SS:しみちゃんのティアドロップカット
「好きだって言わなくても気づいて欲しいなんて、相手のことを考えていない。ただの怠惰だよ」
しみちゃんは、別れた彼氏に以前もらったピンキーリングをゴミ箱へ向かって投げながら吐き捨てた。指輪と一緒に放射線状を描いた涙が、わたしの部屋の床に落ちる。
「わたし達は、エスパーじゃないんだ。「好きだから付き合っている。好きじゃないならそもそも付き合ってない」なんて、結局相手のことを考えていない自分勝手じゃない! そんな他力本願な愛情表現で、相手に何が伝わるっていうのさ。あいつの好意なんて、所詮その程度だったんだ」
しみちゃんの流した涙は、割れた硝子玉みたいに乱反射して、指輪にはまっている小さなダイヤより綺麗だと思った。
けれど私は、しみちゃんのこの怒りにまったく共感はできないでいる。むしろ、彼氏の方に共感していた。
彼氏という存在が居ないと生きていけないなんて、そんなみっともない人間になりたくなかった。そこに居れば嬉しいけれど、居なくても困らない。私たちにとっての恋人は、いわば座り心地の良いソファのような存在だった。
だから、友達さえいればいい。バカみたいにはしゃいで遊ぶのは、友達さえいれば事足りる。
自分のことを好きでいてくれて、素の自分で接しても問題ない人。わがままを言える人。怒らない人。それさえ満たしてくれれば、彼氏に大きな何かを求めたりしなかった。
ドライと言われればそれまでだけれど、彼氏というものの存在必要順位がそこまで高くないのだ。おそらくしみちゃんの彼氏も、同じタイプだったのだろうと思う。
私自身、今までそれが理由で別れたこともある。ある人なんかは「振られるとおもったから」なんて理由で別れを告げてきた。
「彼が、わたしに対してどう思っているのか、わからなかった」
おそらく「好きだ」という気持ちはあったんだよ。
「わたしが居なくなったらどうするのって聞いたら、他のことをするって」
しみちゃんがいた方が嬉しいけれど、居ないなら居ないなりの生き方を持っているんだよ。
「必要なのかって聞いたら、居たら嬉しいけどだって」
そうなんだよ。しみちゃんと付き合う以前の自分に戻るだけなんだよ。
「居なかった頃になんて、戻れないよ。知っちゃったんだから」
彼の中でしみちゃんの重要度は高くないんだよ。彼の中にしみちゃんは残るけれど、それは過去に居た人として残るんだよ。
「できるなら、また付き合いたいよぉ」
それは、もっと難しいよ。だって、居心地のよかった頃にはもう戻れないんだから。
「きっと彼にとって、誰でもよかったんだ」
「それは、違うんじゃないかな」
今まで黙って聞いていた私が、ポツリと異論の音をこぼす。
「うまく言えないけれど、そばに居てほしかったのは、しみちゃんなんだよ」
ひくひくと震えながら泣いていたしみちゃんが、写真に収まったみたいにぴたりと止まる。
「言葉にするのが、きっと上手じゃない人だったんだよ。じつはしみちゃんよりも幻想の中を生きてる人で、好きなんて言わなくても繋がっているよねって信頼だったんだよ」
「いまさらそんなこと。どうすればいいの?」
「どうしようもないよ。彼にとってもう、しみちゃんは「信じてくれない人」になってしまったから」
しみちゃんは、また涙を溢し始めた。嗚咽も漏らさず、声もあげずに、泣いた。ただ、表情だけは、さっきまでよりお喋りだった。
彼の期待に応えられなくて悔しい。さんざん怒ったから、怖い思いもさせてしまったかもしれない。申し訳ない。もっと彼のことを知りたかった。
もっと、一緒に、いろんな感情を共有したかった。寂しい。
「きっと、誰も悪くないんだよ。しみちゃんの欲しいものと、その彼が欲しいものとが、噛み合っていなかっただけなんだよ」
一粒ごとに落ちる涙が、涙を落とす表情が、しみちゃんの後悔を、懺悔を、いつまでも語っていた。
きっと、しみちゃんの大好きだった人は、こんな風に泣かないだろう。
泣いていることも、おそらく気づかないだろう。というより、気にもとめないだろう。
ひとつの事象が終着した。その程度にしか思っていないだろう。私の場合だってそうだ。
この状態のしみちゃんに共感はできない。
同じ女性だけれど、しみちゃんと私の間には、薄氷みたいに冷たい境界線が存在する。
薄氷ごしに見る泣いたしみちゃんは、私の部屋のゴミ箱あたりに転がっている指輪よりも、やっぱり綺麗だった。