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第一話 

――通学なんて、くそくらえだ。学校のほうから、こちらへやってこい。


 遠くへ通う経験のある人なら、一度は考えたことがあるはずだ。これまでの小学校、中学校が徒歩で、高校から電車を使うという人なら特に。

 家から駅までの時間。駅で電車を待つ時間。電車で目的の駅まで揺られる時間。その駅から学校までの時間。行き帰りがあるから、それらの合計を2倍して、と……ああ、うんざりしてくるよ。

 誰かや何かに縛られる時間なんて、苦痛より他にない。生きていられる時間は限られているのに、どうしてこんなにも好きに扱えないことばかりなんだろう。

 そして、ゴールデンウィークが明けてからの、急なダイヤの改正。僕が使っているこの路線に、新しい駅ができたんだ。

 急行列車の停まる、大きめの駅。その影響か、この駅を通り過ぎていく電車の本数は、一時間あたり数本ほど増えていた。

 くわえて……。


「――現在、前の駅で車両点検を行っております関係で、一部列車に遅れが出ております」


 そのダイヤ改正のためか、頻発する運行のトラブル。

 全体で見れば、大した数じゃないのかもしれない。けれどもこの通学時間帯に、少なくとも週一回はダイヤを乱す事態が起きている。


 ――うざってえ。どこの誰だか知らないけど、時間を守って待っている客に迷惑かけんなってんだ。


 あるいは、ぶつぶつ文句を言い、あるいは、とんとんとホームをつま先で神経質に叩き、あるいは、これを機とばかりにケータイゲームに集中するだろう。

 僕だってご多分に漏れず、その一員さ。

 数週間前までは。



 僕が立っているのは、5号車の1ドア乗り場。降りる駅の階段からは、だいぶ離れた位置にある。時間を惜しむという点だけ見れば悪手さ。

 だが、彼女がいる。僕の立っている向かいのホームにだ。

 彼女は彼女であって、彼女じゃない。恋人ってわけじゃなく、僕が勝手に思いを寄せているだけ。まだ声をかけたことすらない。

 セーラー服に丈の長いスカート。そして黒のストレートヘアーと、ひと昔前のお嬢様然とした格好。向かいのホームへ渡る跨線橋こせんきょうの根元部分にあたるあの場所で、彼女はカバーをつけた文庫本を読んでいる。

 その姿を見ているだけでも、胸がドキドキするのだけど、極めつけは電車がホームへ入ってきたときだ。


 駅のそばの踏切が鳴る。遮断機が下りる。近づいてくる列車の先頭と、注意を促すための警笛。気配を察して、彼女が本を閉じて、さっと顔を上げるんだ。

 その所作が、僕が最も彼女に惹かれたところでもある。前に垂れていた彼女の髪が、波打つように舞い上がる。その様は鳥が羽を広げるように優雅で、かつ鞭のようにしなやかな動きをする。

 そうしてちらりとのぞくのは、整った目、鼻、口元。その視線はすぐに電車を見据えて横を向いてしまうけど、その顔を見るだけで今日も一日、頑張っていこうという気持ちになれた。

 今日のように電車が遅れてくれるのは、好都合でもあった。彼女を一秒でも長く見つめることができるのは、望外のことだ。周りの人に気取られないよう、僕も適当な本を広げて顔の前に構えながら、ちらちらと彼女のことをうかがっていたんだ。



「で、お前はその彼女と、どんな関係になりたいのよ?」


 昼休み。クラスの男子たちと、教室でちょっとしたボードゲームをした。もし負けたら、好きな女を白状するっていうルールで。

 それで僕が負けて、先に話したことを洗いざらい説明したってわけ。最初こそはやし立ててきたみんなだけど、髪の毛のくだりあたりから理解を得られなくなったらしく、ちょっと怪訝そうな顔をされた。そのうちの一人が突っ込んできたんだ。


「どうって……こうして通学の行きに、顔が見られたらいいな、と」


「甘え! くそ甘え!」


 声を張り上げたのは、また別のクラスメートだ。中学時代に彼女持ちだったらしいけど、高校進学の際に、彼女が進路の関係で遠くへいってしまったらしい。

 連絡こそ取っているものの、学生の身の上だとしょっちゅう会うのは難しいとか。


「お前さ、なに自分も相手も。平然と明日を迎えられる前提で話してんの? 卒業までの数百日の機会、ずっと彼女を見られるとでも思ってんのか?

 ケガ、事故、病気エトセトラ、エトセトラ。今日が見納めになっちまうきっかけなんて、腐るほどあるんだ。もっと確かに、彼女を捕まえようと思わねえのか?」


 恋愛沙汰になると、こいつはガンガン突っ込むタイプだ。そうやって成功した経験からか、一にも二にも積極性を求めてくる。こうなると止まらず、周りの男子は「やれやれ」とあきらめムード。


「俺は彼女と付き合い続けているけどな。もう将来的に、家庭を持ちたいとさえ思っている。惚れた奴と子供を作って、一緒に歳をとっていく。

 老けてるといわれようが、俺はそれが最上の幸せだと思ってる」


 ずいずい、と彼は僕に顔を近づけてくる。


「好きなんだろ? つき合いたい、結婚したい、子供を作りたい……お前だって考えているビジョンがあるんじゃねえか? 

 だが動かなきゃビジョンはビジョンだ。テレビの向こうのアイドルに、きゃあきゃあ騒いでいるのと変わらねえ。

 その相手が実際に近くにいるんだ。お前は本当は、何をしたいんだ?」


 そこで休み時間終わりのチャイムが鳴ってしまう。

 僕たちは各々、自分の席に戻ったけれど、教科書やノートを取り出しながら僕は考えてみる。


 彼女とどんな関係になりたいか? 本当は何をしたいのか?

 そりゃ僕だって、彼女とお近づきになれるなら、なりたいさ。

 あの姿をもっと間近で見られるなら。駅だけじゃなく、もっといろいろな場所で見られるなら。ひとつ屋根の下で、僕だけに見せてくれるのなら……。


 でも、同じだけ怖い。自分から近づいて、彼女に距離を取られてしまうのが。

 恋愛経験ゼロの僕としては、どうやって彼女に話しかけたらいいか、わからない。どうにか彼女の立場になって考えようとするも、僕みたいな知らない奴がいきなり話しかけてきたら、どう思うか。

 間違いなく、「なんだこいつ?」と思う。一緒に、顔も覚えてしまうだろう。

 離れたくなる。物理的にだってそうだし、同じ時間に電車を待っていると分かれば、その時間をずらすだろう。不快なことからは距離を取るに限る。

 そうなれば、僕は間違いなく彼女を目にすることはなくなるだろう。


 そんなことになるのはごめんだ。「彼女から距離を取られる」なんて、時間に縛られるのはごめんだ。

 このままでいたい。線路をこえて声もかけず、気持ちも渡さず、じっと見守るだけの方が幸せに決まっている。

 離れていれば、好きも嫌いも定まらない。彼女の気持ちを、僕が想像できる余地が保てるんだ。シュレディンガーの箱猫も、開かないならわからない。

 けれども。


 ――もしも、彼女が僕を好きになってくれたのなら。


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