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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第十回  李柳蝉 金梁橋に暴虎を打ち 曹刀鬼 山東への壮途に就くこと
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白雲の下

「曹刀鬼」

登場人物の姓と綽名(あだな)を組み合わせた造語。

 人の心というものは、とかく天を欲したがるようだ。


 単に周囲の耳目を集めるためのパフォーマンスか、或いは不遜にも本気で叶うと信じているのかは知らないが、いつの時代にも身のほど知らずはいるもので、ややもすれば「いつかは天をも手中に収めん」なんて大それた事を、平然と言い出す者が出てきてしまうしまうくらいには。


 そんな稀有な愚か者はさておきとして、ここで言う「欲する」とは、無論そうした物理的に云々などという意味ではない。


 決意を抱けば天に誓い、悲嘆に暮れては天を仰ぎ、地の恵みを求めては天に祈り、豊穣を祝って天を祀る。


 およそ人々にとっての天は、物理的に欲しはせずとも、生きる上での「(よすが)」「拠り所」のような存在と言ってもいいであろうか。


 そして、その天に棚引く白雲もまた、古来より人々の心を惹き付けてやまないようだ。


 日がな一日、折々に──どころか、刻一刻とその姿を変え、ポツンと一つ蒼天に揺蕩(たゆた)い、風に任せて気ままに流されもすれば、群れ集って厚く垂れ込めたりもする。


 殊に──


『ただ去りてまた問う事なかれ、白雲の尽きる時はなし』(※1)

『天長く、地は(ひろ)くして嶺頭分かれ、国を去り、家を離れて白雲を見る』(※2)


 別離の悲嘆、道中の不安、情景の寂寞…


 行客(こうかく)の心にはよほど訴えるものがあるようで、旅の途次に湧き出るそうした思いが、己が如くに流れ行く白雲に託され、いくつもの詩に詠まれてきた。


 そして、ここにもまた一人。

 道端の石に腰を掛け、足を投げ出し、流れる雲をぼんやりと眺めている。


「柳蝉、そろそろ行くわよ。あんまり遅くならない内に城に入らなきゃ」

「…うん」


 故郷を捨て、親しい人を捨て、最愛の人を捨ててまで異郷に向かう李柳蝉は、果たして揺蕩う雲に何を思ったか。


 郭静の声に、ふぅと一つ息を吐き、哨棒(しょうぼう)(旅人が持つ棒)を杖代わりに李柳蝉は立ち上がる。


 パンパンとお尻の埃を軽く払い、先に歩き始めた郭静を小走りに追う李柳蝉。

 視線の先には、その端が地平の彼方に霞む、巨大な壁が鎮座していた。


 宋の都、東京(とうけい)開封府(かいほうふ)を守る新城(※3)である。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 女性二人が連れ立って旅をするには、なかなか酷な御時世でありながら、それでもどうにか無事にここまで辿り着けたのは、一にも二にも郭静の機転による。


 鄭家村(ていかそん)最期の日。


 時間の許す限り李柳蝉に付き添っていた郭静は、いよいよ村を棄て、屋敷に火を放つ間際となった混乱の中、村の住人に分け与え、僅かばかりとなっていた鄭延恵の家財から、いくつかの銀器や装飾品などをくすねていた。


 鄭家とは先代の保正の頃から数十年来の付き合いがあり、また鄭延恵が保正となってからも、何くれとなく恩を受けていた郭静の行動は、傍から見れば随分と義理を欠いた行動のようにも見える。

 が、理由を思えばそれも仕方がない。


 郭静達は鄭延恵から路銀の工面を受けていないのだから。


 では、そんな鄭延恵の不人情こそ非難されるべきかといえば、それも違う。


 鄭家村を棄てるにあたり、鄭延恵が私財を分け与えた村人達は、自らと袂を分かち、親類なり友人なりを頼ると決めた者達だ。

 無論、それは「路銀の足しに」という事だし、自らの決断によって平穏な暮らしを奪ってしまった者達への、せめてもの贖罪でもあったのだが、よもやそこへ郭静達が加わろうとは、鄭延恵は微塵も思い至っていなかった。最後の最後まで「他の誰が離れても、郭静と李柳蝉だけは行動を共にしてくれる」と固く信じていたのだから、路銀を工面する理由もなければ、そもそもがそんな発想に至る余地すらなくて当たり前である。


 だから、別に郭静が鄭延恵を恨んでいるという事もない。むしろ、そこまで思ってくれている事に対しては感謝しかない。


 だが、旅に出ると決意を固めた郭静達に差し迫った「路銀の不足」という問題と比べれば、世話になったとかならなかったとか、感謝しているとかいないとかなど、論じる価値もないような、全くもって些細極まりない話だ。


 飯を食うにも宿を取るにも金は掛かる。

 どれほどの信頼を寄せられようと、その信頼が腹を満たしてくれる訳でもなければ、雨露を凌いでくれる訳でもない。


 郭静にも僅かばかりの蓄えはあったが、その僅かばかりの蓄えで乗り切れるほど、踏み出そうとしている旅路は生易しいものではない。青州(せいしゅう)から開封までは遥か500km近い道のりだ。

 その距離を女性の足で旅していれば、なけなしの蓄えなどすぐに底を突いてしまう。まして、老いて歩みの遅くなった郭静の足に合わせるとなれば、一日の歩みもたかが知れているし、そうして旅程が嵩んでいけば、要する金だって嵩んでいく。


 路銀が尽きたからといって、そこで旅を止めるという選択肢は二人にない。清風山(せいふうざん)に向かうという選択肢は更にない。となれば、道中で稼ぎながら旅を続けるしか選択肢が残されていない。


 しかし、一口に「金を稼ぐ」と言っても、そうそう働き口が見つかるものではない。「それなりに纏まった金を稼いだら、とっとと辞めて、また旅に出ますので悪しからず」という条件であれば尚更だ。

 そこへきて李柳蝉の類い稀なる美貌が重なれば、どんな無体な要求を持ち掛けられるか分かったものではない。


 いや、違う。分かる。

 李柳蝉が類い稀なる美貌を持っているからこそ、郭静には分かる。


 その美貌に惹かれた者達が、面には親切ごかした笑みを貼り付け、内に秘めた欲望のままに孫娘を掠め取らんとしてくる、と。


 大概その手の輩が言う事は決まっている。

 本人にとっては痛くも痒くもない程度の金をチラつかせ、


(モノ)の分際で一丁前に困ってるようだから、心優しい俺様が助けてやる』

(モノ)の分際で心優しい俺様に気遣ってもらえるだけ有り難いと思え』

(モノ)の分際で心優しい俺様から恩を受けたのだから、全身全霊をもって恩に報いろ』

(モノ)の分際で心優しい俺様の恩に報いるなら、慰みものとして娘を差し出すくらいはしろ』

(モノ)の分際で心優しい俺様に慰みものとして娘を使ってもらえるのだから光栄に思え』

(モノ)の分際で心優しい俺様が言う事に逆らいも拒みもするな』


 人それぞれに言葉は違っても、言わんとしている事は同じである。それを多少オブラートに包むか、剥き出しにしているか、違いなどその程度でしかない。

 そして、この国では往々にしてそんな事がまかり通っている。


 いや、まかり通るというのはちょっと語弊がある。

 心優しい俺様達は洩れなく男であって、困窮している二人は女であって、そこへ心優しい俺様から、ありがたくも手が差し伸べられたのだ。この国に根付く固定観念に照らせば、断る女の方がどうかしている。

 つまり、俺様の言い分は非の打ち所がない正論なのだから、(はな)からまかり通るもへったくれもない。


 というか、実際に金が動くだけでも、よほど良心的と言える。

 身売りの証文を書かせるだけ書かせ、実際には一銭たりとも金を払わない「心優しい俺様」の話だって、巷間の至るところで聞けるくらいだ。


 さすがに後者の俺様は論外としても、前者の俺様は払うと約束した金をただ払っただけでありながら、慈悲深く、約を違えぬ義士として周囲から誉めそやされる。

 片や、買われた方は「そんな旦那に目を掛けてもらえて良かった」と言われ、挙げ句「そんな旦那に買ってもらえたからには、誠心誠意尽くしなさい」と諭され、あまつさえ「そんな旦那に買ってもらえるなんて、ツイているにもほどがある」などと羨ましがられる始末だ。


 冗談ではない、と郭静は思う。


 確かに今、この国で女性の立場は弱い。「弱い」というか「無い」に等しく、モノも同然だ。

 だが、モノ同然ではあっても、モノではないのだから意思がある。それを表に出したところで、相手にされないと分かっているから、波風が立たないように最初から黙っているだけの話であって、女性にだって主義があり、主張があり、嗜好があり、つまり心がある。


 李柳蝉はまだ、筆舌に尽くし難い恐怖と屈辱への忍従によって、永劫消す事のできない深い傷をその心に刻み付けられたばかりだ。この上、尚、醜悪な善意の前に晒してしまえば、必ずや「俺様達の正義」はその傷を広げ、抉る。

 それのどこが「良かった」のか。どこが「ツイている」のか。


 誰に何と言われようと、たかだか路銀を得るためだけに、それを喜べ、ありがたがれ、恩を返せと、無遠慮で無責任に投げ掛けられる「俺様達の正義」に贄として捧げ、これ以上、李柳蝉に辱しめを受けさせる訳にはいかないのだ。

 そのためには、自分の行動が他人からどう見えようが、それでどう思われようが、そんな事は郭静にとって些細極まりない話に決まっている。


 鄭延恵達と別れてから郭静の「機転」を知った李柳蝉は、それを窘めはしたけれど、とはいえ、そこから取って返して清風山に向かう訳にもいかず、結局はありがたく使わせてもらう事となった。


 青州から兗州(えんしゅう)に抜けて莱蕪(らいぶ)県へ、そこから西へと向かって鄆州(うんしゅう)須城(すじょう)県と、ペースは違えど花栄と同じ道を辿った二人であったが、そこからは梁山泊を右手に見ながら東岸を南下し、済州(さいしゅう)の治所、巨野(きょや)県に入った。


 理由の一つは、もちろん行く手に立ち塞がる梁山泊。

 二人は北東から梁山泊に至ったのであるから、そのまま東岸を下った方が楽に決まっている。あえて西岸に向かうとなると、広大な梁山泊をぐるりと迂回しなければならず、それだけでもかなりの苦労を伴う。


 理由はもう一つあり、それは開封府城の城門の位置に関係している。


 巨野の西で梁山泊に注ぐ広済河(こうさいが)は、元々汴河(べんが)と分かれたあと、開封府城のすぐ北を東へ流れ下っていたのだが、新城がその流路を取り込む形で建造されたため、今は城の北部を貫く形となっている。


 新城の東面に人流用の門は二つ。そのいずれもが、広済河の水門より南に設けられている。

 過去に一度、開封府城を訪れた事がある郭静は、それを知っていた。


 広済河の北岸を歩いたからといって、道中に一つも橋が無いなんて事はないのだから、大して差がないように見えるのだが、うっかり橋を渡り損ねると、開封府城では北面の門を使って入城する事になる。

 しかし、一口に「東面」「北面」と言っても、何しろ新城はその周囲が30km近くもあり、ただ面から面へと移動するだけでも一苦労だ。


 結局のところ、広済河の北岸を西に向かっても、数ある新城の城門の中で最も歩かずに済む門を使おうと思えば、どこかで南岸に渡らなければならず、それではいよいよもって、わざわざ梁山泊を迂回して西岸に向かう必要がない。


 そんな訳で巨野県から広済河の南岸を、てくてくと歩いて開封を目指してきた二人。

 路銀の心配もまずまず薄れ、急ぐ旅でないのは確かにせよ、気付けば早、鄭家村を出てから、ひと月近くが経とうとしている。


 郭静の足に合わせたという理由ももちろんあるのだが、それだけではない。


 旅の障害は、何も親切ごかした俺様達だけではないのだ。

 乱れた政道によって下々の不満は溜まり、青州三山を見るまでもなく、官の横暴によって落草(らくそう)(※4)する者は後を絶たない。二人も旅の途中、そうして身を(やつ)した賊の噂は飽きるほど聞いた。

 そんな者達にとって、女の二人連れなど絶好のカモである。


 いかにドスケベでドチビな師匠が驚くほどの上達ぶりとはいえ、李柳蝉の棒術に「達人」の評価はさすがに過分だ。相手の力量によっては、せめて1対1ならまだ渡り合える事もあろうが、徒党を組んで囲まれてしまえば為す術がない。


 賊にしてみれば獲物を前に昼も夜もないのだから、気休めといえば気休めではあるのだが、それでも朝は明るくなってから宿を発ち、夕は暮れる前に宿を取り、と暗い中での移動を避け、急がず無理せず、日にちは掛かっても「身の安全が最優先」をモットーにした結果、それが功を奏したか、或いは単に運が良かっただけか、ともかく何事もなく旅路をこなし、目指す目的地まであと僅か、というところである。


 空には燕雀が気ままにさえずり、木々をそよぐ柔らかな風が二人の頬を撫でる。

 朝晩に冷え込む事はまだあれど、日中は暑くもなく寒くもなくといった時期であった事も、二人にとっては幸いだった。


 ふと、李柳蝉は思う。

 もし、この旅路を愛しい人と共に歩んでいたら、どれほど楽しかった事か、と。


 が、すぐに首を振り、その思いを消し去った。


 側にいて欲しい、共に在りたいと願った最愛の人を頑なに拒んだのは、他ならぬ李柳蝉自身である。

 人生の大半を共に過ごし、もうどれほどの間もなく共白髪を誓うつもりであった相手を、そう簡単に忘れられるほど人の心は単純にできていないが、だからといってそれはない。


 切っ掛けは自分の意思でなかったにせよ、結果的には李柳蝉が自らの意思で愛する人の側にない人生を選び、この旅路への一歩を踏み出したのだ。


 まだ歳若いとはいえ、李柳蝉が人生の中で積み重ねてきた想いと思い出は、あまりに大きく、あまりに多く、とてもある日を境にすっぱり消し去ってしまえるような代物ではない。時に感傷を招いて思い煩う事もあるだろうが、そこに浸って自らが捨てた未来に焦がれるなど、未練がましいにもほどがある。


 正面を見据え、李柳蝉は一歩、また一歩と進んでいく。

 努めて無心に歩んでほどなく、遂に李柳蝉は(そび)え立つ甕城(おうじょう)(※5)の裾に立った。


 ふーっ、と一つ嘆息した李柳蝉は、長い旅路の終焉を告げるその雄姿を、感慨と共に見上げる。と、その光景に、図らずも自分の心の内を重ね見た。


 聳える雄大な城壁は、在りし日の穏やかで幸福に満ちた暮らしと、これからの生活を分かつ最後の境界線だ。


 対して、それを穿つ門は自らの決意。

 正にこの門を潜り、新たな人生の第一歩を踏み出すために故郷を捨て、山野を越えてきた。


 一見すれば見上げるほどに高く、数(じん)(※6)の幅を持つ巨大な門は、何人たりとも翻意させる事はできないと信じていた、そして実際に口を極めた周囲の説得にも揺るがなかった、李柳蝉の決意を見事に体現しているように見える。


 何と小さき事であろうか。


 今、将に打ち捨て、捨て去り、踏み越えようとしている「在りし日の記憶」は、そんな決意など歯牙にも掛けずに包み込み、それがいかに貴重で、いかに得難く、いかにかけがえのない存在であるかを、改めて李柳蝉に知らしめる。


 立ちはだかる城壁は声なき声で李柳蝉に問う。


 本当にこの先へ進んでもいいのか?

 本当にあの幸福な日々を捨て去ってもいいのか?


 本当は今すぐにでも引き返したいのではないのか?


 ──と。


 見上げた視線を後背に移し、李柳蝉は東の方を見遣(みや)る。

 視線の先、蒼天の彼方には柔らかな白雲が揺蕩っていた。


 遠く故郷からも目にできそうなその白雲に、果たして李柳蝉は何を思ったか。


「柳蝉…?」


 郭静に促され、視線を戻した李柳蝉は言葉もなく、ただ微かに浮かべた淋しげな笑みだけを返す。

 そして、城内に向かう人波に紛れ、郭静と共に長い長い旅を終えた。

※1「ただ去りて~」

『唐詩選(五言古詩 王維「送別」)』。原文は『但去莫復問、白雲無盡時』(「盡」は「尽」の旧字)。訓読は本文の通り。「(親しい人に見送られ)悲しみも不安もあるが、あれこれ考えるのは止めよう。向かう先にも(この空と同じように)白雲が棚引いている筈だから」。親しい人を見送る際に贈った詩とする説もある。

※2「天長く~」

『唐詩選(七言律詩 沈佺期「遙同杜員外審言過嶺」)』。原文は『天長地闊嶺頭分、去國離家見白雲』。訓読は本文の通り。「家を離れ、国も出て、今はただ広大な天地の中に一人(別れた友人を思って)白雲を見る」。いくつにも分かれて聳え立つ山々の峰を、友人との別れに(なぞら)えている。

※3「新城」

元々二重の城壁だった開封府は宋の前身、後周時代の956年(宋建国の4年前)に拡張され、三重の城壁となった。「新城」はその最も外側の(新たに建造された)城壁。開封府城(城内)の記述については第十回の閑話休題「開封府(1)」と、第十一回の閑話休題「開封府(2)」参照。

※4「落草」

山賊や盗賊に落ちぶれる事。

※5「甕城」

城の外部と接する城門、開封府城で言うと新城(※3)の城門を防護するため、その外側に築かれた半円(または半方形)の城壁。当時の開封新城は水門を除く全ての城門に、三層(三重)の甕城が設置されていた。また、開封府城の他にも、蘇州城や襄陽城が特に堅固な甕城を備えていたとされる。ただ『水滸伝』の作中には、極めて多くの描写がある開封府城も、それなりに描写のある蘇州城も(襄陽城が舞台となるエピソードはない)、甕城についての記述が一切ない。では、そもそも『水滸伝』が「甕城は存在しない」という前提で描かれているのかというと、第80回には済州城の甕城(ただし、呼称は甕城の別称である「月城」)について触れている箇所があり、そういう訳でもない。謎。ちなみに(作者の見落としでなければ)『水滸伝』全編を通して甕城についての記述は、この第80回がオンリーワン。

※6「尋」

身体尺の一つで長さの単位。両腕を横に伸ばして指先から指先までの長さ。

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