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1話 山根晃太

 目が覚める。


 ベッドの頭の上では、目覚まし時計が定刻を告げていた。腕を伸ばし、うるさいほどのベルを止める。七時二分。布団をはねのけてカーテンを開けた。

 うっとおしいほどに明るい日差しは、いつもと変わらない日常の幕開けだった。


 いつもと変わらない朝、いつもと変わらない一日。


 布団を直すと、パジャマを脱いで畳み、中学の制服に腕を通す。

 髪の毛を整えて、鞄を持って部屋を出る。普段通りだ。二階の廊下から階段に向かおうとして、ちらりと先の部屋を見た。

 妹の愛奈の部屋は、しんと静まりかえっていた。

 ひょっとしたらひょっこりと帰ってきているかもしれないという淡い期待は、この数日間、常に裏切られ続けてきた。


 愛奈は数日前から、行方不明になっていた。

 それなのに朝は変わらず普段通りにやってくるのが、憎々しかった。


 階段を降りてダイニングに入ると、既に朝食の用意ができていた。湯気の立つ白飯と、味噌汁の香りが鼻をついた。きちんと愛用の箸も置かれていて、今から食べるばかりというセッティングがされている。蓋が閉められたままの陶器の入れ物は、付け合わせの漬物だろう。

 対面式キッチンの向こうから、水を流す音が聞こえてくる。

 そこにいた紺色のエプロンをした彼女は、くるりとこちらを向いた。目があうと、はっとしたようにしばし視線が交差した。だが、すぐさまぎこちない笑みになる。


「おはよう、晃太。朝ご飯できてるよ」

「……ありがとうございます、茜さん」


 丁寧に頭を下げると、茜さんは少しだけ眉を下げた。

 そんな顔をする必要はないのに。


 朝の支度の途中を邪魔しては悪い。鞄を置いて、朝の食事を片付ける。茜さんはしばらく何か言いたげだった。やがて洗濯機の終了を知らせる音が鳴り響いた。茜さんは一度そちらを見てから、ちらりを俺を見た。でも結局は、洗濯機のほうへと歩いていった。

 ダイニングは今度こそ静かになった。


 誰もいない食卓に、時計のカチコチ言う音と、俺が食事をする音だけが響く。

 単調な食事。

 いっそテレビでも近くにあれば、これほど窮屈な思いをすることもなかったのに。


 数年前はこんなことはなかった。

 寝坊して慌てて食パンをつまらせる父さん。

 あくびをしながらご飯を食べる愛奈。

 母さんがそんな二人に、腰に手を当てて、困ったように注意する。

 それを笑いながら見ていると、自分も遅れそうになって慌てて食事をした。


 そんな、なんてことのない日常が存在していた。

 それなのに、どうしてこんなことになったのだろう。


 単調な食事を済ませ、茜さんがいないのを確認してから顔を洗いに行く。素早くやらないと、面倒な事になっても困る。

 簡単に身支度を調えて、鞄を持つ。学校に着くまでには少し早い時間だが、それくらいなら問題ない。廊下に出て玄関先まで行こうとすると、後ろからスリッパの音がした。自然と、靴を取る腕が早くなる。


「あ、待って晃太」


 何だろうと振り向くと、茜さんは急いでキッチンへ入り込んだあと、慌てて玄関までやってきた。


「はい、お弁当」


 言葉とは裏腹に、おずおずと彼女が差し出した弁当の包みを見下ろす。

 水色のドット柄のランチトートは、最近買ったものだ。かつて使っていたトートはどうにも母さんを思い出す。買い換えたはいいものの、使っていなかったものだった。

 キッチンの戸棚に入れておいたものだし、自分の物だと言った覚えもある。だから引っ張り出してきたとしてもいいものだ。

 それなのに、どうしてかじくりと胸が痛む。


 複雑な思いを痛みとともにしまい込み、ありがとうございます、とだけ言って受け取った。

 彼女はほっとしたようなそぶりを見せたが、それが妙に苛ついた。


「でも、茜さん。無理して母親らしいことしなくていいですよ」

「……そう……」


 茜さんはそれ以上何も言わなかった。

 母親ぶりたいのだ、この人は。

 茜さんは父さんの後妻であって、俺の母親ではないというのに。


 わざとらしいその態度が俺を苛つかせるというのが、いまだ理解できていないらしい。少しずつ理解させないと無理なのか。

 それとも、この際はっきり言ってやったほうがいいのかもしれない。


「行ってらっしゃい」


 そう告げる彼女に、なんと言葉を返したものかわからなかった。

 家を出ると、まだ冷たい風が当たった。


 学校に着くまでには頭も冷える。きっとそう願いたい。

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