5.好戦国
一千年前、ロスタルは精霊が豊富に住まう森で、それらに紡がれるようにして生まれた。
幼くして精霊術の鬼才として祀り上げられていたヴァスロが、対等の友人を欲して自ら作り上げた命だった。
「ロスタル」
そう嬉し気に友を呼ぶヴァスロの幼い顔は未だにロスタルの記憶に美しいものとして刻まれている。
強い力を持つヴァスロは一日中、一人で森に置かれ、そこで必要な精霊術を研究させられていた。ヴァスロにそれを命じていたのは、当時もっとも栄え、好戦国と呼ばれ、唯一国として機能していた組織だ。
大海に浮かぶ島国でありながら、豊富な資源を有し、精霊術を用いた戦艦で多くの民族を従え、大陸を植民地化していった。
ヴァスロは自分の作り上げたものが人の命を奪うことを嫌い、ロスタルにある力を授けていた。
それが、他者の悪意や負の力を奪う力だ。悪意をロスタルの中に封じ込め、精霊によって浄化させようと考えた。
結果から話せば、おそらくあれは失敗だった。
ヴァスロは兵器と偽り、ロスタルを好戦国に引き渡した。
好戦国の参謀部はヴァスロがロスタルを作ったことは知っていたが、童のままごと程度にしか考えていなかった。命を生み出すというのはヴァスロの力をもってしても容易ではないこと。ロスタルはその当時、ある程度、ヴァスロが命じた行動はするものの、傀儡に近い生きているだけの何かだった。
その何かが、明確に変わったのは、初めて他者の悪意というものに触れた時だった。
「あの時の感覚は忘れもしない。無垢なヴァスロとしか過ごしたことのない俺は、あの瞬間に底知れぬ欲というものを知った。俺は、ヴァスロを憎みさえしたよ。
美しい森で、ヴァスロと過ごした大切な日々が、まるでちゃちな芝居のように思えたのだから」
悪意とは、欲望から来る。
金が欲しい。地位が欲しい。
ロスタルはその欲望がどこから来るのかもわかるらしい。
好戦国の参謀部を始めとする、支配層の欲望を吸いつくし、見せつけられたロスタルは幼いヴァスロに掴みかかった。
「貧困で愛娘を失った男が、人を殺し、富を築きたくなることは悪か。人々に虐げられ、糞まみれになり足掻いてきた女が、人を殺し、地位を得ようとするのは悪か……。
何度もあいつに問いかけた。あいつは、答えられなかった。誰も、答えられやしない」
好戦国とはそういう負の輪が回り続け、どんどん巨大になっていった国だった。
「ヴァスロに問いかけた時、あの無垢だったヴァスロにさえ、何か欲が渦巻くのを感じて……俺は逃げた。逃げて、ややもしないうちに『俺』というものがあることに気づいた。
今までヴァスロが作った何かだったのに、俺はいつの間にかロスタルという十二歳の人間になっていた」
黙って聞いているファナを見つめた後、その目に影を落とす。
「ここからは割愛するか。戦うことでしか組織を保てなかった国から、戦を奪った……。俺が奪った悪意とやらも一生消えたままなわけではないが、戻るまでに時間がかかる。
そうやって、為政者が途方に暮れる間に物資が滞り、治安が乱れ、そんな場所で……年端もいかない子どもでしかなかった俺がどう生きてきたかなど、知りたくないだろう」
どこかファナを気遣うような言い方だったが、彼自身、話したくないことなのかもしれない。
「この異能も、酷いものだ。精霊がいなければ、奪った憎悪や嫉妬がこちらを殺す勢いで襲ってくる」
「……え、あの時に倒れたのは」
「そういうことだ。ただ、その当時は俺も生きるのに必死だった。人攫いから逃げるために力を使って倒れてたら、いつ死んでもおかしくない。だからこの力で身を守れないかと森に戻った。森には精霊がいたからな。体が楽だった。
だが、ヴァスロとの思い出もある。それを思い出したくなくて、なかなか戻れなかった。それでも背に腹は代えられない。俺はヴァスロがやっていた精霊術の研究を自分の体に応用することにした。そうして、十年かけて悪意を別なものに変換する術を編み出したわけだ」
ヴァスロはロスタルを探していたが、まさか悪辣な場所と化した好戦国に残っているとは知らずに、各地を転々とし、行く先々で精霊術を用いて人々を助けて回っていた。
「ここまで聞いて、思うことはないか」
ロスタルに問いかけられ、ファナは一度、口を開いたが、言葉が見つからずに閉じる。
英雄と呼ばれたヴァスロは、各地で善行を積んだ。だからこそ、未だにリュニス以外の土地でも伝説としてその名が語り継がれている。
だが、どうしてヴァスロが神と崇められるまでに至ったのかはわからない。
いや、違う。目の前には真実が置かれている。
ファナは英雄譚にある有名な一説をゆっくりと諳んじた。
「混沌より出ずるは、魔の国の王なり……」
混迷を極めた好戦国。その森で、身を守るための力を身に着けようとしたロスタル。
ファナは蝋燭の明かりで照らし出されるこの男の顔を、その赤い目をじっと見つめた。