの衝突の直後、僕の立つ乗降口のドアの窓に、ひと房の黒髪が張り付いてきたんだ。それだけじゃなく、振り返ればこの車両中のいずれの窓にも、黒髪や麦わら帽子の破片が、くっついているのだから。

 にもかかわらず、窓のすき間から見る駅のホームで待つ客たちは、その異様さを認識していないらしい。

 あるいは、ぶつぶつ文句を言い、あるいは、とんとんとホームをつま先で神経質に叩き、あるいは、これを機とばかりにケータイゲームに集中する……。

 音は聞こえなくても仕草で伝わる、「どうでもいいからさっさと動けよ」のサイン。


 彼らにはきっと見えていないんだろう。

 こびりついた瞬間から、この髪の毛や破片が微妙に動いていることも。そいつらが窓のすき間、ドアの合わせ目の中から少しずつ中へ忍び込んでいることも。

 そしてそいつらが、車内へ完全に体を潜り込ませたとたん、僕へ向かって飛び掛かってきたことも。

 そうして僕が、体中からこいつらを生やしながら、ついさっき倒れこんでしまったことも。


 痛くも、苦しくもなかった。ただ心地よい眠気が、じょじょに強まっていく。

 何も力を入れていないのに、両足が貧乏ゆすりするように絶え間なく痙攣し、のどの奥が絵筆でくすぐられているかのごとく、こそばゆかった。そしてお腹は、にわかに暖かくなっている。

 目の前では、車内灯の消えた天井と、その半ばを覆うように長い髪の毛がわかめのように立ち上がっていた。ゆらゆらと揺れるそのすき間からは、ほんの一瞬だけのぞいては隠れてしまう顔があったんだ。

 彼女。いや、少女のものだろうか。

 初めは目元しか見えなかった。それがパラパラ漫画のように、のぞくたび、のぞくたび少しずつ顔のパーツが付け足されていくんだ。



 ――生まれるんだ。新しい、あの子が。


 頭の奥で、なにかが僕にそう告げる。

 少女の顔が完全に浮かび、あの時と同じ微笑みを僕に投げかけたところで、僕はついに睡魔に押し切られ、まぶたを閉じてしまったんだ。



 そこからどう帰ったか、はっきり覚えていない。家族はおかしな顔をせず、鏡で見ても僕の身体に、髪の毛たちがひっついていることもなかった。

 でも、感じている。僕のお腹の中で、断続的に内側から蹴ってくる、何かの存在があるのを。ゆっくりとではあるけど、その間隔がどんどん短くなってきているのを。

 三時間に一度ほどの蹴りは、一晩明けたら二時間に一度になっていた。今日一日で、どれくらいペースが早まってしまうだろうか。

 何とか周囲に隠しつつ、通学へ。今日も駅には彼女の姿、そしてあの少女の姿も見えない。そしてあの競輪場のサンコウチョウの巣では、相変わらず抱卵に励む鳥の姿があったんだ。


 ほどなく、僕も自らのお腹で孵すことになるだろう。新しい、あの子を。

 その子も、またどこかで増やしていくだろう。新しい、彼女を。

 僕の願いはどうやら、思いのほか早く、かなおうとしているようだ。


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