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第二話

 翌日。僕はいつもより数十分早くに家を出た。

 跨線橋を挟んで、改札がそれぞれ一つずつのみという、小さな最寄り駅。僕はいつも使うのとは逆の改札から入った。

 そう、彼女がいつも電車を待つ方だ。僕は跨線橋の階段の裏側の影に隠れつつ、彼女がやってくるのを待つ。これまでの経験から、彼女はここの真ん前に立つはずだ。

 胸元を押さえて深呼吸。気持ちを落ち着けようとしたけど、予想より早く、彼女がやってきてしまった。

 すっ、すっと迷いなく定位置へ。僕を真後ろに置きながら、それに気づいた様子も見せず、カバンから本を取り出して読み始めてしまう。

 いつも真向かいにいる僕がいない。なのに、線路の向こうを一瞥することなく、気にも留めていないようだった。


 ――やっぱり、彼女は僕なんか眼中にないんだ。そんな奴にいきなり話しかけられるなんて、気持ち悪いじゃないか。


 くすぶらせていた勇気が、萎えしぼんでいく。口を何度も開きかけては閉じなおして、幾度も声を飲み込んだ。ほんの数メートル先にいる彼女が、遠い。


 早くに到着していたというアドバンテージは、もう底をつきかけている。あと二分でいつも通り電車がやってきて、彼女を連れ去ってしまうんだ。

 雲に隠されていた、日差しが照ってくる。影に沈んでいたレールがその姿をはっきりと、構内に浮かび上がらせてくる。走りくる電車を何度も迎え入れているせいか、タイヤを受ける上部は、茶色い塗装がはげかけて銀色の肌がむき出しになっていた。

 空気もにわかに暖まり出す中、ついに踏切の音が鳴り始めてしまう。すでに彼女の周りに集まっていた他の乗客たちも、荷物を持ち直したりして待ち受けている。


 ――ばかたれ。早く声をかけろ。元のもくあみじゃねえか。

 ――あほたれ。勝ち目のない行動なんて、もってのほかだ。


 遮断機の下りる気配を感じながら、僕はまだぐずぐずし続けていたんだ。


 そのときだった。

 階段に隠れる視界の端からコロコロと、帽子が転がり出たんだ。ホームに書かれた白線の上をきれいにたどるそれは、ピンク色のリボンをあしらった麦わら帽子。

 その転がる軌道が途中でくっと曲がり、彼女の履いているローファーへ向かう。こつりと帽子のつばがつま先をとらえるも、勢いはそこで止まらなかった。


 コツンと、彼女の黒いソックスが、当たった帽子をわずかに転がり返した。

 すでに彼女は本を閉じていたけど、いつものように顔を上げる所作を見せない。代わりにその場へかがみこんで、帽子を取ろうとしたんだ。


 でもそれより早く、帽子へ駆け寄る姿がある。

 階段の影から現れたのは、6,7歳くらいの白いワンピ―スを着た少女。彼女が触るより先に、その子が帽子をちょんとつまみ上げて、ぺこりと頭を下げる。

 二人の横顔を見て、僕は思わず息を呑んだ。その髪、顔立ち、すべてがよく似ていたからだ。彼女を10歳ほど若返らせたら、という想像そのままの格好で、少女はそこに立っていた。

 お互い、そのことに気が付いているかはわからない。少なくとも彼女の反応を見る限り、姉妹という線はなさそうだった。


 音を立てて電車が構内へ入ってくる。向かいのホームは連なって突っ走る車両に隠され、もうほとんど見やることはできない。

 彼女が笑って、少女に小さく手を振った。「もう落としちゃダメよ」と、声じゃなく目が話していた。この数週間で初めて見る、彼女の優しい目元に、ぐっと胸が熱くなる。

 少女もそれにこたえる。けれど振り向きざま、階段下にとどまっている僕と目が合うと、ほんの少しだけ顔を止めた。


 そして、笑う。彼女の目元に加えて、口元もゆるませたその笑みを僕のまなこに残して、階段影へと去っていく。

 電車が止まった。セミがけたたましく鳴き出す中、開いたドアはわずかばかりの降車客を吐き出し、多くの乗車客を招き入れていく。

 彼女がその中へ消え、電車が走り去ってしまっても、僕は寂しくなったホームの上。まだ階段下でずっと立ち尽くしていた。

 頭の中では、焼き付いたばかりの彼女の笑みと、少女の笑みがぐるぐる、ぐるぐると何度もらせんを描いて、浮かび上がってきていたんだ。


 ――もし、彼女に娘ができたら、あんな子になるんだろうか。



 その日の学校は、ほとんど上の空で過ごした。

 今朝の待ち受けた収穫を、何度も何度も思い返している。電車到着2分前の、あの光景だ。

 転がってきた帽子を拾い、微笑む彼女。帽子を拾ってもらい、彼女と僕に微笑む少女。

 ひたすら周りの景色、乗客を取り払い、二人だけをファインダーの中へ残そうと、何度もトリミングしていたからだ。

 自分のペースを乱す帽子がぶつかってきたのに、嫌な顔ひとつせず拾い上げてくれた彼女。きっといいお嫁さんになってくれる。

 その相手にもし僕がなれたなら、どんなに素敵だろう。

 そして、帽子を拾われた少女。彼女にうり二つの顔立ちで、彼女に劣らない笑みを浮かべるあの子。きっといい女性に育ってくれる。

 そこに僕が入ることができたら。僕が関わることができるのなら。


 ――彼女と、あの子。彼女の、あの子。僕と彼女の、あの子……。


 頭を回せば回すほど、顔が赤くなっていくのを感じた。でも、友達のいっていたビジョンは急速に固まりつつある。


 ――僕が望むもの。それは彼女と、あの子のような娘のいる、未来。



 気づいたときには、もう帰りのホームルームも終わっていた。

 今日は部活動、その他もなく、早く帰ることができる日だ。今度こそ、彼女に話しかけられる準備と覚悟を整えなくっちゃ。


「ツキヒーホシ、ホイホイホイ。ツキヒ―、ホイホイホイ……」


 学校の最寄り駅近くにある競輪場。その前を通りかかったとき、ふいにこんな鳴き声が耳へ飛び込んできた。

 この特徴的な鳴き声、聞き覚えがある。周りを見回すと、競輪場の駐車場わきに並んでいる木々の一本に、尾の長い鳥が巣を作っていたんだ。


 サンコウチョウ。夏鳥として日本に訪れるこの鳥は、本来は暗い林の中に自らの縄張りを持つはずだ。それがこのような街中に現れるとは、住処を追われているのかも。

 いまは産卵期ギリギリといったところか。枝の間からのぞくコーヒーカップのような巣には、さえずったのとは別の一羽が鎮座している。お互い、顔を合わせて二、三度首を傾げた後、さっと立ち位置を交代した。

 サンコウチョウの旦那は「イクメン」のはしりだ。この鳥にも抱卵の習性があり、卵をかえすために親鳥が卵を温める。

 このときメスだけでなく、オスも抱卵の仕事を請け負うんだ。自分の子供のために、早くから妻への協力を欠かさない。二匹で一緒に、自らの未来を温めていく。

 卵を温め続ける姿を見て、僕も改めて気を引き締める。

 僕もまた彼女の、ひいてはあの子のために、頑張らなきゃいけない。そのために、今日踏み出せなかった一歩を、明日に踏み出すんだ。


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