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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第九回  小将軍 神臂もて妖邪を排し 宋保義 宿魔の性を萌芽せしこと
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閑話休題「デカけりゃいいってモンじゃない」

登場人物の身長についてのお話です。

興味があれば御一読いただければ幸いです。


「現時点では不明」となっていた部分を修正しました。

 宋清(以下「宋」):ええ~っ、また俺ぇ~!?もしかして相方はまた…(キョロキョロ)


 朱仝(以下「朱」):どうした、四郎(宋清)。そんなに辺りを気にして。


 宋:あ、あぁ~、救いの神が…


 朱:…??


 宋:あ、えっと…ゲフン…いえいえ、ちょっと()な事、思い出しちゃって。


 朱:…そうか?あれから何事も無いか?


 宋:ええ、お陰さまで。しかし、相変わらず立派な(ひげ)(頬ひげ)ですねぇ。


 朱:まあな。関公(関羽)に(なぞら)えて「美髯公」なんて呼ばれてるんだ。手入れを疎かにしたらバチが当たるよ。それはそうと…俺の身長や髯もそうだが、この小説は何で「メートル表記」なんだ?


 宋:ああ、たぶん読者さんにイメージしてもらい易いように、って事なんじゃないですかね。


 朱:別に原文通りの度量衡(尺斤表記。日本で言う尺貫法)でそのまま書いて、括弧書きでも何でも注釈を付ければいいと思うがな。


 宋:ですよねぇ。でもまあ、作者の気持ちも分からなくはない、と言いましょうか。


 朱:ん?


 宋:『水滸伝』の記述──特に身長に関しては、そのまま現代の数値に換算しちゃうと、あまりにもリアリティが無いですから。


 朱:そうなのか?


 宋:本としての『水滸伝』が成立した明代の一尺は約30cmとされてて、通説では『水滸伝』もそれに基づいて書かれてるとされてます。なので、この小説でも一尺は30cmです。朱哥兒(朱仝)を引き合いに出してすいませんが、初めて哥兒が『水滸伝』に登場する第13回には、哥兒の描写として『馬兵都頭姓朱名仝、身長八尺四五、有一部虎鬚髯、長一尺五寸』とあります。鬚髯(ひげ)の長さが『一尺五寸』とあり、一尺は十寸ですから、この小説での「40cm以上」という表現は、まずまず原文に沿った形ですが、身長の方の『八尺四、五(寸)』は…


 朱:大体、250~260cmってトコだな。


 宋:そりゃあ、捜せば現実世界にだってそんな人はいるんでしょうけど、そのレベルの人達が『水滸伝』にはゴロゴロ出てきますからね。


 朱:言われてみれば、確かにリアリティには欠けるか。


 宋:ですね。『水滸伝』に登場する全員が全員、哥兒のように詳しい描写がある訳じゃありませんけど、身長について記述がある中で最も高い人は「一丈」とされてます。一丈=十尺ですから、つまり身長3mですよ?いくら何でもさすがにそれは…


 朱:なるほどな。それで俺の身長が、まだ常識的な「200cm弱」まで縮められた(・・・・・)という訳か。


 宋:あれ?割とおこ(・・)な感じですか?


 朱:別に怒っちゃいないよ。


 宋:なんで、この小説は登場人物の身長が、現代の感覚で常識的な範囲に収まるよう、独自に設定されてる場合が殆どです…って、何かこっちの作者が現代人代表みたいな書き方になっちゃいましたけど、要は作者の独断でって事ですね。


 朱:「殆ど」?


 宋:はっきり大人と分かる中で、最も背が低い『水滸伝』の登場人物は『身不満五尺』、つまり「身長は五尺に満たず」と書かれてます。この小説では一応そこが基準になってて、五尺だけは一尺=30cmで計算して150cmとしてます。あとは『水滸伝』での記述を元に、人物同士の相対的な背の高い低いの関係は守りつつ、身長を設定してるって感じですかね。ちなみに、最も背の高い「一丈」で240cmくらいに設定してるみたいです。


 朱:だが『水滸伝』には具体的な記述がない人物も出てくるだろう?


 宋:もちろんです。ただ、具体的な「◯尺」という記述がなくても、抽象的に「大柄」とか「小柄」とかみたいな描写をされてる場合も多いですから、そうした人物はそれに合わせて、全く背格好の描写が無い人物の場合は仕方ないんで、作者のイメージで勝手に身長が設定されてるみたいですね。


 朱:なるほど。確かに「一尺は30cmですけど身長には適用してません」じゃ尺表記は出来んな。しかし、何だってまた本家の『水滸伝』は、そんな現実離れした数字にしたんだろうな。


 宋:いつかの閑話休題でも触れてたみたいですけど、元々『水滸伝』のエピソードには、舞台に立って観客に直接語り掛ける講談や、そこから派生した「元曲げんきょく(元代の雑劇。『水滸伝』の登場人物を題材にしたものは、俗に「水滸戯」と呼ばれる)」なんかの内容を取り入れたものも多いですからね。好漢、豪傑の体躯を表現するのに「皆さんと同じか、ちょっと大きいくらいですよ」じゃインパクトに欠けますから、殊更オーバーな数字を使ったんじゃないですか?


 朱:それでも、さすがに「一丈」は盛り過ぎな気もするが。


 宋:もう一つ考えられるのは、さっきも敢えて「明代の一尺は」と書きましたが、そもそも「尺」の長さが時代──というか王朝によってバラバラなんで、一尺=30cmって前提の方が間違ってるって可能性も無きにしも非ず…その辺りは実家が商いをしてる、哥兒の方がお詳しいですよね?


 朱:んん、まあな。細かな事をいちいち言わんが、傾向としては古い年代ほど一尺の長さが短く、年を経るごとに少しずつ長さが伸びていったようだ。古くは一尺が20cmに満たないような時代もあったようだが。


 宋:資料によっては、物語の舞台となってる宋代や、口伝として個々人のエピソードが徐々に出来上がっていった金、元代の一尺は28cmほどとするものもありました。一尺=28cmとすると哥兒の身長は…えーっと…


 朱:大体、230~240cmだ。


 宋:さすが。まあ、多少は現実的な線になりましたけど…五十歩百歩ですかね?


 朱:俺の身長はともかく、一丈となると280cmだからな。


 宋:結局のところ『水滸伝』の作者が、頭の中で一尺の長さをどの程度と考えてたのか、ってなっちゃいますよね。


 朱:一尺をもっと短く捉えてたとしたらどうだ?有名なところだと『三國』の時代は一尺が23~24cmほどとされてるし、或いは宋の前、唐代くらいまでは尺にも「大尺」と「小尺」の二種類があって、大尺が30cm弱、大尺=小尺×1.2とされてるから、唐の小尺も24cm前後と考えられるが、仮に一尺をそのくらいの認識として『水滸伝』が書かれてるとすれば、俺の身長もだいぶ現実的な線になるだろ?


 宋:ただ、そうすると今度は逆の問題が出てきちゃうんですよねぇ。


 朱:「逆」?…ああ、背の低い方か。


 宋:哥兒の説で計算すると、一番背の低い人は120cmにも満たないって事になっちゃいますからね。一尺=30cmなら150cm未満って事ですから、それでもまだ現実的な線ですけど。


 朱:まあ、確かに大人の身長としては、現実的な数字じゃないかもしれんな。しかし、現代と比べれば、この時代の平均身長はだいぶ低いだろ?それを考えれば、全くあり得ない数字とも言い切れないんじゃないか?


 宋:あー、言われてみれば確かに…ん?そうすると、あっちの方も意外と辻褄が合っちゃうのか…?


 朱:「あっち」?


 宋:えーっと…客観的な意見を伺いたいんですけど、哥兒は兄さん(宋江)の背を高いと思いますか?


 朱:んん!?何だ、急に…!?!?


 宋:…思いますか?


 朱:あー、いや、それはほら、何だ…ゲフゲフ。


 宋:とまあ、哥兒もがっつり認めるほど、兄さんの背は低い訳ですが──


 朱:四郎、俺の配慮を台無しにするんじゃない。


 宋:なるほど。はっきり言えはしないけど、心の中では「背が低い」と思ってる、と。


 朱:いや、それはだから、アレだ…ゲフゲフ。


 宋:そんなに気を遣わなくても。この小説では「低い」と断言されてるくらいなんですから。


 朱:それはそうかもしれんが…というか、何が言いたいんだ?


 宋:この小説で兄さんの背を「低い」と断言してるのには、ちゃんと根拠があります。兄さんが『水滸伝』に初めて登場するのは、哥兒よりちょっと遅れて第18回になりますけど、そこで『為他面黒身矮』、つまり「彼は色黒で背が低い為に」と言われてます。


 朱:そうか、原作でもか…


 宋:ところが、身長についても同じ回に『身躯(身長)六尺』とちゃんと描写があるんですよね。「一尺=30cm」なら約180cmですよ?そりゃ『八尺四、五(寸)』の哥兒と比べたら低くは見えるでしょうけど、現代でだって身長180cmの人を見て「アイツ、チビだなぁ」なんて思う人はまずいないのに──


 朱:今より平均身長が低い筈の当時なら尚更か。しかし、一尺=23~24cmなら…「背が低い」と表現するのが適当かどうかはともかく、確かに「背が高い」とは言えんな。


 宋:なるほど。やっぱり哥兒は兄さんの背が低い、と…


 朱:いつ俺がそんな事を言った!?


 宋:あはは、冗談ですよ。


 朱:しかし、辻褄は合うかもしれんが、根拠の方は弱いな。「小尺」は唐代に廃止されたようだし『三國』時代の短い尺を想定して書く理由はもっと無い。


 宋:んー、そうでもないかもしれませんよ?


 朱:そうか?


 宋:「講談なんかの演目として『水滸伝』の元となるエピソードが先にあって、後から本としての『水滸伝』が成立した」という観点で考えると、それこそ『三國』は『水滸伝』より900年も前の話ですから、本としての『三國演義』は『水滸伝』と同じく明代に成立したとされてますけど、講談のような舞台の演目としての『三國』なら、宋代にはもうありました。『水滸伝』にも登場人物が『三國』の講談を聞くシーンが描かれてるぐらいですからね。


 朱:ん。それで?


 宋:舞台の演目なんかで語られる『三國』の登場人物の容姿は、当然その演目が作られた当時の、古い尺(短い尺)で描写されてる筈です。例えば『三國演義』での関公は身長が九尺とされてますが、これは三國時代の尺で計算して、約215cmと考えるのが通説です。演目としての『水滸伝』が作られる際、それらを参考に登場人物の背格好が決められ、それがそのまま本としての『水滸伝』に取り入れられてるんだとすれば、哥兒の「『水滸伝』の尺表記をメートル表記に直す時は、三國時代の長さで計算する」説も、あながち間違いとは言い切れないのかもしれませんよ?


 朱:とはいえ、検証も出来なければ、確実な根拠がある訳でもないしな。推測は所詮、推測だ。


 宋:それを言われちゃうと返す言葉が無いんですけどねー。ま、何にせよ、こっちの作者がすっぱりと尺表記を諦めたお陰で、兄さんは晴れて「具体的な身長は分からないけど、とにかく背の低い人」になりましたww


 朱:何で草を生やしてんだ…いや、しかし「五尺=150cm」で哥兒(宋江)は六尺なんだろ?一尺を何cmで計算するにしても、この小説での身長は出せるじゃないか。


 宋:「大人にしては背が低い」の部分だけが残っちゃいましたけど、じゃあ、具体的にそれが何cmなのかってなると、読み手によってイメージは様々でしょうからね。読者さんの御想像にお任せします、って事なんじゃないですかね?


 朱:もしかして、尺表記がなくなって一番、割を喰ってんのは哥兒なんじゃ…?


 宋:すいません、ちょっとよく聞こえなかったです。さて、兄さんの話題になったんで、ここで一つ「背が低い人」を表す言葉の紹介をば。


 朱:お前、いよいよ遠慮もへったくれも無いな。


 宋:すいません、ちょっとよく聞こえなかったです。「五短身材(ごたんしんざい)」という言葉がありまして、意味は「小柄な体格」とか「背が低い人」みたいな感じです。『水滸伝』では容姿の描写に、この「五短身材」が用いられてる人が何人かいますけど、その内の一人で王英という人が、既にこの小説に登場してます。


 朱:ああ、青州の。噂はこの済州にも届いてるが、しかし「矮脚虎」という綽名(あだな)は何ともまた…


 宋:いや、噂も何も…この小説の第一回から第六回まで読んで下さいよ。


 朱:ん、他にやる事がなくて、ヒマでヒマでどうしようもない時が…あるといいな、そんな時が。


 宋:ひどい。ま、それはともかくとして…日本では一般的に王英さんの身長は「五尺に満たない」とされてて、この小説でも一応はそれに沿った形の「(身長が)150cmもないんじゃないか」という表現がなされてます。


 朱:何か…ずいぶんと第三者的というか、パッと見の感想のような表現だな?というか、さっきの「最も背が低い『水滸伝』の登場人物」ってのは──


 宋:あー、いえ、それは別の人なんですけど…で、王英さんの「身長が五尺に満たない」という通説が何処からきてるのかというと、どうやら古い日本語訳の『水滸伝』が由来になってるようです。


 朱:『日本語訳の』?原文の『水滸伝』に記述があるんじゃないのか?


 宋:『水滸伝』には大きく分けて「100回本」「120回本」「70回本」の三種類があって、まず「100回本」から「120回本」「70回本」へと派生していきました。なので「120回本」も「70回本」も「100回本」に相当する部分の大まかなストーリーはもちろん同じです。ただ、それぞれの作者によって、細かな語句や文章の書き換えなんかがなされてて、その全ての王英さんに関する描写を読んだ訳じゃないんですけど、少なくともこっちの作者が調べた限りでは、王英さんの身長を直接的に記述してるものが無いんですよね。


 朱:あー…つまり、その古い『水滸伝』の訳本の中で「五短身材」を「五尺に満たない身体つき」と訳されてるのが、現代まで定着してしまった、と?


 宋:作者が何種類か確認した訳本の中で、最も古い訳本は明治の中頃の物です。ただ『水滸伝』自体はそれより前から日本に伝わってたと思われるので、明治期の訳本が「切っ掛けになって」定着したかどうかは定かじゃありませんが。


 朱:ああ、既に定着してた訳をそのまま採用した、という事も考えられるか。


 宋:今となっては推測の域を出ませんけど、遅くとも明治期には王英さんの身長が「五尺(150cm)に満たない」というイメージで定着していた、というのは確かなようですね。中には「宋代の一尺は日本の尺より短い」という注釈を付けて「(日本の)三尺(相当)」としている訳本もあったようですが、いずれにせよ日本語には「五短身材」という言葉がありませんから、それを訳すにあたって当時の人達は「五」を「具体的な身長を表す数字」と捉えたんじゃないですかね。


 朱:他にも『水滸伝』には「五短身材」と形容されてる人物が登場するんだろ?そちらはどうなんだ?


 宋:古い訳本はやはり「五尺に満たない」とされてますが、現代の訳本や二次創作なんかだと、直接的に「五尺に満たない」とされてる物は少ないようです。まあ、王英さんほどのインパクトが無いと申しましょうか、影が薄いと申しましょうか、そんな人達なんで、それも致し方ないと申しましょうか。


 朱:「五短身材」と表現するくらいなんだから『水滸伝』の作者も「背が低い人物」をイメージして登場させたんだろうが、具体的に「五尺に満たない」なんて語られるのは何ともなあ…


 宋:中国では一般的に「五短身材」の「五」は「四肢(両手、両足)と首」を意味する、と解釈されてるようです。なので、イメージ的には「背が低い」というより「身体つきが全体的に小さい」の方が近いみたいなんですが、じゃあ「五尺に満たない身体つき」は誤訳なのかというと、実はそうとも言い切れないようでして。


 朱:何で?


 宋:一説によると「五短身材」という言葉は『水滸伝』から生まれたとも言われてます。もし、それがホントなら『水滸伝』で「五短身材」と形容されてる人の中で、最も早く登場する人の為に作り出された言葉、って事になりますよね?となると、その意味するところは『水滸伝』の作者か、或いはその部分が講談なんかを元にしてるんだとすれば、その元ネタを考えた人にしか分からない訳で…


 朱:「五尺に満たない身体つき」という可能性も全く無い訳じゃない、か。


 宋:ですね。


 朱:ところで、散々哥兒の事を揶揄(からか)ってたが、お前の身長はどのくらいなんだ?


 宋:えぇ~、それ聞いちゃいますぅ?


 朱:何だ?


 宋:んと…そ・れ・は・ヒ・ミ・ツ♪


 朱:何だ急に、気色悪い。


 宋:ひどい…っていうか、背が高かろうが低かろうが、具体的な記述があるだけマシですよ。俺なんか『水滸伝』でもこっちでも、身長について触れられてすらないんですから!


 朱:あ、ああ、何か…すまん。


 宋:何なら俺の身長なんて、設定すらされてない可能性だって無きにしも非ず…こうなったら作者に頼んで、俺が「一丈の身体を持つ男」って事にしてもらおっかな。


 朱:俺よりデカいのかよ!?というか、哥兒の身長を考えてやれよ。


 宋:ははぁん?やっぱり哥兒だって、兄さんの背が低いと思ってたんじゃないですかぁ。


 朱:ゲフゲフ!


 宋:いや、でも、さっきの「『水滸伝』で身長が五尺に満たない」と言われてる人は、弟さんの身長が八尺ですよ?


 朱:そうかもしれんが。何よりお前のキャラにそんな長身は似合わんよ。


 宋:ひどい…


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